counterfeit ; L'odeur de la Papaye verte 06




 プラタナスの木漏れ日が地面を斑に見せていた。
午后の日差しである。
関口は日の差す小さな面積を跳ぶように踏んで歩いたが、五歩も往った所で息が切れ始めそれ以上跳んで歩むことを諦めた。一人暮らしにしては此の家は余りにも広い。此れも良家の子女であるならば呼吸をする程に当然のことなのだろう。
関口は門を出て南京錠へ鍵を差し込んだ。
「先生」
背に声を浴びせられ、顔を顰めた。
あれ誡めてもまるで改める気配は無い。
「鳥口くん…」
「門開けてくださいよ、運んじゃいますから」
「は?」
振り返ると、鞄を肩から斜め掛けにし鳥討帽を被った橇犬に似て眼が少し寄った中々の二枚目……鳥口が立っていた。両腕に未だ青いパパイヤを抱え込んで。
「それ、」
「いいですから、早くして下さい。バランスが悪くて、落としそうなんですよ。早くして下さい」
「あ、うんっ」
門を開け、鳥口を導いて、家内へ上げた。
瀟洒な建物である。
「あの、お勝手は何処ですか?」
呻くように鳥口は云った。
重いのだろう。
台所の中央に置かれた卓子にそれを漸く下ろすと、大きく鳥口は息を吐いた。
ごろりと音を立てて卓子に転がる。十二個もあった。
「はー骨が折れた。先生いつも此れを買い込んでくるんですか?」
「此の敷地内にはパパイヤの樹は無いからね」
「へえ、こんな広いのに」
頷いた。お屋敷には台所の横庭にパパイヤが植えられていたのだ。
「でもこんなにいっぱいは買わないよ。我が家は一人だけなんだ。こんなにいっぱい…君経済観念がないだろう?」
「うへえすみません」
関口は微かに笑んで青いパパイヤを手に取り鼻先に当てた。
「でも有難う。丁度買いに行く処だったんだ」
鳥口は少し顔を反らして頭を掻いた。
「お礼に夕餉をご馳走するよ」
「え、」
「今夜家主は戻らないそうだ」
「はあ」
あわよくば、何処かへ一緒に食事に誘うと考えていたのだが、一度関口の手料理も食べてみたかった。
椅子へ座ると、蓮茶を出してくれた。
「大きな家っすね〜」
台所から家の主人が住む方向へ、実際には廊下しか見えないが、眼を向けた。
「此処は御屋敷の分室だね。本当、気を遣うよ」
あの壷や置物を割ってしまっても此処では自分を庇ってくれる人は居ない。
 
 空が暮れだしてきた頃、関口は肘までの袖を一捲りした。
盥に水を張り、関口は鳥口の持ってきたパパイヤ二つを沈めた。中へ自分の手も差し、パパイヤの膨らみを撫ぜる。掌と指先で丹念に擦り、水から上げ晒の上に置いた。
使い込まれた俎板と包丁。
いずれも水で少し洗い、パパイヤの皮を剥く。半分に割り中の種を指先で掻く。爪の間に入り込む。指を水の中へ入れると水面に種が浮遊する。刃を幾筋も入れ、違う方向から表面をなぞるように薄く刃を当て削ぐ。
水の張られた器の中へ白い果肉が薄く零れてゆく。
「─────御次男はどういう人なんです?」
「さあ?」
頸を傾いだ。
「さあって、どういう反応ですか?一緒に暮らしているでしょうに」
米を計り関口は水の中に入れ火に掛ける。米は茹でた後で再び蒸すのだ。
「うん、まあ一緒に暮らしてはいるんだが…彼はピアニストとは云っても自由業みたいで…日永ふらふらしているし」
「ふらふら?」
「まあ京極堂から放蕩を尽くしたって聞いていたから驚きはしないけれど。此の家に居る時は大抵眠っているし、僕は食事を用意して所定の場所に置くんだ。そして寝室を叩いて。それだけ」
「それだけ?」
「うん、顔も此処に来てからちゃんと見たことないし」
本日何度目になるのか蓮茶のお代りが鳥口の前に差し出される。
「そうなんですか?」
「まぁね」
鉄鍋に油を布き千切りにしたパパイヤと茄子を入れる。水が切れていなかったのか、少し油が撥ねて関口は一瞬身を反らした。箸で掻き雑ぜ、程よく火の通った頃、野菜を火から下ろして、前以て切ってあった肉を投入する。途中で野菜を再び入れて。
火から鍋を下ろし、塩を振ってよく混ぜ合わせた。
もう一度塩を振る。
鳥口は振り過ぎだろうと思ったが、その目線に気付いたのか関口は少し口を綻ばせて「いいんだよ」と云った。
米はそろそろ蒸かし上がる頃合だった。
「簡素なものですまないね」
はにかんで関口が言う。
外界は既に夕闇だ。蟲の音が聞こえていた。
それでも膚に薄らと汗が浮く。
「否、旨いですよ」
がつがつと鳥口は食べる。
「此方も使用人の身だから素材をふんだんに使う訳にもいかないんだ」
蜆と睡蓮の葉の酸味の利いた薄く甘いスープも食卓に上った。
「はあ、そうなものですか」
蜆のスープをすする。呑み過ぎて帰って来る家の主人。関口が目覚める頃、寝台に入っているので意識はあるのだろうが、如何せん出される洗濯物には酒の臭気が染み付いている。
彼の肝臓を気に掛けて蜆のスープを作ったのだが、作ってから此方帰って来てはいなかった。
鳥口が来なくば、駄目にしていただろう。
 鳥口が辞去したのは相当遅くなってからだった。
勝手口からでなく玄関を出て門まで送る。屋敷を木々が囲み、街灯へ30mほど先だった。
鳥口の目が悪戯好きの子供のような光が灯った。一瞬怪訝にして「なんだよ」と言うと鳥口は少し身を屈めて、頬に脣を落とした。
「飯、旨かったです。本当に」
門が開いた。
関口の視界に革靴が眼に入る。それは少し汚れが見えて、小さなブラシで磨きを掛けなくちゃなと反射的に思った。
「あ…」
声を上げたのは鳥口だった。
背の高く、鳶色の髪に同色の眸。秀麗な容貌。その柳眉が寄せられている。
「お…お帰りなさ…いま…」
「関くん、」
丹花の唇。本来は女性に使う修辞だろうが、此の主人以外に使うことがあるだろうか、と関口は見蕩れる。
「─────は?」
鈍い反応をした。
関くんなど呼ばれたのは初めてである。
「その頬を拭ったら、部屋にお茶を」
そう云って、大股で主人は去ってゆく。
「あれが─────榎木津礼二郎?」
「そう─────みたいだね」
二人とも呆然とその背を見送っていた。
「そ…それより…!鳥口くんなんてことを…!」
不意に我に返った。
「え?だから食事の御礼ですよ」
「あのね…僕は殆ど初めて会う雇い主に…ああ…もう…」
関口は項垂れた。
きっと変に思われた。
「まあ別にいいじゃないですか。僕が先生のこと好きなのは本当ですし」
「はあ!?」
「じゃあ、此れで」
再びもう片方の頬に脣を寄せた鳥口の顔を関口は押し潰した。






??/11/06






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