counterfeit ; L'odeur de la Papaye verte 03




 「先生!」
使いに出ると、街中で声を掛けられた。
関口を先生などと呼ぶのは鳥口だけだった。年少だが、小柄な関口よりも背丈も高く、躰格も大きい。
彼は新聞社の下請けで町の小さな記事を書く記者だった。将来は写真家になる、と心に決め新聞社で働きながら独学で勉強しているらしい。関口にしてみれば眩しいほどだ。
「先生じゃないよ、鳥口くん」
「だって、物知りじゃないですか、」
「僕が物知りだったら其処の本屋は如何なる?」
京極堂と言う本屋だった。関口と其処の書肆は小学校時代の同級だったのだ。
「うへえ、あの人は師匠ですよ」
鳥口が町の老婆に話を聞き取り中に文字が解らなくなり、矢張り使いの途中だった関口が、見かねて、道路に指で書いてやったのだ。余りにも珍しい関口の椿事だった。
「そう云えば先生の家の御次男」
「ん?」
関口は八百屋の前で立ち止まり、茄子と隠元を物色する。
「留学から帰国されるそうで」
「へえ、」
「知らないんですか?」
「あのね鳥口くん、僕は一介の使用人なんだよ。僕の仕事は主人一家には殆ど関わらないし」
「そう云うものですか?」
店の主人へ代金を払い、海老が茄子と隠元、長葱を籠へ入れる。籠の底には海老が紙に包まれている。
「君には解らないかもね。御次男なんか顔を見たことも無い。遠目に姿を見たことはあるけれど。」
優しく閉じる片目が一瞬関口の脳裏を過った。
「ふぅん、京極堂さんはお知り合いだそうですけど」
「京極堂が?」
「ええ」
「聞いたこと無かったけど、あの男は結構顔が広いからなぁ」
空は蒼い。見上げた。
「先生はあの家を出ないんですか?」
「え、」
「否、もうずっと働いているんでしょう?」
「ああ…慥か。でも正確な年月は忘れてしまったよ」
「僕と暮らしませんか?」
まるで一世一代の清水の舞台を今飛び降りるような入水志願の顔をしていた。
「何を言い出すんだ、君たちは」
「え?」
鳥口の顔が怪訝に顰められた。
「君『たち』?」
「先日京極堂にも同じことを云われたよ。そんなに僕は頼りなくて酷い暮らしをさせられているように見えるのかい?」
「否、それは…」
鳥口が俯いたのを見て、関口は思わず笑った。
「僕はさ、どうも、こう…不器用だろう?今の仕事は昔からしているし、慣れている。染み付いているというのか。そんな僕に他の仕事は早々見付からない気がするよ」
歩いていると既に榎木津の勝手口だった。
「先生、」
「だからその先生って言うのを辞めてくれよ」
はにかんだ表情をする。
「今度、食事しましょう、」
「奢りかい?」
「勿論」
「じゃあご相伴に預かろうかな」
そう云って関口は勝手口の向こうへ姿を消すのを鳥口は見送る。そして閉じられた扉の前で暫し立ち尽くしていた。






??/11/06






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