Gnossienne No.5 




 学問、好色、遊芸に秀で、況して彼の背景は華族榎木津子爵家だ。様々な意味で学内に彼を越える者は無い。仮令それが教師であろうと。榎木津礼二郎にとって此の学内などは正しく自由な庭園だった。
 彼は常日頃、気の向いたようにしか生活をしない。講義への出席もほぼ同様だった。単位擦擦の出席日数を誇っている。
此れは教師も是認である。
そして今日を自主休講とした榎木津は床の中で惰眠を貪ろう考えていた。
だが、一旦目を覚ますと再び眠りに入れなかった。
榎木津は床の中で紙巻を咥えながら、一人の人間のことを考えていた。
 関口巽についてである。
彼は榎木津の奥深くに眠っていた苛虐と言う獣を揺さ振り起こした。獣は咆哮を已まず、躰を戦慄かせ、酷く乱暴に無惨に彼を嬲った。
彼が次第に昂り呼吸を乱す様子は、酷くそそった。
指先がその皮膚に届くまで、あの小柄な後輩は酷く緊張した面持ちだったのに、一旦触れてしまえば、あとは転がり落ちるようだった。昂ぶり、呼吸を乱し、旺盛だった。
その背がしなるように反らされ、また腰を突き上げて、榎木津を根元まで飲み込んでそそっていた。
手にするべきではなかったのだ。苦しくなるのは己ではないか。
あれほど熟ったことを忘れられる筈もない。
……中禅寺によって関口と引き合わされたのは春のことだ。
此方を見て一瞬ぼんやりとし、顔を真紅に染めて背けてしまった。不図此方に向かせたくて、「猿に似ているね」と云ったならば心底驚愕した様子で、再び正面に榎木津を見た。
面白い、と思った。それから構内を歩けば目の端に関口が常に居た。何処に居ても関口が目に付いた。今思えば無意識に探していたのだろう。殆ど観察に近かった。
そうした中で見たのは、関口の中禅寺と言う男に対しての、変化だった。
一度手にすれば、諦めもつくかと思った。
けれど、それだけでは身に飼う獣は充足を見なかった。獣は獲物の味を覚えてしまったのだ。
「もう一度、」
床で紙巻を押し潰すと、幾度目かの吐息を洩らした。




 秋も終りを迎えた頃、すっかり元来の無口を取り戻した関口の眼前に小さな風呂敷包みが差し出された。沫い緑青の縮緬で白い花の内側がほんのりと紅い。それは女性が使うものに見えた。
「………」
目線で、差し出す中禅寺に問うと、
「栗鹿の子だ」
と返答した。
「……君が作ったの?」
「生憎、甘い物は好きだが作ることは門外だ。君も甘い物は嫌いじゃないだろう?丹波栗と和三盆を使っているらしい。材料だけは高級品だよ」
諾とも言い兼ねて、関口は黙っていた。
慥かに甘い物は嫌いではない。けれど、甘い物が得意なのは眼前の中禅寺本人だ。何故中禅寺が関口に甘い菓子など差し出すのだろうか。
僅かに頸を傾いだ。
「何で、僕に?」
中禅寺は顔を顰めた。
「君の夏疲れは未だ治らないのかい?」
中々受け取らない関口の額に中禅寺は小さな風呂敷包を当てた。
「夏…疲れ?」
「夏から此方ずっと、覇気が無いようだったから。違うのか?彼女にそのことを話したら、先日此方に来る時持ってきてくれたんだ。彼女の実家は京都で菓子屋をしていてね。と言っても此れは舗に出せるようなものじゃない」
「…そう…」
「彼女自身が丹精籠めて作ったと言っていた」
関口の手の中に包を渡すと、中禅寺はいつもの不機嫌そうな顔の儘、少しだけ照れたようだった。
彼の乏しい表情の中でも酷く珍しい範疇だ。
関口は腕が震えるのをどうにか押し留めていた。
「……有難う、大事に喰べるよ」
少し声が掠れた。
中禅寺は照れ臭いのか所用があると、颯々と部屋を出て行った。
身が粟立った。
眼前が真っ白になるほどの苛立ちが身を席巻する。
咽喉がしゃくり上げ、嗚咽が零れた。
そして、手の内から風呂敷包が滑り落ちた。
陶器の割れる音がした。

「かみさ…ま…」

言葉が漏れた。
 膝が崩れ、床の上に臀を付き、そして何かを関口は呼んだ。虚しいばかりだった。今此処に哀れと同情し、慰めてくれる存在が欲しかった。
誰かの手を欲していることを知った。
神などと言う居るのか居ないのか正体の知れない、そんなあやふやなものではなく、もっと熱を帯びた人の肉体が、欲しかった。
忍耐の限界だった。
人と触れ合うことを避けるなど、土台淫蕩に耽ったことのある此の身には無理なことだった。
自分を滅茶苦茶にしてしまいたかった。
劣情は抑えられない。
チズの作ったものを投げつけたとて。
昂ぶる。
彼を──────中禅寺を求める感情が、劣情が、昂ぶるだけだった。
獣のように卑しい情欲が、苛む。何かが自身の中で蓄って行く。何か泥泥としたものが…沈殿を見せて行く。それを抑えるのは不可能だった。
「中禅寺…」
呟いて、自分の股間を肌蹴させた。
両手が性器を触る。
目を閉じると、あの痩せ扱けた四肢が瞼の裏に浮かんでくる。
吐息が零れる。
自分の感じる箇処が何処かなのか、関口は知っていた。
色んな処を触られて、覚えさせられたのだ。相手が誰であろうと、一人で気持ちよくなれるように、と。
榎木津に抱かれた時、じっくりと馴らされのにそれでも受け入れるときはとても苦しかったが、それでも充分に感じた。
毎夜弟と戯れた日々からは遠くなったのに。
……不図、榎木津の手を、膚の上を蠢動するその手を思い出す。
綺麗の整えられた爪、労働をしないことを物語る手。
手の中に吐精した。
じんわりと身の内に拡がる快楽の濃厚な残滓を感じつつも立ち上がると、跫は自然と別棟へ向かう。以前人目を気にして去った部屋を、再び人目を気にしながら訪うことがあるとは。…何も考えられなかった。
「先輩、先輩っ」
扉を力任せに敲く。
留守にしていれば良いと思った。この部屋の主が常のように留守にして外で遊び惚けていれば。けれども関口の願望を裏切って、扉は開かれ、現れたのは、見蕩れるほどに美しい人だった。
「先輩、」
「………どうした?」
睨み付けられていた。口の周りに涎の痕が見え、睨まれているのは彼の睡眠を邪魔した所為だと知った。
「もう…もう…、」
中禅寺は自分を見ない。
「お願いです、先輩」
中禅寺は己を決して見ない。彼にはもう、想う人がいる────。
「僕を抱いてください」
もう一度。
「関くん?」
訝しそうに榎木津の色素の薄い大きな目が細められた。
「お願いです。どうかどうか────、」
中禅寺など忘れさせてください。
「泣いてる、」
「泣く…?」
「君だよ、関くん」
関口は顔面に手を這わせた。慥かに濡れていた。
「関くん、僕は君のその泣く相手が誰なのか知っているんだよ」
「………」
「もうこの間のことは忘れた方が良い」
「忘れる、」
弾かれたように関口は顔を挙げ、榎木津を見た。
「そう、忘れるんだ」
教会の坊主の様に諭す己に榎木津は笑い出しそうだった。
「忘れろというのなら、何故あの時、何故僕に触れたんです。何故抱いたんです?」
最後は掠れるような声だった。
「関口」
榎木津は少し言い澱む。
未だ────もう少し。
「僕を何だと思っているんだ。あの時を気の迷いだったとは言わない。君が誰を思っているのか知っていながら、犯したのだからね」
「じゃあ、今も─────同じようにしてくれても」
いいではないか。
関口の両手を榎木津は掴んだ。そしてその掌を鼻に当てた。
「あ…」
「臭う、」
上目遣いに榎木津の目が酷く鋭く、関口を射竦める。
「此処に来る前に何をしていた?」
関口は顔を背け、耳から首筋までも闇に瞭然と判るほどに真朱に染めていた。
「君は残酷だね」
「残酷?」
榎木津は細く息を吐いた。
「何で僕が君に一片でも好意を抱いているということに思い至らないんだ?」
「え、」
関口は榎木津の顔を正面に見て、絶句した。
「未だ……抱いてくれと言うかい?」
多分に逡巡したようだが、関口は項垂れるように、頷いた。
「君が想っているのはあの男だのに。だのに、そんな僕に抱けというのか。君、苛虐思考者かい?」
榎木津は関口を揶揄するように言った。
卑しい己を恥じているのか、先から関口は榎木津から顔を背けた儘だった。
そんな様子に榎木津は身震いした。
嬲りたい─────。
髪を乱暴に掴まれる。そして、関口の顔を持ち上げ脣を塞いだ。舌が絡み合い唾液を共用すると強烈に吸い上げられた。同時に股間を鷲掴まれる。
「ん…」
咽喉の奥が鳴った。
こんな寮の廊下で誰に見られるとも知れないのに、脣を合わせて、況して股間を握られている。
脣を唾液に濡らせて漸うと離すと未だ、股間は榎木津の手中にあった。
「堅くなってる」
まるで誰でもいいのじゃないのか、と言われている様で総毛立った。
そして招き入れられた。















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