bisous_12 可愛らしいメヌエットだ。選曲は中禅寺ではあるまい。四重奏が演奏する中で二人は寄り添っている。白い簡素なドレスは彼の妻となる人の身体を清廉に美しく装い、髪に飾られる薄絹布と手に持つのは純潔の象徴たる白い百合だ。 ワーグナーやメンデルスゾーンでないだけ良いのだろうか。 付添い人として妻となるべき人と似た恰好をした彼女の友人が二人後ろに控えていた。 皆、顔が円やかに笑っている。あの日頃兇悪な顔をした男でさえ、兇悪の中にあって円やかだ。 黄昏の時分。 山の向うに光源が移り、東から迫り来る闇と昼が交合し危うい群青色をみせている。しかしそれも実際には厚い雲の切れ切れに見えるばかりなのだが。 雲の上で繰り広げられる美しさに関口は心を奪われそうになる。 切れた雲の波頭は金色だ。 衣服規定があるので、此処に集う客も皆、礼装をしている。 関口もその一人だ。 客席の間に間に、豪奢な背の高い長方形の植物が入った間仕切りが置かれ、彼らのその式を慎ましやかなものに見せている。実際此処に来たとき「明後日の夕餉に当レストランで御披露目がございます。ご臨席下さいませば有り難く存じます」とは云われたものの、乾杯だけが客に求められたものだったのだ。 皆彼らの善事を祝っている。 観葉植物の狭間から関口は双人を確認していた。 双人とも頬が薔薇色だ。 関口は食事をする手を止めた。顔が熱いのは直前に入浴した所為だろう。そして立ち上がる。革靴の底が鳴る。 中禅寺と支配人の集まりの環へへ関口はゆっくりと入っていった。 「中禅寺、」 呼びかける。 酷く彼の反応は鈍かった。 緩慢に緩慢に声の主を振り返る。 眼が、いつも虎のような眼が、歪に見えた。 初めて見る眼だ。 中禅寺の向うに女性がいる。一見して解る、知性に溢るる、美しい女性だ。 それが中禅寺の妻となる人なのだろう。 祝わなければ。 『良心的にこんな喜ばしいことを他の人間も歓ばないことはない』と思っている笑顔を見せなければ。 笑顔は苦手だ。 笑おうとすると、いつも苦いような顔になる。 けれど今は懸命に笑った。 歪でも好い。笑うのだ、その女性に向けて。 そして、中禅寺の頬に頬を、脣を寄せた。 物慣れぬ行為だ。こんなことをしたのは後にも先にも初めてのことだった。接触を、殊に人前での接触を嫌がったのは関口である。 頬と脣を寄せてた。 「おめでとう、」 傷付いた顔─── 解っている。 今更追ったからだ。 中禅寺は諦めたのに。関口からのそれらを。 懸命に懸命に中禅寺は関口を愛した。だのに、それらの一切を拒んだのは関口だったのに。人の愛し方が解らなかった。 人の感情が怖くて、愛情など猶更だった─── だのに彼が離れて行き、漸くそれに気付くなんて。 君が離れて行くのが怖かった、今そう告げれば何もかもが元通りだろうか。 関口は自分の思考を打ち消すように小さく頭を振った。 もう片方の頬にも頬と脣を寄せる。男は両頬に一回ずつの筈だから。 親愛のそれを。 嗚呼、 「どうか、君に祝福を、」 せめて言祝ぎを─── 了 ───以上を、ささきさまに捧げます。 有難うございました。 previous | 後記 |