旅日記A  サパ

                              

ハムロン丘展望台からフラワーガーデンを見下ろす


9/17(土)  タフィン村  ハムロン丘  サパ市場

 5:40起床。睡眠不足で頭がボーッとしている。着替える。
 6:00サービスのコーヒーを飲みに、食堂車へ。西洋人の年配夫婦が1組いるだけだ。夜のムードの車両。
 揺れるのでコーヒーがこぼれそうだ。

 6:30ラオカイに到着。外は雨。

 ワゴン車が迎えに来ていた。一路サパへ。
 道路は整備されていて快適ドライブだった。
 棚田が山の上まで広がっていて、緑が美しい。刈り入れ直前の水田も多い。
 民族衣装で歩く人の姿がチラホラ。

 1時間ほど走ってサパへ到着。サパは涼しい。
 ヴィクトリア・ホテルはスイスシャレー風のリゾートホテルというだけあって、ロビーには暖炉もあり、雰囲気はヨーロッパだ。
 通路に民族衣装が展示されている。
 中庭にうさぎ小屋があって、元気なうさぎたちが遊んでいた。隣はチャイルドルームになっていた。

ヴィクトリア・サパの部屋 中庭で遊ぶうさぎ ベランダからの眺め


 部屋はベランダ付の落ち着いたツインルーム。
 設備は完璧に揃っている。バスローブは濃紅と紺色。電気ポットは故障しているみたい。

 8:00朝食へ。ビュッフェは洋風やベトナム風と種類が多い。フォーボーとフルーツコンポにした。フォーは屋台で作ってくれる。フルーツコンポにはドラゴンフルーツや柿やマンゴーが入っていてとても美味だった。

 9:00ロビーへ。ガイドのLさんは別のホテルに泊まるようだが、迎えに来ていた。
 ワゴン車でタフィン村へ。サパのガイドも同乗。
 小雨が降ったりやんだりの天候なので、携帯レインコートを着用した。

 タフィン村へ入り、クルマを降りる。すぐに赤ザオ族の女性たちがまわりに集まってきた。何故かみんなすごくにこやかだ。ずーっとついてくる。もちろん刺繍のバッグとかの民芸ものを買えってこと。
 この買え買え攻撃はとても疲れる。
 小学校と中学校を見学。少人数のクラスばかりだ。
 みんな暗い部屋でまじめに勉強していた。
 小学校低学年でもけっこう難しそうな算数をやっていた。
                      教室の中は暗い

 その後、赤ザオ族の民家へ案内された。粗末な小屋という感じ。
 土間で低い椅子に座り、お茶を飲んだ。
 彼女たちの目的はもちろん私たちに手芸品を買ってもらうことだ。売り手は4人ばかりいたか?
 少し気になる座布団カバーが3$から下がらないので、買うのはやめた。2$ならOKだったが。
 Tさんは刺繍ポシェットを1個購入する。
                                       眉と生え際を剃っている赤ザオ族

 歩いてワゴン車にもどり、昼前にサパに帰ってきた。天気は回復している。

タフィン村のスナップ

田んぼで魚採り?
稲は倒したまま
村の中心に集まる赤ザオ族


 サパ中心部のローカルな食堂ガーベラでランチ。サパスープ、揚げ春巻き、炒飯、チキンと玉ねぎの鉄板焼き、など。味はまあまあよかった。ハノイの観光客向けレストランよりは美味しいと思った。(セットメニューで45000ドン〜50000ドンと、300円ちょっとなので安い)

 13:30いったんホテルにもどって休憩する。午後はフリータイム。

 14時過ぎにトレッキングシューズに履き替え、外出。
 歩いてサパの中心へ。バイクタクシーの勧誘などあるので、ハムロン丘への行き方を聞いた。
 ハムロン丘へは、階段の途中のチケット売場で15000ドンの入場券を買い、少し登ったところでチェックされるようになっていた。
 石段を上がっていくと、方向表示が出ている。
 開けたところにはモン族の子供たちがたむろしていた。ミサンガなどを買って買ってとにぎやか。カメラを向けるとマネーと要求する。まあでも可愛いもんだわ。黒モン族の子供たち 売り込みはあっさりしていた

 SAPAと紫色の花で描かれ、カメラポイントだね。このあたり花がきれいに咲いている。フラワーガーデンでしばし写真撮影。


 展望台をめざして岩の間をくぐり上へと歩いた。岩というか石はとても黒ずんでいる。こういう種類なのか。
 ようやく展望台にたどりつく。5人も立てるだろうか? 狭い空間。
 でも眺望は素晴らしい。山や棚田やサパの街が箱庭のよう。

 ハムロン丘を散策する観光客も多い。
 ベトナム人のカップルやグループ。アメリカ人の団体。他のアジア人もいた。
 オーキッドガーデン、オーストリッチガーデンなど見学。
 中腹には茅葺の建物があり、2Fは舞踊観劇の場所のようだった。
 

遠くまで山がきれい ハムロン丘の展望台からサパの町を見る 売店で和んでいた子


 ハムロン丘はけっこう楽しめた。

 街にもどり、サパの市場へ行ってみた。
 1Fは野菜などの食料ばかりだ。2Fは衣料になっていて、ここにはマイッタ! 売り込み攻勢が激しくてぜんぜん見ることができない。買う気があってもこれじゃあね。サパの人は賢くないね。

 17:00ホテルにもどった。
 テーブルの上に赤ワイン、ベッドの上には民芸品の帽子と布が置かれている。

 18:30ロビーへ。今夜は夕食が付いているので、ガイドのLさんを待った。

 3人で歩いてカットカットレストランへ。月のきれいなテラス席に座った。西洋系の個人客でにぎわっていた。
 サパ風スープ(椎茸やトマトが入っている)、デジカルビ、じゃがいもカレーなどとても美味しかった。こういうローカルなレストランがよいね。
 ちょっとTさんに待たされたが、広場前の屋台村へ。

 炭火焼の店が並んでいる。大きいテントや小さいテント。さつまいもとりんご酒。あとの内臓系のつまみはどうも箸が進まなかった。臭豆腐はほんとうに臭くて、とても食べられたもんじゃない。

 教会前の広場はサパの人や少数民族でごったがえしていた。どうもお祭りのようだ。
 教会のすぐ前では観光用のラブマーケットが開催。女性たちは着飾り、男性は竹で作った楽器を吹きながら踊る。背をかがめ、グルグル回転するようなヘンなダンスだった。男の子(10歳くらい?)が上手なのかさかんにチップをもらっていた。これからしても小遣い稼ぎのラブマーケットだと丸わかり。

 ホテルにもどり、3日分の洗濯をする。
 外出中に従業員が部屋に入るようだ。ベッドメイクが変えられて、チョコレートが置いてあった。



9/18(日)  バック・ハーのサンデーマーケットへ

 6:00起床。外は雨がひどい。洗濯物はぜんぜん乾かない。ヒーターを点け、ドライヤーも使って乾燥に努力したが、どうも結果はかんばしくないのだ。

 6:40朝食へ。今日はチーズと燻製ハムでトーストサンドにした。フルーツはメロンやマンゴーなど。
 パスポートを返してもらい、部屋にもどった。

 8時過ぎにロビーへ。外は大雨だ。ショルダーをリュックの中に入れた。フィールドジャケット着用。
 雨の中、ワゴン車に乗ってラオカイからバック・ハーをめざす。今日は花モン族が多く集まる日曜市が立つのだ。
 ラオカイまでの1時間は快適な道だが、その先バック・ハーへの道は工事中だったり未舗装部分が多い。クルマの揺れはとっても激しい。山の斜面からの水で、道路が川状態になっていたり、ぬかるんでいたり、凹凸がひどい所の連続なのだ。
 バック・ハーに近づくにつれ、民族衣装で歩く人、バイクに乗って市場へ向かうらしい人、がだんだん増えてきた。期待が高まるね。

 結局サパからは3時間かかってバック・ハーに着いた。うれしいことに雨は上がっていた。
 駐車場にワゴン車を停め、向かいのレストランでトイレを借りた。

 さて、いよいよバック・ハーの市場観光!
 民族衣装の女性たちがあっちこっちに集まっている。ほんと、お花畑のようだ。市はけっこう広範囲だ。
 最初に馬市を見学。ここはほとんどが男性。道の両側に売り物の馬が繋がれていた。みんな小さい。不機嫌で暴れている馬もいた。
                            大きな篭を背負って売り買いをしに出てくるのだ
                          いちばんキュートだったおばあさん ピースサインが写せず残念!

 花モン族はおばあさんも若い子も同じような民族衣装を着ている。カメラを向けると、恥ずかしがって顔を背ける人が多かった。可愛いのにね。


花モン族スナップ

一角に売買を終えた子達が集まっていた 日本人のカメラマン? 男性はなぜか普通の格好だ
後姿も華やかだ みんなすっぴん 道端にもいろいろ並べて売っている 市場の真ん中は人でいっぱい


 お寺もあった。猫がいた。
 パイナップルのような果物が売られていたが、食用ではなく、薬として使うらしかった。しょうがや大蒜など、日本と同じような食材も売られていた。
 市場内の食堂は男女別に固まって食事している。大混雑だ。
 バック・ハーでの花モン族は自分たちの作った農作物などを篭に入れて持ってきて売る。あとは自分たちの必要なものを買うのだ。
 私たち観光客に対してはぜんぜん買え買え攻撃はしないので、ゆっくり歩けた。たまに買ってという人もいたが、しつこくはない。


             バック・ハーいろいろ

馬市 摩訶不思議な薬草系 野生の蘭がいろいろ 立派な寺
タイ族も少し来ている 西洋人観光客も多い 寺の守り猫?


 12時すぎに駐車場前の食堂でランチ。コーラはビンにしたら、中が凍っていた
 焼きそば、高菜のスープ、豆腐炒め、炒飯、豚肉炒め、椎茸とチキンの炒め物、白飯。味は薄味。ここは観光客でにぎわっていた。日本人数名いた。

 クルマでバック・ハー村へ。小さい女の子たちが4人ばかり遊んでいた。
 歩いて1軒の家を訪問する。先に訪問していた10人くらいのグループと入れ替わった。
 62歳だというご主人。彫刻のほどこされた立派な木製ベンチに腰掛け、地酒をごちそうになった。これが、55度とかですごくキツい。お猪口に1杯を飲み終わらないうちに、また注がれた。
 立派な茶箪笥には奥さんとお母さんの写真が飾られ、上には昨夜見た花モン族の楽器があった。ガイドが頼むと吹いてくれた。とても上手だった。昨夜のとは音が違う。ガイドのLさんの挑戦したが、音が出る程度。
 女の子たちはおとなしくTVを見ていた。
 Lさんは地酒を2本買った。
 民家を出て歩いていると、別の方向からツアーグループが来た。中にガイドLさんと顔見知りの日本人女性がいた。1人で旅しているようで逞しいね。

 14:30再びサパに向かって引き返した。雨がだんだんひどくなってきた。
 1時間くらい走ると、トイレに行きたくなった。凍ったコーラと55度の酒とクルマの揺れがおなかに来たのだ! あと2時間もガマンできない。雑貨店か何かの前で車を止めてもらう。Lさんに店の人に頼んでもらった。
 5000ドンのチップを渡して、屋外のトイレを拝借。助かった!

 17:30、ヴィクトリア・サパにもどってきた。雨はひどくなる一方だ。どうも台風の影響の雨らしい。
 部屋にもどるが、ベランダからの様子では街に出るのはやめたほうがよさそう。ほとんど嵐のような感じなのだ。夕食はホテルで摂ることにした。レストランに行くにも濡れそうなので、ルームサービスを利用しよう。
 ヴィクトリア・サラダとスパゲティ・ボロネーゼを頼んだ。20分で持ってきた。サラダはボリュームがある。プレゼントらしかった赤ワインも開けてディナーだ。

 玄関ドアの下から雨が入り込んでくる。持っていた新聞紙を土嚢がわりにした。
 2度ばかり停電した。即、懐中電灯を準備。



9/19(月)  ラオチャイ村→タヴァン村   カットカット村  ぬかるみトレッキング三昧の1日

                  雨が上がったばかり
                                    ラオチャイ村あたり

 一晩中嵐で、今日のトレッキングはどうなることか? 
 日程表では一日フリータイムになっていたので、Lさんにガイドとクルマの手配を頼んだ。ラオチャイ村→タヴァン村、カットカット村へのトレッキングをするつもりだった。

 出発の9:00には雨が上がっていた。
 なんとか予定通りジープで出発。
 少し走って、入村料を払いしばらく走った。
 案の定、崖崩れの場所にぶつかり、歩くことになった。この崖崩れの上を歩くのが、トレッキングシューズの汚れ初めだった。またすぐに、山からの鉄砲水が道路をふさいでいた。
 すぐ前を歩くフランス人カップルは男性がなんと黒の革靴(ビジネスシューズ?)を履いているし、女性も白い運動靴なのだ。西洋人にしては珍しく想像力が欠けているな。

 この尾根に作られた道路はいちおう舗装してあった。バイクでゆきかう現地の人もなんにんか見かけた。
 モン族と思われるおばあさんが、刺繍の細い帯を売りに来た。5$だという。高いわ。3$くらいなら買ってもよいが。

 道路からの見晴らしもけっこうよかった。山の上のほうに棚田が広がり、下のほうは曲線がきれいに描かれて美しい眺めだった。
 モン族の男の子が竹を売りに来た。竹馬にしては先が斜めにカットしてある。どうやらステッキのようだ。ラオチャイ村へは下り坂なので、これを使えということらしい。フランス人の2人は購入していた。私らはトレッキングシューズだし杖は不必要なので買わない。

 ラオチャイ村への坂を降り始めると、悪路が始まった。昨夜まで続いていた大雨のせいもあって、土の道はぐちゃぐちゃ。それにモン族の女の子やおばあさんの売込みを避けなくてはならないので、それもたいへんだ。刺繍ものやミサンガや銀?のブレスレットなど。
 しばらく歩き、集落の中の寺子屋風の学校を見学する。赤ん坊をおぶっている少女がいる。まるで、おしんの世界だ。このモン族は貧しいようだ。じっさい子供たちはあまり風呂にも入れないようで、汚れがひどい。
 小さい豚が放し飼いにされ、ニワトリの親子があちこちにいる。犬もとても多い。地べたで寝ていたりする。おとなしい。
 友達どうしで道端で刺繍をしている。髪型のセット方法を聞いてみた。白髪がないが、ふけて見える。年齢を聞くと私たちより下だった。化粧をしないし、外での農作業で紫外線を浴びることも多いだろう。手は藍の染料で爪の中まで黒く染まっていた。

モン族の民芸品の売り子 小学校にて つり橋はしっかりしている


 1時間半ほどでタヴァン村へ。ザイ族の村だ。日本のODAで建てられたという学校はとても立派だった。入口脇に日の丸が貼られていた。ラオチャイ村とはえらい違いだ。ザイ族の家には衛星放送のアンテナもあり、生活レベルはキン族(ベトナムのメイン)と変わらないとのこと。漢字が書かれた家もあった。

 途中、川が増水していて私ら2人は靴を脱いで渡った。地元の人は軽々と飛び石の上を歩き、ガイドLさんもがんばってそうして渡れた。
 横には個人所有だという橋があったが、鍵がかけられていた。近くで川底の土を採る作業をしている人たちに聞いたが、橋を利用するのは無理なようだった。

 14:30ころつり橋を渡ったあたりで、バイクタクシーに分乗し、ジープまでもどることになった。このバイクタクシーはとてもスリルがあった。ガイドは1人で乗り、私とTさんは2人で乗った。
 鉄砲水が道を覆っているところが3箇所ばかりあった。一つは水深が深くて、バイクが前進困難か?と思われた。なんとか脱出できたが。右足がびしょ濡れになる。
 あと、Tさんが帽子を飛ばしてしまい、停車したとたんに車輪からチェーンがはずれたりした。エンジンが心細くなる音になることもあった。
 じっさいは10〜15分くらいだと思うが、なかなかない経験でした。バイク自体乗らないし、まして3人で乗るなんてベトナムでしかできないわ。
 途中でモン族の子供たちが屋根に使うトタンを頭上にかかげて運んでいるのに出会った。重いだろうね。

 ジープ手前の最初の崖崩れ現場で私のトレッキングシューズは決定的な泥まみれになった。

 12時すぎにサパにもどった。
 リトル・サパ・レストランへ。ラオカイビールはもひとつだった。野菜ヌードル(あっさりで美味しい)やセットメニュー(スープ、青菜炒め、チキンの鉄板焼き、椎茸と牛肉炒め、白飯)と味はよかった。3人分で140000ドンは安い。1人300円くらいなのだから。

 いったんホテルにもどって着替え。トレッキングシューズの泥を落とした。

 14:30から午後のコース、カットカット村へ。
 ここはサパから直接歩いて入れるようだが、私たちは入村料を払い、ジープで途中まで行った。
 西洋系の観光客はサパから歩いていた。すごく太った年配男性がすごく大きいミネラルのペットボトルを持ち歩いているのには笑えた。

 カットカット村へは道をどんどん下るのだが、大理石とコンクリートで整備された階段なので安心して歩けた。まあ距離はけっこうあるが。

                            
                               このおねえさんの脚半がとてもきれいだった。


 村は集落としてまとまっていなくて山の斜面に点在しているのだ。なかなか厳しそう。
 女性たちがあちこちに集まって刺繍をしている。物干しには藍染めの布や生成りの麻布が干してある。あいかわらずの売り物攻勢は続く。

 渓谷沿いを歩く。気温は高くないが湿度がバカ高い。汗が止まらない。

 しばらく歩くとすごい色の滝があった。茶色というか土砂の色。晴天ならばきれいな水かも。あとで調べたらどうもこのあたりはフランス人が作ったダム跡のようだ。危険近づくな、の警告表示があった。
 石段を上がる。野性の花が目に入る。
 日本人の男性バックパッカーが1人、座っていた。Lさん曰くの[モンダイがある]人かな?
 
カットカット村のスナップ

村の診療所 染物を天日干し 山羊飼いのおじいさん 土砂の滝


 また歩いて、ツリ橋を渡ると、屋外にベッドが置いてある家があった。

 1時間ほどのトレッキングだった。シンチャイ村は省略のようだ。
 16:00ホテルで降ろされる。

 ポットが取り替えてあった。今朝出るときに部屋係りの女性に頼んでおいたのだ。
 コーヒーをいれて休憩した。
 外はまた雨が降り出した。それも雨足が激しい。

 お金の計算をする。成田でドル両替ができなかったので(私が)、なにかと不便だ。

 18:30少し小止みになったので出かけた。
 屋台テント村は天候のせいか客がいない。したがって呼び込み激しい。
 グルグルまわり、ようやく小さいテントの1軒に入った。椅子はお風呂の腰掛だ。
 缶のタイガービール、焼き芋、竹筒のおこわご飯、焼きとうもろこし、焼き鳥を注文した。竹筒ご飯はピーナッツ塩を付けて食べるのだが、これがとても美味。
 Lさんがバック・ハーで会った日本人女性といっしょに現れた。まったく手が早いね。ついでに最終日のホアルーへのオプショナルツアーを依頼し、明日の中国行きについても質問した。彼らは別の店へ行った。
 勘定は2人で60000ドンだった。どうも高いようにも思う。私たちが日本人で、ヴィクトリアホテルの宿泊客だとわかった上での値段なのだ、多分。

 雨の中、傘を差してホテルにもどった。

 昨夜の状況ではトレッキングは無理かと思ったが、なんとか実現できてよかった。
 棚田はきれいだった。



9/20(火)  中国河口へ日帰り  夜行でラオカイ→ハノイ

 曇り。霧が出ている。
 6:00起床。
 7:00朝食。カートが大きいので荷造りはとてもラクだ。

 8:15チェックアウトする。おとといのルームサービス12.6$をクレジットカードで払った。
 このヴィクトリア・サパはさすがに一流ホテルだった。こんな田舎?にいることを感じさせない設備だ。まあサービスはちょっと過剰かもしれないが。ワインはありがたくいただいたし、民芸の帽子や布ももらってきた。

 8:30カートをクルマに積み、ラオカイへ。道は霧が立ち込めていて、棚田はよく見えなかった。
 1時間でラオカイ到着。
 ラオカイは暑い。

 駅前のレストラン横にカートを預け、クルマで中国国境手前まで送ってもらった。
 Lさんの証明書がどうとかで、しばらく待つ。ゲートの脇に古めな寺があった。その写真を撮ったり、中国側を撮ったりする。道端に青い背景布が張られていて、証明写真を撮っているらしいベトナム人がいた。ふと見ると、私と同じデジカメを持っているではないか! 同じだね、と言うと、何故かバッテリーを出して見せた。??

    向こうは中国の河口

 3人でイミグレーションに入る。とても立派な建物だ。手前にも建設中の複合ビルがあった。
 中国訪問はビザが免除されているのでラク。
 パスポートとベトナム入国時の書類(ハノイのノイバイ空港でもらった複写)を出し、スタンプを押してもらう。
 橋を渡って中国の河口へ。ここでも入国書類を2パターン記入する。窓口はわりとスンナリ通過。14日有効らしい。自転車の両側に大きい荷物をくくりつけて、行きかう人たちは外のイミグレを通っている。定期券みたいなものがあるのかも。

 河口の町はやはり中国だ。漢字の看板やビルの窓には鉄柵がはめられている。
 歩いてデパートや電気店などを巡る。プラズマTVは日本と変わらない値段だった。洗濯機やDVDプレーヤーはひとつ遅れている感じ。ほしいものは見当たらない。まあ金もないが。

 1時間の時差がある。で、11時過ぎに昼食をとることにした。店頭に蒸篭が湯気を上げていて、客も美味しそうな肉まんを食べていたので、その店に入った。1皿に10個くらい入っていて、この肉まんはとても美味しかった。あと、ぬるいお粥が出た。辛い高菜漬を入れると、これも美味しくいただけた。これで20000ドンとは激安!

                            絶品の肉まんとお粥

 河岸の喫茶店でへんなジュースを飲んだ。ここも物売りが頻繁に来る。何故か双眼鏡を持っていて覗くように言う。川の向こう側はベトナムなのだ。そして玉などのブレスレットが主な売り物のようだ。
 ガイドLさんはしきりに洗髪をすすめる。友達のおじさんが洗髪店を経営してるという。洗髪と肩のマッサージで安いようだが、Tさんも私もマッサージに興味がない。
 店に行くだけ行こうというので、重い腰を上げ、商店街の中にあるその店に入った。洗髪台が6台並んでいる。外の椅子にはピンク髪の女性や水商売風男性やらがいて、隣りの店に時おり客を引き入れてすぐにカーテンを閉めるのだ。こちらの店ともつながっている様子。なんだか怪しい雰囲気だ。
 私たちにはペットボトルの水を出してくれたが、どうも飲む気になれなかった。
 これは不向きな客だと判断したのか、そのおじさんなる人は私たちに電気自動車で市内一周をすすめた。時間もあることだし。

 電気自動車はさっき歩いた道をノロノロ走るだけだった。運転手は若い女性で、町の人気者という感じだった。
 ぐるっと市内を走って、イミグレの近くで下りた。

 すぐにベトナムに戻るのかと思いきや、ガイドLさんは買物をするという。
 布団屋は見ただけだったが、鞄屋では長居して、サイフやらをいくつか購入したもよう。まったくどちらが客かわからないね。
 まあLさんに言わせると、中国の方が品質がよくて安いということだった。

              河口のイミグレ近くの商店街

 また、中国出国書類を書き、ベトナムでも入国書類を書き、ラオカイへもどった。
 電気自動車に乗り、橋向こうの市場へ。

 またしても、パラボラアンテナを買うというガイドLさんに待たされる。
 暑くて待つのも疲れる。近所の教会の写真を撮ったりするが、道路を歩くとバイクタクシーの勧誘がうるさい。

 ラオカイ駅前のミニホテルで2時間の休憩。シャワーを浴び、ベッドに横になった。エアコンと扇風機があるので救われた。
 暑い国で夜行移動の前後には、ホテルのデイユースは必要不可欠だ。
 60000ドンの部屋代を払う。

 19:00荷物を預けているレストランへ。
 青島ビール(なぜかラベルがない)、焼きそば、などなど単品をオーダーする。ローカルでけっこう美味しかった。素材がほとんど毎回同じなので飽きはきているが。

 20:40ころ、カートを引いてラオカイ駅へ。駅前には屋台が出ていて地元の人々でにぎわっている。近所にネットカフェも若い人で繁盛していた。

 帰りのヴィクトリア・エクスプレスは日本人の母娘と同室だった。
 今日はコックリーの市場へ行ったらしい。小さいし臭いし、あまりよくなかったらしい。
 まあ私たちの中国行きも、なんだかただ行っただけという感じだ。暑い中、買物につき合わされただけ。考えようによっては、ベトナム人青年の購買風景を観察させてもらい、これも一つの観光かも。

 私は上段にした。天井は低い。だが、振動が下段より少ないように感じた。
 すぐにパジャマに着替え、就寝。





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