アマルフィの日々

in冬のトスカーナ


ラヴェッロ ルーフォロ荘からの眺め

1/19(木)  1日かけてアマルフィへ移動する  フィレンツェ→ナポリ→サレルノ→アマルフィ

 今日からいよいよ、つかの間のイタリア避寒旅行だ。

 6:30起床。
 7:15朝食。
 どうも「歩き方」南イタリアから切り取ってきたアマルフィ近辺のページをなくしてしまった。入れ忘れたか、ミラノのホテルに置き忘れたみたい。
 そう支障はないと思うが、困ったものだ。  ※ なんと家にあるガイドブックにはさんであった!

 フィレンツェからアマルフィへの移動は案の定案の定、たいへんだった。
 フィレンツェ発の電車が40分遅れたため、アマルフィに到着したのは、当初の予定より1時間半くらい遅くなった。
 フィレンツェのホテルを出てからアマルフィのホテルにチェックインするまで、なんと8時間40分もかかった。

 まず、フィレンツェSMN駅には早めに行った。
 ところが、私の乗る8:53発のユーロスターは20分遅れ、と発車板に出ている。他の電車はみんな定刻なのにだ。
 ユーロスターなのに平気で遅れる!
 20分では済まずに、30分遅れてやってきたものの、10分以上も停車している。
 結局発車したのは、9:35をまわっていた。 もう、今日中に着けばいいやと腹をくくるしかなかった。
 当然、ナポリ着も12:30のところが13:10すぎとなった。
 乗り継ぐはずだった12:50のサレルノ行はとっくに出た後だ。
 13:16発の地下から出る電車があるようだったので急いだ。
 これも10分くらい遅れていて、サレルノ駅に着いたのは、14:40くらいだった。
       列車がナポリを出ると、右側にまばゆい海が広がり、すごい開放感だった。
       心の底からほっとした。
       波のきらめきや大海原を目の前にすると、人間には水が必要なんだ、と痛感した。

 アマルフィ行のバスは出たところ。
 50分待ちで15:30のバスに乗り、アマルフィ着が16:45だった。

 そして、このサレルノでバスに乗るのがまた一苦労だった。
 ガイドブックを忘れてきたこともあるのだが・・・・・。
 電車の駅を出て、目の前にあるバス停で地元の人にアマルフィ行の停留所聞くと、この場所でよいと言う。
 しかし、そこにはアマルフィのアもなければ、時刻表も他行のものしか出ていない。
 ガイドブックに港方面にあるように書いてあった記憶があって、時間もあることだし、少しうろつくことにした。
 ルーマニア人のおばさんに聞いてもわからず、イタリア人の少女に聞いたら、やはりさっきの駅前らしい。
 もどった。なんとインフォメーションが角に見えた。
 そこに入って確認して納得した。
 私がプリントしていったのと同じタイムテーブルをくれ、きれいだが役に立たないパンフレットをくれた。
 チケットをバールで買うように教わり、1.8ユーロを2枚買った。

       サレルノの駅前にはタクシーがいっぱい停まっていて客待ちをしている。
       私には用がないが、連れがいたり、お金持ちだったりすると利用するのだろう。


サレルノ駅前

 ようやく15:30のアマルフィ行のバスに乗れて一安心だ。

 アマルフィまでの車窓は絶景だ。
 2002年のツアーで通った逆コースだが、またそれなりによい。
 遠くの山々は雪を頂き、サレルノの街や港が美しい。
 そして海岸沿いには断崖絶壁が続く。家やホテルも点在している。

 アマルフィのバスターミナルに着いた。
 カートを引いてドゥオーモ広場へ。「理想の女」にでてきたまんま。
 地元のマダムをつかまえて、インフォメーションの場所を聞いたが、「ツーリスト・インフォメーション」が通じなかった。知り合いの人が来たので、また聞くが、通じない。ホテル・リドマーレの場所を聞くと、それは即答だった。
 西側の細い階段を上がった広場に面してあった。

 ホテル・リドマーレに入ると、マダムが部屋に案内してくれた。
 広々したツインルーム。小さいベランダから海が見える眺めのよい部屋だ。シャワールームやセーフティボックスも説明してくれ、エアコンの操作も教えてくれた。(エアコンは日本製だった)
 部屋の床は白とオレンジのタイル、バスルームはブルーのタイル張り。コップのみオレンジ。シャワー室もガラス戸で安心して使える。そして、化粧鏡の縁は真鍮製でアンティークか? メインのライトやベッドサイドのランプもアールヌーヴォーのデザインだ。クローゼットや整理ダンスも年代物風。(ちょっと虫でもいそう)もちろん冷蔵庫やアメニティは揃っている。これは、長期滞在もくつろげるリゾートホテルだわ。ツインのシングルユースだし、★★★で1泊が50ユーロ(朝食は別)、つまり7161円は良心的だと思う。

広々ツイン レトロな調度 廊下


バルコニーからの眺め

 18:30外出する。
 深夜になると玄関は鍵をかけるよ、とマダムに再度言われる。まじめな旅行者のつもりだが、遊び人に見えるの? それとも、苦い経験でもあるのだろうか、マダムには。

 夜のアマルフィをさ迷い歩いてレストランを物色。
 19:00過ぎに、とてもアートなレストランに入った。Bottega Artigiana Carta a Mano
 ドゥオーモの左下にある。
 壁には絵画が飾られ、家具や調度品はアンティークだ。レトロな音楽もかかっている。1930年くらいを意識しているのか?
 ただ、メニューは限られている。
 お兄ちゃんの説明により、ズッキーニのクリームパスタ、魚ものをオーダーした。
 白のグラスワインは地元も地元、って言ったので、もしかして自家製か? レモンジュース+酢って味だった。
 ソラマメみたいな食べ方をするベージュの豆が突き出しにサービスされた。
 料理はパスタが芯あり、メルルーサは油っぽくて、もひとつだった。
 コーヒーも置いてない。
 16ユーロと安かった。
 
 ホテルにもどって、久々にまともなシャワーを浴びた。
 固定式のシャワーヘッドだが、ちゃんとお湯が拡散した。
 エアコンも調節できるし。2日分の洗濯をした。




1/20(金)  ラヴェッロでの至福の時間  アマルフィは癒しの空間だ
 
 7:20ゆっくり起床。
 バルコニーから海が見える。晴れた気持ちのよい空気。ホテルはこうでなくっちゃ!
 フィレンツェの穴倉部屋に5泊も居たので、滅入っていたところだ。ほっとする。
 だが、疲れが出てきているのか、昨日の移動のストレスか、風邪か、で軽い頭痛がする。考えた結果、葛根湯を飲んだ。

 このホテルは朝食が付いていない。(VenereのレヴューにPoor Breakfastと書き込みがあったので頼まなかったのだ)
 8:15玄関の鍵置きに鍵を掛け、外出する。
 

 ドゥオーモ前のバールでカプチーノとブリオッシュ(クリーム入り)。椅子席だからか5.5ユーロだって。けっこうお高い。ボラれた?

 ドゥオーモ前は工事の作業の人、それになぜか中学生だか高校生だかがいっぱいいた。男の子は黒っぽいスポーツ系のウェアに短髪。
 
 バスターミナルへ。
 タバッキでバスチケットを買おうとすると、SITAのオフィスへ行くように言われた。
 ラヴェッロへのチケットは1ユーロ。2枚購入する。

 海を見ながらうろうろしていたら、9:00と思っていたバスだが、8:38ころに「ラヴェッロ」表示で発車しかかった。止めて聞いたらラヴェッロ行だというので、乗車する。遅れていたのかも。
 乗客はまばらだ。
 バスはどんどん山へ上がっていく。

 9:00にはラヴェッロに着いた。バス停からも海の眺めが広がる。
 右にトンネルにはグレタ・ガルボなどの写真が並べられている。ラヴェッロゆかりの人たちなのだろう。 

 トンネルを抜けると、ルーフォロ荘への入口があった。
 廃墟的な建物に音楽が流れる。アカデミーでもあるらしい。
 庭に出ると海の眺めがいい。庭師さんが手入れに励んでいた。
 花壇は季節がら花の種類が少ない。というか、スミレばかりだった。
 塀の上に置かれたテラコッタの植木鉢もみんな枯れている。これが全部咲いていたら、さぞきれいだろう。
 朝だがぜんぜん寒くない。南国だね。
 海を眺めながらぼんやりしていた。
 ワーグナーがここに滞在して作曲したらしい。
 ここの空気や風景はインスピレーションを掻き立てるのだと思われた。
 廃墟の石の中にトイレが作ってあった。拝借。
 チケット売場が開いていたので、4ユーロを支払った。

ルーフォロ荘いろいろ

 ドゥオーモ広場で日向ぼっこをする人たち・・・・。


あったかいんだよー!

 インフォメーションを見つけて地図をもらった。
 よかった。反対方向に行くとこだった。

 ルーフォロ荘の右脇を通って、チンブローネ荘をめざした。
 3頭の子馬が荷物を背負って坂道を往復していた。チンブローネ荘の改修工事用の材料みたいだった。

おじさんは愛想がいい こんな石段の道を何往復もするの ちょっと休憩

 チンブローネ荘までは道が狭いし、数段の階段が続くのだ。
 しかし、今時馬で運搬とはね。浮世離れしている。

 チンブローネ荘の門では看板犬らしいブルドッグが出迎えてくれた。
 5ユーロ払って庭園へ入る。
 ここはとても広い。
 工事もしているので、崖沿いに進んだ。
 緑の草の上に白い花や紫の花が咲いている。白い彫像も立っている。
 先端のテラスに出ると、180°眺望がひらけ、絶景とはまさにこのことだ!
 崖の下は全面が海、キラキラ光っている。
 左手遠方に雪を頂いた山、右下はアマルフィの街。
 テラスの欄干には写真で見た胸像がリズミカルに並ぶ。
 青空が広がり、空気は暖かい。ジャケットを脱いだ。
 テラスには乳母車を引いた若い母親がいて、ずっとケータイで話し続けていた。どこの国もいっしょだ。
 石のベンチに腰を下ろし、しばらくこの光景を満喫した。
 現物は写真で見るよりはるかにすばらしい! ラヴェッロに来てよかった。

チンブローネ荘いろいろ

 チンブローネ荘の庭園は想像以上に広く、ローズガーデンもあった。
 季節がらほとんど薔薇は咲いていない。バラの時季に再訪したいものだ。
 色タイルで飾られた神殿風の建物もあった。

 ヴィラが開いていたので入った。
 すばらしい居間。
 グレタ・ガルボもこの部屋で恋人と過ごしたのだろうか。
 邸内をしばしうろついた。部屋番号が付いていたので見学可と早合点した。
 ところが、廊下の照明が点いていないところがあったので?とは思った。
 どうもこの建物はホテルとして利用されているようで、入ってはいけなかったのだ。
 ゴメンナサイ・・・とすごすご退散した。

 入口付近の礼拝堂のようなところも見学し、けっこう時間をかけてチンブローネ荘を満喫した。

 チンブローネ荘を後にし、石段を下っての帰り道、なんども子馬の運搬仕事に遭遇した。
 ほんと、ご苦労!
 
 ルーフォロ荘の手前のヴィラの塀に、D.H.ロレンスが「チャタレイ夫人の恋人」をここで書いた、というパネルが貼られてあった。こういう風光明媚で自然と文化が入り混じったところだと、筆も進んだことだろう。

 12:30ころバス停にもどった。
 韓国人の男の子2人にラヴェッロについて、質問された。英語。
 インフォメーションでもらった地図を見せて、たどたどしく説明した。ルーフォロとチンブローネは必見、と言ったつもりだが、伝わったかどうか??

 ベンチの下では、猫が餌をもらって食事中だった。

 12:50のバスはほぼ定刻にやってきた。アマルフィへもどる。
 インフォメーションへ行ったが、閉まっていた。

 さて、メシ、メシ・・・ドォーモ広場から工事中のメインストリートを歩いた。
 メニューの多そうだったIl Tariへ入った。

 ツーリスト・メニュー18ユーロを頼んだ。(プリモ、セコンドは数種から選ぶようになっていた)
 ハウス・ワインはラヴェッロのSAMMARCOで、ハーフボトルが4ユーロ。値段も良心的だし、美味しいワインだった。
 プリモはムール貝とあさりのスパゲティ。味は私が求めていたものだった。満足。
 セコンドはオラータとじゃがいものソテー(乾燥トマトとバジリコのソース)もイケた。別皿でレタスも出た。
 デザートも付いて、オレンジのケーキ。

 これで、18ユーロはうれしいお値段。
 エスプレッソも飲んで、23.1ユーロ。とっても満足だった。
 出るころには地元の客か、4組くらいテーブルが埋まっていた。
 このレストランも懐かしのヴォーカルもののBGMを流していた。

 15:00にドゥオーモをのぞいたが、閉まっている。


アマルフィの中心 ドゥオーモ

 再度インフォメーションにも行ったが、クローズ。シーズンオフだから?

 腹ごなしに海岸を散歩することにした。
 砂浜に下りてみる。海の水もぜんぜん冷たくなかった。
 子供づれが遊んでいる。
 海の家?みたいなところも工事にはいっていた。

 ルナ・コンベント方面の海に突き出した砦をめざして歩いた。
 ラヴェッロにいた韓国少年たちにまた出会った。なんと、ラヴェッロから歩いて下りてきたそうだ。1時間くらいかかったとのこと。
 すぐにルナ・コンベントの見張り塔に行きついたが、中には入れないので、引き返した。
 バスターミナル近くの埠頭のベンチで韓国少年たちと話した。
 学生のバックパッカーだと言っていた。ラヴェッロではルーフォロもチンブローネも値段が高くて、見学しなかったそうだ。5ユーロだと750円近いから、安くはないわ。また何十年後かに来ればいいよ。
 ウィーンでは2ユーロでオペラを鑑賞したり、スイスではスキーをしたとのこと。行動的だね。
 一人はフュッセンのノイシュバンシュタイン城が気に入った、と言っていた。見る目あるじゃん。
 これからバスでポジターノに移動するというので、GOOD BY。

 海岸の遊歩道を西に向かって歩いた。
 散歩する人は多い。季節外れの観光客もけっこういるのだ。
 ヨットハーバーがあって、ペンキの塗り替えをしていた。
 その向こうでは、漁師のおじさんたちが、網の手入れをしていた。

                    

 犬や猫も遊んでいた。

 16:30にドゥオーモへの階段を上がると、右のドアが開いている!
 左のキオストロへの鉄柵も開けられている様子。ラッキー。
 チケット売場は無人だが、入って「天国の回廊」を見学できる。
 思ったより狭い空間だった。
 真っ白く塗られているが、汚れも目立った。

 ローマ時代のモザイクが壁に立てかけてあった。
 また、フレスコ画の色がとても残っている部分もあった。
 白い静寂の中でしばらく和んでいると、西欧人旅行者カップルがイタリア人ガイドを伴って入ってきた。
 しかし、これは自称ガイドみたいだった。
 私に向かってもフレスコ画のことを一言二言説明した。
 そして、キオストロを出ようとすると、なにやら紙切れを見せて、「買って」と言ったような気がする。
 当然「No」と冷たく拒否。あっさり引き下がった。
   こういうわけのわからない人が登場するあたり、やっぱり観光地なんだ、アマルフィは。

 17:00明朝用の菓子パン1.3ユーロを購入し、ホテルへもどった。
 ランチのハーフボトル1本でも、けっこうまわるので酔っ払ったかもしれない。

 ラヴェッロは予想以上によかった。
 やはり、昔からの保養地はレベルが高い。
 グレタ・ガルボやロレンスやワーグナーと人々を惹きつける魅力がある。
 魅力は魅力を呼んで、ますます魅力的になるのだ。
 海や山の美しさもさることながら、そこに佇む建物や樹木など、全体的な雰囲気がなんともいえない。
 そして、ベンチで日向ぼっこする老婦人や、犬に餌をやる人まで絵になるのだ。

 19:30夕食のために外出する。
 アマルフィは夜歩きも安心。
 メインストリートにあるレストランDa Mariaへ入った。
 爺様のドアボーイに誘われたこともある。「ピッツァだけでもOK?」と尋ねたら、「シー、マダム」ときた。
 この店は中がとても広く、本格的だった。
 爺様は背広にネクタイだし、カメリエーレたちも白シャツに黒ズボンときちんとしている。
 テーブルは赤サテンのレースに白のクロスもかかっている。
 5.6組の他の客はみんなコースで注文しているようだった。
 私はビールとピッツァ・ペスカトーレにした。ランチをちゃんと食べると、夜はなかなかまともに食べれない。
 案の定、ピッツァは30cmはある。とても完食は無理なので、中央のみ食べた。
 ムール貝、イカ、タコ、海老とびっしり乗っている。食べがいがあった。
 あー、苦しい。エスプレッソも頼んだ。爺様が入れていた。
 ピッツァ10ユーロ、ビール4.5ユーロ、エスプレッソ1.5ユーロ。コペルト1.5ユーロで17.5ユーロのディナーだった。

 



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