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※「ホッとコム」は、月に2回発行している議会報告ニュースに連載しているコラムです。ホッとできるような話題を提供したいと思っています。

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07年12月16日

来年の2月3日告示、17日投票で京都市長選挙が行なわれます。
2ヶ月もしないうちに選挙が始まります。

現市長の後継者として、自民・公明・民主のオール与党が現教育長を担ぐ、としていますが、この教育長こそ、一部のエリートを早くに選別する、競争の教育をすすめてきた張本人です。

小学校の先生が「4年生の体育の授業で、50m走をしたときに、ちょうどまん中くらいの足の速さの子が『どうせオレのタイムは腐っているから』と言っていた、こんな感じ方をするほど、子どもの心は競争の中で深く傷つけられている、そんな時に習熟度別授業などといって、『出来る子と出来ない子』を分けたりしたら、さらに子どもを傷つけることになる、子どもはとても敏感だ」と言われていました。
子どもたちの苦悩が、競争の教育の中で加速されてしまっています。

映画『学校』で描かれた夜間中学校のモデルになった先生である松崎運之助さんが、学ぶということは「魂のうちふるえるような感動をともなうもの」と述べられていました。
映画でも紹介された、夜間中学で学ぶ在日朝鮮人のお母さんが、「走」という字をみて、「本当に走っているみたい」と言って感動している姿が、「学び」の本来の姿を表していると思います。


07年12月1日

次女(2歳)を保育園に送って行こうと玄関を出ると、玄関脇の花壇のきんかんの木の前でじっと何かを見ています。
こちらを振り向いて「ミッキーマウスいるで」と次女。
突然何を言い出すのかと思って、次女の目の前のきんかんの実を見ると、確かにミッキーマウスがいました。


確かにミッキーマウスです


■07年11月11日

現在、小学校は2期制になっており、前期が4月〜9月まで、後期が10月〜3月までとなっています。
長女(2年生)と長男(1年生)も前期が終わったところで通信簿をもらってきました。

長男は始めての通信簿で、評価はまだ「よく出来ました」と「がんばろう」の2段階です。
長女のほうは3段階評価です。
こうした評価を付けられるのは、良ければ励みになる一方で、なかなか厳しい現実も本人につきつけられるので、どのように子どもに対応したらいいのか、戸惑いがあります。

昨年の年度末の通信簿が返されたときのことです。
長女の担任の先生が子どもたちに通信簿を返す前に、「通信簿に先生のハンコがついていたら、無事に2年生に上がれますよ」と声をかけ、配り終わったあとに、「みんなハンコがついていてよかったね。」と言ったようです。
家に帰った長女が開口一番に「ここにハンコがあるからみんな2年生になれるんやで」とニコニコしながら通信簿を見せてくれました。

子どもが早いうちから競争の教育に駆り立てられ、自己肯定感が持てなくなってしまっている今、こうした子どもの背中をポンと後押しをしてくれるような言葉をかけていただけることを、とてもありがたく感じています。


■07年11月1日

次女(2歳)を保育園に自転車でお迎えに行っての帰り道のこと。
「おうちは宝ヶ池やなぁ」と突然言いだしました。
自転車をこぎながらなんとなく「そうやなあ」答えると、「ちがうで、『よう知っているな』って言うんやで」と後ろを振り向いて、眉間にしわを寄せながら言うので、「よう知っているな」と返してあげると、満足そうに前を向きました。

子どもを乗せて帰る10分ほどの道のりはとても楽しい時間です。


■07年10月14日

朝の忙しい時間帯に、長女(8歳)や長男(6歳)が、次女(2歳)にちょっかいを出し、次女が泣き出したら大変です。
それでなくてもバタバタしているのですから、頭ごなしに怒鳴りつけたり、手を出したり、となってしまいがちなのですが、そんな時はあとで「反省」です。

長女や長男がいくら生意気なことを言っても、理屈でも体力でも親にかなうわけがありません。
ですから、その気になれば力ずくで黙らしてしまうことは容易です。
しかし、そんな経験をつめばつむほど、自分より弱い立場の人間に対してだったら、自分の意見を押し通していいんだ、といった間違った知識を植えつけることになりかねません。

その際、立場の強いものの意見がいつでも通ってしまう、というところが最大の問題であり、客観的に見てどちらの意見が正しいか、ということは二の次の話です。

京都市の教育委員会は体罰を繰り返していた教師を、体罰の事実を把握した上で、特に優れた指導力を持っているとされる「スーパーティーチャー」に認定していました。
バレー部で良い成績を上げていたからだそうです。
教師という圧倒的に強い立場にいるものが、生徒に一方的に暴力を振るうことを、京都市が認めてしまっている、こんなことは絶対に許せません。


■07年10月1日

最近、次女(2歳)が、何かあるといやいや、そして大泣き、といったことを繰り返し、手を焼いていました。
長女(8歳)や長男(6歳)のちょっとしたいたずらにへそを曲げてしまうと、その後なかなか立ち直れないまま床の上を泣きながら転げまわり、しばらくは手を付けられないこともしばしば。

ところが、ある日を境に、状況が大きく変わり、気持ちに落ち着きが出てきました。
何の日かというと、保育園の運動会。
運動会を前に次女が緊張していたというよりは、保育園全体が運動会にむけて通常の保育のときとは違った雰囲気になっており、その雰囲気を敏感に感じ取った結果、次女の気持ちが不安定になっていた、ということのようです。

子どもは、大人たちの行動にとても敏感です。

■07年9月16日

長女(8歳)と長男(6歳)は、最近よくけんかをしています。
以前、このコラムに書いたように、子どもたちには「暴力はいけない」ということはこの間言い聞かせてきので、あまり派手に手を出したり足を出したり、ということはなくなり、小競り合い程度になっています。

力ずくの勝負では、長男に分があったのですが、口の勝負になると長女のほうに分があります。
長男がけんかのたびに劣勢に立たされるのを見ると、少しかわいそうになります。かといって、力ずくを認めるわけにもいかず・・・なかなか、悩ましいところです。

子どものけんかであっても、暴力はいけない、ということが分かっているのに、大人の世界で暴力がまかり通っていることに腹が立ちます。

テロ対策特別措置法は、あの9・11テロ事件を口実にアメリカがアフガニスタンに侵略戦争を仕掛け、その支援を日本の自衛隊がするために作られた法律です。
今年の十一月に4度目の期限が切れますが、2001年の9・11テロ以降、アメリカがテロ対策として武力攻撃をアフガニスタンやイラクに加えてきたことによって、かえって、テロ勢力を増やしてきていることは、世界が実感しています。

武力によって平和は訪れないことは、子どもでも分かる真理です。


■07年9月1日

8月28日、京都でも皆既月食を見ることができました。
私も、子どもたちと一緒にボヤーと赤くなった月を見に外に出たのですが、子どもたちは、なんとなくでも月が見えているので、あまり珍しいことだとは感じられないようでした。

次の日、長女(8歳)と長男(6歳)に月食の仕組みを大・中・小のボールを太陽・地球・月に見立てて説明したところ、長男の方は最後まで説明を聞いていたのですが、長女は説明をあまり聞くことなく、ボールで遊び始めてしまいました。

どちらかというと優等生的な長女でなく、普段はおちゃらけている長男の方が知的好奇心を示したことは、少し意外でした。

■07年8月12日

8月最初の週末は長女(8歳)と長男(6歳)の通う学童保育のキャンプに私も参加しました。

長男はキャンプに行く数日前に「あまり行きたくない」と言い出しました。
わたしはとっさに、「あ、分かった。夜、テントで寝るのが怖いんだろう」と茶化したように言ったために、長男も「ちがうわ」と言い返しただけで終わってしまったのですが、あとでこのやり取りを大いに反省しました。

というのも、1年前、『ぼくはいかない』(柴田愛子作・伊藤秀男絵・ポプラ社)という絵本をこのコラムで紹介したのですが、内容は、夜、親と離れて寝ることが不安だからキャンプに行けない、という主人公の言葉に学童の先生がしっかりと寄り添いながら、子どもの成長を見守る、というものです。

1年前のコラムでは、もし同じ状況になったときに親として子どもの心に寄り添えるかどうか心配だ、と書いていたのに、いざその状況になったときに、結局、寄り添えませんでした。
自分の浅はかさにがっかりです。
救いは、妻のほうは、きちんと子どもの気持ちを聞いていたことです。
ちなみにその理由とは「カレーをつくるのがいやや」とのこと。
これが本当の理由かどうかはいまだに分かりません。



■07年7月8日

長女(8歳)は弟(長男・6歳)と妹(次女・3歳)の世話をやきたがります。
ご飯の時におかずを取り分けてあげる、こぼしたら拭いてあげる、など何かとしてあげたいようです。
しかし、好きなおかずなら、自分の分だけは少し多めに確保したいと思ったりするから、話がややこしくなります。

ウインナーなど長女と長男の大好物のおかずが食卓に並んだ時は、2人でいくつずつ分けるのか、いくつ親に渡すのか、次女の分はどうするか、激しい攻防が繰り広げられます。

一度、長女と長男で激しいケンカになったことがあります。
長男の方は手が出る、足が出る、普段からゲキレンジャーごっこをしている成果が出ています。
長女はそういった力ずくのケンカに慣れておらずだいぶ劣勢でした。
横で見ていた私は、仲裁に入るべきかどうか迷いが出て、結局、見ているだけで終わってしまいました。

後で、発達の先生(同じ保育園の保護者さん)に相談したら、「お互いの言い分は聞きながら、暴力はダメだ、ということは必ず言い聞かせて、刷り込んでおく必要がある」とのアドバイス。
確かに、大人の社会でダメなものは、子どもの社会でもダメですよね。
考えたら当たり前のことでも、その時には思いつかないことがたくさんあります。


■07年7月1日

次男(6歳)の筆箱の中は、いつでも空っぽです。

夜、次の日の学校の準備をしているときに、横で見ていると、筆箱の中に鉛筆も消しゴムも入っていません。
「鉛筆はどこに行ったのか」と聞いても、「学校の机の中にあるからいいねん」との返事。
それではあかんやろ、ということで、鉛筆を入れて持っていかせても、次の日にはまた空っぽで帰ってきます。
いったいどうしたものか、と思のうと同時に、学校の机の中がどうなっているのか、極めて不安です。


■07年6月10日

長女(7歳)が2日間、学校を休みました。
本人いわく「頭が痛い。耳が痛い。おなかが痛い。」とのことです。
朝はとてもしんどそうにしています。
しかし熱はなく、かぜなどの病気ではなさそうです。

というのも、その前の週に長男(6歳)が下痢で学校を休み、お隣の同級生も下痢で学校み、それをどうもうらやましく思っていたようです。

たぶん病気ではないだろうな、とは思いつつも、本人が体の不調を訴えているので、学校を休ませ、病院に連れて行き、お医者さんに親の思いも含めて伝えました(長女には分からないように手紙にして)。
先生には、「軽いかぜにかかっています。熱が出てもおかしくない状態ですが、体力があるので、そこまでなっていないのでしょう。また、学校での疲れも出ているようですから、早め早めに休ませるのがいいと思いますよ。」とやさしく言っていただきました。

「かぜですよ」と言ってもらって、長女も納得したようで、昼間は元気に過ごし、次の日は普通に学校にも登校しました。

「こんな休みも、子どもには必要なんだろうな」と思いますが、共働き家庭においては、休みをどちらが取るのか、という話になり、なかなか大変です。


■07年6月1日

選挙中は、子どもと過ごす時間は極めて少なくなっていました。
朝、わずかな時間顔をあわせたら、後は寝顔を見るばかり、という生活でした。子どもたちもそうした状況に慣れきっていました。

選挙後、家族そろってお出かけ、という機会もようやくつくれるようになりました。
先日、夕ごはんをみんなで食べに行こう、ということで、出かける準備をし、子どもたちがまず家の外に飛び出し、私が続いて玄関で靴を履いていると、それを見ていた長男(6歳)が、「お父さんはどこ行くの?」

一緒に出かけることが不思議に思えたようです。


■07年5月13日

昔から「泣く子と地頭には勝てない」とはよく言ったもので、次女(2歳)は自己主張の手段としてよく泣きます。
悲しい時だけでなく、ウソ泣きもします。

長女(7歳)が食べていたおやつを欲しくなり、自分のだと言い張って横取りをしにいったときも、ちらちらと横目で親の顔を見ながら、目に腕をあて、「あーん」と大声で泣きます。
でも、涙は出ていません。涙が出てもウソ泣きのときもあります。あなどれません。

長男(6歳)は、1年生になったばかりですが、毎日宿題があります。
この宿題ができずに、はらはらと涙をこぼしながら机に向かっている時があります。
見ているほうが辛くなり、手助けをしようと思うのですが、この状態のときに横から口を出しても本人もイライラしており、泣きながら怒るばかりで、話が前に進みません。

こういう時には「共感するだけでいい。なぐさめたり、励ましたりしなくていい。」とは、専門家(高垣忠一郎さん・立命館大教授)の言葉ですが、こうした対応をするのはなかなか難しいものです。


■07年5月1日

二女(2歳)はイヤイヤまっさかりです。
朝起きたとき、おしっこで重くなった紙パンツを変えようとしても「いや」。
朝ごはんの前に手を洗おう、と言っても「いや」。
無理やりしようものならひっくり返って大泣きです。

こんな二女ですが、3番目ということもあるのか、なかなかませたことも言います。
お茶を母の膝にこぼした時には、表情を変えずに「ごめんな」とひと言。
長女(7歳)が叱られて泣いていたら、すかさず頭をなでにいき「あーん、あーん、おしまい」。
本人はいたって大真面目なので、周りはずっこけてしまいます。



■07年4月15日

長女(7歳)は部屋の戸を開けたままにしていることがよくあります。
先日も、短時間に2度続けて戸を開けたままにしたので、「開けたままだったから寒かったぞ」と言ったところ、ニヤニヤしていました。

本人も2度も続けたことに対して「失敗したなあ」と思っていることは素振りから分かっていたので、きつく言わなくてもいいのかな、と思いつつも、迷惑をかけたことに対して素直に謝ることも大事だ、とも思ったので、少しきつめに叱ったところ、泣き出してしまいました。

こんな対応でよかったのかと、後で妻と二人で話し合ったものの、あまりはっきりとした結論は出ませんでした。

次の日、長女が妻に手紙を書きました。「やさしいおかあさんへ。きのうおとうさんにしかられてかなしかったんだよー。ドアをあけたままでもおとうさんはおこるんだよー。お父さんももうちょっとあたまでかんがえたほうがいいんじゃないかなー。わたしはびっくりしました。だってドアをあけたままでもおこるなんてしんじられない。あんまりそういうひといないんじゃないー。」

後に引きずっていないようで、少し安心しました。




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