09年1月18日
長男(2年生)は冬休みの家のお手伝いを、
「風呂の掃除」と決めて、だいたい毎日その通りにしていました。
ところが、ちょっと不機嫌な日、風呂の掃除をいっこうにしません。
しびれを切らして「お風呂あらったんか?」と聞くと「知らん」との返事。
知らんぷりを決め込んでいます。
次女(4歳)は、朝、保育園に行く前に顔を洗って、歯を磨くことになっています。
次女のほうはなかなか習慣になっていません。
「顔あらったんか?」と聞いても「・・・」何も答えません。
聞こえないふりを決め込みます。
首相が新年の記者会見の冒頭で
「それぞれにいいお正月を迎えられたことと思います」と述べました。
派遣村で年越しをした大勢の政治被害者のみなさんのことは
知らないふりを決め込んでいます。
市長が「京都未来まちづくりプラン」(案)で、
市民への負担の押し付け、市民サービスのカットを打ち出しています。
百年に一度の経済危機と言いながら、市民の「暮らしを良くしてほしい」の声は、
聞こえないふりを決め込んでいます。
子どもはかわいいものですが、
首相や市長がこんなことをしているのは、醜悪そのものです。
政治の変化の流れを加速させなければなりません。
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08年1月1日
次女(4歳)が保育園への道中でこんな話をしてくれました。
「あんな、お父さん。ないしょの話をしてあげようか?」
「なに?」
「お父さんが小さい時にな、知らんぷりしはった。」
「へ〜。なんでそんなことを知っているの?」
「ないしょ。」
12月で4歳になった次女。
保育園でのお誕生日会では、恥ずかしそうにしながらも、元気よく名前を言い、
得意のリズムをみんなの前で披露したそうです。
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08年12月14日
そろそろクリスマスの季節です。
我が家の子どもたちは、毎年サンタさんに手紙を書いて、
欲しいものを伝えています。
友達との会話では、サンタさんはいないのじゃないか、との話題も出ているようですが、
今のところ、長女(3年生)も長男(2年生)もサンタさんに何をもらうかと、
いろいろと頭を悩ませています。
先日、NHKの番組で、映画監督の宮崎駿さんが、
大ヒットしているアニメ映画「崖の上のポニョ」について話されていました。
この映画の主人公は実はポニョではなく、宗介(5歳)なんだそうです。
そして、宮崎監督が宗介にこめた思いは、
今、世間にはいい子に問題があるかのように言われることがあるが、
宗介もいい子と片付けられかねない部分がある。
しかし、そのいい子ということを超えて、なお、まっすぐに進み、
その中でさまざまなハードルを越えて行っている、そういう子どもを描きたかった、
といった内容のことを話されていました。
なんだか、いい子でばかりいると、子どもらしくない、
無理がかかってしまうのでは、といった思いがあったのですが
宮崎監督の話を聞いて、そういうことも確かにあるなあ、と感じさせられました。
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08年12月1日
長男(2年生)は自称「鉄道マニア」です。
先日、家族で奈良に遊びに行った時も、
行きは特急料金を払って、近鉄の特急に乗って行ったので大満足。
帰りは急行でもいいだろうと思って、急行に乗り込んだ時に、
その向かい側のホームに、
行きに乗った特急とは別の形(系統)の特急が止まっているのを見つけたので大変です。
「あの特急に乗りたかった」と言って、それ以降、ずっと不機嫌でした。
11月に長男も8歳になりました。誕生日プレゼントは、本人の希望により、
プラレールの新幹線500系セット。
新幹線の中で、最高速度が一番速い500系が自称「鉄道マニア」のお気に入りです。
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08年11月9日
先日、次女(3歳)が、保育園の帰り道、
「せいちゃん(保育園の友達)のラーメン屋さん、かっこよかった」
と突然言いました。
確かに何日か前にそのラーメン屋さんに食べに行っていたので、
「ラーメン屋さんになるか?」と聞くと、
「プリキュアの人になる。その次は消防士さん。」とのこと。
お、さすがにわが娘。両方とも、人を助ける仕事です。
今、政治の世界では、人助けどころか、
政治が命を奪うという事態が後を絶ちません。
昨年、子どものいる世帯からも
京都市が保険証を取り上げている実態を議会で告発し、
すぐにやめるべき、と論戦しました。
その後、全国的にもこの問題が大問題となり、
保険証のない、中学生以下の子どもは3万人いることが分かりました。
京都市内だけでも、105人にも上ります。
保険証の取り上げは、
高すぎる保険料が払えない方に対するペナルティとして行われているものです。
しかし、保険料が払えないからといって、親はもちろん、
子どもの命を危険にさらすことを、行政が行っていいはずがありません。
批判が大きく高まる中、
保険証の取り上げの中止を発表する自治体が相次いでいます。
ここでも、国民の声が政治を動かしています。
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08年11月1日
次女(3歳)が、ご近所のお姉ちゃん(1年生)と一緒に遊んでいました。
その時の会話です。
お姉ちゃん「家族ごっこしようか。」
次女「うん。るんるん(次女のこと)は忍者。」
お姉ちゃん「お姉さんにしてよ。」
次女「わかった。」
たぶん、保育園で忍者ごっこがはやっているのだろうな、と思われたのですが、
おままごとで忍者になられては、お姉ちゃんも困ってしまいます。
ちなみに、次女は比例候補の宮本たけしさんの写真を見るたびに
「オッパッピーの人だ」と言っています。
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08年10月12日
長男(2年生)は漢字が苦手のようです。
多分、宿題の漢字の練習をしていけば、もう少し書けるようになるのでしょうが、
それができないところに本人の苦労があります。
先日、あるお母さんからメールが来ました。
子どもが学校の勉強についていけず、ついつい愚痴が出る、といった内容でした。
どの家庭でも、子どもの勉強の悩みは尽きません。
子どもの勉強の悩みといえば、高校・大学と進学するとなると、ついてまわるのが学費の問題です。
10月6日の経済総務委員会では、京都府学生自治連合会が提出していた
「高学費の改善を求める」陳情が審議されました。
陳情書では、「1日2食がほとんど」「常に親に申し訳ないと思いながら通っている」といった、学生の生の声を紹介した上で、
政府に責任ある対応を取るよう京都市議会として意見書をあげてほしい、というものでした。
日本の教育予算は国際的にも最低レベルで、その結果、世界一高い学費となってしまっています。
私はこうした実態に心を寄せ、学生の街・京都から、国に対して声をあげるべき、
と委員会の中で討論しました。
ここでも、予算の使い方の転換が求められています。
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08年9月21日
長男(2年生)は、相変わらず宿題を忘れることが多いようです。
先生からは「親御さんも注意してみてあげて」と言われていますが、
夫婦共働きの忙しい日常の中で、そこまで手を回そうと思うと大変です。
先日は、宿題を忘れた子だけ「居残り」させられた(長男もその一人)のですが、
長男いわく「仲良し3人組が居残りで良かった」とのこと。
先生にはご苦労をおかけしますが、
これくらいのおおらかさが必要でないかな、と思います。
「疲れた」「休みたい」と感想をもらす子どもが増えていることが全国的にも話題になっています。
特に、京都市では全国に先駆けて競争の教育が次々と進められ、
授業日数も増やされ、夏休みが減らされ、
子どもたちは心身ともに追いこまれています。
もっとゆったりとした毎日を子どもたちも親たちも過ごしたいものです。
11月23日(日)、今年も「左京子どもまつり」が宝ヶ池公園北園で行われます。
今年のテーマは、「いま、この瞬間(とき)をあそボーっと」です。
普段と違い、この日ばかりは日程に追い立てられることなく、ボーっとすごすのもよし、
一所懸命遊ぶのもよし、といった思いをこめて、実行委員会で名づけられました。
多くのみなさんにつどっていただきたいと思います。
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08年9月1日
長男(2年生)は、ザリガニ続いて、カエルを飼い始めました。
田んぼからつかまえてきたのは、10pは超えている大きめのカエル。
玄関前の水槽に入れてあったのですが、長男が適当にフタをしていたものですから、
フタのすきまから夜のうちに脱走。
長男はがっかり。
ところが、夕方、
家に帰ってみると水槽の横の鉢植えの中に例のカエルがちょこんと座っているところを私が発見。
まだ長男は帰っていなかったので、どうしたものかと考えましたが、
そのままほっておきました。
すると、長男が帰ってきたときには、
今度はフタのあいたままの水槽にそのカエルが戻っていました。
長男は大喜び。
なんとも間の抜けたカエルです。
鉢植えの中に座るカエル
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08年8月10日
子どもの夏休みが3分の1ほど過ぎました。
長男(2年生)は毎日書くはずのひとこと日記が見事に真っ白です。
本人は、「宿題はちゃんとしている」と豪語していたのですが・・・
一方、長女(3年生)はかなり丁寧に宿題を進めていますが、
ネックになっているのが、「自由研究」です。
与えられた問題を解く、ということに慣れてしまっていると、
この「自由研究」はかなり苦痛です。
私もそうでした。
団子虫を飼ってその観察をする、と決めたものの、
「研究のわけ」「どんな観察をするか」などの項目に何を書いていいかわからず、
イライラしています。
飼い始めてから長女が発見し、私に教えてくれたことは
「餌にあげた煮干の目玉が一番先に食べられていた。だから団子虫は目玉が好きなんだ。」
ということでした。
こんな「大発見」をしたのだから、そのことさえ書ければ、
自由研究は9割方完成したようなものだと思うのですが、
長女にとっては、教科書通りに、あるいは、先生の言ったとおりに、
図鑑などでいろいろ調べるほうが、大事なことに思えているようです。
そんな長女の気持は大事にしつつも、
「団子虫は煮干しの目玉が好物だ」という「大発見」に心躍らせるような学びもしてほしいなあ、
と感じています。
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08年8月1日
次女(3歳)が家の中でなわとびをしていました。
私の手にぶつかったので「危ないから家の中でなわとびをしないで。」と言ったところ、
何の返事もしません。「聞こえなかったのか?」と再度言うと、
「聞こえなかった。」との返事。
きちんと聞こえています。
自分の都合の悪いことは何も聞こえないふり。
末っ子らしい、女王様ぶりです。
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08年7月13日
次女(3歳)が保育園の眼科検診で要検査と判定され、目医者さんに行ってきました。
いろいろと丁寧に検査をしてもらったのですが、
普段はなかなか親の言うことを素直に聞かない「わからんちん星人」の次女が、看護師さんや先生の言うとおりに、
機械をのぞいたり、ものが見える、見えないを答えたりと、とっても健気な次女になっていてびっくりでした。
検査の結果を聞くまで待合で待っているときはドキドキでしたが、
結局、「特に異常は見られない」という先生の話を聞いてほっとしました。
今回の診察代は1,480円。
すでに3歳を過ぎているので3割負担です。
先日、毎日新聞に、「『幼い命』危機」と題する記事が掲載されました。
子どものいる家庭でも親が国民健康保険料を払えずに保険証が取り上げられてしまっている世帯の特集でした。
具体例として載せられていた京都市の世帯は、私が昨年の決算委員会で、
「罪もない子どもから保険証を取り上げるな」と追及した際に紹介した方でした。
実は毎日新聞から私にも「委員会質疑のことで教えてほしい」と、問い合わせがありました。
子どもの命の問題です。
冷たい行政の姿勢を絶対に変えさせなければなりません。
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08年7月1日
長男(7歳)はザリガニにはまっています。
先日捕まえてきた3匹のザリガニを絵に描いてご満悦です。
残念ながら絵はお見せできませんが、絵に添えられている説明文を紹介します。
でっこくん。とくちょう 大きなはさみ。すきな食べもの ちくわ。
ちっこくん。とくちょう おとなしい。すきな食べもの ちくわ。
しょうこちゃん。とくちょう ちょっとめがでてる。すきな食べもの ちくわ。
ちなみに名前の由来ですが、一番でっかい「でっこくん」、それより小さい「ちっこくん」、
一番小さいのが「しょうこちゃん」だそうです。
いつになく集中して三匹の絵を描いていました。
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08年6月8日
長女(3年生)と長男(2年生)の日曜参観がありました。
歴然とした差があるのが、1クラスの人数です。
京都市の場合、1〜2年生は35人学級、3年生以降は40人学級です。
長男の学年は、
教室に子どもがゆったり座っているので後ろに並ぶ親もゆったりとした雰囲気で授業を見学できますが、
一方、長女の学年は、後ろのほうまで子どもの列がきているために、
親は子どものすぐ後ろに張り付いて見学しています。
先日、京都2区の日本共産党後援会主催で「教育子育て懇談&学習会」を開きましたが、
その中で、講師の方がデンマークの教育を紹介していました。
子どものうちは競争させずに、人が人として尊重され、
自分に自信を持つことで自己主張ができることが大事だとされており、
この考え方のもとに、7年生(中一)までは成績や順位をつけるためのテストはしないそうです。
また、そうした環境の中で、それぞれの子どもの到達度に応じたきめ細かい授業をするために、
1クラスは20人程度になっています。
いまだに40人学級の中で、
国連から2度にわたって是正を求められている「過度な競争の教育」を行っている日本とは大違いです。
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08年5月11日
5月の連休は妻の実家(岡山県津山市)に帰省をしました。
というのも、昨年の年末に他界した祖父の納骨をしたからです。
長女(8歳)、長男(7歳)にとっては、曾祖父にあたるわけですが、
「おじいちゃんは土にかえったんだよ」という話を2人にしていたら、
長女は『おじいちゃんがおばけになったわけ』(あすなろ書房)
という本を出してきて読み始めました。
長男は、「おじいちゃんが土なら、泥だんごはあかちゃんか?」
などとのんきなことを言っていました。
曾祖父は数か月の病院での療養の末に亡くなったので、
支える家族は苦労があったものの、まっとうな死を迎えることができました。
しかし、この4月から始まった後期高齢者医療制度は、
まっとうな死を迎えることすら困難にさせる制度です。
マイケルムーア監督の映画『シッコ』の中では、アメリカの医療保険制度では、
保険会社がいかに国民を医療から遠ざけようとしているか、
ということが描かれていましたが、
後期高齢者医療制度も、国民を医療から遠ざけるという点で、アメリカによく似ています。
映画でも登場したヨーロッパ型の社会保障、
医療の無料化こそ目指すべき方向であることは間違いありません。
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08年5月1日
次女(3歳)が童謡「サっちゃん」の替え歌を作りました。
「るんるんはね。ばななが大好きほんとだよ。
だからおっきいから自分のことばなな組って呼ぶんだよ。
かわいいな。るんるん。」
「るんるん」というのは次女のニックネームです。
4月から保育園のクラスがばなな組(3歳児クラス)になり、
「大きく」なったのがとてもうれしいようです。
ちなみ父の歌も作ってくれました。
「お父さんはね。ビールが大好きほんとだよ。
だからおっきいから自分のことお父さんて呼ぶんだよ。かわいいな。パパ。」
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08年4月20日
3月のホッと・コムで、長女(8歳)が『火垂るの墓』のビデオを見たことに対して、
あまりに悲惨な内容を8歳の子どもに見させるのは強烈過ぎないか、
と感じていることを書きました。
その後、長女が私に手紙をくれました。
「ひぐちひであきさま
あなたは、せんきょ(市長選挙のこと)をがんばってきました。
まけてしまったけどがんばりましょう。
かったまけたはどっちでもいい
だけどへいわにはしたいという気もちをつたえてあげようね!」
というものでした。
特に『火垂るの墓』に関しての感想ということではないのですが、
市長選挙で勝利できなかったということで父を励まそうとしたときに、
「平和」ということが思い出されたことは
このビデオを見ていたことと無関係ではなかったと思います。
心配していたものの、子どもなりに前向きに受け止めていたのかなあ、
と感じています。
米軍による、残虐な事件が
相変わらず在日米軍基地周辺で繰り返されています。
軍隊とは、人を殺すための組織であり、
人を人と思わないような、一種異常な精神状態にならなければ、
人を殺すなどということはできませんから、
そんな人物が残虐な事件を引き起こすことは、当然といえます。
米軍基地は日本にはいりませんし、
米軍に莫大な資金援助をしてあげる道理もありません。
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08年4月1日
次女(3歳)は大きくなったことが自慢です。
ご飯をお茶碗によそるときに「大きくなったから、いっぱい食べられる」と大盛りを要求します。
その一方で、食べ終わった後、「大きくなったから、お茶碗を流しまで運んでや」と言うと、「おちんちんが痛いから運べないんや」と適当なことを言います。
長男(新2年生)は先日、「あなたのままでいいよ」と書かれたほっこりする絵を見ながら「そうか、おれ、一年生のままでいいんか。ラッキー。」だそうです。
親はがっくりです。
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08年3月9日
次女は、年末に3歳になりました。
誕生のプレゼントに買ってもらったおもちゃのガスレンジがお気に入りです。
ガスのスイッチをひねると「ジージージー」と調理する音が出たり、赤く電気がついて火がついたような雰囲気を作ったり、さらには、言葉まで発します。
「がんばれ〜」「たのしい〜」のあとに「うまくできるかな〜」とガスレンジが言ったところ、すかさず「できるわ!」と言い返していました。
その後、遊んでいる間中、延々と、「がんばれ〜」「たのしい〜」「うまくできるかな〜」「できるわ!」が繰り返されつづけました。
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08年3月1日
長女(8歳)がかぜを引き、学校を休みました。
午前中、病院に連れて行き、帰りにレンタルビデオ店に寄り、退屈しのぎのビデオを借りました。
長女が選んだのは、なんと『火垂(ほた)るの墓』(原作・野坂昭如)でした。
物語は戦争中の神戸近郊が舞台で、14歳の清太と4歳の節子の兄妹が母を亡くし、2人で生きようとしながらも生ききれないというものです。
はじめは、横で一緒にビデオを見始めたものの、アニメの出来がすばらしく、妹の表情の豊かさに目を奪われるとともに、その表情としぐさが私の次女(3歳)とダブってしまい、悲劇的な結末を見ることに耐えられず、私はすぐにテレビの横を離れました。
長女は最後までテレビの前を離れませんでした。
どうしてこれを選んだのかを聞いてみると「学童に絵本があるから、映画を見てみたかった」とのこと。
戦争の悲惨さを知り、2度と繰り返してはいけない、という思いを抱くことは大事な経験ですが、小学校2年生にここまでのリアルな内容を見せてしまっていいのか、少し不安が残ります。
アメリカは今でも世界中でこんな被害をさまざまな国の子どもたちに与えています。
そのアメリカに軍事支援を日本が行っていること、そこに巨額の税金が使われていることに大きな怒りがこみ上げます。
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08年1月20日
学校が冬休みの間、長女(8歳)と長男(7歳)は学童保育で朝から夕方まで過ごします。
学校と違ってお弁当持ちです。
ところが、先日、夕方家に帰ってみると、長男が、朝持たせたはずのお弁当を食べています。
どうしたのか聞いてみると、「お弁当を忘れて行って、お昼は先生にパンをもらって食べた」とのこと。
朝の状況を少し詳しく聞いてみると、お弁当をいったん手さげカバンに入れたものの、トイレに行きたくなり、持っていたカバンを放り投げ、トイレに直行。
そのさい、カバンの中からお弁当がポロリ、と転がり出しました。本人は転げ出たことに気付いていたのですが、何せもよおしていたので、そのまま用を足し、トイレから出てきたときには、すっかりお弁当のことは頭から抜けてしまっていて、からのカバンを持って学童に行ったそうです。
一つのことをすると、前のことが頭からスポッと抜け落ちるのは、わたしとよく似ています。
来年度は、2人が通う学童保育も人数が増え、現在の58人から、70人近くになることが予想されています。
人数に見合った保育の体制が確保されるのか、不安が保護者に広がっています。
子育て支援が充実した京都市にするためにも、市政を変える必要があります。
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