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・14へ

血だらけのカインと、それを抱きかかえて帰ってきたアーク・フィアに、俺とカノトはそりゃーもう、びっくりした。
意識のないカインをベットに運び、アーク・フィアとカノトは傷の手当てを、俺はお湯やタオルを運ぶ雑用を、あわただしく行った。
 「で?どう言う事か、説明してもらおーじゃねーか?」
カノトがカインの部屋に残り、俺とアーク・フィアは部屋を出た。怪我人の前で騒いだらいけねーからな。
広い廊下の壁に寄り掛かり、下を向いているアーク・フィアの表情は全然わかんねぇ、が、顔を見なくとも何を考えてるかはちょっとは分かる。
けど簡単に、お前のせいじゃない、何てことは言えねーよな、こうなった原因がわかんねーんだから。
アーク・フィアのいる壁とは反対側の壁に寄り掛かり、話を聞く体制に入る。
 「カインの、弟が来た・・・」
ぽつりぽつりと、喋り出すアーク・フィアの声のほとんどは、廊下の絨毯や壁に吸収され、小さく聞える。
声は小さいがしっかりした口調で、ゆっくりと話を続けるアーク・フィアを、俺は何となく見ていた。
カインに弟がいる事、そしてその弟がカインを連れて帰ろうとしていたこと、その時に負った、カインの怪我と記憶の混乱。
記憶の方は今じゃあ平気らしいこと、そして、今さっき起こった弟とカインとの事。
 「・・・・・・。」
 「・・・・・。」
何つーか、掛ける言葉が見つからない。
二人して壁に寄り掛かってたら、カノトがひょっこりと部屋から顔を出した。
 「終わった?じゃあ、私も説明聞きたいからさ、アークがカインに付いてて。」
 「・・ああ。」
アーク・フィアとカノトが入れ替わり、カノトが俺に寄ってきた。
 「それで?カインがああなった理由は何なわけ?」
カノトの目の中に大きな怒りを見て、思わず俺は一歩下がってしまい、カノトに怒られた。
 
 「よお、気がついたか?」
ベットの中で今まで眠っていたカインが目を覚ましたのは、事件から2日後の夕方になる前の時間だった。
 「・・・マトリ? アークは?」
ベットの中できょろきょろと辺りを見まわすカインに苦笑して、
 「アークは薬だか何だかを取りに、家にいねーぜ?カノトはちょっと疲れたみてーで寝てる。」
 「・・・・そ、」
疲れたのか安心したのか。カインはベットに沈みこんだ。
まだ意識がはっきりしてないのか、どこか目が虚ろだ、まあ、仕方ないって感じだけどな。
 「マトリ」
カインが目覚めたことを、カノトに伝えようと、ベットの近くの椅子に座っていた俺が立ちあがろうとした時、丁度カインが声を掛けてきた。
 「ん?」
 「ちょっと、頼みがあるんだけど・・。」
まだボーっとした様子で、カインが小さな声で言う。
 「これ、預かっててくんない?何時か、あいつに渡して欲しいんだ。」
そう言って俺の方に差し出して来たのは、カインがいつも胸に下げてたロザリオだった。
 「俺が?」
 「うん。いつか、でいいから。しばらく持ってて。」
少々気が引けつつも、俺はそれを預かった。理由はわかんないが、俺の手に渡ったロザリオを幸せそうに小さく笑って見ているカインに、
理由を聞いてはいけないような気がした。
まあ、いつか返す時にでも聞けばいいわけだし。
 「分かった、預かっとくぜ?俺、アーク・フィアとカノト呼んでくっからさ、一人で平気か?」
 「平気・・」
薄いカーテンから零れる、まだ白い光に包まれるようにしてベットに沈んでいるカインが、小さく頷くのをちゃんと見届けてから、俺は部屋を出た。
静かにドアを閉め、指に絡めたロザリオを目線まで上げて、眺めてみた。
嫌な感じが全くしない、逆に穏やかな空気に包まれるような気分さえする。
俺はロザリオを大事にしまうと、さっきまで寒々しかった廊下を走り始めた。
 「イーブ・・・」
背から聞えるカインの呟きを聞きながら、私はカインを庇うような形でイーブの前に立った。
 「元気、そうだね?怪我の方は大丈夫なの?」
前回、カインの瞳を傷つけた時の事だろう。イーブは私のことなど見えないかのように、カインに話しかけている。
 「イーブ、お前・・お前の方こそ平気なのか?」
隣から身を乗り出し、近づいて行きたいのを堪えるように、カインがきつく手を握り締めながら呟いている。
前に見たときには考えられないほどのやつれかただった。
顔はやせ細り、目の下には大きく黒い隈ができている。髪や服はぼろぼろで、何より生気が無い。
人の話など聞きもせず、兄を連れて帰ろうと、怒鳴り散らしていたカインの弟は、今は穏やかに、微笑んでいた。
眉をひそめる。たった一人で、こんな状態でここへ来た、その異常さに、何だか嫌な胸騒ぎが私のなかで膨れ上がる。
それはカインも同じなのか、悲しそうな顔をして、必死に自分の弟を見つめている。
 「これで、最後だから安心して。」
力なく腕を下ろし、霞のように立っているイーブが、小さく、何の感情も混じっていない声を出す。
 「本当に、最後だから。全て、終わらせるから。だから、一緒に死のう?」
カインが息を呑んだ。
 「僕、もう帰る所ないから、・・・僕が勝てば、お兄ちゃんも死ぬ。お兄ちゃんが勝てば、僕だけが死ぬ。ね?」
 「イーブ・・・」
愕然としているカインに、イーブはそっと笑うと、左右に差していた剣を一つ、取り出した。
 「これ、使って良いから。」
差し出す剣に、私がためらい無く手を伸ばそうとすると、
 「アーク!!」
カインに腕を掴まれ、その手を引き戻された。
 「カイン・・・」
 「頼む、俺、このままじゃ・・。勝つから、弟に、負けないから。」
泣き出しそうな、けれど力強い声が私の耳に届く。私を掴んでいる手に力が掛かる。
 「・・・分かった。勝手に出ようとしてすまなかった。」
 「いや、これは、俺の、俺たちの問題だから、俺一人でどうにかする。」
そう言うと、小さな笑みを浮かべ、カインは差し出される剣を手に取った。
カインとイーブ、似ている二人は、同時に剣を鞘から抜き払った。
 
二人の持っている剣は、少しその形が違うだけで、ほとんど同じだと言ってもいい。
半透明のエメラルドに輝く刀身は、まるで神秘的な泉のような印象を受ける。
昔に使っていたものだろうか?カインが剣を持つところなど始めてみたが、まるで違和感が無い。
 「イーブ・・・本気、何だよな?」
カインが小さく構える。
 「もちろん。僕、もうだめなんだよ。」
イーブもカインに合わせ、ゆっくりと構える。
今だ、穏やかに微笑んでいるイーブと対照的なカインの様子に、すぐにでも動けるように、私も足へと意識を分ける。
このとき吹いた風は、さっき吹いていた風とは違う空気を、冷たい冬の気配を運んでいた。
 
イーブが振り下ろす剣を、カインは体を横に移動させて避け、下から切り上げる。
イーブは振り下ろした剣をそのままカインの剣に当て、はじき返す。
二人は一度間をあけると、また再び剣を打ち合う。
静かな森に、一種の音色のように剣を打ち合う音が響く。
あちらこちらに小さな切り傷をたくさん作りながらも、殺し合うような勢いがまるで感じられない。
色付き始めた木々を背景に、二人は剣を打ち付け合いながら、会話でもしているかのように、交互に、魔法を一切使わずに交えている。
カインも、最初の悲しそうな表情から、少し戸惑ったような顔に変わっている。
イーブの心境に、何か変化でもあったのか。
何度かさらに剣を交えた後、カインが意を決したように、振りつづけていた剣を下げた。
銀色の瞳でイーブを見つめ、口を開きかける、 その、次の瞬間。
イーブが素早く動いた。
 「死んでしまえ!!ユエ!!!」
目を見張るカインに動く様子は無い。
イーブは最初からこの時を狙っていたようだった。自分の弟に、今だ罪悪感を感じているカインの性格を知っていて、
いつか来るだろう、この時を狙って。
イーブがカインに向かい、大きく剣を振り降ろす。
 「・・・・・。」
その時カインは、儚く、小さく弱弱しい泣きそうな微笑みを見せ、弟の死を悲しんでいた。
まるで、慈悲深い天使のように。
 「!!?」
イーブの、振り降ろそうとした剣が途中で止まる。
一瞬、不思議そうな顔をしたイーブが、驚きに瞳を大きく見開く、
その体中からあふれる血を、自分の物だと言う事を知って。
 「俺が呪文なんか唱えなくても、魔法が使える事。お前、忘れてたのか?」
イーブが取り落とした剣を私に寄越しながら、カインは血だまりの中に倒れているイーブに近づく。
服が弟の血に染まるのも構わず、カインはイーブの隣に膝を付き、その最後を見取ろうとしていた。
地だまりの中に付いた白い服の裾から、次第にどす黒い赤がカインを染めていきそうで、
私はその場からカインを引き剥がしたい衝動に刈られた。
だが、今イーブから引き剥がせば、カインは一生自分の弟に伝えたい事が伝えられなくなってしまうだろう。
イーブは苦しそうに兄にすがり付き、口を動かしてはいるが、空気が通る音だけが響き言葉には成らない。
 「イーブ、・・・ごめん。」
抱き着いてくる弟をカインはしっかりと抱きしめ、その涙を拭いもせずにただひたすら、弟の名を呼んでは謝っている。
 「お、にい、ちゃ・・・」
イーブが、最後の力を出し、カインに身を寄せるようにして抱きしめた。
 「!!」
カインの顔が強張った。
私のいる場所からでは、二人が最後の別れを惜しむように抱き合っているとしか見えないが、
カインの表情が少しずづ変わっている。
流れる涙は変わらないが、その表情は苦痛に歪み、冷や汗をかいている。
体を強張らせたまま動かず、固まっている。
・・・・・まさか。
決着が着いたと、勝手に思いこんでしまっていた。
 「カイン!!」
舌打ちをし名を呼ぶと。カインはゆっくりと私に向かい、血に染まった手を伸ばした。
弟と、自分との血に染まった赤い手を・・・。
私がカインの元に駆け寄るより早く、カインは血だまりの中へと倒れこんだ。
 「カイン!!」
カインの上に乗っている、すでに冷たくなったものを乱暴に退かし、カインのわき腹を赤く染めている原因の短剣を取り去り、苦手な魔法を掛ける。
簡単な応急処置をした後、汗をかき息が荒いカインを動かさないようそっと抱き上げ、家へと急いだ。
家へ行けば、治療する道具がたくさんある、それに・・
きっと、人の家に遊びに来た二人も手を貸してくれる。
そう考え、はっとした。 一体いつの間に、私はこれほど他人に頼る術を手に入れたのか。
人の手を借りるなど、考えたことも無かった自分が・・・。
私の腕の中、カインが小さくうめいた。
私は、カインに教えられる事ばかりで、自分は何もカインに教える事がない。
さらには、守ってやる事すら出来ないなど!!
自己嫌悪に囚われながらも、一刻も早く家へ帰るベく、私は秋の枯れた道を走った。
家に帰りつくまでの時を、これほどまで長く感じた事は今までも、そしてこれからも、二度と無いだろう。
視界の隅で、赤く紅葉した葉が舞い落ちるのを見た気がした。
 
   それでも緩やかに、時は進んでいた。
   どんなに緩やかで、果てしなく感じても、進んでいる。
   それを止めることなど、出来はしない。
   自分の命をどれだけ束ねても、止められることは無い。
   永遠に、流れていく、それが時の流れ。
 
 

どっちが先に言い出したのか忘れたけど、俺とアークは、久しぶりに家を抜け出し、森の中を歩いていた。
理由は一つ。家に居ると、カノトとマトリがやかましいからだ。
いつもの、パンとミルク入りのコーヒーの朝食を食べ終えた後、ここ最近天気の良い空を眺め、
どちらとはなしに、外に出てみようかって話になって、すぐに出てきた。
空は、青と言うより絵の具のような水色に近く、絵に描いたような空を隠すように、少しずつ色づきはじめた葉が広がっていた。
時折吹く肌寒い風、鳥より響く虫の声に、秋が近い事を知った。
毎日のように、カノトやマトリの馬鹿が人の家に来るから、ここ最近二人きりになれる事が少なかった。
まあ、別にカノトやマトリがいようがいなかろうが、あんま関係無いんだけどよ。
気分的な問題?
なんか、今日はこうしたかったんだ。
右手を上げ、乾いた木の幹をそっと撫でた。ぱらぱらと零れ落ちる茶色の太い幹を、何とはなしに見上げた。
まるで、昼間の星のようなきらきらとした木洩れ日が、俺とアークの上に降り注いでいた。
 「たまには外に出んもの、良いもんだよな?」
振り向いて見上げた先には、暖かな、この日差しのような微笑を浮かべているアークがいた。
あまりにも優しく微笑んでいるから、思わず伝染したように俺も微笑んでしまう。
たいして言葉を交わすわけでもなく、くっ付いたり離れたり、秋の涼しい風が体を暖めるかのように感じながら、
俺たちは森の中を歩いていた。
 
少し前に起こした、いわゆる俺たちの喧嘩の発端となった分厚い本は、今もアークの机の上に置いてある。
何でも、俺たちの種族とアークたちの種族の事が書いてある本で、色々と詳しい事が書いてあるらしい。
その二つの種族の男女が結ばれた話とかもあるらしく、二つの種族の仲の悪さ理由みたいなものが書いてあるらしい。
・・・俺は見てねーけど。 なんか小難しくて。
まるで他人事のように感じんだけど、ふと、悲しい瞳を思い出した。
イーブ、俺のたった一人の弟。
あの、偽善に満ちた世界に置いて来てしまった弟。
俺は、今でさえ思うときがある。 イーブを置いて来て良かったのか、と。
アークの元ではなく、イーブの元にいたら、兄弟二人で冷たい世界を生き抜いていったかもしれない、と。
 「カイン」
唐突に声を掛けられ、はっとして下を向いていた顔を上げた。
とたん、抱きしめられた。
 「そんな曇った顔をするな。俺はお前に会えてよかったと思っている。本当に。お前に会えたことを世界の全てに感謝するほどだ。」
 「・・・馬鹿かあんた、それじゃあプロポーズの言葉みたいだぞ?」
突然のアークの言葉に、俺は驚き呆れた声を上げた。
 「そうか?・・・それなら誓おうか。これから先、お前の隣に私がいることを」
 「神は信じないんじゃなかったのか?」
 「時には信じるさ、全てに優しい神をね。」
そうして戸惑う俺を横目に、アークは静かに、絵になるような仕草でゆっくりと、俺の胸に掛かるロザリオを手に取り、そっと唇をその上に重ねた。
何かを願うように目を伏せ、そしてゆっくりと離れた。
 「お前は誓わないのか?」
 「・・・・・・」
じっと見つめるアークの瞳に、少しの悲しみが混じっているように見える。
それが可笑しくて、俺は何も言わずにそっと、アークが唇を落とした同じ場所に口をつけた。
この人と同じ、強い願いを植え付けるように。
唇を離し、隣を見上げる。
とても幸せそうに笑っている彼を見て、自分も幸せを感じんだから、結構単純に作られてんだよな、俺も。
何だかこの場所から離れたくなくて、身近な大木に体を寄り掛からせた。
アークがこっちに手を伸ばしてくる、俺も腕を上げ、それを向かい入れようとした、丁度その時。
木々の黒い影から白い影が現われ、顔を強張らせる俺とアークに、小さく笑いかけながら、言った。
 「久しぶり、お兄ちゃん。」
 
時が進む。

・13

月夜