「イーブ・・・」
背から聞えるカインの呟きを聞きながら、私はカインを庇うような形でイーブの前に立った。
「元気、そうだね?怪我の方は大丈夫なの?」
前回、カインの瞳を傷つけた時の事だろう。イーブは私のことなど見えないかのように、カインに話しかけている。
「イーブ、お前・・お前の方こそ平気なのか?」
隣から身を乗り出し、近づいて行きたいのを堪えるように、カインがきつく手を握り締めながら呟いている。
前に見たときには考えられないほどのやつれかただった。
顔はやせ細り、目の下には大きく黒い隈ができている。髪や服はぼろぼろで、何より生気が無い。
人の話など聞きもせず、兄を連れて帰ろうと、怒鳴り散らしていたカインの弟は、今は穏やかに、微笑んでいた。
眉をひそめる。たった一人で、こんな状態でここへ来た、その異常さに、何だか嫌な胸騒ぎが私のなかで膨れ上がる。
それはカインも同じなのか、悲しそうな顔をして、必死に自分の弟を見つめている。
「これで、最後だから安心して。」
力なく腕を下ろし、霞のように立っているイーブが、小さく、何の感情も混じっていない声を出す。
「本当に、最後だから。全て、終わらせるから。だから、一緒に死のう?」
カインが息を呑んだ。
「僕、もう帰る所ないから、・・・僕が勝てば、お兄ちゃんも死ぬ。お兄ちゃんが勝てば、僕だけが死ぬ。ね?」
「イーブ・・・」
愕然としているカインに、イーブはそっと笑うと、左右に差していた剣を一つ、取り出した。
「これ、使って良いから。」
差し出す剣に、私がためらい無く手を伸ばそうとすると、
「アーク!!」
カインに腕を掴まれ、その手を引き戻された。
「カイン・・・」
「頼む、俺、このままじゃ・・。勝つから、弟に、負けないから。」
泣き出しそうな、けれど力強い声が私の耳に届く。私を掴んでいる手に力が掛かる。
「・・・分かった。勝手に出ようとしてすまなかった。」
「いや、これは、俺の、俺たちの問題だから、俺一人でどうにかする。」
そう言うと、小さな笑みを浮かべ、カインは差し出される剣を手に取った。
カインとイーブ、似ている二人は、同時に剣を鞘から抜き払った。
二人の持っている剣は、少しその形が違うだけで、ほとんど同じだと言ってもいい。
半透明のエメラルドに輝く刀身は、まるで神秘的な泉のような印象を受ける。
昔に使っていたものだろうか?カインが剣を持つところなど始めてみたが、まるで違和感が無い。
「イーブ・・・本気、何だよな?」
カインが小さく構える。
「もちろん。僕、もうだめなんだよ。」
イーブもカインに合わせ、ゆっくりと構える。
今だ、穏やかに微笑んでいるイーブと対照的なカインの様子に、すぐにでも動けるように、私も足へと意識を分ける。
このとき吹いた風は、さっき吹いていた風とは違う空気を、冷たい冬の気配を運んでいた。
イーブが振り下ろす剣を、カインは体を横に移動させて避け、下から切り上げる。
イーブは振り下ろした剣をそのままカインの剣に当て、はじき返す。
二人は一度間をあけると、また再び剣を打ち合う。
静かな森に、一種の音色のように剣を打ち合う音が響く。
あちらこちらに小さな切り傷をたくさん作りながらも、殺し合うような勢いがまるで感じられない。
色付き始めた木々を背景に、二人は剣を打ち付け合いながら、会話でもしているかのように、交互に、魔法を一切使わずに交えている。
カインも、最初の悲しそうな表情から、少し戸惑ったような顔に変わっている。
イーブの心境に、何か変化でもあったのか。
何度かさらに剣を交えた後、カインが意を決したように、振りつづけていた剣を下げた。
銀色の瞳でイーブを見つめ、口を開きかける、 その、次の瞬間。
イーブが素早く動いた。
「死んでしまえ!!ユエ!!!」
目を見張るカインに動く様子は無い。
イーブは最初からこの時を狙っていたようだった。自分の弟に、今だ罪悪感を感じているカインの性格を知っていて、
いつか来るだろう、この時を狙って。
イーブがカインに向かい、大きく剣を振り降ろす。
「・・・・・。」
その時カインは、儚く、小さく弱弱しい泣きそうな微笑みを見せ、弟の死を悲しんでいた。
まるで、慈悲深い天使のように。
「!!?」
イーブの、振り降ろそうとした剣が途中で止まる。
一瞬、不思議そうな顔をしたイーブが、驚きに瞳を大きく見開く、
その体中からあふれる血を、自分の物だと言う事を知って。
「俺が呪文なんか唱えなくても、魔法が使える事。お前、忘れてたのか?」
イーブが取り落とした剣を私に寄越しながら、カインは血だまりの中に倒れているイーブに近づく。
服が弟の血に染まるのも構わず、カインはイーブの隣に膝を付き、その最後を見取ろうとしていた。
地だまりの中に付いた白い服の裾から、次第にどす黒い赤がカインを染めていきそうで、
私はその場からカインを引き剥がしたい衝動に刈られた。
だが、今イーブから引き剥がせば、カインは一生自分の弟に伝えたい事が伝えられなくなってしまうだろう。
イーブは苦しそうに兄にすがり付き、口を動かしてはいるが、空気が通る音だけが響き言葉には成らない。
「イーブ、・・・ごめん。」
抱き着いてくる弟をカインはしっかりと抱きしめ、その涙を拭いもせずにただひたすら、弟の名を呼んでは謝っている。
「お、にい、ちゃ・・・」
イーブが、最後の力を出し、カインに身を寄せるようにして抱きしめた。
「!!」
カインの顔が強張った。
私のいる場所からでは、二人が最後の別れを惜しむように抱き合っているとしか見えないが、
カインの表情が少しずづ変わっている。
流れる涙は変わらないが、その表情は苦痛に歪み、冷や汗をかいている。
体を強張らせたまま動かず、固まっている。
・・・・・まさか。
決着が着いたと、勝手に思いこんでしまっていた。
「カイン!!」
舌打ちをし名を呼ぶと。カインはゆっくりと私に向かい、血に染まった手を伸ばした。
弟と、自分との血に染まった赤い手を・・・。
私がカインの元に駆け寄るより早く、カインは血だまりの中へと倒れこんだ。
「カイン!!」
カインの上に乗っている、すでに冷たくなったものを乱暴に退かし、カインのわき腹を赤く染めている原因の短剣を取り去り、苦手な魔法を掛ける。
簡単な応急処置をした後、汗をかき息が荒いカインを動かさないようそっと抱き上げ、家へと急いだ。
家へ行けば、治療する道具がたくさんある、それに・・
きっと、人の家に遊びに来た二人も手を貸してくれる。
そう考え、はっとした。 一体いつの間に、私はこれほど他人に頼る術を手に入れたのか。
人の手を借りるなど、考えたことも無かった自分が・・・。
私の腕の中、カインが小さくうめいた。
私は、カインに教えられる事ばかりで、自分は何もカインに教える事がない。
さらには、守ってやる事すら出来ないなど!!
自己嫌悪に囚われながらも、一刻も早く家へ帰るベく、私は秋の枯れた道を走った。
家に帰りつくまでの時を、これほどまで長く感じた事は今までも、そしてこれからも、二度と無いだろう。
視界の隅で、赤く紅葉した葉が舞い落ちるのを見た気がした。