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・10へ
カインが呆然とした様子で私を見ている。
 さらに私の中にある重い感情が、積もっていくのが分かる。
  「な、に、してんだよ・・」
  「見て分からないか?食事だ。」
  「食事、って、お前・・・」
 掴んだ腕から、女の怯える気配が伝わってきた。
 気に入らなくて、腕を離す。 
 女は私に捕まれ、あざになった腕を押さえながら、逃げるようにカインの後ろに回った。
 カインは微動だにせず、大きな瞳をこちらに向けている。
  「・・・腹が減ったら、食事をするものだろう?」
  「だからって、なんでカノトを・・・」
  「お前の知り合いか?その女を選んだのは偶然だ。見た目の良い方が、どうせならいいだろう?」
  「そうじゃ、ない・・・」
  「なんだ?食べて欲しかったのか?」
 ようやくカインの瞳に、揺らぎと、怒りと・・・複雑な感情が表れた。
  「お前!人間を襲ったらどうなるか分かってんのか!?そのうち、殺されるんだぞ!?」
  「お前の仲間によってか?」
 びくり、とカインの体が震え、その唇を噛んでいる。
 強く結ばれた唇から、苦しそうに零れ出るのは「違う」、と言う言葉。
  「どこがどう違う?全く同じ種族ではないか。同じ血を分けた弟もいるだろうが。」
 カインの瞳から、また感情が消えた。
  「ああ、無様な言い訳はお前の得意だったか?」
 怒りの表れた顔で、カインが私を睨んでいる。 よく表情の変わるやつだ。
 その、カインが怒りと、悲しみに満ちた目を向け、黙り込んでいる。
 沈黙が、流れる。
 私は改めて、カインを良く見た。
 満月の光を思い出させる、クリーム色の髪。
 怪我のせいで多少変わってしまった、今は悲しみと怒りが浮かんでいる、深い銀の瞳。
 影の中に立っているせいか、その姿は夜空の光り輝く月に似ていた。
  「アーク・・・」
 静かに名前を呼ばれ、なんとも言えない感情が背中を走った。
  「呼ぶな」
  「?」
  「お前に名前を呼ばれたくない。」
 この重い、名の分からぬ感情が増えていくばかりだ。
  「気が失せた。」
 気持ちが悪くなりそうだ。
 私は呆然としている二人に背を向け、歩き出そうとした。
  「ちょ、待てよ!アーク!!」
 名前を呼ぶなと、言ったばかりなのにまた呼ばれた。
  「五月蝿い、邪魔だ。カイン」
 私に名を呼ばれ、お前はどんな感情が、その心に表れる?
 その顔を両手で掴み、その瞳を覗き込んで、カインの心に表れた感情を知りたい。
 お前は、私の中にある、この感情に名前をつけられるか?
 私は振り返ぬまま、ゆっくりと歩を進めた。
 一体私は何がしたいのだろう?それすら分からぬまま、また、一人家へと帰る。
 カインの、涙の音が聞こえた気がした。  
  
今日は、カノトの家で留守番。
 なんでも、教会で村の集まりがあるとか。
 きっと、隣町での怪奇現象のことだとか何とか言って、出てったが、
 その、怪奇現象の原因って、もう俺らが殺しちゃったし、平気だと思うんだけどよ。
 カノトはしつこく俺を誘ったが、俺は教会なんぞに行きたくなかった。
 神を奉る教会なんかに・・・。
 ロザリオを手の中で転がしつつ、俺はソファに寝っ転がって、何をするでもなく
 ボーっとしていた。
 そういや、帰りに買い物してくるとか言ってたよな、
 迎えに行こうか?暇だし。
 これ以上一人でいたら、きっと、何かが壊れてしまう。
 帰ろうかな、と、考えることが最近多くなった。
 やっぱり、俺が悪かったんだし、謝れば許してくれるかも知れない・・・。
 だが、許してくれなかったら?
 邪魔者はいらない、必要ないものはいらないって言われたら?
 考えるだけで、苦しい。
 あいつの口から、そんなこと言われたら、俺、やっぱり・・・。
 そこまで考えて、俺は頭を振った。
 今は外に出て、カノトを迎えに行く。
 暗い考え事なんか、しなくていい。
 
 今日も空は晴れていた。
 少し日差しが強いぐらいだ。
 もう慣れた村の道を、木陰に入りながら進んでいく。
 家を出て暫くしないうちに、前の方から、薄い栗色の髪をなびかせて、カノトが
 こっちへ向かってきた。
 何故か、うつ向き気味で走っている。
 俺が声を掛けようと、口を開きかけた、その瞬間。
 カノトは細い路地裏に、誰かの手によって引き込まれていった。
 迷わず走った。
  「カノト!」
 暗い闇に捕まったカノトが、びっくりしたような、安心したような目で俺を向かえた。
 だが俺は、その瞳に答える事が出来なかった。
 カノトを捕まえている闇は、俺がよく知っている者だった。夜そのもののようなその人は、
 俺が一番会いたかった人。
 会えた事の嬉しさより、今、この状況が理解出来ずに、俺は呆然とした。
  「アーク・・・?」
 俺の声に、アークはただ冷たい目を向けただけだった。
  
 今日はお昼に村の会議があって、めんどくさいんだけど、集合先の教会まで行って、
 村人の話を右から左へと聞き流して、さっきやっと終わったから買い物して、
 その帰り。
 やっぱり無理やりででも、カインを連れてくれば良かったわ。
 首からロザリオなんか下げてるから、信仰者かと思ったけど違うのかしら?
 教会に行きたくないって、真剣に言うから連れてこなかったけど、
 やっぱ一人じゃつまんないわ。
 村人のつまんない視線に、腹が立ってくる。
 目を向けるだけで、話し掛けられない無いくせに。
 この村に、私が一人で住むはめになったのは、私のせいじゃないわよ!
 ・・・いつもの事じゃない、こんな事ぐらいで泣いたりしない、絶対に。
 早く帰ろう。カインが待ってる・・・。
 買い物袋を両手で胸に抱き、道の端を小走りで家へと急いだ。
 今日も空は晴れていて、その日差しで影の色が濃く見えるぐらい。
 少し暑くなって、走るの止め、歩こうとした瞬間。
 私は、暗い影から伸びてきた白い腕に闇の中へと引き込まれた。
  「な?!」
 路地の裏に引き込まれ、バランスを崩し、持っていた荷物が散らばった。
  「何すんのよ!」
 捕まれた腕を振り解こうと、力任せに腕を振ろうとしているのに、がっしりと捕まれていて、
 逆に動きを押さえられた。
 身動きが出来なくなって、せめてもの反抗。私を捕まえている者を睨もうとして、驚いた。
 こんな状況で、こんな事考えるなんて、どうかと思うけど、それでも綺麗な男の人だった。
 長い黒髪は闇そのもので、流れるようにその男の肩や胸に掛かっている。
 カインとは違う美しさ。
 彼は儚い美しさだけど、この人は形を持った美しさだ。
 どこか、似通った雰囲気はあるけど・・・
  「随分、威勢がいいな」
 低い声に我に返った。少しでも見とれていた事に、自分の心の中で叱咤しながら、
 その男を睨み上げる。
  「誰よあんた、さっさと離しなさいよ!大声あげるわよ!」
 そう言うと、男は静かに、そして冷たく笑った。
 怖い。
 今やっと、恐怖がじわじわと、私の心の中から上がってきた。
 この人、何の感情もその瞳にうつしていない。
 何をするか分からない。
  「これを見れば、私が何者か理解できるだろう。」
 そう言って見せたのは、人間には無い、白い牙。
 この男、人間じゃ・・・!!
 そう理解したとたん、全身から血が引いた。
  「分かったようだな」
 その男は、恐怖で動けないでいる私の耳元でそう言うと、その白い牙を私の首筋へと、
 下ろしてきた・・・。

月の光に自分の手を透かせてみた。
 日にあまり当たらず、白いままの手が、私の目から満月を覆い隠す。
 この手でカインを叩いた。
 読んでいた書物の内容に嫌気が差し、カインに八つ当たりをした。
 私が、これほど必死になって書物の中を探っていたのは、お前のためなのに、
 何故分からないと、勝手に腹を立てた。
 カインが出て行った後、本を読むことを止めた。
 散らばった紙も、そのままになっている。
 時だけが、私を通り過ぎ進んでいく。 
 
 あれから数日、カインは帰ってこない。
 
  
 一日目は、帰ってくるだろうと、不安な気持ちを無理やり押さえ、外に出ようともしなかった。
 夜になり、真夜中を過ぎても、扉が開く気配は無かった。
 二日目、少しも眠ることが出来ないまま、朝を迎えた。
 重たい気持ちをひきずったまま、あの部屋の窓辺に座った。
 それからはよく憶えていない。
 一日そこにいたのか、二日その場にいたのか。数時間だけだったのかも知れないが。
 探しに行こう、と思い立ったのは、随分後になってからだった。
 探し出して、すまなかったと、詫びて、一緒に帰ってこよう。
 そして、あの書物の内容を話し、一緒にこれからを考えていこう。
 私は、窓辺から立ち上がった。
 
 
 カインを見つけたのは、名も知らぬ村だった。
 暖かい日差しの中、カインは荷物を抱え、歩いていた。
 まずは安心した。元気そうだ。
 だが、次の私の気持ちは、自分でも分からない感情だった。
 カインの前を歩いていた女が振り返り、穏やかに笑いながら、何かを話している。
 カインも、笑いながらそれに答えている。
 女の、薄い栗色の柔らかそうな髪が風になびいた。
 それを見ていたカインが、女に何かを言った。
 女はその言葉に、優しく微笑んだ。
 光の中の、幸せそうな日常がそこにあった。
 私には触れる事も出来ない、光の中での・・・
 自分でも分からない感情が、大きくなるような気がした。
 重たく、苦しいその感情は私のなかで渦を巻き、私を包んでいく。
 この、正体の分からないものは、私を不快にさせる。
 私は、その感情を持て余しつつ、カインと女に背を向けた。
 今、二人の前に行ったら、何をしでかすか分からない。
 私は、光の中にいる二人とは反対の方向、暗い闇の広がる森の中へと、歩いていった。
 

・9

月夜