その日、カインがアークの家の隅から、と、ある一冊の本を見つけた、
それが、そもそもの始まりだった。
アークは、もう随分と前から動こうとしない。
椅子に座り、カインが見つけた書物を読み続けるアークに、カインは腹が立っていた。
とても大切な物だと言っていたその分厚い本は、一日二日で読みきれるような物ではない。
まさか、読み終えるまでこのままじゃねぇだろーな。と、カインは心の中で呟いた。
最初はいつもの通りに、我慢していた。
そしていつもの通りに、読みふけっているアークに、ちょっかいをかけた。
いつもならここで、アークは本を置きカインをかまってやるが、今回はまるで無視だ。
暫くはカインも粘っていた。
顔を覗き込んだり、アークの顔を前で手を振ってみたり、長い黒髪を軽く引っ張ってみたり。
何をしても反応ないので、機嫌が悪いのかと思ってもみたが、そうでもないらしい。
近くのソファに深く沈みこみ、カインはアークの気を引こうと、色々と思考していた。
アークは、どこか必死ともとれる様子で、その書物を読みつづけている。一瞬とも視線を外そうとはしない。
そんなアークに、ますますカインはイライラをつのらせる。
自分が、こんなにむかついてんのに、それすらも気がついてない。
カインは実力行使に出た。
つまり、本の取り上げ。
「っ、カイン!!」
「うるせーな!もう、読むな!」
本を奪い取り、アークから遠ざかる。
「ふざけるな、それを返せ」
椅子から立ち上がり、不機嫌さをにじませ、アークがカインに近づく。
「やだね、」
「・・・カイン・・」
アークの呟き、その声音はいつもと違い、怒りを含んでいた。
ビクリ、と体を強張らせるカインにお構いなく、アークはカインに近づいて来る。
取られるものか、とカインは持っている指に力を込める。
「カイン、それを返せ」
「返したらまた、読み始めるんだろーが・・・」
カインの言葉には無言で、アークがそっと、腕を伸ばす。
分厚い書物に伸びてくる手と、アークの顔を見て、カインは何故か体がすくんだ。
初めて自分に向けられた、アークの顔。
何の感情も表さない、その顔に憶えたカインの感情は恐怖。
反射的にカインは、奪われそうになる本を力の限り、自分の方へと引き寄せた。
「・・・カイン」
「・・・嫌だ・・」
アークの低い声に、また反射的に呟く。
「カイン、もう一度言う。それを私に渡せ。」
「嫌だ!絶対渡さない!」
叫ぶカインに、とうとう我慢の限界が来たのか、アークが無理やり取り返そうと、手を伸ばしてくる。
カインがそれを奪え返そうと、二人の間で本が行き来をする。
「嫌だ!近づくんじゃねぇよ!」
「ふざけるのも大概にしろ!それをこっちに渡せ!」
「絶対に渡すか!」
「カイン!!」
アークが怒鳴るのと、その書物が限界を訴えるとはちょうど同じだった。
分厚い書物は元々古いせいもあり、二人の力に耐え切れずその中身を辺りへ撒き散らした。
はっ、と動きを止め、少し黄ばんだ紙が頭上から降ってくるのを、二人は見上げた。
「カイン・・・お前・・」
アークの苛立ちが混じった声に、カインは慌てた。
本を壊すことが目的ではないのだ、ただ、今読むことを止めて欲しかっただけで・・・
「お、俺のせいじゃねぇよ!」
考えるより先に口走った言葉。自分が悪い事は重々知っている。
それでも思わずこの言葉が出たのは、嫌われたくないと言う思いからか・・・
カインの焦りを知ってか知らずか、アークはその言葉に、
無言でカインの顔を叩いた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
その後は無言だった。
アークはカインの前から体を退かすと、辺り一面に散った書物を拾い始めた。
カインは俯いてその場に立っていたが、暫くして、ゆっくりとその場を後にした。
二人とも声を交さず、振り返りもしないで・・・。





さらさらとした闇が、俺の上に降り注いでいる。
さらさらとした夜の色が、俺を回りから遮断する。
闇に向かってそっと手を伸ばすと、その手を優しく包み込んでくれる、白い手がある。
目を開け、顔を上げると、そこにいるのはいつも・・・
いつもとは違う、泣きたくなるような夢を見た。
あれから数日が過ぎた。
俺はカノトにこき使われながらも、それなりにこの村に馴染んで来ている、と思う。
カノトは俺を、無料で泊める代わりに家の事を手伝うように言った。
まあ、そんぐらいは普通、言われなくてもやるもんだろうとは思うが、
俺は家事一切出来ない。それ以外に残る手伝いと言えば、買い物や壊れた所の修理。
修理に関しては、カノトが見てない時を狙って、人間の持っていない力で、直すが、
買い物に関しては・・・
この女、わざと重いもんばっか、運ばせてるとしか思えねぇ。
ビンや缶、果物などが、毎日買い物リストの中に入ってやがる。
ま、こんぐらい平気だからいいけどよ。
「あ、そうだ!最後にケーキ買ってかなきゃ。」
おい、まだ買うのかよ。
「お前な、働いてもいねぇくせに、よくそんな金があんな。」
嫌がらせと、ちょっとした疑問で言ってみたが。
? いつものやかましい声の変わりに、カノトは薄く、寂しそうに微笑んでいる。
悪い事言っちまったか?
「私にはね、貢いでくれる人がいるのよ。羨ましいでしょ。」
「バカぬかせ」
「何よ、羨ましくないの?」
「全然」
はっきりとそう言ってやると、カノトは黙った。
珍しく静かだな、と思ったのもつかの間。その後、カノトの家に着くまで、
カノトは俺に、にっこり笑いながら、その毒舌を吐きまくった。
悪いが、俺は大人しく嫌がらせを受けるほど、穏やかな性格してないんで、売り言葉に買い言葉、
村の中を、毒舌の応酬をしながら歩いていった。
夜、与えられた自室の窓から、空を眺めた。
真っ暗な闇の中、満月が穏やかに光輝いていた。
カインの簡単な説明を、更に簡単にすると、要は恋人とケンカして家を飛び出してきた、
で、いいのかしら?
相手が構ってくれないから、ちょっかいを出して、大切な物を壊して愛想を尽かされた。
それしか教えてくれないし、勝手に解釈しちゃっても文句はないわよね?
に、しても。
「あなたも子供ね。」
ため息混じりに一言。
「るっせーな、てめーに関係あんのかよ?」
さっきまであんなに沈んでたくせに、急にふてぶてしくなったわね。
カインは、座ってるソファの上にふんぞり返るように座ってる。まるで自分の家のような態度。
私はもちろん、上品に座ってるわよ?女だし。
「それで?行く場所も決めないで、家を飛び出して来たんでしょ?どうするのよ、これから。」
「適当に。そこら辺で野宿でもしても、最近は雨も無いし安全だから平気だろ。」
随分大雑把な考え方ね。
「危ないんじゃない?確かに隣町での怪奇現象はなくなったらしいけど、普通の人間だって、
いろんな意味で危ないのよ?」
「あんた、俺のこと弱いとか思ってんだろ」
「強い、弱いだけの問題でも無いでしょ?」
病気や、怪我だってあるし・・・って、なんで私はこんなに親身になって話を聞いてるんだろう?
あー、悩んでる悩んでる。横顔も綺麗だな、本当に天使みたい、不思議な人。
こんな人の恋人って、どんな人だろう?実は、あまり褒められた顔の人じゃなかったり・・・
ほら、よく言う、自分とは正反対の人を好きになるってやつかしら?
ああ、気になる。
「ねぇ。どうせ行く場所無いんでしょ?ならここで暮らさない?」
気が付いたら、そう言っていた。
カインが変な顔をしてる。私も自分自身の言葉に驚いている。
なんで?どうしてだろう。
軽く目を閉じて考えてみた。
回りが闇に閉ざされた空間で、自分の心を考えてみた。
ああ、なんとなくわかるわ。
この闇は寂しい。ただ暗いだけの空間。私一人だけの。
親も兄弟も友達も、何もかも全て。暖かく、心満たされる者が何一つないわ。
寂しいのね、私は。
今まで一人でよく生きてこれたわね?
どうりで、つまらない日常だったわけだわ。
目を開いた。誰か、私ではない誰かが、私の前にいる。
突然黙った私を、不思議そうに見てる。
「どうする?」
カインは私の目を見ながら、
「その言葉に甘えさせてもらう。」
久々に、『嬉しい』と思った。
俺の少し前を、薄い栗色の長い髪を揺らしながら女が歩いている。
向かう場所は、前に騒動があったあのしけた村ではなく、その方向とは反対側。
・・・とりあえず離れたくて、こいつについて来たけど、
やばい、また涙が・・・
あんな顔であんな風に殴られた。何で俺、あんな馬鹿な事したかな〜・・・
いや、元はあいつが悪いんだ。俺は、きっと悪くはないはず!
・・・もう、知らねぇ。アークのことなんか・・・。
やっぱり俺、あいつにとって邪魔者だったのか・・・?
いらない者、だったのか?
暇つぶしに遊んでいた子供、だったのか?
そうなんだろうな。 きっと、今までの俺への言葉は、偽り。
「着いたわよ」
その声に我に返った。
「何、泣きそうな顔をしてるのよ。そんなに悲しかったの?」
悲しかった・・・?
「そんな呆然とした顔しないでよ。あなた、自分の感情もわかんないの?」
わかんねぇ・・・。
「とりあえず入って、はいこっち来て。そうそう、そこに座って。よし」
なんなんだこの女。人の手をひっぱんじゃねぇ!はいはい、わーったよ、座りゃあいいんだろ!
「カイン」
んだよ。
「人のこと睨んでないで、少しは何か話しなさいよ!何が何だかわかんないでしょ!」
「俺の知ったことか!!」
「冗談じゃないわよ!ここまで連れてきた意味が無いじゃない!」
「てめーの思惑どうり事が運ばなくて、うれしいね!」
「あら、随分とかわいらしい性格をしてるのね?」
「かわいいとか言われんの、男としちゃあんまりありがたいとは思わねぇけど、てめぇはあんまり
人を誉めたこと無さそうだしな、ありがたくお褒めの言葉として貰っとくか。」
「そんなに遠慮する事ないわよ?本ッ当っに!性格と同じで、女の子のような顔で可愛らしいわ!」
「それはどーも!あんたも俺と同じで、随ッ分!可愛らしい顔してるぜ、よっかたな?」
「ほめて頂いてありがとう。嬉しいわ。・・・って、そうじゃないのよ!!
あなたの家出の原因を聞きたいのよ、私は!」
・・・騒がしい女だな。
でも、まあ、話すぐらいいいか。よけりゃあ、手助けしてくれるかも知んねーし。
「・・・わかった。話す。」
興味津々って顔してやがる。
俺は、しぶしぶながら、このやかましくて五月蝿い、世話焼きの女、カノトに大まかな話をした。
そういや、人間に話を聞いてもらうって言うのは、初めてのことだ。
私がソレを見つけたのは、そうね、なんて言ったらいいか分からないけど、
厚い雲が空の大部分に広がってて、たまに、雲が割れた空から光が地上に落ちてきてる。
そう言う天気の日。
ソレは、真っ直ぐ落ちてきた光の中、何の感情も表さない顔で、涙を流していたから、
空を見つめ、涙を深い銀の瞳からぽろぽろと流していたから。
空に帰れずに泣いている『天使』、だと思った。
森の中、たまたま見つけたその光景に、はっきり言って、見とれてた。
本当に、白い翼が生えてないのがおかしいと、自然に思えるぐらいに。
でもそんな考えは、私に気が付いたソレの一言でぶち壊された。
ソレは、私にきずくと流した涙もそのままに、こう言ったの。
「・・・何、じろじろ見てんだよ。見せ物じゃねーんだよ。」
腹立つわ・・・。
゛ソレ"はそう言った後、目をゴシゴシ擦って涙を拭いた。
今さら遅いんじゃない?って思ってたら、゛それ"もそう思ったのか、照れた様子で俯いた。
何だか、そこから動き出せなくなっちゃって、しばらく二人でじっとしてた。
そうしたら、゛ソレ"がこっちを睨みながら言ってきた。
「なんだよ?何か用でもあんのかよてめぇ。」
「馬鹿ね、こんな森の中で泣いてる男を見たら、誰だって気になるわよ。」
ごく当然の事を言ってあげたら、゛ソレ"は言葉に詰まって、顔を赤くした。
墓穴掘ってるわね。
久しぶりに面白い人を見つけた。そう、思ったら急に゛それ"に興味が湧いた。
「私は、カノト。あんたは?」
「俺の名前なんか聞いてどうすんだよ?」
「単純な興味よ、外見はきれいな天使様だけど、中身はただの人間のあなたにね。」
素直に思ったことを口にしたら、゛ソレ"はあっけに取られた顔をした。
そして、悲しそうでいて嬉しそうな、なんとも言えない顔を私に見せた。
その時、また私は゛ソレ"を『天使』の様だと、思ってしまった。
あの後゛ソレ"は、自分の名前を゛カイン"だと言った、それと、こんな事も言った。
「わけありで帰れねーんだ。どっかに空家とかねぇか?」
空家・・・。ちょっと考えてみたけど心当たりがない。
「分からないわ、何?家出でもしてきたの?」
「関係ねぇだろーが。」
「事情によっては、私の家に来てもいいわよ?」
面白いおもちゃを、そうそう手放してなるもんか。
ここの所何にも良いことなかったし、人をからかって遊ぶくらい、ばちは当たらないわよね!
「・・・今、言うのかよ?」
「ううん。言ってくれるなら私の家に行ってからでいいわ。それじゃ、さっそく行きましょ。」
そう言って歩き出す私の後を、カインは難しい顔をしてついて来る。
ふっと、空を見上げれば、いつの間にか空は晴れていた。