Vol.7 11/April/98


恐怖のクッキング



 私はアルゼンチンのパンパを疾走する列車のなかにいる。

 乗っているのは貨物列車だ。ふだんは牛や馬の輸送に使われているので、もとより人間用の座席などない。だから剥き出しの木の床に直に座り、夜は荷物を枕に毛布にくるまって眠るのだ。

 少しほこりっぽいのは仕方ない。でも干草の匂いがして、窓からは気持ちのよい光と風がよく入る。何よりも広々としているのが快適だ。

 わずかな乗客は、陽に焼けた土地の人ばかりだ。ほとんどが農民。ほかに、行商の商人や出稼ぎの人々、遠くの親戚に会いに行く老夫婦や家族連れも何組か乗っている。

 乗客は、連結されたいくつかの車輌に、思い思いに陣取っている。列車のガタゴトいう音に混ざり、話し声や笑い声、ときには歌声が聞こえてくる。

 その賑わいから少し離れ、私は数人の一人旅の若者たちと、このがらんとした車輌で旅を続けている。大きな引き戸を開け放ち、どこまでも続く空と緑と、その間の地平線を眺めながら。

 昼どき、他の車輌から続々と、みんなが私たちの車輌に集まってきた。

 食事当番をかって出た男が、どこからか携帯コンロと古ぼけたフライパンをとり出して、ゆうゆうと食事の準備を始めた。ほかの男や女たちも、それぞれ自分の包みを広げ、お皿やフォークを出したり、パンだのハムだのワインだのを互いに振舞ったりしている。

 フライパンが温まると、食事当番の男はそこに油をひいて、肉の塊を放り込んだ。得意の郷土料理を作るのだという。早くも辺りに漂い始める香ばしい匂いと、油のはじける陽気な音。
 私は興味津々で、人々の肩越しにフライパンを覗き込む。そのとたん、ギョッとして跳び退った。

 肉と一緒にフライパンのなかに入っているのは、体長3、4センチの「ペンギン」ではないか。

 何度目をこすって見ても、どこからどう見ても、紛れもなくちっちゃなペンギンだ。それが何匹も、しかも生きたまま、フライパンのなかでうごめいている。

 ショックで口もきけない私を見て、みんながゲラゲラと笑った。

 聞けばこのあたりでは、「ミニチュア何とか」という特殊な種類のペンギンが、食用として農場で大量生産されているという。生きたペンギンはそのままプラスチック・ケースに詰められ、プチトマトのように、市場で普通に売られているのだ。

 焼けたフライパンの上を、ペンギンたちはペタペタ歩き回っている。いくら食用といっても、とても見るに耐えない光景だが、周りのみんなはもうすっかりご馳走を待つ顔だ。

 そうこうする間にもペンギンたちは炒まってきて、プチン、パチンという、胸の悪くなるような音とともに、次々に頭が弾け始めた。それでもペンギンは、まだヨチヨチと鍋のなかを動き回っているのだ。

 「ホントにこれを食べちゃうの?」
 泣きそうになりながら尋ねると、「これが旨いんだよ」と、誰かが嬉しそうに答える。

 ごつごつした指でひょいと一匹を摘み上げ、頭がはじけて油にまみれたそれを、まあ食べてみろと、私の鼻先に差し出す人もいる。その指先で、ペンギンはまだ足をばたつかせているのだ。

 イヤだ、助けて!

 ・・・幸いにも、味見はしないで目が覚めた。


悪夢の理由?



 「ね、ほんとにヘンな夢でしょ? 悪夢よ、悪夢。どう思う?」
 「何か心にひっかかっている問題でも、あるんじゃない?」

 心理学をかじっている友人が、笑いながら言った。

 「夢にはね、密かな願望や、潜在意識が表れるのよ」

 密かな願望と言われても、アルゼンチンや、ましてペンギン相手に、どう考えても思い当たる「願望」などない。となると、悩み、気がかり、心配事かぁ・・・。そんなもの、最近あったかしら。

 う〜ん、と頭を捻っていると、心当たりがあった。

 この春休みに、同居する姪のキリコが、高校生の国際交流ツアーというので、オーストラリアへ行くことになっている。その準備が山積みなのに、ご本人はまるでノホホンと他人任せ。それがこのところずっと、私を苛立たせているのだ。

 そうだ、間違いない。悪夢の原因はキリコのやつだ。

 出発が迫り、あれこれやらなきゃならないことがあるのだが、待ったなしの自転車操業で追われている私は、よその保護者のように手取り足取り世話を焼けない。
 それ以上に、できることは自分でやらせることが、キリコにとって格好の勉強になると思っている。

 ところがその肝心のキリコが、いちいち想像を絶するほど使えないのだ。「まがりなりにも16年生きてりゃ、それくらい常識でわかるだろ!」と、わめきたくなるようなことがわからない。

 だから平気で、書類を鉛筆で書く。旅行社に提出するパスポートのコピーをとらせにやれば、斜めにゆがんで文字が切れたものを平然と持ち帰ってくる。

 「え? これじゃダメなの? いいじゃん、もう、このまま出しちゃおうよ」
 「あのねぇ、パスポートのコピーは、入国許可を受けるために必要なんだって、説明会でも聞いたでしょ? 旅券番号がちょん切れたコピーなんて、使い物にならないの! 目的を考えないから、こういう始末になる。やり直しっ!」
 「だってぇ、どうしても端っこが切れちゃうんだもん。コピーのやり方、わかんないよお」
 「わかんなきゃ店の人に聞け! 今日中にいるんだから、早く行きなさい」
 「えーっ、だってこれからバイトだもん」
 「もういいっ!」

 結局そう怒鳴ってキリコのパスポートをひっつかみ、コンビニへ走ることになる。椎間板ヘルニアの後遺症で、私はまだ腰が痛いのだ。

 悪夢だって見ようというものではないか。こんな調子が土壇場まで続き、げっそりと疲れ果てた私を残して、キリコはご機嫌で初めての外国旅行に旅立って行った。

 英語の勉強になるとか、国際交流がどうとか、そんなことはどうだっていい。自分の頭で考えて行動すること、それだけでいいから旅を通じて学んでくれたら涙モノだ。

 何もかも放り出し、私はアルゼンチンの大草原へでも飛んでいきたい気分になった。

End of Vol.7


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