Vol.6 27/March/98


椎間板ヘルニア初体験



 お茶を飲もうと机の前から立ち上がったとたん、左の腰に、筋が吊れるような奇妙な感覚がした。長時間パソコンに向かっていたせいで、ちょっと身体がこわばったようだ。ゆっくりと腰を曲げたり、伸ばしたり、ねじったりしてみるが、何ともない。
 気のせいだろうと、とっくに空っぽになって底にコーヒーの残滓が干からびているカップを手に、勢いよくトントントンと階段を降りた。

 ところがそのトントントンにあわせるかのように、腰のひきつれがズンズンズンと広がって、キッチンにたどり着いたときには、身動きできなくなってしまったのである。

 イタ、タ、タ、タ、タッ・・・。
 テーブルに手をついたきり、文字通り、にっちもさっちも動けない。なによ、これは! どうなっちゃったの? 
 おっかなびっくり、そろそろと椅子に腰を下ろす。と、今度は椅子に座ったまま固まってしまった。少しでも姿勢が崩れると、腰に電流のような痛みが走る。

 数秒前まで確かに自分の肉体だったものが、いきなりコントロール不能に陥った。へたに触ればどう暴走するかわからない機械のようで、おそろしくて動くことができない。上半身は直立不動。自由なのは、目と、それからわずかに首だけだ。

 子どもの頃に読んだ、ヤモリの話を思い出した。日向ぼっこをしていたヤモリの父さんは、ある日、板塀の反対側からクギで打ち付けられるというアクシデントに遭い、串刺し状態になってしまうのだ。童話の本に載っていた、気の毒なヤモリの挿絵が目に浮かぶ。
 ふいに恐怖に襲われた。あのヤモリみたいに、このままキッチンの椅子にはりついて余生を送ることになったらどうしよう。馬鹿馬鹿しい想像だが、そう本気で心配してしまうほど、危なっかしい状態なのだ。

 幸いなことに、30分もじっとしていると少し痛みが薄らいできた。そろそろと、どうにか部屋へ戻り、ベッドに這いずりこむ。ぎっくり腰ではなさそうだ。ぎっくり腰になると、トイレにも一人で行けなくなるというもの。むしろ首を寝違えたときのように、腰の筋がどこかおかしくなってしまった感じだ。

 しばらく休んで、わずかに身体の自由が取り戻せたところで、腰の周りにバスタオルを巻き、太いゴムバンドで固定して、即席のギブスをこしらえた。締め切りが近付いている原稿がいくつかある。いま、寝付いてしまうわけにはいかないのだ。せめて書きかけの一本を仕上げる間だけでも、頼む、これでもってくれ!


悪いことばかりじゃない



 腰痛は翌日もよくならない。腰の筋肉の奥深くに、一匹の虫がいて、組織の間でフニフニとうごめいては、ときおり神経の束をかき鳴らして遊んでいるかのようだ。そのたびにギョッと飛び上がりそうになる。
 参った。
 意を決して隣町の治療院へ行くことにするが、駅の階段を上り下りするのも、電車に乗るのも一苦労。車内で座ったら最後、二度と立ち上がれなくなりそうで、手すりにつかまり何とか立ったまま二駅乗った。
 最寄り駅で降りると、治療院までの距離がまた長い。元気なら7分ほどの道のりを、能役者のようなすり足で、15分かけて歩いた。

 名医のほまれ高い老先生は、一目で「椎間板ヘルニア」と診断した。腰椎の骨と骨の間で、クッションの役割を果している部分が、無理な姿勢や過労、急に身体をひねったりしたことなどが原因で飛び出してしまい、神経を圧迫して痛むのだ。ひどくなると手術を要することもあるという。

 先生は患部には一切触らず、痛む場所とは反対側の腰や、手足や背中にささっと手を触れていく。何やら特殊な針と、温熱を帯びた電気ローラーを使っているようだが、痛みも刺激も、物足りないくらいない。こんなことで治るものなのだろうか?

 ところが驚いたことに、わずか3分ほどのそんな「治療」で、痛みは見事に半減した。上がらなかった足が上がる。立ったときに感じていた、左右で高さの違うヒールを履いているようなアンバランスな感覚も、ほとんど消えている。
 椎間板ヘルニアといっても、私のは幸い軽症で、しかもごく初期だった。そのため、一回の治療でもずいぶん楽になったのだ。完治するまで当分通院しなければならないが、日頃の不摂生の代償と思えば文句はいえない。

 失ってみて初めて健康のありがたさがわかるというのは、本当だ。来た道を戻りながら、つくづくそう思った。
 いつもなら、通行人をゴボウ抜きにして、飛ぶように行く道を、腰の悪い私は足を引きずりのろのろと歩く。その私を、高校生やサラリーマン、おじいさんやおばあさんまでが、楽々と追い越していく。元気なら一気に駆け上がる階段も、一段、一段がチャレンジだ。

 こんなささやかなハンディーでも、町にはまだまだ、弱者に対する配慮が欠けていることもよくわかった。こんなところに段差があるとか、この信号はなぜこんなに早く赤に変わってしまうのかとか、バリアフリーとは程遠い不便がたくさんあることに気がついた。

 私はわが身を省みて、不規則な生活をしみじみ反省した。寝るのはいつも、明け方3時、4時という、昼夜逆転の生活。慢性的な睡眠不足と運動不足。以前は毎日のように通っていたジムも、この2年というものすっかりごぶさただ。

 そうだ、これからは心身共に健全に、模範的な生活を送ろう。
 早寝早起き、一日一善。仕事の締め切りは守り、他人の悪口は決して言わず、何があっても怒るまい。自分に厳しく、人に優しくの精神で、清く貧しく美しく、けなげに生きていこう。

 私は深く悔い改め、ドッグ・トレーニングのコースに通い詰めたワンコのように、従順な気持ちになっていた。


 2週間ほど治療に通ったおかげで、腰はもうほとんど痛まない。日常生活も支障なくこなせるところまで回復した。
 普段は元気すぎるほど元気な私がダウンしたので、今回はキリコもかなり気をもんだようだ。ちょくちょく部屋を覗き込み、「だいじょうぶ?」と心配そうに聞いてくる。

 そのたびに私は言うのだ。

 「ああ、ジュースが飲みたいなあ。でも腰が痛くて動くのが辛いよぉ。アイタタタ・・・」
 「モウッ、哀れっぽい声出しちゃってさ。わかったよ。ジュース買って来てあげるよ!」

 人に厳しく、自分に優しく。
 私は当分、半病人でいくつもりだ。 ヒッ、ヒッ、ヒッ。


End of Vol.6

Back Top Next