Vol.3 21/Feb/98


芽吹く季節



 足早に角を曲がったとき、すがすがしい香りがふわりと鼻孔を撫でた。振り返ると紅梅が五分咲きだ。周りの家や塀のおかげで冷たい風から守られて、たった一本、幼稚園の裏庭の陽だまりに咲いている。

 梅は花のお兄さん。

 北風にも負けず、春、真っ先に咲くこの花の凛々しさを、そう讃えたのは誰だったかしら。
 気がつけば、コートの襟をかき寄せ急ぐ足元に、沈丁花の花芽もぽっちりとふくらんでいる。秋口に植えた我が家の球根も、プランターのなかでおずおずと芽を出した。
 画用紙に、淡い緑をほんのひと刷毛はいたほどの、ためらいがちな若い春である。

 キリコもまた、人生の芽吹きの季節を迎えている。

 高校一年生の夏休み前に、彼女は学校から進路アンケートのプリントをもらってきた。進学や就職の希望とならんで、将来何がしたいか、何になりたいのかといった、希望も書き込むようになっている。この後段の部分に、キリコは頭を悩ませた。

 自分は将来、いったい何がしたいのか−−−。
 勉強は嫌いだ。だけど高校卒業と同時に社会に出て、働くなんて真っ平。とりあえずは、自由な学生生活を続けたい。でもそのあとは? 将来何になりたいかなんて言われても、これといった夢なんてない。

 「キーちゃんは看護学校へ行って、看護婦になりたいんだって。タマエは芸能事務所のOL。アサコは公認会計士(コーニンカイケイシって、なに?)。ノコは別にやりたいこともないから、19歳くらいで結婚するつもりだって。あーあ、あたしだけ書くことがないよ。どうしよう…」

 大きなため息をつき提出期限ギリギリまで悩んでいたが、アルバイトの最初の給料と貯金をはたいて念願のボディーボード用具一式を手に入れた日、キリコはついにうっとりと言った。

 「ねぇねぇ、ヨーコちゃん! あたし、プロのボディーボーダーになるかもしれない、って思わない?」

 くしゃくしゃになったアンケート用紙を引っ張り出し、彼女はとくとくと自分の夢を書き込み始めた。書きながらときおり口元がニマーッとほころぶのは、まだ一度も海に入ったことすらないうちから、もう外国の青い海や、国際舞台で脚光を浴びる自分の姿が、頭の中に渦巻いているからに違いない。

 『高校を卒業したら、大学で英語を勉強しながらボディーボードをがんばりたい。それからオーストラリアかアメリカに住んで、海辺のサーフショップで働いて、たくさん友だちを作ってボディーボードをする。そして国際的なボディーボーダーになる』

 キリコにしては、画期的ともいえる長い文章だ。エセ保護者の私も、父母のコメント欄に書いた。

 『ということなので、応援したいと思います』


ゆっくり歩こう



 高1の夏休み、キリコは計画どおり、看護婦志望のキーちゃんと茅ヶ崎の海でボディーボードを始めた。ボードにウェアに、小物やアクセサリーに至るまでバッチリと決め、いでたちは一丁前のボーダー、気分もすっかり湘南ロコである。

 地元にはサーフィンやボディーボードのクラブもあって、初心者向けの入門コースも開設しているのだが、二人はそうしたクラブには入らず、勝手に浅瀬でポチャポチャやっているらしい。夕方家に戻ってくると、「今日は波がイマイチだった」などと、いっぱしのことを言っている。

 だが8月も半ばになると、二人の足は早くもふっつり海から遠のいてしまった。相棒キーちゃんのボディーボード熱が冷めてしまったのと、資金稼ぎで始めたキリコのアルバイトが忙しくなったからだ。

 これでは何のためのバイトかわからないと嘆きつつも、キリコは休まずバイトに出かけていく。それにはワケがあった。2年先輩の、「男の子」という形をしたワケが。
 それがもとで、キリコとキーちゃんはちょっとした喧嘩になった。キリコのバイト先のスーパーへ、彼女の密かな憧れの人を覗きに行ったキーちゃんが、お腹がよじれるほど大笑いをしたのだ。

 キリコは口をとんがらせて私に訴えた。
 「そりゃ、イソザキ先輩はたしかに顔は不細工だよ。でもあんなに笑うなんてひどいよ! しかもキーちゃん、私の大事なクマのプーのクッションの上で、この間、オナラしたんだよっ!」

 こういう話を真顔で聞く身も、なかなか辛いものである。「それじゃ正真正銘のプーさんだね、アハハ」などと、最悪のタイミングで笑ってしまったりしては、いけない。

 秋がきて、冬になったが、彼女の「イケテル湘南ガール」になる目標も、世界のボディーボーダーを目指す夢も、頓挫したままだ。ボディーボードではどうも生活できそうにないと急に悟ったらしく、進路についての命題も、振り出しに戻ってしまったようである。

 このところの彼女は、自分は何のために生きているのだろう、この先どうなっちゃうのだろうなどと、珍しく深刻なことも呟くようになった。そういう時の茶髪アタマは、つむじのあたりが、なんだかとても幼なげで頼りない。

 学校の往復とアルバイトを軸に繰り返される毎日。プリクラ、コンビニ、ファミレス、友だちとのバカ騒ぎ。部屋でテレビを見ていないときは、ドライヤーやマニキュアや毛穴パックを手に、二時間でも三時間でも、鏡をのぞきこんで過ごす。
 そのようすさえ、借り物の羽やら触覚やらをとっかえひっかえ身につけては、どんな成虫になったものかと迷っている幼虫のようだ。

 一回きりの人生なのだから、若いうちは、好きなこと、やりたいことをやりなさい。大人はよくそんなふうにいう。だがその、本当にやりたいこと、損得抜きで夢中になれる対象を見つけることこそ難しい。
 二十代になっても、三十代になっても、自分が何者なのか、本当はどこへ行きたいのか、途方にくれる人は珍しくない。高校時代に人生の目標と出会える幸運な人間など、いったいどれほどいるだろう。少なくとも私の16歳は、将来のことなど五里夢中だった。

 いいではないか、ゆっくり歩けば。
 人生の選択を他人まかせにしないこと。結果をきちんと受け止めること。たくさん挫折や失敗をして、何度でもやり直すこと。
 それ以外に、人間が成長する道なんてありえるだろうか?

 先が見えないのは不安だ。回り道をするのも、とっても辛い。でも、回り道をした分だけ、きっとあなたの足は強くなる。ゆっくりと、ゆっくりと、大人になろうね。



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