落し物は何ですか
外出先からの帰り道、財布を落としてなくした。
考え事に気をとられ、このところ、ぼんやりしているのだ。「探し物は何ですか」の歌の歌詞を地で行くように、机のなかも鞄のなかも探し回るが出てこない。情けなくて、腹立たしくて、キャアキャア叫んで駆け回りたくなる。
しかしここでパニックに陥っては、いよいよろくなことはない。そこで感情をグッと抑え、落ち着け、落ち着けと、懸命に自分に言い聞かせる。
いくら愚かでも、あんたは一応大人なのだから、
これしきでトリミダシてはいけない。
起きてしまったこととスッパリ割り切って、
たんたんと後始末をしなさい、タンタンと。
とはいえ、財布をなくすと、ものすごくやっかいなことになる。財布に入っているのは、現金だけではないからだ。
私の財布にも、キャッシュカードとクレジットカードがすべて入っていた。
すぐに口座をクローズし、カードの再発行の手続きに奔走する。カード決済をしていた支払い先にも、いちいち連絡し、カード番号の変更手続きをしなくてはならない。
財布にはまた、2種類の家のカギも入れてあった。防犯上はドアのカギを総交換するに越したことはない。だが、それではお金がかかりすぎるので、財布をなくした翌日、すぐに新しい合鍵を作った。それだって、目が飛び出るような料金をとられたのだ。
「申し訳ありませんが、こちらは電子ロックですから、どうしてもお高くなるんです」
そうカギ屋に言われても、ニッコリなんてできない。逆上せずにお札を出すのが精一杯だ。誰も恨めないし、八つ当たりだってできない。悪いのは全部自分なのだから。
ぼんやりしていた自分が、私はほとほと許せない。だから大小2つのカギも、金輪際、財布に入れるような横着なことはしない。
カギ屋を出たその足で、フォールド式の革のキーホルダーを買い、新しいカギを金具にきちっと留めつけた。
さらに念には念を入れ、100円均一ショップでコード付きクリップを買って、キーホルダー自体もバッグにしっかり固定した。
それから同じ100円ショップで、2個ひと組の小さな鈴を2組買った。色も音色も少しずつ違うその1組をキーホルダーに、もう1組を新しい財布に付けるのだ。
これで万全。二度と同じミスはしない。もし万が一落としても、今度は必ず気づくはずだ。
ダサくたって構わない!
「かっこワルッ!」
私の新しい装備について、キリコは極めて単刀直入な感想を、一言に凝縮して言い放った。
「何その、ビローンとした青いコードみたいなの」
「これは私の‘覚悟’なの! こうやってクリップを付けてバッグに留めておけば、もう絶対に落とさない」
「あらら、鈴まで付けちゃった? ダサッ!」
「ダサくてもいい!」
私の形勢不利を見てとったキリコは、ホクホク顔でここぞとばかりに追い討ちをかける。
「その新しい財布もさぁ、1000円均一のワゴンセールとかで買ったでしょ」
「・・・」
「ほらね! 安っぽいからすぐわかる」
「私だって…、私だって、好きでこんなの買ったんじゃないもん!」
私はだんだん悲しくなってきた。
なくした財布は上等の黒い本革で、まだ新品同然だった。滑らかなその手触りも、小さな金のバックルがついたシンプルなデザインも、どんなに気に入っていたことか。そのうえ中の仕切りもたくさんあって、本当に使いやすかったのだ。
あの財布が他人の手におち、中身を抜き取られたあげく、道端に放り出されているかと思うと、想像しただけで胸が潰れそうになる。臭いドブか、雑草だらけの茂みに捨てられたかもしれない。
今ごろは、見る影もなくみすぼらしくなっているに違いない。
欠けた茶碗や、ゴミや、壊れた人形と一緒に泥にまみれ、変わり果てた姿で転がっているだろう私の大事な財布。
雨風にさらされ、虫が這いまわるなかで、誰の目にもとまらずひっそり朽ちてゆく、あのきれいな私の財布。
不覚にも涙ぐむのを見て、キリコが慌てて言った。
「でも、いいじゃん! 安い財布なら、今度はなくしても惜しくないもんね」
「ん。だけど私、お金なんかどうでもいいから、あのお財布だけは返して欲しかったの。あれが永久に戻ってこないのが悲しい…」
キリコは気の毒そうにため息をついて、しんみりと慰めてくれた。
「しょうがないよ。カードを使われなかっただけでも、不幸中の幸いだったと思うよ。現金はそんなに入っていなかったんでしょ?」
え? 私は顔をあげた。
いや、現金は入っていたのだ。普段は必要最小限しか持ち歩かないが、あの日に限って、銀行からお金を下ろしたばかりで、相当額が入っていた。
警察に落し物として届かないということは、財布を拾った人間が、これ幸いと現金をネコババしてしまったはずだ。
軽薄なニヤケ顔の若者か、こずるげな大人か、酔っ払いか。どこの誰だか知らないが、恥を知れ! 正直という言葉を聞いたことがないのか! 良心は痛まないのか!
汗水流して稼いだ私の生活費が、どこかのろくでなしの飲み食いや、遊興費に消えてしまったかと思うと、がぜんムカッ腹が立ってきた。
「やっぱり許せない! くやしいぃぃぃ! ぜったいバチをあててやる〜!」
あっけにとられているキリコを尻目に、情けなさと腹立たしさとで、少し遅まきながらも、私は思い切りキャアキャア駆け回ったのだった。
End of Vol.22
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