Vol.22 12/Dec./03

落し物は何ですか


 外出先からの帰り道、財布を落としてなくした。

 考え事に気をとられ、このところ、ぼんやりしているのだ。「探し物は何ですか」の歌の歌詞を地で行くように、机のなかも鞄のなかも探し回るが出てこない。情けなくて、腹立たしくて、キャアキャア叫んで駆け回りたくなる。

 しかしここでパニックに陥っては、いよいよろくなことはない。そこで感情をグッと抑え、落ち着け、落ち着けと、懸命に自分に言い聞かせる。

 いくら愚かでも、あんたは一応大人なのだから、
 これしきでトリミダシてはいけない。
 起きてしまったこととスッパリ割り切って、
 たんたんと後始末をしなさい、タンタンと。

 とはいえ、財布をなくすと、ものすごくやっかいなことになる。財布に入っているのは、現金だけではないからだ。

 私の財布にも、キャッシュカードとクレジットカードがすべて入っていた。
 すぐに口座をクローズし、カードの再発行の手続きに奔走する。カード決済をしていた支払い先にも、いちいち連絡し、カード番号の変更手続きをしなくてはならない。

 財布にはまた、2種類の家のカギも入れてあった。防犯上はドアのカギを総交換するに越したことはない。だが、それではお金がかかりすぎるので、財布をなくした翌日、すぐに新しい合鍵を作った。それだって、目が飛び出るような料金をとられたのだ。

 「申し訳ありませんが、こちらは電子ロックですから、どうしてもお高くなるんです」

 そうカギ屋に言われても、ニッコリなんてできない。逆上せずにお札を出すのが精一杯だ。誰も恨めないし、八つ当たりだってできない。悪いのは全部自分なのだから。

 ぼんやりしていた自分が、私はほとほと許せない。だから大小2つのカギも、金輪際、財布に入れるような横着なことはしない。
 カギ屋を出たその足で、フォールド式の革のキーホルダーを買い、新しいカギを金具にきちっと留めつけた。

 さらに念には念を入れ、100円均一ショップでコード付きクリップを買って、キーホルダー自体もバッグにしっかり固定した。
 それから同じ100円ショップで、2個ひと組の小さな鈴を2組買った。色も音色も少しずつ違うその1組をキーホルダーに、もう1組を新しい財布に付けるのだ。

 これで万全。二度と同じミスはしない。もし万が一落としても、今度は必ず気づくはずだ。


ダサくたって構わない!



 「かっこワルッ!」

 私の新しい装備について、キリコは極めて単刀直入な感想を、一言に凝縮して言い放った。

 「何その、ビローンとした青いコードみたいなの」
 「これは私の‘覚悟’なの! こうやってクリップを付けてバッグに留めておけば、もう絶対に落とさない」
 「あらら、鈴まで付けちゃった? ダサッ!」
 「ダサくてもいい!」

 私の形勢不利を見てとったキリコは、ホクホク顔でここぞとばかりに追い討ちをかける。

 「その新しい財布もさぁ、1000円均一のワゴンセールとかで買ったでしょ」
 「・・・」
 「ほらね! 安っぽいからすぐわかる」
 「私だって…、私だって、好きでこんなの買ったんじゃないもん!」

 私はだんだん悲しくなってきた。

 なくした財布は上等の黒い本革で、まだ新品同然だった。滑らかなその手触りも、小さな金のバックルがついたシンプルなデザインも、どんなに気に入っていたことか。そのうえ中の仕切りもたくさんあって、本当に使いやすかったのだ。

 あの財布が他人の手におち、中身を抜き取られたあげく、道端に放り出されているかと思うと、想像しただけで胸が潰れそうになる。臭いドブか、雑草だらけの茂みに捨てられたかもしれない。
 今ごろは、見る影もなくみすぼらしくなっているに違いない。

 欠けた茶碗や、ゴミや、壊れた人形と一緒に泥にまみれ、変わり果てた姿で転がっているだろう私の大事な財布。
 雨風にさらされ、虫が這いまわるなかで、誰の目にもとまらずひっそり朽ちてゆく、あのきれいな私の財布。

 不覚にも涙ぐむのを見て、キリコが慌てて言った。

 「でも、いいじゃん! 安い財布なら、今度はなくしても惜しくないもんね」
 「ん。だけど私、お金なんかどうでもいいから、あのお財布だけは返して欲しかったの。あれが永久に戻ってこないのが悲しい…」

 キリコは気の毒そうにため息をついて、しんみりと慰めてくれた。

「しょうがないよ。カードを使われなかっただけでも、不幸中の幸いだったと思うよ。現金はそんなに入っていなかったんでしょ?」

 え? 私は顔をあげた。

 いや、現金は入っていたのだ。普段は必要最小限しか持ち歩かないが、あの日に限って、銀行からお金を下ろしたばかりで、相当額が入っていた。

 警察に落し物として届かないということは、財布を拾った人間が、これ幸いと現金をネコババしてしまったはずだ。
 軽薄なニヤケ顔の若者か、こずるげな大人か、酔っ払いか。どこの誰だか知らないが、恥を知れ! 正直という言葉を聞いたことがないのか! 良心は痛まないのか!

 汗水流して稼いだ私の生活費が、どこかのろくでなしの飲み食いや、遊興費に消えてしまったかと思うと、がぜんムカッ腹が立ってきた。

 「やっぱり許せない! くやしいぃぃぃ! ぜったいバチをあててやる〜!」
 
 あっけにとられているキリコを尻目に、情けなさと腹立たしさとで、少し遅まきながらも、私は思い切りキャアキャア駆け回ったのだった。


End of Vol.22

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