父
【2】
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お通夜も告別式も内輪でというつもりが、訃報は人づてに伝わって、最終的には100人を越える方々に参列していただいた。
懇ろに身だしなみを整えられた父は、自慢したくなるほど立派だった。
肉体を脱ぎ捨てた魂は、すでに家族の元へ戻っている。そう信じているから、流した涙は父とのというより、過去との惜別の涙に近い。もう着ることもない思い出の服、今は住む人もない昔の我が家、そんなものに対する郷愁とどこか似ていた。
父との思い出は、必ずしも楽しいものばかりではなかった。
子ども時代の私にとって、父は畏怖の対象だった。手放しで甘えることなど考えられないほど、彼は昔ながらの家長だったのだ。
若い頃はおそろしく短気だったから、母の話を半分聞いて怒り出すこともしばしば。よく大声で怒鳴ったし、気に入らないと物を投げ、食卓をひっくり返した。母に手を上げたことも、一度や二度ではなかったようだ。
そんな父のカンシャクから、母を守るのが自分の使命のように思って私は育った。家庭内の問題が発生すると、父にどう話そうか、あるいは父の耳に入らぬよう、どう密かにカタをつけようかと、母と私は戦々恐々として知恵を絞るのだ。
よその子が、「パパのほうがママより優しい」と話すのを聞いて、世の中にはそういうお父さんもいるものなのかと、子ども心に心底驚いた。
思春期の私には、父は理不尽な暴君、保守的な事なかれ主義者、そして何より、自由を阻む障害物だった。
反抗心は滓のように鬱積していった。同じ年頃の娘たちのように、父親に物や小遣いをねだった記憶は一度もない。むしろ経済的に父の世話になることや、どんな形であれ、父に借りを作ることを、私は極端に嫌った。
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堅実、安定、秩序を厚く信奉する父は、娘がそこそこの教育を受けたのち、手堅い会社に勤め、早い時期に結婚して人並みに家庭に落ち着くことを望んでいた。血を吐くような思いも、熱狂もない、平かで淡々としたまっとうな人生を。
そんな期待をこれ見よがしに裏切って、私は高校を終えるのを待ちかねて社会に飛び出した。大学へも行かず、十代の終わりから転職を繰り返しながら外国を旅し、‘自分探し’というものに懸命になった。
父の目には、根無し草のように映ったことだろう。だが彼は、私との直接対決をなぜか避けた。代わりに、「あいつは何を考えているのかわからん」と、しきりに母にこぼしていたという。
私の身体の内には、自分でも手におえないほど、得たいの知れない風が吹き荒れていた。その風に乗って力尽きるまで飛んで行けるなら、どこで朽ち果てようとかまわない。
知らない土地、知らない人々、聞いたこともない言葉、見たこともない風景、どこかで自分を待ち受けている何か。
そんなものに、私は焼け付くようにこがれた。窓の外に広がる未知の世界に、ただ憧れるだけの人生など、とても考えられなかった。
やがてわずかな資金を貯えて、数年間、日本を離れることを決めたとき、父の了解だけは得ておきたいと思った。黙って家を出るのは、フェアではないと考えたからだ。
面と向かって話せば、話の途中で決裂するのは目に見えていた。勘当くらいは覚悟していても、あとあと母に当り散らされるのは困る。迷った末に、長い手紙を書いて、父の枕もとに置いた。
翌朝、父はポツリと言った。「わかったから、気をつけて行って来い」
父との関係において、振り返るとあれがひとつの転機になったように思う。
およそ4年を経て日本に戻ったあと、私は最終的にフリーランサーという道を選んだが、父は反対しなかった。そういう生き方もこれからはあるのだろうと、誰にともなく呟くのを、私は静かに聞いていた。
あれからずっと、経済的にも、社会的にも、私は安定とは無縁の世界を生きてきた。決まって一匹狼のような男と、結婚に結びつかない恋に落ち、今も汲々としながら、平坦とはいえない道を歩いている。それを悔やんだことは、ない。
晩年の父は、孫たちが可愛くてならない好々爺に変身した。
あれこれと世話をやいては、「おじいちゃんウザイ!」などと煙たがられ、それでもニコニコ笑っている。カンシャクも3年に一度ほどの小噴火に減ったお陰で、父を交えた家族の会話は確実に増えた。
父の時間は穏やかに流れていた。
新聞を読んでいて、聞きなれぬカタカナ用語にぶつかるたびに、父は私に意味を訊ねた。
パソコンの操作がわからなくなったといっては、「ちょっとみてくれないか」と、遠慮がちに私のドアを叩いた。
「悪いな。お前の手が空いているときでいいからさ」−−−。
現役を退いて見る世の中の動きは、あまりにも目まぐるしく、価値観の変化も劇的だったに違いない。だが、彼はとまどいながらも、そうした変化を受け容れた。
そして何かを決断しなければならないとき、父は少し当惑したように私に言うのだった。
「今の時代はオレにはよくわからんよ。お前に任せるから、うまくやってくれ」
***
父の黒ぶち眼鏡を、母が大事そうにハンドバッグから取り出して、お骨の上にそっと載せた。
「あ、おじいちゃんになった!」
「ほんとだ、おじいちゃんだ!」
キリコとモモコが叫んで、みんなが笑った。私も笑った。笑いながら、父の声を聞いた気がした。
「あとはお前に任せるよ。みんなの面倒、みてやってくれな」
「だいじょうぶよ、安心して」
そう胸のうちで答えようとして、ふいに全身が震えた。
大海原にひとりぼっちで放り出されたような心細さに、私は完全に打ちのめされ、立ち尽くしていた。突然託されたこの小舟の舵を、これからどこへ向けて、どのように操っていけばいいのだろう。私には島影さえ見えないというのに。
自由な外海と自分を隔ててきた、いまいましい壁。その壁が崩れたとき、ささやかな防波堤をも失ったことを、経験したことのない孤独のなかで、私はゆっくりと悟っていた。
微かに煙草の匂いがした、父の懐の暖かさ。ザラザラした髭の感触。初めて泳ぎを習った夏、水中で私を受け止めた確かな二つの掌。台風の夜に父がいる心強さ。
はるかな過去の底から、記憶の断片が無数のスナップショットのように、とめどもなく湧き上がってくる。
大島の和服をりゅうと着こなしたお正月の父。
ほろ酔い機嫌で娘にワルツを教え込もうとした父。
イギリス滞在中の私をダシに、母を伴い二度もヨーロッパを訪れて、パリとウィーンがすっかり気に入ってしまった父。
長身で、お洒落で、颯爽とした彼は、欧米人の間に入っても、少しもひけをとらない。
そんな父と並んで外国の街を歩くとき、私は内心ちょっと得意でもあった。
人は誰しもいつかこの世を去る。そして親に老いの気配が忍び寄ると、子は嫌でもその日が来るのを意識し始める。それでもなお、いざ別れが現実となったとき、子どもは自分がいくつになっていても、たぶんきっと、心のどこかで思うのだ。
「もう少しだけまって。まだ、覚悟も準備もできていない」と。
End of Vol. 18
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