門限をめぐる攻防
夜中の12時半過ぎ、キリコがまだ戻らない。アルバイトに出かけるとき、今日は遅番シフトだと言っていた。遅番のときは、門限を12時半と決めてある。高校生の門限が12時半であること、それ自体も腹立たしい。
家から15分ほどのところにあるハンバーガー屋で、アルバイトを始めて1年半。古参格になったキリコは、遅番シフトにも回るようになっている。遅番は夜10時の閉店までを担当するのだが、帰宅は当たり前のように12時を過ぎるのだ。
「10時に仕事が終わるのに、なんで帰ってくるのが12時なのよ!」
「だって閉店のあと、お店やキッチンを全部掃除して、明日の準備をしなくちゃならないんだもん。油の処理から床磨き、消毒までやるからすっごくたいへんなんだ。人数が少ないときなんか、1時間半とか、2時間とか、かかるんだよ。それから着がえて帰ってくると、この時間になっちゃうの。遊んでるわけじゃないよ」
ぐったり疲れた様子を見れば、嘘をいっているのではないことはわかる。
そんなバイトは辞めてしまえ。
いや、せっかく仕事を覚えたし、責任も持たせてもらっている。スタッフもバイト仲間もいい人たちだし、夏休みにしっかり稼いで、来年の卒業旅行のお小遣いを稼ぎたいから辞めたくない。
さんざんやりあって、話し合った末、私はしぶしぶアルバイトを続けることを認めた。ただし門限は12時半。閉店後の後片付けにどんなに時間がとられても、じゅうぶん守れるはずだ。
「わかった。2学期が始まったら、遅番は控えるようにするよ。私も3年生だし、勉強もあるからさ」
こうして始まったのだが、キリコはたびたび門限を破り、その都度、私の目は釣り上がる。12時35分、40分という微妙な時間に戻ってきては、「今日は新入りのバイトの子がトラブっちゃって、終わってからつい、みんなで話し込んで遅くなった」などと、まずかったなという顔で言い訳をするのだ。
「どうしても事情があるときは、必ず電話を入れなさい。今度無断で門限を破ったら、電気を消して、ドアにはカギとチェーンをかけるからね」
「うん。でもさ、ほかのバイトの子はみんな、高1の子だって門限なんてないよ。うちだけだよ、厳しいのは!」 キリコは不満げに本音を漏らす。
「それはお気の毒。ま、私の姪に生まれたのが、不幸だったと諦めなさい。第一、子どもが夜中に外に出ていて平気だなんて、そっちのほうがおかしいと思わない?」
「でもさ、何で12時半ならよくて、1時じゃだめなの?」
「どこかでセンを引かなきゃ、ズルズルになるでしょ。とにかく決めた以上は守りなさい。信義にもとるような行動をしてはいけない」
「シンギニモトルって?」
「人の信頼を裏切ったり、誠意につけ込むようなことをするな、ってこと! 12時半で文句があるなら、門限9時にしたっていいんだからね!」
それでもキリコは、バイト仲間とのおしゃべりに夢中になって門限を忘れ、連絡も怠りがちになる。
私は烈火の如く怒り、門灯を消し、ドアのロックもチェーンもかけるのだが、そうすると、私の父がこっそりチェーンを外し、カギを開けてしまうのだ。
「私はキリコのことを考えて厳しくしてるの! 痛い思いをさせないとわからないんだから、邪魔しないでよ」と怒鳴っても、「締め出しちゃったら、かわいそうじゃないか」と、孫にデレデレの父は、バツが悪そうにとりなすのだった。
深夜のコンパ
1時になってもキリコからは何の連絡もない。
私は彼女の携帯電話の番号を回した。「もしもしぃ?」と、のんびりした声が出るなり、「何時だと思ってんの!」と怒鳴りあげる。
「え? だって今日はバイトのあと、今日で辞める子の送り出しコンパがあるから遅くなるって、あたしヨーコちゃんに言ったよ」
「聞いてない!」
「言ったもん!」
そんな話を聞いた覚えはないが、ここで怒鳴りあっても始まらない。
「それで? 何時に帰るつもり?」
「いま始まったとこだから、たぶん、2時くらい…。気をつけて帰るからだいじょうぶだよ。バイトの子はみんな、社員さんの車で送ってもらうから」
「いま始まった」だあ? 夜中の1時じゃないか!
それに送ってくれる「社員」とは何者なんだ? 車を運転するその彼だか彼女だかは、コンパの席で、一緒になって飲んでいるんじゃないのか?
喉まで出かかったが、再度、今ここで怒鳴っても始まらない。「とにかく早く切り上げて帰ってきなさい」とだけ言って、電話を切った。
ハンバーガー屋には休みがない。いつでも誰かがシフトに入っているから、全員そろうことができない。だから閉店後、未成年が混ざっていようが関係なく、夜中の1時からコンパをやる。仲間うちでは何の疑問もないし、それが非常識だとは夢にも思っていないのだろう。
イライラ待っているうちに、2時になった。
2時15分になり、そして2時30分。
電話が鳴った。
「あのね、これから2次会があるんだ。カラオケ…。みんな行くの。あたしも行きたい。行ってもいい?」
何かが頭のなかでプチッと切れた。
「あ、そう。もう二度と帰ってこなくていい。 朝まで歌ってなさいっ!」
答えをまたず、私は受話器を叩き付けた。
「うるさくない親」の頭の中って?
それから15分後、キリコは戻り、おそるおそる私の部屋を覗き込んだ。
「ヨーコちゃん、ごめんなさい。もうしません」
「今日のことはもういい。でも、明日、本社に電話をします」
「え?! 何を話すの?」
「こんな深夜のコンパを、社員が率先してやるとはどういうことなのか、会社に質します」
それだけは止めてくれと、キリコは半ベソですがったが、私は自分の言葉どおり、翌日、その有名ハンバーガー・チェーンのヘッドオフィスに電話をかけた。
「子どもが勝手に遊んでいて遅くなったのなら話は単純です。子どもをとっちめればいいだけですから。でも夜中の1時からのコンパを社員が企画し、未成年のバイトも交えて2時3時まで騒ぐとなると、それはもうお店の催しです。これは御社では当たり前なのでしょうか? 万一何かの事故や事件に巻き込まれた場合、誰がどう責任をとってれるのですか? お考えを聞かせてください」
人事のササヤマ部長はたいへん驚き、とんでもないことだと言った。
「保護者の方が怒られるのは当然です。私にも高校生の娘がいますが、もしこんなことがあれば、ケツを蹴飛ばして、すぐにバイトを辞めさせます」
それから、店長を呼んで詳しい事情を聞き、厳重に注意をするので、キリコのバイト先の店舗を教えるように言ってきた。が、そこは武士の情け、今回はお店のある県名を伝えるだけにしておいた。「厳しいのはうちだけだから、絶対にあたしがチクったと思われるよぉ」と、泣きそうになっていたキリコの顔が浮かんだのだ。
「店長会議にかけ、各店舗にも通達を出して、二度とこうしたことがないよう徹底させる」と、ササヤマ部長は約束してくれた。「もしまた同じようなことがありましたら、今度は遠慮なく店舗名を教えてください。私が責任をもって対処しますから」。
コンビニの前で、駅の広場で、明け方までたむろする高校生の群。「うちみたいにうるさくない」親たちは、いったいどう考えているのだろう? 皮肉な意味ではなく、私は彼らの意見を本当に聞いてみたいと思った。
本当は、門限を決めることだって私は嫌なのだ。自分だけおもしろいことから切り離され、これからというとき家に帰らなければならないのは不満だろう。キリコの気持ちはよくわかる。私も9時10時は宵の口、という青春を過ごしてきたのだから。
だが、今はまだ、キリコは大人の保護下にある。そして彼女に対する責任を委ねられているのは、ほかならぬ私なのだ。
夜の街では、若い子が巻き込まれる悲惨な事件があとを絶たない。被害者になった子たちだって、自分はだいじょうぶと、直前まで軽く考えていたはずだ。
泣こうが嘆こうが、私はキリコをそんなリスクにさらすつもりはない。けじめも厳しさもない野放図な生き方が、自由だなどと思ったまま、大人になってもらいたくない。
かくしてまだしばらくは、門限をめぐる攻防が続くのかと思うと、私もキリコ以上に気が重くなるのである。
End of Vol.15
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