子どもの風景(2)
「悪い子」なんかじゃない
このことがあってから、モモコはほんの少し変わった。人を寄せ付けない「かたくなさ」がいくらかほぐれた感じがする。
代わりに始まったのが、軽い赤ちゃん返りだ。わざと幼児言葉を使う。仕事中の私の膝に座ってかまってもらいたがる。おんぶやだっこをせがむ―――。私はすべてやりたいようにやらせ、それに付き合って過ごす状態が2週間ほど続いた。
うちへきたその日から、モモコは文字通り私の部屋で、24時間私と一緒に暮らしている。
食事の支度をするのも、オヤツを作るのも一緒なら、もちろんそれを食べるのも、お風呂に入るのも一緒だ。夜はベッドサイドで本を読み聞かせ、眠りにつくまで30分でも1時間でも、子守唄を歌うのが習慣になっていった。
モモコは大きな声で笑うようになった。夜中に何度もうなされて、泣いたり騒いだりすることも、以前よりは減ってきた。次は「学校へ行っていない」ことへの罪悪感を、彼女のなかから拭い去らなくてはならない。
人から言われるまでもなく、学校へ行かない自分は悪い子どもだと、モモコは絶えずうしろめたく感じている。だからいつまでたっても、玄関のチャイムが鳴るたびに飛び上がって身を隠す。人目を避け、日中は一歩も外へ出ようとしない。
「だってみんなすぐ、『今日は学校休みなの?』って言うんだもん」
これでは遅かれ早かれ、引きこもりになってしまう。学校へ行くも行かないも、‘それ自体’は、善悪で語られるべきことではない。何の解決にもつながらない偏った罪悪感など、さっさと捨てることだ。それが結局、子どもなりに問題の本質と冷静に向き合うための早道だと私は思う。
「じゃあ、今度だれかに聞かれたら、大きな声で言ってごらん。『そうで〜す。今日は学校はお休みで〜す、エヘへ!』って」
モモコは目を丸くした。
「そんなこと、言えないよ。言ったらもっといろいろ聞かれちゃう」
「そうでもないと思うよ。『今日は学校休み?』って大人が聞くのはね、『お元気ですか?』と同じようなものよ。相手があまり‘お元気’じゃなくたって、たまたまその子が学校へ行ってなくたって、べつに誰もなんとも思わない」
「そうかなぁ…」
「そうよ。だいたい、病気になれば誰だって会社や学校を休むでしょ? モモコみたいに気持ちが疲れたときも、休みは必要よ。太鼓判を押してあげる、モモコはちっとも悪いことなんかしていない。だから堂々としていなさい。せっかく長い休みがとれたのに、クヨクヨしてたらつまらないじゃない」
「うーん、やってみようかなぁ…」
それから間もなく、土曜の午後や日曜日を選んで、彼女はそろそろと探るように、私にくっついて外に出るようになり、そのうち平日の昼間にも、買い物について来るようになった。
そんなとき、お店の人から「学校は?」の声がかかることがあっても、私は知らん顔をしている。子どもは仕方なく、「今日はちょっとお休みで」などと、蚊の鳴くような声で答えている。もちろん相手は深く追及しないし、気にとめるふうもない。それがわかるにつれ、モモコはだんだんと、頭を上げて話せるようになっていった。
ドアのチャイムに飛び上がることも、今はもうない。私が手を離せないときは、代わりに宅配の荷物を受け取ったりもしている。
「あれ? 今日は学校休みなの?」
「え、まあ…」
「はい、じゃあ荷物をここにおきますね。どうも〜!」
そんなやりとりが玄関先から聞こえてくる。一人で近所のおつかいに行けるようになるにも、そう時間はかからなかった。
「お昼ごはん、サンドイッチを作りたいの。あたし、ハム買って来てもいい?」
「いいけど、肉屋のおじさんが、『学校は?』って聞くかもよ?」
「『今日はお休みです、エヘッ』って言うから、平気、平気!」
そう叫んだかと思うと、もう自転車を引っ張り出して、あっという間に走って行ってしまった。
変化のきざし
12月になった。クリスマスの賑わいに誘われて、私はモモコと横浜の「みなとみらい」へ出かけた。
数カ月ぶりの遠出に、モモコは朝から興奮しきっている。もう冬休みに入っていて、子どもたちもたくさん街に出ているから、大手を振って外にいられる。そのことも、彼女の開放感を倍増させるのだろう。
桜木町の駅を降りるなり、モモコはつないでいた私の手をほどいて、ランドマーク・タワーへ続く道を一気に駆け出した。それから弾むようなスキップで戻ってきて、
「うれしいな、うれしいな! こんなところへ来るの、本当に久しぶりなんだもん」
冷たい風に頬を紅潮させ、感極まったように言うのを聞くと、この子は本当に辛い時間を過ごしていたのだと、改めて胸が熱くなった。
あちこちに飾られた大きな美しいツリーをモモコはうっとりと見上げ、キャロルのライブに聞きほれ、おもちゃ屋やファンシーショップを片っ端から覗いて大はしゃぎだ。お洒落なレストランで食事をし、デパートの買い物袋をいくつも抱えて帰る電車のなか、モモコは疲れて眠たげだったが、同時に、クリームをたっぷり舐めた子ネコのように幸せそうに見えた。
モモコは確実に落ち着いてきている。そろそろ学校アレルギーを克服できるかもしれない。
彼女は私の子ども時代の話を聞くのが好きで、夜、ベッドの中でぬくぬくとしているときなど、よくお話をねだる。リクエストに応えるなかで、私はときどき、わざと自分の小学校時代の話を織り交ぜるようにしていった。
モモコははじめ、カレーライスのなかから嫌いな人参だけをつまみ出すように、「その話はやめて」、「何か違う話をして」と、やんわり拒絶する。
だがそれにはおかまいなく、学校、先生、クラスメートといった言葉を散りばめ、私はひたすら楽しげに話し続けた。「この人が何かに熱中しているときは、何を言ってもムダだ」とよくご存知の子どもは、あきらめ顔で耳を傾けている。
こちらとしては、「だから学校は楽しいところだ」とか、「だからモモコも学校へ行った方がいい」という結末にはつなげないように、これでも神経を使っているのだ。
この試みは、予想外に展開した。
私の話につられるように、モモコはふとした拍子に、自分から学校や友だちの話をするようになったのだ。
以前、クラスの男の子がね、ふざけて鼻にBB弾を詰めたら、とれなくなって大泣きしたの。
2年生のときの先生はね、いつも授業を脱線しておもしろい話をしてくれたよ。みんなすごく笑っちゃった。
男子が掃除をサボるから、女子が団結してやっつけたの。男の子たちね、本気でこわがってた。おもしろかったなあ。
アリサちゃんやユカちゃんたちと、ポケモンカードの交換をしていたの。すごくたくさん集まって、私、みんなからうらやましがられたんだ。
楽しかったこと、愉快だったことが、どんどん出てくる。
「ふうん、学校って、ヤなことばかりじゃないんだねぇ」
そう言ったのは、私のほうだ。ある夜の、お風呂の中での会話である。
「うん、まぁ、そうなんだけどね」と応じたモモコは、湯船のなかでしばらく考えこんでいたが、やがてポツリと言った。
「ねえ、ヨーコおばちゃん。なんで学校へ行かなきゃならないのかなあ」
<次のページへ続く>
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