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おばあちゃんと一緒(2)
長寿が幸せでない風景
祖母が入院している病院には、高齢者がたくさんいる。痴呆が入っている人も少なくない。あくまでも外科の医院だから、病院にしてみれば、治療が終われば早くベッドを開けてもらいたい。だが、自宅介護ができない家庭が多くて、老人たちを引き取れないのが現状だ。
片道3時間かかる病院へは、私はなかなか行くことができない。それでも叔父夫婦や私のいとこが毎日訪ねて、細々と心を砕いてくれる祖母は幸せだ。多くの老人は、滅多に家族の見舞いもないまま、長い一日を天井を見つめて過ごしている。
自分がなぜ家から離れて「ここ」にいるのか、まったく状況が飲み込めていない高齢者も数多い。だからみんな異口同音に、「帰りたい。私はどうなるのだろう」と、しきりに不安を訴える。
おむつをさせられる屈辱にも納得がゆかず、尿意を催すたびに、「トイレに行かなくては」とパニックになる。
以前、祖母と同室だったS夫人は、日曜日を待ちわびていた。祖母の見舞いに訪れた私に、「今日は何曜日でしょう?」と幾度もたずねる。そのたびに、「今日は日曜日ですよ」と答えていたが、夕方になってわけがわかった。日曜日には、会社が休みの息子が顔を見に来るのだ。
夕方遅くにやってきた若夫婦は、そそくさと部屋に入ってきて私に会釈し、母親のベッドの足元に洗濯物の紙袋を置くと、ひと言、ふた言言葉をかけ、またそそくさと帰っていった。それでもS夫人は日曜日が待ち遠しくてならない。
いま祖母と同じ部屋にいるM夫人は、老人ホームから入院してきている。ホームが派遣する業者が、日に一度、洗濯物を取りに来るが、若い集配人は「ちわ」とやって来て汚れ物の袋をピックアップし、洗濯済みの袋を置いて「まいど」と出て行くだけだ。
淋しさと不安とで、M夫人はしばしば騒ぎを起こす。か細い声を張り上げて、「助けてくださあい!」と叫び続けたり、ベッドの上のものを手当たり次第床に投げ捨てては、見回りに来た看護婦に怒られている。
これがあまり続くと、「イタズラ」ができないように、両手を紐でベッドの枠に固定されてしまうのだ。
祖母の病室を訪ねれば、いやでもM夫人のことが気にかかる。祖母がひとりで機嫌よくしているときには、夫人の枕もとに椅子を引き寄せ、少しばかり話し相手を買って出たりもしてみる。
「ああ、ああ、私はどうしたらいいんでしょう? 教えてください」
若い頃は上品な奥様だったに違いない彼女は、切羽詰ったように訴える。
「だいじょうぶですよ。元気になるまで、もう少しここでのんびりしましょう」
「イヤよ、イヤよ! 家に帰りますから、車を呼んでくださいな」
「わかりました。いまタクシーを呼びましたよ」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「タクシーが来るまで、歌でもうたって待っていましょうか」
小学校で習った「もみじ」や、うろ覚えの「リンゴの歌」を、これなら知っているだろうと歌うと、S夫人はちょっと面食らったように私を見て、やがてつられて小さな声で一緒に歌いだした。
手を握ってあげると安心するらしい。祖母のと同じ、シミだらけで静脈が浮いた細い手。子どもを育て、家族の世話をしてきた、働き者の手だ。
気がつくと、祖母のベッドからも、「てるやまモミジ」と声がしている。はたから見たら、さぞかし不思議な光景だろう。
「Mさんは少し変わっていますから、放っておいてくださいね」と、看護婦さんが申し訳なさそうに言う。
病院の職員は、みんな本当に忙しいのだ。ちょくちょく見舞いに来られない家族にも、それぞれの事情があるのだろう。悪い人など誰もいない。だから余計にやりきれない。
痴呆や寝たきりの老人の介護には、家族、医療関係者、カウンセラー、それに、交代体制がとれる複数のヘルパーやボランティアなど、本当は一人につき6〜7人のケアチームが必要だと私は思う。
もちろん現実と理想のギャップはわかっているが、長寿が幸せを意味しないとしたら、この国の将来は、いったいどうなるのだろう?
お土産みっつ、タコみっつ
人なつこいところのある祖母は、病院でも可愛がってもらっているらしい。車椅子に彼女を乗せて院内を散歩していると、顔見知りの介護職員がニコニコと声をかけてくれる。
ところが困ったことに、彼らは必ず、そして何度でも祖母に聞くのだ。「こちら(私)どなた? 紹介してよ」と。
車椅子を押す私が何者かと聞かれても、祖母には答えられない。そして答えられない自分に混乱して、明るかった気分が落ち込んでしまう。めぐりが悪くなった脳を刺激して、考えさせようという善意はありがたいが、少なくとも祖母に限っては、よい効果があると思えないのだ。
そこで私はバレーボールのブロッカーよろしく祖母の前に立ちふさがり、相手に向かってさっさと自己紹介をしてしまうのである。出鼻をくじかれた相手は、気を取り直して祖母にまた別の質問をしてくる。
「あらそう、お孫さんなの。いいわねぇ。で、お孫さんは、いついらっしゃったの?」
祖母にはやはり答えられない。「さぁ、いつだったかしら・・・」と呟いたきり、途方に暮れて私の顔を見上げている。ええい、もう一度助け舟だ。
「おばあちゃんを驚かそうと思って、私、こっそり来たのよ。アハハ、びっくりした?」
とたんに祖母の顔から霧が晴れた。
「なんだそうなの。やな子だねえ! 内緒で来るから、全然気がつかなかったわ」
自分のなかでツジツマがあったことに彼女はほっとし、自信をもったのだ。「この人はいたずらで困る」と、職員に向かって嬉しそうに弁解している。
こんなやり方がいいのか、悪いのか、私には全然わからない。祖母を少しでも陽気な気分でいさせてやりたい、ただそれだけだ。いったん不安にかられると、彼女は妄想にとらわれ、嘆きながら親兄弟を探して泣き続ける。ひとけがなくなる夜には、その傾向がいっそう強いという。
そんな祖母を残して病院を出るときは、タイミングが難しい。私が「帰る」ということは、自分は「置いて行かれる」ということだからだ。そこでいつも、「ちょっと買い物へ」、「ちょっとご飯を食べてくる」などと言って部屋を出ることにしている。それがうまくいけば、あとはだいじょうぶ。ものの30秒もたたないうちに、彼女は私がそこにいたことさえも忘れてしまうのだ。
「あんた学校は? 急がないと遅刻するわよ」
祖母はいま、学生時代の私を見ているらしい。
「あ、ほんと。じゃあ今から行くわ。おばあちゃんはゆっくり寝て待っててね」
「わたしは大丈夫。風邪をひかないように、暖かくして行きなさい」
機嫌よくそう答えて、早くもウツラウツラし始めた彼女に、「行ってきます」と小さく声をかけドアのほうへ向かう。そして思いついてベッドへ引き返すと、祖母の枯れ枝の手をとった。
「お土産みっつ、タコみっつ」
まどろみながら、祖母はふわりと笑った。おばあちゃん、じゃあ、またね。
この3年後、2001年の夏に、祖母はその人生に幕を下ろした。100歳での大往生だった。
End of Vol.13
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