Vol.13 11/Nov./98
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おばあちゃんと一緒(1)



祖母の入院



 私には祖母が一人いる。当年とって97歳。叔父一家と暮らしている。
 明治34年というから、西暦なら1901年。まさに20世紀の幕開けの年に、彼女は神戸の裕福な貿易商の家に生まれた。大家族と大勢の使用人に囲まれ、何不自由なく育てられたのも束の間、日露戦争のあおりで生家は没落。一家離散を味わっている。
 
 祖母の人生は、長い長い教員生活が中心だった。結婚後も、若くして離婚してからも仕事を続け、小学校の先生を定年まで勤め上げた。苦労には苦労だったのだろうが、苦手な家事に縛られるより、外で働いているほうがずっと性にあっていたらしい。思えば生粋の職業婦人なのである。

 私が生まれた頃には、祖母はゆとりの恩給生活に入っていた。得意の書道を教え、いろんな会合の役員を務めてちょっとした文章を書く傍ら、習い事をかけもちし、友だちと連れ立っては旅行に出かけた。新聞から話題の新刊まで読み漁り、テレビを見ながらもせっせと編み棒を動かしている。70代になっても、80代になっても、彼女の手帳はスケジュールでぎっしりだった。

 淡白な性質に加え、自分のことでじゅうぶん忙しい人だったから、愚痴や他人の陰口を言うのは聞いたことがない。反面、‘なってない’人間、たとえば怠け者やウソつき、おべっか使いやズル、あるいは甘ったれの泣きごといいには手厳しく、「あれはダメだ」のひと言で切って捨てる。電車のなかで騒いでいる子どもをみれば、親がいようといまいとおかないなしに、ひょいと手を伸ばして袖を引き注意するのだ。

 そういう祖母も、私には「孫自慢のおばあちゃん」以外の何者でもなかった。テストで100点をとったことから、髪の毛が真っ直ぐ生えていることまで、彼女はいちいち何でも感心してくれる。
 外孫ながら彼女にとって初孫であった私は、お祖母ちゃん子として育った。生まれたとき、名前を付けてくれたのも祖母だ。

 幼い子どもが始めて認識する祖父母というのは、ちょっと不思議な存在かもしれない。男の人と女の人のほかに、大人にはもう一種類、しわくちゃで小さい人というのがいる。しかもその、ちょっと干からびたような弱々しげな人に、はるかに大きく強い自分の父や母が一目置いているのだ。

 子どもである自分と比べても、祖母はいかにも壊れやすそうに思えた。だから遊びに来た彼女を見送る夜は、遠ざかってゆくその姿が闇に溶け、永遠に消えてしまいそうな不安にかられた。そこで窓から身を乗り出して、何度もバイバイを叫んでは、丸い背中が振り返って手を振るのを確認する。

 ときに彼女は庭先できびすを返し、わざわざ窓辺へ回ってきた。そして笑いながら私の手を軽く叩き、リズムを付けて歌うように言うのである。
 「お土産みっつ、タコみっつ。じゃあまたね」

 あれは何のおまじないだったのだろう? 真っ赤なユデダコが三つ並んで、フラフラと踊っている。そんな想像に陰気な気分は吹き飛んで、私はほっとして彼女を見送るのだった。

 その祖母が、この春、デイケア・センターのベッドから落ちて大腿骨を骨折。手術を受けた。以来、入院生活が続いている。


おばあちゃん、ワープする




 すりガラス越しの秋の陽射しのなかで、祖母は食べ残しの焼き芋のシッポのように、しぼんだ身体を病院のベッドに横たえていた。かすかに開いた口元から、規則正しい寝息が漏れている。

 97歳という高齢ではとても手術に耐えられないだろうと、はじめはみんなが覚悟をした。だが彼女の生命力は強く、なんとか持ちこたえてくれたのだ。衰えた筋力を取り戻すためのリハビリは不可欠だが、それでも驚くほどの回復ぶりである。

 いま気がかりなのは、痴呆のほうだ。
 
 90歳を過ぎた頃から、祖母には軽い痴呆症状が現れるようになった。最初は何度も何度も繰り返し、昔の思い出を話していた。話しているうちにいつの間にか振り出しに戻り、メビウスの輪のように、ぐるぐると果てしなく同じ話が続くのだ。
 やがて時系列が崩れ、ときおり過去と現在の区別がつかなくなった。几帳面であれほどきちんとしていた人が、身の周りのことにかまわなくなり、洗わない髪が匂うようになった。ふいにとり憑かれたような食欲をみせるようにもなった。あるとき外出先で帰り道がわからなくなり、やがて家族の顔が判別できないといったことがおき始めた。

 いわゆるマダラボケというのだろうか。入院してから、そのマダラの部分が徐々に広がってきている。
 今まで普通に話していたかと思うと、次の瞬間には15歳の少女にもどり、女学校の寄宿舎にワープする。そうかと思うと、いきなり子どもと接するときの心得を話し出す。長年勤めた小学校の職員室で、若い先生を指導しているつもりなのだ。

 祖母が次にどこへ飛ぶのか、誰にもわからない。だから話をあわせるだけで、みんなへとへとになってしまう。

 人の気配に、祖母はふと目を開けた。その目が私の上にとまったとたん、「ああ、来てたの」と、晴れ晴れと顔が輝く。叔母が着せてくれたパウダーピンクのパジャマに包まれて、祖母の笑顔はあどけないほど屈託がない。まるで生まれたての赤ちゃんのようだ。

 私のことがわかっているのか、いないのか、祖母はしきりに、「よかった、あんたに会いたかった」と繰り返す。それから唐突に言った。

 「私の足袋はどこ。足袋を持ってきてちょうだい。もう出かけなきゃ」

 私はハイと素直に従い、いったん部屋を出てまたすぐ戻ると、ありもしない足袋の行方を報告する。

 「足袋はみんな洗って干しちゃった。まだ乾いていないみたい」
 「あらそう。困ったな」
 「新しいのを買ってこようか?」

 祖母は困惑した表情で、ぼんやりと言った。
 「いいわ。明日でいい」

 私は陽気に声を張り上げる。
 「そうだ、おばあちゃん。私、とってもきれいな本を持ってきたの。花の図鑑。一緒に見ない?」

 たちまち祖母は足袋の問題を忘れてしまい、花の絵を描くときの心得を、楽しそうに私に語り始めた。こうして今日もゆっくりと、彼女の時間が流れていくのである。


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