Vol.12 09/Sept./98


南西角部屋の夏もよう




 今年もついに、クーラーなしで夏が終わろうとしている。
 毎年最初の熱帯夜が訪れると、「エアコン、買っちゃおうかなあ・・・」と悩むのだが、誘惑をねじ伏せ、ねじ伏せしている間に、いつの間にか涼風がたってしまうのが、このところの常となっている。

 昔の人は、女性の美醜を七段階でランク付けしたそうだ。佳人、麗人、美人、並、醜女ときて、その下に、鬼瓦、さらに、夕陽の鬼瓦と続く。
 屋根の端に鎮座して、にらみをきかす魔よけの鬼瓦。それがオレンジ色の夕陽にカッと照り輝いている、というのだから物凄い。一度そんなご面相に会ってみたいものだと思っていたら、いた。かんかんと差し込む西陽を浴びつつ、目を血走らせ、汗みどろでパソコンを打つわが身こそ、ズバリそのもの。
 「ははあ、これが『夕陽のオニガワラ』ってやつね」と、夕焼けのなかで鏡を見ながら妙に胸に落ち、なんだが嬉しくなった。外出時のUV対策はバッチリなのに、なぜかいつの間にやら顔がうすら黒くなるのも、なるほどこれならうなづける。

 そういうわけだから、南西の角にある私の部屋は、夏になるとただでさえうんざりするほど暑い。そこへもってきて、パソコン、プリンタ、ファックス、電話、テレビ、照明器具と、近年とみに増えた電気製品が、ことごとく信じられないほど発熱する。
 パソコンの冷却ファンなどは、朝からフル回転しっぱなし。ブーン、ブーンと音をたて、今にも宙に舞い上がりそうな勢いだ。

 近所の目もはばからず、窓を開け放していられる間はそれでもマシだが、困るのは雨の日だ。そして8月のなかばには、恐怖の盆踊り大会がやってくる。近所の団地の恒例行事ということで、練習期間から数日間、「東京音頭」やら「鹿児島おはら節」やら「オバケのQちゃん音頭」やらが、目の前の小学校の校庭から、夕暮れとともに大音響で流れ込んでくるのだ。

 地域の親睦をはかることに、私は断じて異を唱えるものではない。できるなら、そろいの浴衣で炭鉱節なんか踊っちゃいたいくらいだ。しかし、
♪ハァ、ヨイヨイ♪ だの、♪スチャラカチャンチャン♪ だのが渦巻く中で、「日本経済の現状と展望」について8000字分の文章をひねり出せといわれると、未熟な私にはまるでお手上げ。
 かくして窓とカーテンをぴったり閉ざし、今どき子どもでも作らないアセモだらけになって、蒸し風呂のようななかでひたすら耐える日々が続く。


溺れるのがこわい



 「何を突っ張っちゃってるわけ? クーラーくらい、入れればいいじゃない。いいわよぉ、夜もぐっすり眠れて」
 受話器の奥で、友人が涼やかに笑う。

 「そうだよ、ヨーコちゃんがエアコン入れてくれないと、私も部屋のクーラー使えないよ」と、キリコも鼻を鳴らす。

 キリコの部屋には、ちゃあんとエアコンが付いているのだ。しかし、よほどのことがない限り、使用禁止を言い渡してある。当たり前だ。人が頭にアイスノンを括りつけ、寝る間も惜しんで働いているというのに、日がな一日エヘラエヘラとテレビ三昧しているやつに、のうのうとクーラーにあたられてたまるものか。

 「クーラーなんて軟弱です! 夏は暑いに決まってる」
 「だってこの暑さはイジョーだよ。かわいいキリちゃんが寝不足で病気になったり、アセモでボコボコになっちゃっても、ヨーコちゃんは平気なわけ?」
 「アセモ、けっこう! この高温多湿にじっと耐え、溜まりに溜まった体内の毒素やアクを、汗とともに流しだしてさっぱりと秋を迎える。これこそ日本の風土との真っ当な付き合い方だ!」

 一応そんなふうに言ってはいるが、私のアンチ・クーラーの根拠は、本当はもっと単純だ。身体のためには自然がよいというのは、もちろんその通りだと思うのだが、エアコンを取り付けたが最後、クーラーにかじりついて暮らしそうなわが身の自堕落さが、実は一番おそろしい。

 いったんタガが外れたら、一気にのめり込んで抑制がきかなくなる。だから避ける。はじめから手を出さない。
 アルコール依存症から立ち直ろうとする人が、とにかく酒場に近付くまいとする心理、危険な恋愛を前に、何とか相手を嫌いになろうとする心理、カード破産を怖れて一切クレジットカードを持たない人の心理などとも、一脈通じるかもしれない。

 残暑のなかを一匹のセミがたどたどしく飛んできて(セミはどうしてあんなに飛ぶのがヘタなのだろう?)、網戸に止まり、夏を引きとめようとするかのように盛大に鳴いている。と思ったら、夕方には小さな骸となって、ベランダに転がっていた。

 アスファルトで塗り固められた地べた。光化学注意報を告げる陽盛りのアナウンス。ヒートアイランド。無数のクーラーの室外機からいっせいに送り出される熱風・・・。
 98年夏、太陽の下の短い一生を、彼はどんなふうに全うしたのだろう。

 現代文明と離れて森にこもり、「森の生活」を記したソローのように、徹底した自然主義者にはなれるべくもない自分を私は知っている。せめて夏の暑さにあえぎ、夜風にほっと息つくことで、まだ自分も並の生き物であったかと、ほんの少し安心する。

 こうして季節は秋に向かい、クーラーのない夏の終わりに、私は今年もまた、心密かな勝利宣言をするのである。

End of Vol.12

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