rest〜おだやかな時代・1





 『しあわせに、なってください』

 そんな風に……なんの打算も掛け値もない言葉で、幼い自分と弟の未来を言祝いでく
れた、一人の『家族』がいた。

 経済的な理由からか、あるいはもっと別の事情によるものだったのか……実の両親に
さえ育児を放棄された自分達を、拾い育ててくれたのは、「人」ではなかった。
 人の身であれば等しく与えられるはずの固有名詞を持たない『彼』は、学名的には「お
かし男」と呼称される男の子モンスターの一種だった。その人畜無害な気性と持って生ま
れた習い性によって、『彼』は身寄りのない自分達の、仮初の保護者となったのだ。

 血のつながりはなくとも。救いの手を差し伸べてくれた『彼』が、人でさえなくとも。
 振り返ってみればあまりにも短かったあの蜜月の中で、自分達三人は、確かに家族で
あり親子であったと思う。

 『彼』が愛しんでくれたから、自分達兄弟は、捨て子である自分達の身の上を、卑下す
ることなく幼年期を送ることができた。自らを哀れまずに生きていける事の幸せを、『彼』
が自分達に教えてくれたのだ。


 だから、自分も弟も、与えられるべき二親からの愛情に飢えて泣くばかりの子供にはな
らなかった。こうして自立し、自活できる年代になった今となっては、そんな両親を探し出
して二十有余年分の愛情を請おうとも、ましてやその薄情さに報復しようとも思わない。
…少しばかり、恨み言は口をつくかもしれないが。

 少なくとも、あの限られた蜜月の中、自分達は確かに愛されて育った。一番欲しかった
ものを、自分達は惜しみなく与えられていたのだ。
 幸あれと、自分達の未来を祈ってくれた『彼』の無私の厚意に、顔向けできないような
生き方はできなかった。



 だが……否。だからこそ。

 いまでも、自分は思うのだ。
 あの至福の時間に土足で踏み込み、そして自分達の蜜月をその手で取り上げたあの
横暴な闖入者―――あの男にだけは、一生涯を掛けてでも、幼い日のあの無念を、贖
わせなければならないと。








 「……っ!」


 がばと音を立てんばかりの勢いで跳ね起きたその場所は、覚醒したばかりの意識にひ
どく違和感を突きつける内装をしていた。


 まず目に飛び込んできたのは、見慣れない意匠が施されたはめ殺しの窓枠。その外に
広がる風景は、自分達兄弟が慣れ親しんだ長閑な田園風景だったが、馴染のない木枠
の窓に区切られたその景観は、見慣れたはずのそれをどこか紛い物じみたものに感じさ
せた。

 品下れる物ではないことは素人目にもわかる、しかし数の上では最低限の調度品。美
観を重視したためなのか、それらがどこか冷然と配置されているような印象を拭い去れな
い、生活臭の希薄な部屋―――



 長閑な田園都市として外部からの人気も高い、ヒライナガオの町を訪れた観光客のため
に建設され機能している、宿の一室であるだろうことを理解するまでに、大して時間はか
からなかった。
 だが……そこに何故自分が、弟や養い子の人外と離れ、寝かされていたのかが、わか
らない。


 「……宿帳に記帳した覚えはないが…」

 言わずもがなの一人ごちには、やはり実感のひとかけらも沸き上がってはこず、この現
状が自ら望んで受け入れたものではないことを、改めてヘーゼルは認識した。


 自身の置かれている状況を把握するために、ここ一両日の行動を振り返ってみる。

 思えば昨晩に遡ったあたりから、どうにも記憶がはっきりとしていなかった。いつものよう
に、活動拠点である党の本部をグレートが設置して、人心地ついたと思った矢先に奇妙な
風体の子供が声をかけてきて……

 ……そうだ、あれからだ。あの後どこで何をしていたのか、頭の中に靄がかかったように
記憶が曖昧だった。

 あちらこちらをひどくせわしなく遁走していたような気もする。どこか現実離れした、人の常
識をはるかに凌駕する、そんな幻想的な光景を目にしたような気もする。
 そして……気がついたときには、あろうことか不倶戴天の敵と思い定めた、極悪非道の
権化ともいうべき、モンスターハンターの拘束下に置かれていたのだ。



 あの卑劣漢めと低く吐き捨てると、そこに天敵が身を潜めているとでも言わんばかりに、
改めて室内の様相を睥睨する。
 目を覚ました場所が、いつもの党本部でも、また拘束を受けた街中でもなかったことで、
不本意極まりなかったものの、ここに至るまでの経緯を仮定するのは容易かった。

 「……なんたる屈辱…っ」

 自分が想像する過程の真偽はさておき、再び意識を失ったその直前の記憶から鑑みて
も、その元凶となったあのハンターの手配によって、自分がここに寝かされていたことは想
像に難くない。
 自失していた間の不可抗力とはいえ、あれほどハンターという人種を忌み嫌い、そして
実際に相対してその厭悪を更に深めた直後であるだけに、まるで情けをかけられでもした
かのようなこの状況は、業腹であることこの上なかった。


 しかも、この部屋には、自分と共に拘束されていたはずの弟と養い子の姿がない。
 


 そして、業腹といえば、もう一つ……


 この一室の内装で判断するなら―――良い宿だと思う。小金の持ち合わせには困らない
であろう観光客相手の商売であればそれも当然であるともいえたが、宿泊にはそれなりの
値が張るだろう。

 組織の掲げる崇高な理念を世に知らしめるべく、常に身軽であるよう心がけて移居して
いると言えば聞こえはいいが……けして資本が潤沢とはいえない経済事情から、移動可
能な簡易事務所を居住地としてやむを得ず野営を繰り返しているにすぎない身上には、そ
うそう縁を持つことのできない小奇麗な佇まい。
 その、自分達には縁遠い瀟洒さが、反ってヘーゼルの気に障った。


 あのハンターの暮らし向きなどに興味はないが、その生業を考えれば、彼が何を資金源
として生活しているのかを詮索することは容易い。あの憎むべき男の懐事情が富もうが廃
れようが知った事ではなくとも、その糧を得るために彼が充てこんでいる『投資』対象が何
であるのかを考えれば、到底捨て置ける問題ではなかった。


 党の活動理念と真っ向から相対する、憎むべき利己主義者。自分達が、私財をなげうっ
てでもと、男の子モンスターの救済活動に没頭するその一方で、あの男はそんな彼らを食
いものにして日銭を稼ぎ、財を成してきたのだ。

 あまつさえ、その稼ぎのおこぼれを突きつけでもするかのように、自分達に情けをかけて
みせるなどとは……

 これまで、反モンスターハンターの主張はあくまでも人道的倫理的な観点から掲げたも
のであったが―――このとき初めて、ヘーゼルは個人的な感情から、あの男を許せない
と思った。



 自分をここに連れ込んだ以上、弟もコロッケも、この宿内にいるはずだ。探し出して、一
刻も早くこの不快極まりない場所を離れて。そして党本部に落ち着いて態勢を立て直した
ら、必ずやあのハンターに一矢報いてやろうと、ヘーゼルは心に決めた。こんな上宿を活
動拠点に据えるような羽振りの良さが、何を踏みつけにした上で成り立っているのか、そ
の肝に銘じて鉄槌を下さなければ、この憤懣は治まらない。


 寝起きの倦怠感に苛まれていた総身に、湧き上がってきた憤りが活力を与えてくれる。
高揚する感情のままに、ヘーゼルはそれまで申し訳程度にかかっていた上掛けを勢いよ
く撥ね退けた。

 と、その時―――


 「失礼いたします、ムッシュ」
 「……っ」

 控えめなノックの音と共に、閉め切られた扉の向こうから、入室を求める穏やかな呼び
かけが成された。

 虚を衝かれた形となったヘーゼルが誰何の問いかけをする間もなく、ゆったりとした動き
で扉が開かれる。
 そして―――

 扉の向こうに立つ訪問者の姿を一瞥したヘーゼルは、次の瞬間、再び言葉を失う羽目に
なった。



 「―――ムッシュ。ご気分は、いかがですか?」


 おかし男……人畜無害な気性で知られ、接触した相手に菓子類を振舞う以外、これといっ
た能力を持たない、人馴れしやすい特性を持った男の子モンスター。

 ―――そこに控えていたのは、ヘーゼルにとって、浅からぬ因縁を共有する存在だった。



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