Darwinism〜岸を離れる日〜





 完全な確証が得られなかったワープ装置の座標は、それでもそれを指示した入力者の執念に応えるかのように、目的の場所へと白鳳を導いた。


 それまで探索を繰り返してきたダンジョンの様相とは、明らかに内装を違えた近代的な研究施設――外界との隔たりを見せつけるかのようにそびえる、重厚な造りをした扉のその先に、捜し人の全てが終結している。 外観に反して施錠も障壁も施されてはいない施設の入り口に立ちながら、しかし意を決して内部へと踏み込むためには、少なからぬ葛藤が必要だった。


 この先には……自分達兄弟の亡き父親に生き写した容色を持つ人外がいる。おそらくは、父が生前に提供したと思しき、魂の情報を受け継いだ存在が。

 外見上の相似が顕著だというだけで、父とあの人外をそれ以上関連づけるものは何もない。例えば、保有する記憶の一端であるとか、物理的な遺伝子情報であるとか…そういった共通項は、何一つ認められはしないはずだった。
 一人と一体の相関を、『他人』と断言するための要因は、それで十分であるはずなのに……あとはただ、この扉の先に踏み込めばいいと解っていながら、そのための一歩がどうしようもなく重い。


 相手は人外だ。そして、中に捕らわれているのは自分の身内と、知己の縁者だ。これ以上二の足を踏んでいる余地など、ないはずだ。
 だが……自らにそう言い聞かせれば言い聞かせるほど、記憶に残る父の面影が、あの人外の上に重なって見えて……

 「……っ何をやっているんだ、私は」


 伏せた面にかかる銀糸の頭髪を乱暴にかき上げながら、白鳳は自らを毒づいた。
 引き返す機会なら、いくらでもあった。正確な座標を持ち、準備を万全に整えてから出直すべきだと引き止められながら、それでもその止めだてを振り払って独走したのはほかならぬ自分ではなかったのか。


 自分が元凶で始まった、数年越しの大罪の具現した形が『彼』なのだから……だからこそ、まいた種はこの手で刈り取ろうと腹に決めたのではなかったか。
 責任の所在が那辺にあるのかを、自らに刻み込む為でもある。今になって浮き彫りになった自信の負い目を、当時の自分を知らない余人の目に晒したくなかったこともある。

 だが、それよりも何よりも……五年前の罪と真っ向から向き合って、ともすれば堂々巡りを繰り返してきたあの日の葛藤に、自分自身でけじめをつけるためにこそ、今自分はここに立っているのではなかったのか。


 あの悪夢のような一連の出来事から、今年でもう五年の歳月が流れていた。
 忘れていい記憶ではない。けして許される罪ではない。

 だが……いつまでもいつまでも同じ葛藤に縛り付けられていては、この足は、あの日から一歩も前には進めない。
 嘆いても悔いてもけして昇華されない大罪ならば、それを抱えたまま次の転地へと足を進める勇気と強さを、いい加減自分は手に入れなければならなかった。

 捨て鉢に自らを痛めつけるのではなく、忘我の境地まで遮二無二自己犠牲を払うのでもなく。

 贖罪の旅を続けるこの身の生き様を、共に歩む弟はあるがままに見据え続けているのだ。神の呪いを一身に受け、それでも自分を責める言葉も持てない弟に、これ以上の呵責を背負わせてはならないから。

 そのためにも……真の意味で、自分は前を見据えていなければならないのだから。



 「……父さん…」

 何度も呼吸を整えながら、記憶に残る父の面影に思いを馳せる。何に対してかも解らずに、ただひたすらに、どうか……と白鳳は祈った。

 違う。『あれ』は、父ではない。
 仮に、死者の魂が人外に宿るなどという馬鹿げた仮説を立ててみたとしても……自分と弟にとって、もっとも酷な仕打ちをしてのける冷徹な性根が、あの父のものであるはずがない。

 父ではない。そんなことは、ありえない。
 だから……自分はこの先の自分の足場を勝ち取るためにも、必ずあの人外に勝ってここから戻らなければならない。
 自分には、それができるはずだ……


 耳鳴りを覚えるほどの緊迫の中で、それでも自らの背を押し出した白鳳の手が、施設の扉にかけられる。
 と、その刹那――

 「……っ」

 まるで示し合わせでもしたかの様なタイミングで、扉が内側から抵抗もなく開かれた。
 そして……


 「……これは珍しい来訪者だ」

 そして……開かれた扉のその先には、白鳳の屈託の具現である人外が、言葉ほどには感慨を感じさせない無機質な表情で、居丈高に佇んでいた。







 出し抜けの対面を果たしてから、一人と一体は、果たしてどれほどの時間をそうして向かい合っていたのだろうか。


 出会い頭に打ち砕かれかけた覚悟を全身全霊で掻き集めながら、対象へと向けた視線はそのままに、白鳳は機先を制する瞬間を懸命に伺っていた。

 外観という、もっとも視覚に訴えやすい形での負い目を見せつけられてしまう以上、相手のペースに乗せられてしまったら最後だった。こちらの有利に事を運ぶために、出足をまちがえることだけは避けなければならない。

 それは、極限までの緊張を自らに強いる戦略であるともいえたが、結果として、その緊迫が白鳳の中から、余計な懸念を払拭した。


 この人外は、父ではない。父の魂の情報を取り込んで派生しただけの、ただの紛い物だ。捕獲可能な状況まで追い込むために、この手でじわじわとその体力を削り取ることにも、その身に縄をかけることにも、自分が気後れを感じる必要など全くない。

 眼前に立ちはだかる『これ』は、まごうかたなき敵なのだ。
 ただ一人血肉を分けた身内である弟を研究目的で拉致し、その場に居合わせたというだけで事態に巻き込んでしまった、あの無骨だが人のいい男に―その間接的な原因は自分にあるとはいえ―深刻な傷を負わせた。そして、この一連の騒動のどさくさで、今は男の扶養する縁者までもが、人外の拘束下に置かれている。


 故人である父をそのまま写し取ったかのような姿形を見せつけられようと、それはしょせん外見の相似に過ぎない。そんなものに二の足を踏んでいられる程、この双肩にかかった責務は軽くはないはずだった。



 「……スイを…」
 ともすれば気圧されかける自らに覚悟を促すように、腹の底から搾り出した意図した語調で、もたげる弱気を打ち据える。
 構えた鞭で虚空を一閃し、一歩の距離を進み出た白鳳は、眼前の『敵』に向かって、居丈高に言い放った。
 「スイと、そこにいるぼくちゃんを……今すぐ解放しろ!」



 対して、相向かう人外は臆した素振りも見せず、悠然と白鳳を眺めやるだけだった。のみならず、その口元が冷笑の形に持ち上がる様を見せつけられて、白鳳の頭に血が上る。

 「聞いているのか!二人の身柄を解放しろ!歯向かうなら容赦はしない!!」
 「『二人』?私の目には、一人と一匹にしか見えないが?」
 「……っ」

 情動というものをまるで感じさせない声音で言い募りながら、今度は「ノーベル学者さん」が白鳳との距離を一歩詰める。咄嗟に同じだけの距離を後ずさってしまった白鳳の姿をみやり、その冷笑が更に色濃いものとなった。

 「……まあ、そのような事に然したる興味もない。それよりも、私と向き合うのもやっとという有様で、どう容赦をしないものか教えてほしいものだな。―――どうやら、心拍数も不自然に上がっているようだ。そのように浮き足立った状態で、まともな判断ができるかどうかも怪しいものだな。
研究対象を前に妥協を認められないのは学者の常だが……一方的に嬲り者にしてしまいそうで、流石に気が引ける」
 「ふざけるな!」

 相手に飲まれかけている自分の臆病を言い当てられて、反射のように怒鳴り返した語尾が不自然な震えを帯びる。それでもそれ以上の無様を晒すことだけは我慢がならず、総動員した意志の力で以って辛うじてその場に踏みとどまった白鳳の背を、冷たいものが伝い落ちていった。

 「ふざけるな!なにが学者の常だ!プランナーの気まぐれで生み出された出来損ないが、いっぱしに人真似をして見せること自体がおこがましい!!」

 畏怖と怒りに混濁する意識の底で、それでも酷い侮蔑の言葉を吐き捨てているという自覚はあった。こんなやり取りを、自分を主と慕う人外の従者達には間違っても聞かせられないとも思う。

 今自分が叩きつけた言葉は、男の子モンスターという存在そのものを卑下するも同様のものであったし、それこそが、人間が根底に抱く他種族との絶対的な差別意識のなによりの表れでもあった。
 挑発を目的としたものであれ、それがお前の本性かと糾されれば、白鳳には弁明する言葉もない。

 だが……今は、引くわけにはいかなかった。
 そうでもして自分を奮い立たせなければ、自分はけしてこの人外には敵わない。出直す機会など、自分には残されていないのだ。自らを檄し、そして二度と後戻りできないところまで追い詰めなければ太刀打ちもできないであろうこの状況で、手段を選ぶ余裕など白鳳にはなかった。


 「……もう一度だけ言う。二人を解放しろ!――こちらの忍耐にも限界がある。お前をこの世から抹殺してから二人を取り戻しても、こちらは構わないんだ」

 だからこれは譲歩なのだと、言外に込めた白鳳の恫喝にも、「ノーベル学者さん」には眉一つ動かす素振りもない。あまつさえ、『彼』は自らの脅迫者を嘲笑ってさえ見せた。


 「如何様にでも、気の済むようにするといい。私は本来争いごとを好まないが、研究の邪魔立てをするというなら話は別だ。…人間。お前の個体にも学者的見地からの興味はあるが……相容れぬなら、返り討つのもやむを得まい」
 「…っ…戯言をっ!」
 「それに、私をる壺とやらで呼び出したのはお前だろう。推測するに、お前はハンターを生業としているようだ。レアモンスターである私を生け捕れずに困ることになるのは、お前の方なのではないか?……もっとも、捕縛を目的とした手緩い攻撃が私に通用すると思われるのも心外だが…」

 続く人外の言葉は、既に声もなくした白鳳の放った鞭の音によって遮られる。獲物すれすれの位置を意図して狙った一閃に、白鳳の持つそれをなぞらえたかのような色素を持った語り手の双眸が、不機嫌そうに眇められた。

 「痛いところを突かれて逆上するか?人間というのはつくづく未分化な生き物だ」
 「黙れ!」

 再び放たれた一閃が、当て擦る人外の羽織るマントを跳ね上げる。
 「思いあがるな!……お前は確かに、次の世代と共存もできない希少価値のモンスターだ。研究者にとっては喉から手が出るほど 欲しい存在だろう。……だが逆を返せば、当代のモンスターさえ諦めれば、入れ違いに出現する次世代を捕獲することはできるんだ。この世から抹消されたお前の、因子を受け継いで生まれてくるモンスターをだ!」


 それは、自らの圧倒的有利を確信して動じない人外に対する牽制ばかりではなく……激情した白鳳の中にもたげた、後ろ暗い本音でもあった。

 自分の傲慢の犠牲となった弟の解術の為に、いつ終わるともしれないモンスター収集の旅を続ける白鳳にとって、レアモンスターである「ノーベル学者さん」の存在は、金品では推し量れない価値がある。喉から手が出るほどにその捕縛を望んでいるのは、そう揶揄した白鳳自身だった。

 だが、この希少な人外を欲するあまり、肝心の弟や、ただ巻き込まれたに過ぎない盗賊団の少年を失ってしまっては意味がない。ここは、次世代の「ノーベル学者さん」と遭遇できるという気の遠くなるほどの奇跡を当て込んででも、現状を打開しなければならなかった。


 そして……どう取り繕おうとも正当化できない理由が、もう一つある。

 眼前に突きつけられた問題を、ただ先送りにするだけの、意味のない逃げの行為だとは解っている。それでも……どうしても、白鳳は耐えることができなかったのだ。

 在りし日の父の姿をそっくり写し取ったかのような外見をした、希少価値の人外。その『彼』が、父の姿をしながらどうあっても人たり得ない言動を、自分の前に見せつけるのが……
 そんな様を見せつけられるくらいなら……いっそのこと、この世界から、この眼前から、この呪われた存在を消し去ってしまいたいと……けして許される願いではないことをしりながら、白鳳は思わずにはいられなかったのだ。



 『それが其方の望みか、脆弱な人の子よ』

 追憶のあの日――人が神と呼ぶ至高の存在を前に、自らが口にした分不相応な願いを思い出す。そして、対する神の下した非道な返し手を。
 諾と答えたのは自分自身だった。その代償は、自らの身で以って払わなければならない。


 突きつけられたこの現状も、引き起こした元凶はほかならぬ自分自身なのだから……否やを唱えられるべき立場に自分がいないことはわかっている。……否。頭では解っているつもりだった。

 だが…だけれども……


 『あい解った。その願い、叶えよう』

 相対した神の、荘厳でさえあった応えの声が、今でもこの耳に焼き付いて離れない。

 眼前に立ちふさがる人外は、そんな自分の傲慢が生み出した産物だ。本来生じるべきではなかったその存在を、然るべき場所に還してやるのが、自分の負わねばならない責務でもある。
 解ってはいた。だが……




 「……消えてしまえ…」

 「ノーベル学者さん」に向かって、ゆらりと一歩を踏み出した白鳳の手で……その獲物が初めて、明確な攻撃の意志を思わせるうなりを見せる。

 「消えてしまえ!……お前はただの出来損ないだ……今になって私達を弄ぶくらいなら、消えてしまえ!紛い物の亡霊!!」


 だが……腹の底からせりあがってくる後ろ暗い情動に、理性の止めだてがどうしても追いつかない。


 血を吐くような白鳳の叫びと呼応するかのように……一閃された鞭が人外に向かって、使い手の叫喚を思わせる炸裂音を鳴り響かせた。

  next


  王子さまLv1 SS置き場