神子の室に次々と出入りする女房の足音を聞きながら、頼忠は庭で右手を見つめていた。


その日、神泉苑で龍神の神子が祈りを込めて呼ぶと、龍神は姿を現した。そして光で包み込み、神子を連れ去る。
『神子殿っ!』
声の限り叫んだ。
『神子殿・・・・・・。』
永久に逢えないのかと諦めそうになった時、天からゆっくりと舞い戻って来た。
『神子殿。』
駆け寄り、抱き止める。だが。
『下ろして。』
迷惑そうに顔を顰めて身体を捩った。
『・・・・・・・・・。』
地面に下ろす。
グラリ。
途端、身体が揺れた。
『神子殿。』
パシッ!
支えようと伸ばした手を振り払った。
『大丈夫。触らないで。』
『神子。』
『泰継さん。』振り返った。『今日は私の世界と空間を繋げる事は出来ないみたいです。』
帰る準備を整えていた花梨は、明らかに落胆して言った。
『当然だ。』頷いた。『気が正常に流れ出したとは言え、まだ落ち着いてはいない。疲労の激しい今の神子では危険だ。』
『そうなんですか?』
『そうだ。今は休め。回復に努めろ。』
『入り口に車を用意してあります。』
幸鷹が近付いて言うと、後ろにいた翡翠ががっかりした顔を作った。
『抱き上げて帰ろうと思っていたのに。残念だ。』
『そんなくだらない事を言っていないでさっさと戻ろうぜ。』
イサトが呆れたように言うと、花梨の腕を掴んでさっさと歩き出した。 


そうして神子は屋敷に戻って来た。八葉はそれぞれ報告やら役目やらで散らばって行った。だが、警護を続ける頼忠は一人、屋敷に留まっている。
「頼忠とは・・・一度も視線を合わせては頂けないのですね・・・・・・・・・。」
行為の後から一度も頼忠に瞳を向けていない。話し掛ける事もしない。振り払われた手を握り締める。
当然だ。昨夜、神子の心の中で全てが終わったのだ。もうこの頼忠に未練は無い筈だ。
「いや・・・呆れたのだろう。」
従者の仮面を被り、本音を隠し続けた日々。だが、肉体的な繋がりを求める浅ましい男を暴き出して見せた。欲望を抑えきれない、穢れた男・・・・・・・・・。

『嫌いなら嫌いとはっきり言ってよ!お前には恋愛感情は持てないって。』
何度も繰り返して責める。その度に美しい瞳が涙で濡れていた。
だが、一度も望む言葉を言う事は出来なかった。嘘をつく事は。役目がどうのこうのと言い訳ばかりしていた。本音を言ってしまえば、想いを伝えてしまえば、理性を抑える事が出来無くなるのが分かっていたから。清らかな神子を穢さない為に。幼い少女を己の欲望で傷付けない為に。

「清らかな・・・幼い・・・・・・少女?」
ズキッ!
手首の、左手の傷がやけに痛む。昨夜の行為を思い出させる。
ズキッ!
頼忠を縄で拘束した少女。
頼忠の宝珠を嬉々として嘗め回す少女。
頼忠の裸の胸に舌を這わせる少女。
薄い布でさえも隠さない乳房を頼忠の顔に押し付ける少女。
男の、頼忠のモノを握り締める少女。
そして・・・男の欲望を受け止めようとしがみ付いた貴女は・・・・・・・・・。
「女、だ。」
声を出して呟いた。
甘い肌と柔らかくしなやかな肢体を持つ女。淫らで美しい、残酷な女。苦痛に堪えながらも、涙を流しながらも、男、頼忠を求めた女。天女ではなく、男を狂わせる―――女。
ドクン。
心の臓が強く打ち始める。血が沸き立つ。
貴女が、頼忠の想いを受け止める事の出来る一人の女ならば。頼忠と同じ想いを抱いているならば。
「手遅れ、か・・・・・・・・・?」
―――行為の後、少女は確かに穏やかな微笑を浮かべていた―――
ドクン。
暗い炎が心の奥底に灯った。
「いや・・・・・・この腕の中に連れ戻す。」
何時の間にか陽は暮れ、辺りは静まり返っている。出入りする者もいない室を見つめ、決意を胸に階を上った。

妻戸を抜け、室の中に滑り込む。そして御帳台の垂れ布をそっとかき上げた。
「すぅ・・・・・・・・・。」
静かな寝息をたて、眠っている。
「貴女がどんなに泣き叫ぼうとも、もう頼忠を止める事は出来ません。」
あの夜の言葉を、今、現実のものに。――――――足を踏み入れた。



「んぅん・・・・・・。」
意識が浮上していく。温かく拘束するそこから目覚めたくは無いのに。
「ふぅ・・・・・・・・・。」
首を回して強張った身体を解しながら眼を開けた。
『あれ・・・・・・?』
熱い瞳で見つめる頼忠の顔が眼の前にあった。瞬きを繰り返し、それが現実の事だと理解した。御帳台の中、同じ上掛けを掛けて花梨は頼忠の腕を枕にして横たわっている。二人、共に一糸纏わぬ姿で。
怒りがふつふつと湧き上がる。折角、胸に残る歓喜の痛みだけを持って帰ろうと思っていたのに。つまらない記憶に汚されないように、近付かない、見ないようにしていたのに。それなのに何故。
「な―――っ!」
抗議しようと口を開いた途端、頼忠は足を絡ませ、腕を腰に頭に回して抱え込んだ。
『お静かに。』耳元で囁いた。『気付かれてしまいます。』
「何―――?」
問うその言葉も頼忠の胸に消えた。しかし。
スぅ―――。
御帳台の垂れ布に影が映り、動いた。
「っ!」

ざわざわざわ。
シュルシュルシュル。
微かな話し声、衣擦れの音が聞こえる。御帳台の外、花梨の室の中には何人もの女房がいた。

『動いてはなりません。』
一言そう言うと、頼忠はゆっくりと手を動かす。頭、背中、腰を、想いを込めて撫でる。
『っ!』
布を通さないそれは、手の熱さだけでなく愛撫の意味を余す所無く伝える。それを初めて受ける花梨はこの感覚の名前を知らず、また、あの夜の痛みを思い出し、恐怖で泣き叫びたい衝動に駆られた。

「格子も御簾も上げなくて良いわ。」
「残念ですわ。昨夜は雪が降って、とても美しい雪景色ですのに。」
「仕方ありませんわ。神子様は寒がりであらせられますもの。疲れたお身体には負担が大きすぎますわ。」
「でも、少し薄暗いわね。」
「では燈台を増やしましょうか。」
「そうね。―――あ、でも、御帳台からは遠ざけてね。明るすぎると眠りを妨げてしまうから。」
「分かっておりますわ。では持って来ますわね。」
一人の女房がパタパタと走り出て行く。

しかし、こんな姿を見られたくも知られたくもないとの思いは、花梨を追い詰める。大声を上げて助けを呼ぶ事も、暴れて逃れる事も出来ず、頼忠の熱を全て受け止めてしまう。心臓が暴れ、息が出来なくなる。酷い眩暈のせいで頼忠の身体に沈み込んでいくような錯覚に襲われた。
『ねぇ。』
虚ろな瞳で訴える。止めて、と。辛い、と。
『駄目、です。』
こちらも眼で返事。その言葉どおり、手は動きを止めない。それどころか、花梨の額に、頬に鼻に口付けを落としていく。

「あら?お香を焚くの?」
「えぇ。好きな香りを嗅ぐと安心しますし、よく眠れますもの。」
「最近、顔色が悪う御座いましたものね。」
うんうんと頷く。
しかし、ふんわりと春の香りが漂い始めると怒りの篭った怒鳴り声が響いた。
「ちょっとぉ。」
一人の女房が乱暴な足音を立てて香炉の側に近付いた。

『ヤダ。』
顔を背ける。だが。
ピチャ。
遠ざかった頬の変わりに近付いた耳に舌を這わせた。
『っ!』
大きく震えると、頼忠の身体にしがみ付いた。

「焚くのはまだ早いわよ。」
「え?」
「香は最後でしょ?まだ片付けが終わっていないのに焚く人がいますか。」
「申し訳ありません!」
若い女房が謝罪し、慌てたようにカタカタと物を動かす。
「焚いてしまったのだからもう良いわよ。」
「は・・・い・・・・・・。」
「それに少し香りがキツいわ。」
「最近締め切っていたから篭ったような臭いがしますし、これ位で丁度良いんじゃない?」
小言の続きを止めようと、他の女房が口を挟んだ。
「それに御帳台からは離れているし、大丈夫よ。」
「ふん。次は気を付けなさい。」
再び乱暴な足音を立てて去って行く。

『神子殿・・・。』
しがみ付いて来たのを良い事に、深く抱きかかえる。手を少しずつ下へ滑らせ、二つの丸みを楽しむ。
『うっ・・・・・・。』
唇を噛み締める。普段太刀を握り締めている手の平は大きくて固く、女との違い、男の存在意義を教える。下腹部の奥に何か熱いものが湧き起こり、足が落ち着き無く動く。

「ごめんなさい。」
怒られた女房が庇ってくれた仲間に小声でお礼を言った。
「気にする事は無いわ。この前、私が怒られた時は助けて貰ったんだしね。」
「そうそう。あの人は文句を言うのが趣味なんだから。」
「あの足音の方がよっぽど迷惑よ。」
「ねぇ?」
「そうそう!」
「ちょっと!まだ仕事は終わっていないわよ!」
頷き合っていると、向こうの隅から再び怒鳴り声が聞こえた。
「は〜い!」
「は〜い!」
慌てて散らばってそれぞれの仕事の続きを始める。

『あの。』耳元で囁く。『痛みはありますか?』
『え・・・・・・?』
『あの・・・あの時、優しくする事が出来ませんでしたので。』
口篭もりながら手で触れた。
『くっ!』息を呑む。痛みが無いと言ったら嘘になる。だが、あれは自分が望んだ事。頼忠の責任にはしたくない。『大丈夫。うん、大丈夫。』
『そうですか。それは良う御座いました。』
そう答えたが、強張った顔で分かったのだろう。一旦手を外し、代わりに下腹部、腰を優しく撫で始めた。

「火鉢はどうしますか?」
「そうね。起きられた時に寒いのでは辛いですし、用意しておきましょう。」
「一つ?二つ?それとも三つ?」
「二つで宜しいのでは?」
「そうね。では炭の用意を頼んで来ますわ。」
一人が出て行く足音と、ガタゴトと火鉢を動かす音が低く響いた。

『う・・・・・・っ!』
何時の間にか、頼忠の手が足の間、付け根のごく近くの太腿を撫で回す。頼忠を遠ざけようと胸を押すが、手に力は入らず、離れられない。
『神子殿・・・・・・。』
そんな少女を愛しさと欲望の入り混じった瞳で見つめていた。顔をゆがめながら震え、涙を流している。だが、苦痛というよりも頼忠の愛撫により目覚めた快楽ゆえに、だ。

「ねぇ。どうします?」
「そうね。調度品は新春に相応しい物に変えたのに、御帳台だけ冬物ではおかしいわね。」
そう言って、一人の女房が御帳台に近付いて来た。

影が大きくなって来る。
『あっ!』
身体が強張る。御帳台の周りに垂れている布は寒がりの花梨の為の特別製で普通の物よりも厚地で透けない。だが側に寄って隙間から覗けば、褥に花梨以外の者がいるのが分かるだろう。男と抱き合っているのが。
『神様・・・・・・っ!』
上掛けの盛り上がり具合を少しでも小さくしようと、頼忠の身体にぴったりと密着させた。






注意・・・最終決戦の夜〜翌朝。

狼の血が目覚めた・・・・・・。


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