09B



「花梨っ!?」
花梨の室に飛び込む。だが、そこには青龍とその前に花梨の袿を掴んだまま座り込んでいる男が一人居るだけ。一瞬、そこから予想される考えが頭をかすめ、恐怖でぎゅっと鳩尾が縮んだ。しかしこの男は帽子を被ったままだ。脱ぐ機会を与える前に、花梨は逃げ出せたのだろう。
「青龍。」近付いて訊ねる。「神子殿はどこにおられる?ご無事か?」
『・・・・・・・・・。』
答えず外に視線をやるだけ。
「くっ!」
再び外に飛び出す。
ザァーーーーーー!!
何時の間にか、雨が降り出していた。滝のような土砂降りの雨が。
「・・・・・・・・・。」
こんな大雨の中、花梨は外に居るのか。焦りと不安でどこをどう探したら良いのか分からない。しかし、迷っている時間は無い。一刻も早く安全な場所にお連れしなければ。兎にも角にも闇雲にでも捜索しようと庭に降りようとした時、気付いた。
どこから現れたのか、白い何かが漂っているのがぼんやりと見える。頼忠の目の前をわざとらしく舞い、何か伝えたい事でもあるように顔を見つめては庭を見る。
「こんな雨の中を鳥が・・・・・・?―――っ!」まさか泰継殿の式か?「神子殿の所まで案内してくれ。」
走り寄ってそう言うと、鳥はさっと庭の木々の間を飛んで行く。後を追って走ると、鳥は何度も振り返る。そして頼忠が遅れずに付いて来ているのを確認すると、更に速度をあげて飛んで行った。



遠くに厩が見える。横に大きな木があって、厩の屋根に覆い被さるように枝が伸びている。そしてその陰に白い塊があるのに気付いた。
「あれは・・・・・・人?」
いや。まさか。だが。
しかし鳥はそこに向かって一直線に飛ぶ。そしてその塊の周りでクルクルと舞った。
「神子殿!」
「(ぴくり)。」
「神子・・・。」違う。貴女は。首を振って呼び直す。「花梨。」
「・・・・・・・・・。」小さくうずくまっていた少女がノロノロと顔を上げ、下を見下ろした。「よ・・・りただ・・・さん?」
「はい、頼忠です。」腕を伸ばした。「花梨。お迎えに参りました。」
「ぅ・・・・・・・・・。」顔をくしゃくしゃに歪めると、屋根の端から落ちるように頼忠の腕の中に飛び込んだ。「ぅ〜〜〜〜〜〜。」
首の辺りに顔を埋め、しっかりとしがみ付く。
「花梨、もう大丈夫です。頼忠がお傍に居ります。」
強く抱き締め、後頭部から背中を擦る。だが、痙攣しているかのような震えは止まらない。一刻も早くと、足早に歩き出した。


バシャッ!バシャッ!バシャッ!
「頼忠。」横道から彰紋が走り寄って来た。「花梨さんは?」
「・・・・・・・・・。」
ぎゅっと頼忠にしがみ付いている腕に力が入る。
「見付かりましたが・・・・・・。」
この様子では無事と言えるかどうか。
「っ!」
抱え上げられた花梨の様子に気付き、息を呑んだ。手も足も泥だらけで顔は真っ白。そして薄い単衣は雨をたっぷり含んで肌に貼り付き、透けている。
一番上の袷(あわせ)をさっと脱ぐと、覆い隠すように被せた。
「彰紋様。」
「雨は止みましたが、これでは寒いでしょう。」
「ありがとう御座います。」
「お礼はいりません。無粋な男どもに見られたくは無いでしょうから、花梨さんの為です。」
不機嫌に素っ気無く答えた。頼忠が行動を起こしてこの少女を手に入れた事に対して、怒りは収まっていない。まだ認めてはいない。認めたくは無い。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」



その頃、花梨の室に異変を感じた八葉が続々と集まって来ていた。
「あの・・・花梨さんは・・・・・・無事、で・・・・・・。」
泉水が口ごもる。こんな真夜中に女人の寝所に男が入り込んだ、その意味を考えて。
「泉水殿、慌てて勘違いなさってはいけませんよ。」幸鷹が落ち着いた声で言った。「大納言殿の衣は乱れておりません。」
「そ、そうですね。」
ホッとしたように呟いたが、それでも動揺したまま。
「青龍。」勝真が訊ねる。「本当に花梨、神子は無事なんだな?」
『・・・・・・・・・。』
「天の青龍が捕まえた。」いきなり室の入り口から声が聞こえた。「式が連絡してきた。彰紋も側にいる。」
「どのようなご様子か、分かりますか?」
「気が激しく乱れているが、怪我はしていない。」
「そ、そうですか・・・・・・。」
そこにいる八葉、やっと表情が和らいだ。
「それより、こいつはどうするんだよ!?」イサトが怒鳴る。「花梨を襲おうとしたんだろう?龍神の神子を傷付けようとしたこいつが、どうしてお咎め無しなんだ?!」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
幸鷹と泉水が困ったように顔を見合わせた。
「・・・・・・ふん。」男は開き直ったように鼻で笑った。「元、龍神の神子であろう?役目を終えた今は、直人(ただびと)ではないか。」
「何だと!?」
「私は大納言、しかも太政大臣の嫡男だ。母上は皇女であられる。その私をお前らが処罰しようなど、おこがましいわ。」
『・・・・・・・・・。』
青龍がぬっと首を突き出し、男の胸を突いた。
「ぎゃっ!」
「青龍はまだ花梨を龍神の神子と認めております。」勝真が睨んだ。「我ら八葉が罰を与える事が許されないのなら、青龍に任せましょうか?」
「京を守る聖獣がそこに住む我を傷付けようなど、言語道断だ!」
真っ青になって喚く。
「青龍は神子に従います。」勝真が青龍の鼻筋を撫でた。「神子、花梨の判断に任せましょう。」
「そ、そんなんじゃ―――。」
花梨が罰を与えるとは思えず、イサトは不満そうに口を尖らせた。
「ふ、ふん。」強がる。「京を救った神子様に、ね。」
「何〜!?」
「イサト。」幸鷹が御簾の方を見ながら腕を掴む。「我々ではどうしようも出来ないのです。それを理解して下さい。」
「なっ、幸鷹!お前まで―――。」だが、入り口に残忍な笑みを浮かべている翡翠の姿を見つけて言葉が止まる。「そ、そう・・・だな。花梨を余計な面倒に巻き込みたくないもんな。」
あっさりと引き下がった。
「それよりも。」幸鷹が躊躇いながら言った。「ここは青龍と女房達に後を任せて、我々は下がりましょう。」
「幸鷹殿?」
「無事な姿を確かめずに退散しろと?」
「ここでは夜這いは恋を叶える常套手段ですが。」ちらりと男に視線をやる。「花梨さんの世界では放火や殺人といった犯罪と同じなのです。」
「えっ?」
「なっ!」
「場合によっては凌辱した者の生命で償わねばならないほど、重い罪なのです。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「それほど女人にとっては辛いという事です。八葉といえども、今は男には会いたくは無いだろうと。」
「・・・・・・・・・。」
「「「「・・・・・・・・・。」」」」
翡翠は眼を細めると静かに立ち去った。そして残った者達は青冷め、ぎろりと男を睨む。
「泰継殿。」きっと顔を上げた泉水が頼む。「翡翠殿の手伝い、お願い出来ますか?」
「分かった。」
二つ返事で立ち去る。
「じゃあ、お前はさっさと帰れ。」
「ん?よ、良いのか?」
いきなりは動けず、きょろきょろと周りの者達の顔色を窺う。
「花梨がお前を見たら怖がるだろうが。戻って来る前にさっさと行けよ!」
イサトが男を怒鳴ると、勝真が付け足した。
「そうですね。大納言殿の幸運をお祈り致しております。」
「は?―――で、では。」
がらりと変わった態度に戸惑いつつも、その場から一目散に逃げ出した。
「我々は控えの間で報告を待ちましょう。彰紋様にもそうお伝え下さい。」花梨付きの女房に眼で挨拶をする。「花梨さんの事、宜しくお願い致します。」
「分かりました。」



気付けば、全員びしょ濡れだ。女房が用意してくれた衣に着替え、控えの間で待つ。
そわそわそわ。
ウロウロウロ。
もぞもぞもぞ。
落ち着かず、イライラしながら待つ。
カタリ。
しばらく経って、彰紋が控えの間に入って来た。
「花梨さんは無事です。」
「どんな様子だ!?」
一斉に立ち上がって駆け寄る。イサトが彰紋の両腕を掴んで怒鳴るように訊いた。
「えぇ・・・。お怪我はなさっておりませんが、雨に随分濡れましたので。」顔を顰める。「今は着替えなさって、温かくしております。」
「お身体は大丈夫でしょうか?」
「だいぶ冷えてしまったので・・・。」
「精神的にも・・・大丈夫か?」
「頼忠がずっと・・・側にいるから・・・・・・。」
「頼忠が?」
「はい。」口ごもる。「頼忠が側にいないと・・・花梨さん・・・・・・泣くから・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
その場に一人、また一人と崩れるように座り込む。
「夜這いは・・・俺達が思っている以上に花梨にとっては辛い事なんだろう?」
勝真が幸鷹に訊ねた。
「はい。」頷く。「精神を病んだり、自ら死を選んだりしてしまう女人も多いのです。」
「青龍に助けを求めたり、あんな土砂降りの中、外に逃げ出したりするぐらいだしな。」
イサトがぽつりと呟いた。
「そう・・・です・・・・・・ね。」
「しかし。」泉水が俯いて膝の上の手を見つめる。「頼忠に対しては・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」彰紋も俯いて呟いた。「えぇ、そうですね・・・・・・・・・。」
頼忠にしがみ付いていた花梨。あの小さな手は、震えながらも頼忠の衣をしっかりと掴んでいた。頼忠以外の八葉、彰紋も側にいたのに。『僕では・・・駄目なんですね・・・・・・。』
「あの男と頼忠は・・・・・・違うと、いう事・・・か。」
勝真が上を向いて片手を眼の上に置いた。
「そういう事になりますね・・・・・・。」
複雑な思いが心の中で絡み合い、座ったまま動けずに居た。







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