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「あれ?あれあれあれ?」 目覚めた花梨は戸惑っていた。褥で寝た記憶が無い。誰かに運んで貰ったのだろうか。 「花梨様。おはよう御座います。」 「ねぇ、私を褥に運んでくれたんだね。お蔭で風邪を引かないで済んだよ。ありがとうってお礼を言いたいんだけど、誰?」 にこやかに挨拶をする女房に尋ねた。 「あら、頼忠殿ですわ。」 「え?頼忠さん?―――て、昨日は来るって文は無かったよね?」 「えぇ。ありませんでしたけど、いらっしゃいましたよ。」 「来ないとも言わなかったけど・・・・・・。う、全く気付かなかった・・・・・・・・・。」 折角逢いに来てくれたのに、寝ていたなんて悔しい。顔を顰める。叩き起こしてくれても良かったのに、などとぶつぶつ独り言を呟く。 「お逢いにはなれなかったのですか。残念でしたわね。」 「もう!私、一旦寝ちゃうと絶対に朝まで起きないの。土砂降りの雨が降ろうと地震が起ころうと。」 「まぁ。」苦笑する。―――あら?「もしかして・・・花梨様。ご結婚されてから一度も深夜に眼が覚めた事は御座いませんの?」 「そうだけど、それがどうかしたの?」 「何のご連絡も無くても、お越し下さっていますよ。」 毎回ではなく時々ですけど、と付け足す。 「え?」 絶句。 「任務の都合上、確実にとはお約束出来ませんので、と言っておりましたわ。万が一、反古にしてしまったら申し訳ありませんからと。」 「・・・・・・・・・。」 「花梨様がお休みになられる刻限よりもだいぶ遅くですから、仕方がありませんけど。」夜も更けてから、それこそ明ける直前の時もあった。それを思い出し、くすりと笑う。「ほんの少しの時間でも、花梨様のお傍に居たいのでしょうね。」 この少女が泣いたのは、無理矢理そういう関係を結ばれたからだろう。だから最初の頃は女房仲間の皆が頼忠に対して厳しい態度で接していた。だが、本当の夫婦になってからの方が花梨を大切に想っているのが伝わって来て、今では応援している。しかも同じ女同士、花梨自身が嫌がっていないのも分かるのだから。 「・・・・・・・・・。」 「では、失礼致します。」 恋する女の顔をして考え込んでいる花梨を一人残して、女房は静かに退出した。 「これって・・・・・・。」 一人になった花梨は、衣の袖を捲った。先ほど着替えようとして気付いた新しい痣、これは痣ではなくて頼忠の口付けの痕かもしれない。かもしれないでなく、そうであって欲しい。 「頼忠さん・・・逢いたいよぉ・・・・・・・・・。」 痣に触れると、恋しさのあまり涙が零れ落ちた。 数日後の夜、花梨は女房に頼んで室の中に火鉢と明かりを用意して貰った。 「よし、今夜は絶対に起きているぞ。」 今日は来るとも来ないとも、頼忠からの文は無かった。だから来るかもしれない。逢えるかもしれない。低い可能性に賭け、花梨は徹夜する覚悟だった。 文机に向かって歌集を広げる。しかし文字は眼に入らず、再び消えかけている痣に手で触れて考え事をしていた。 ―――ほんの少しの時間でも、花梨様のお傍に居たいのでしょうね――― 「頼忠さん・・・私の事、どう思っているの?」 尋ねたい。尋ねれば、花梨が好きだと言ってくれるかもしれない。 そんな淡い期待で胸を膨らます。 「・・・・・・・・・。」 だが、話し声も物音も全く聞こえない深夜。時間が過ぎるにつれ、下がっていく気温が不安な気持ちにさせる。 「帰る途中に立ち寄っただけ、て事もあるの・・・かな・・・・・・・・・?」 自分の室まで戻るのが面倒なだけだったら。 一度悪い方に思考が向くと、そのまま深みに嵌っていく。 「・・・・・・・・・。」 船岡山での頼忠の豹変振りを思い出す。 花梨を戸惑わせたかっただけなら。苦しむ姿が見たかっただけなら。もう十分満足したから二度とここには来ないと言われたら。 息が出来ない。苦しい。身体が震える。 「・・・・・・・・・。」 やっぱり答えを聞くのは怖い。それなら何も尋ねない方が良いかもしれない。たまたま起きていただけだというような顔をして。 「起きている私を・・・求めてくれるなら・・・・・・。」 このまま期待と不安を抱いて生きるのは辛い。だが、耐えられる。それだけで幸せだと感じられる。 「だけど・・・頼忠さんはそんな人じゃ・・・・・・な・・・い・・・・・・・・・。」 頼忠は誠実な男だ。花梨を、女を、弄ぶような真似はしない。嫌いな女なら結婚なんてしない。 「でも・・・優しい言葉を・・・言ってくれた事は・・・・・・・・・。」 唇を噛み締める。 「賭ける勇気、ある・・・・・・・・・?」 何度も繰り返し自問自答。そして出た答えは―――たった一つ。 どんなに信じていても、実際に顔を見てしまえば尋ねる事は出来ないだろう。花梨にとっての一番の願いは、この幸せを壊したくないという事なのだから。 「身体だけでも求めてくれたら・・・・・・それで十分、だもん。傍に、頼忠さんの傍に・・・いられれば・・・・・・・・・。」 夕方まで灯っていた希望の光が少しずつ弱くなっていく。 どれほどの時間が過ぎたのか。 サァーーー。 悩み苦しんで何度目かの大きなため息をついた時、室の中に冷たい風が入った。 「頼忠さん?」 「・・・・・・・・・。」 びくつきながら振り返る。だがそこに頼忠の姿は無く、一人の見知らぬ男が立って花梨を見つめていた。上級貴族らしい品の良い香りを纏い、穏やかな笑みを浮かべて。でも値踏みするように。 「誰?」 こんな時間に侵入して来た男の目的など、考えるまでもなく分かる。鳩尾の辺りがぎゅっと縮こまり、恐怖で手が震える。だが、帰ってくれと頼んで素直に帰ってくれるとは思えない。逃げ場所は無いかと必死で頭を働かせる。 入り口には男が居る。そこからは逃げられない。ならば・・・塗籠。中から留め金を掛けてしまえば―――。 ぱっと立ち上がると必死で走る。だが、扉に手を掛けた瞬間、花梨の横から腕が伸びてきて扉を押さえた。 「神子。そんなにつれない態度で逃げなくても宜しいではありませんか。」身体をかがめて花梨の耳元で囁く。「貴女を想ってここまで忍んで来た私を―――。」 「っ!」 男の吐息が氷の刃のように頬をかすめた。冷気が花梨を包み込む。顔をそむけると邪魔な腕の無い方から逃げようとする。だが、男の手が花梨の袖を掴んだ。 「どこへ行かれるのです?」 「止めて、触らないで!」 掴まれた腕を引っ張り必死に抵抗するが、男の力相手ではあまりにも無力だ。 「あぁ、神子。」肩を掴むと男の方を向かせる。「ただひとすじに貴女に焦がれ苦しんていた私をお見捨てにならないで下さい。」 「嫌!ヤダっ!!」 掴まれていないもう一方の手で殴りかかる。 「そんなに怖がらないで。こうなる運命だったのですから。」腕や胸を殴られようと所詮女の手、それほど痛みも感じられず気にならない。背中に腕を回して強引に抱き寄せる。「私と同じ想いを返して下さるなら、あなたにとって悪いようには致しません。」 「止めて!放して!」 腕が駄目ならと、ばたばたと足踏みする。と、丁度上手い具合に男の足の甲を思いっきり踏んだ。 「くっ!!」 痛みに顔が歪み、腕が緩む。 「っ!―――わっ!」 その隙に逃げようとしたが、男の手は花梨の袿を完全に離しておらず、引っ掛かるように戻されバランスを崩した。 「何故そんなにも頑なに拒むのですか?他の男の妻となられても、相手はたかが武士。龍神の神子であったあなたを、そんな男が幸せに出来る筈など無いでしょうに。」再び抱き締め、強引に花梨の顎を掴んだ。「あなたにはそんな男よりも私の方が相応しいのです。」 そう言うと、非力な少女を小馬鹿にするような勝ち誇った笑みを浮かべて顔を近付けた。 『嫌っ!頼忠さん、青龍!助けてっ!!』 その瞬間。 カッ!! 爆発するように室の中が白く輝いた。 「な、何だ?」 反射的に眼を瞑る。衝撃が去った後、恐る恐る眼を開けると―――。 『・・・・・・・・・・・・。』 光が消えたそこで、大きな青い龍が男を睨んでいた。 「な・・・・・・・・・。」 身体中の力が抜ける。花梨の袿を握り締めたまま、ずるずると座り込んだ。 「えぃっ!」 今度は足元にいる男の腕を蹴り払い、離れる。そして身体を捻って男が掴んだままの袿を脱ぎ捨て、夜着である薄い単衣姿のまま、花梨は室を飛び出して行った。 「これから訪問しても大丈夫だろうか?」 頼忠は考え込んでいた。院の御幸の護衛をする予定だったが、御気分がお変わりになられたらしい。急に身体が空いた。だいぶ遅い刻限だが、せめて寝顔だけでも見たい。無事な姿を確かめたい。明日は休みとなったが、それ以降はまた泊まり勤務が続くのだから。 「よし、行こう。」 今日は一日慌しく、伺えないとの文も送っていない。だったら遠慮する事は無い。私は夫だ。多少遅い刻限でも、妻に逢いに行って咎める者など居ない。 己に言い聞かせて歩き出した。 と、その時。 「宝珠が・・・冷たい?」耳に手がいく。「花梨殿に何かあったのか?」 不安に思いながら四条の屋敷の方に眼をやった。 その瞬間。 カッ!! 暗闇の中、屋敷の方から強烈な光が放たれた。これは普通ではありえない。 「あれは・・・・・・神子殿?」 神子殿、花梨殿に何があった? 走り出した。 |
無理矢理系・・・でも未遂。 またしても青龍に頼る。安易と言わないで―――自覚しているから。 護り刀を拾って来た事にして振り回そうかとも思ったんですけど、怪我をさせてしまったら大問題になってしまいますよね。それだと話が反れて長くなってしまうので断念致しました。 |