07B |
新年となり、人々は慌しく動き回っている。 そんな中、取り残された状態の花梨は一人静かな日々を過ごしていた。 「あ〜、今日も一日のんびりしちゃったなぁ。」 御簾の側で背伸びをすると、そのままころんと転がった。八葉の誰もが忙しく、四条の屋敷に挨拶に立ち寄る者もいない。 「二度目の新年だもん、頼忠さんが忙しいのは分かっているよ。」 片方の腕を枕にし、御簾越しに庭を眺める。 貴族は行事に挨拶回りに宴会にと忙しい。当然武士である頼忠はお供に警護に忙しい。そして源の一族としての行事もある。花梨に逢いに来ない日も多い。だが、もう一月も半ばを過ぎた。そろそろ落ち着くだろう。 「仕事が終われば妻に逢いに来るよね。」 毎夜と言っても良いぐらい、ほとんど来てくれていた。だからたった三日逢えないだけで寂しい。四日になると不安になる。 「私は・・・頼忠さんの妻、だもん・・・・・・・・・。」 赤い南天の実に白い雪が積もっていくのを見つめながら、この数ヶ月の事を思い出していた。 あの運命が変わった夜の翌朝、起きられなかった。何時までも塗籠から出て来ない花梨を心配して、屋敷中が大騒ぎとなった。夕方になって渋々起きたが、腫れてむくんだ顔を見た女房が、何があったのかと詰問する。 「何でもない。何も無い。」 そんな答えで誰が納得するというのか。泣き出す人もいたが、花梨にはそれ以上の事は説明出来ない。 「失礼致します。」 そんな騒ぎの中、頼忠が訪れた。大勢の女房に囲まれた花梨に近付くと我が物顔で抱き上げ、驚き戸惑う女房に構う事無く塗籠に連れて行った。 その夜から、頼忠は夫としての権利を行使している。 夜、陽が完全に落ちてから訪れる。そして花梨を塗籠に連れて行き、意識を失うまで攻め続ける。体力の全てを奪い取っていく。当然、翌朝起きられる筈も無く、出掛ける事はおろか挨拶に来た八葉の仲間達にも会えない。 袿の中に手を入れ、単衣の上から胸を触る。ただそれだけで頼忠の手の感触を思い出し、身体中が疼く。 花梨は頼忠のもの。この身体も全て頼忠のもの。頼忠の手が触れていない場所も、口付けを受けていない場所も無い。 それを望んだのだ。あの日あの瞬間、頼忠の妻になる事を。そして頼忠は妻に逢いに来ている。多くの夜を妻の元で過ごしている。 「花梨。これ以上、何を求めるの?約束を守っているじゃない。私を妻として扱ってくれているじゃない。」 だが、頼忠が昼間に来る事は無い。優しい言葉一つ掛ける事も無く、ただ肌を求めるだけ。朝、目覚めた時には頼忠はいない。 「やっぱり・・・怒っているのかな?」 従者として花梨に忠誠を誓い、頼忠の全てを捧げてくれていた。どんな要求にも従い、望みを叶えたのに。なのに花梨は酷い言葉一つで切り捨てた。見返りは望まないと言っていたが、その人格存在の全てを否定してしまったのだから、恨まれて当然なのだ。可愛さ余って憎さ100倍・・・意味は違うがそんな心境だろう。 丁度その夜、恋人と別れたのかもしれない。新たな恋人、性欲を解消する相手を探すのが面倒だっただけかもしれない。主として敬っていた小娘を、自分の好き勝手に出来るのが嬉しいのかもしれない。怒りにかられての嫌がらせ―――復讐だったのかもしれない。 「違う。あの男(ひと)はそんな男じゃない。」 探さずとも、女達は自分から寄って行く。花梨よりも美人で魅力的な女達が。遊び相手にも困らない男が、わざわざ好きでもない女を妻にする必要などないのだ。邪魔なだけなのだから。 それに憎んでいるなら、こんなにも頻繁には逢いに来ないだろう。行為だって、自分勝手ではない。花梨の反応を見ながら、色々と悦ぶ事をしてくれる。嫌だと思う事は二度としない。強引だけど、優しい。 片腕を上げる。すると、着ている衣の袖が下にずり落ちた。白い腕には消えかけの痣が何個もあるのが見える。―――頼忠の刻印。 腕を下げて口元に持っていき、一つの刻印の上に唇で触れた。こんな場所にまで口付ける頼忠。 「貴方は・・・私を嫌ってはいない・・・・・・・・・。」 主の命令が無ければ、貴方は好きでも無い女と結婚なんかしない。復讐目的だったら、こんなにも激しく求めない筈。 それが都合の良い思い込みだと分かっているが、でも、その考えに縋りつく。頼忠の本音なんか、尋ねない。知りたくない。わざわざ自分から真実を知って、傷付かなくたって良い。このまま夢の中を漂っていよう。頼忠が花梨を妻とした事実は変わらないのだから。私を抱き締めているのは貴方なのだから。 私は貴方に愛されている――――――そう信じていれば良いのだ。 そのまま眼を閉じ、眠りに落ちた。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」落ち着かない様子の男を見ながら、大げさなため息を吐いた。「おい、頼忠。これは俺が届けておくから、お前はさっさと帰れ。」 「・・・いや。」首を振る。「任務の途中で帰る訳には―――。」 「そんな事は気にしなくて良いんだ。」武士団の仲間の男が苦笑した。「どうせ俺達は今夜、武士団で寝るんだ。お前は愛妻の屋敷に行きたいんだろう?」 「・・・・・・・・・。」 「俺の妻が寝込んだ時は夜勤も使いも代わって貰ったんだ。たまには借りを返させてくれ。」 「そうそう。」別の一人も頷いた。「新婚のお前に仕事を押し付けていたんだから、遠慮する事無いぞ?今度はお前が愛妻のご機嫌を取らなきゃな。」 「・・・・・・・・・。」 「明日からまた泊まり勤務だ。今夜だけだぜ、可愛い妻の顔を拝めるのは。」 「・・・・・・・・・。」 「ほれ、行けよ。」 二人でどんと背中を押す。と、やっと頷いた。 「すまない。」 そう言うと足早に歩き去った。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 そんな頼忠を苦笑しながら見送る。 「新婚ほやほやの時にまで夜勤も遠出の使いも積極的に引き受けるから心配だったが。」 「押し付けた当人が何を言ってやがる。」小突く。「でもまぁ、喧嘩でもしていたんだろう。思い詰めたような顔で任務に集中出来ていなかったからな。」 「喧嘩って、あいつがか?子供じゃあるまいし。」苦笑。「結婚した相手って神子様だろう?身分がどうのこうのって悩んでいたんじゃないのか?」 「そうかもな。」こちらも苦笑い。「まぁ、まだ堅苦しい態度は抜けないようだが、通う事には慣れたみたいだな。」 「慣れたというよりも。」いやらしい笑みを浮かべる。「思ってたよりも相性が良かったんじゃないのか?気持ち良すぎて頭の中はそれで一杯、てな顔だぜ、あれは。」 「そうかもな。」こちらもにやり。「あいつはずっと女の気配が無かったし、良い事だ。」 「これで俺達の気持ちも少しは理解出来るだろう。」 「う〜〜〜ん、だがまだ深刻な顔をしているな。」 眉を顰める。 「あいつの事だ。今度は神子様に無礼を働いているとでも悩んでいるんだろう。」 「無礼って・・・。」苦笑。「褥の中で礼儀正しくしていられるかってんだ。」 「まぁな。」 「そろそろ落ち着いてくれないと、こっちが心配なんだが。」 「大丈夫だろう、頼忠の事だから。だけどさ、仲良くなりすぎて余計に上の空になったりしてな。」 「まっさかぁ!」 がっははと笑い合う。が、去って行った方向をチラリと見て考え込む。 「だが・・・生真面目なヤツって一旦箍(たが)がゆるむと・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 再び顔を見合す。 「ま、まぁ、あいつなら大丈夫だろう。」 「そ、そうだな。」 お互いに言い聞かすように頷きあった。 「花梨様。頼忠殿が―――。」途中で声が止まる。と、慌てたように御簾の側にしゃがみ込んだ。「このような場所で寝込まれては風邪をお召しになってしまいますのに。」 「私がお運び致しましょう。」 後ろからやって来た頼忠がそっと抱き上げる。そして女房に頷いた。 「そうですか?では宜しくお願い致します。」 そのまま塗籠に籠もるのは分かっている。深々とお辞儀をすると、すすっと退出した。 「ん・・・・・・すぅ・・・・・・・・・。」 塗籠に入っても、すぐには褥に寝かせない。ぎゅっと抱き締めたまま、吐息を聴いていた。 「良かった・・・。貴女は生きている。生きてこの腕の中に居る・・・・・・・・・。」 しばらく安堵感に浸る。そして頭だけでなく心でも理解した後、邪魔な袿だけ脱がして褥に寝かせる。自分も余計な衣を脱いでその隣に潜り込んだ。 「お休みなさいませ、花梨。」 額に口付けを落とすと、花梨は大きく息を吐きながら頼忠に擦り寄ってきた。 「ぅん・・・・・・・・・。」 左腕を首の下に回し、抱き寄せる。すると楽な姿勢になるようにもぞもぞと動き、頼忠に腕を回して抱き付く。 「花梨・・・・・・・・・。」 無意識の内に抱き付いてくれる、この嬉しい瞬間。愛しさが増す。だが、同時に罪悪感で苦しむ時間でもある。 あの日あの瞬間、ただこの女(ひと)が欲しかった。どんなに嫌われようとも、憎まれようとも、抱き締めて生きたかった。だから追い詰めた。男と交わった事も無い少女を快楽の罠に突き落とし、混乱させ、逃げ道を塞いだ。楽になるには頼忠の妻となるしか無いと脅して。 「卑怯者。」 自虐気味に呟く。 少女に掛ける言葉は見付からない。頼忠を責める言葉も聞きたくない。口を開く隙を作らずに抱き締める。悦びの声だけを聞く為に。 少女の片方の腕を取ると、単衣の袖がずり落ちて白い肌が見えた。頼忠が付けた刻印は殆ど消えかけている。手首の下の白い肌に唇を寄せてきつく吸い上げれば、新たな痣が付いた。 「申し訳ありません。」 これは頼忠の名。これを見て貴女は頼忠を思う。嫌悪の感情であろうと、貴女の心から頼忠を消し去る事は出来ない。 「申し訳ありません。」 心を満たして差し上げる事は出来ない。ならばせめて、身体に悦びを与えよう。ため息を甘い吐息へ、哀しみの涙を艶やかな雫へ、泣き声を嬌声へと変えよう。頼忠の妻でも耐えられるように。そして多くの夜、攻め続ける。体力の無い貴女は、朝、起きられない。男と出掛ける事は出来ない。頼忠以外の男と会えない。 ―――独占欲という醜い感情に染まった心―――。 「花梨・・・・・・・・・。」 無意識の内に抱き付いてくれる、この嬉しい瞬間。貴女の意識がある時には、永遠に感じる事は出来ないだろう。 「花梨。申し訳ありません。」 貴女を自由にする事は出来ないのです・・・・・・・・・。 深く抱き締めると、束の間の眠りに落ちた。 |