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珍しく八葉の誰一人として来なかったとある日、花梨は一人簀子に座ってのんびりとした時間を過ごしていた。 「ちょっと寒いかな。もう完全に秋だねぇ・・・・・・。」 朝や夜は袿を一枚多く羽織るようになった。昼間は暖かいが、曇っていたり風が少し吹くと肌寒く感じる。 「・・・・・・・・・。」花梨が高欄に寄り掛かって庭を見ると、見覚えのある花が咲いていた。「京に来てから・・・一年経ったんだ・・・・・・。」 最近、頼忠は全く来ない。いや、来ている事は来ているが、花梨が寝ている真夜中に来て、花梨が起きる前に出掛ける。時には、花梨が外出中の昼間にほんのわずかな時間だけ。花梨を避けている。会話するどころか、もう何日も姿を見ない。 「今日も逢えないのかな?だったらもう・・・・・・・・・良いかな。」 この京を一年見た。あちこちに出掛けたし、祭りや市も見に行った。特別な行事にも八葉だった人に頼んで陰から見せてもらった。頼忠が見る景色は、大体見尽くしただろう。年末は行事が多く、忙しい。だったら今がその時なのかもしれない。 「今日でお別れしよう・・・・・・・・・。」 覚悟を決めてゆっくりと立ち上がる。そして室に戻り、荷物の整理整頓を始めた。紫姫が用意してくれた物、八葉のみんなから貰った物、そして自分の世界から持って来た物。きちんと仕分ける。そして迷子にならないように自分で作った京の地図や、物忌みの付き添いを頼む文のお手本、暇つぶしに書いた落書きなど、捨てる物は一纏めにする。 「やり残した事は・・・・・・・・・。」 室の中を見回す。と、ふと眼が止まったのは頼忠の文机。 「置き手紙、書いた方が良いのかな?」 女性からの文が山積みとなっている。その中の一人となるのは嫌だけれど、礼儀としてお礼の言葉の一つぐらいは必要だろう。気付かなかったら気付かなかったでそれで良い。最後の最後まで、その程度の関係でしか無かったのだから。 花梨は自分の文机から数枚の紫苑色の紙を取り出し、一瞬考えてから仕舞う。 「薄様の紙だと恋文っぽいもんね。」 代わりに頼忠の文箱から頼忠が普段使っている紙を一枚取り出し、さらさらと書き始めた。書きたい事は、伝えたい事は山ほどある。でも余計な事を考えさせないように、たった一言だけ。 屋敷中が寝静まった頃、花梨は目立たないように濃紺色の袿を頭からすっぽり被り、細長い巾着袋を持って屋敷を抜け出した。 「うぅぅ・・・、懐中電灯が欲しいよぉ。」 月明かりだけでは足元がよく見えず、蹴躓きながら山道を歩く。しかし、目的地には無事に辿り着いた。 「夜に来たのは初めてだけど・・・綺麗・・・・・・・・・。」 さすがに電灯の無いこの世界では、町はほとんど見えない。しかし、眼の前の青紫色の花は風で靡き、月明かりで幻想的な風景を作っている。 「ここなら秋になれば。秋だけは貴方に逢える。」 しばらくこの景色を楽しみ、脳裏に焼き付ける。 袿をたたんで側の大きな石に置くと、靴と靴下を脱いで地面に直接座った。 「ここは花の褥って感じだね。うん、風雅だわ。」 そして持って来た巾着袋を抱き締める。頼忠の袿とお揃いの巾着袋、その中には頼忠から貰った護り刀が入っている。 「願掛けは、所詮願掛け。期待していなかったもん・・・・・・。」 もしも昼間来てくれたら、花梨が巾着袋を縫っているのに気付いただろう。護り刀を大切にしている事に。今もずっと持ち歩いている事に。 貴方に守って欲しいと、傍にいて欲しいと、そう思っている事に気付いて欲しかったのだけど―――願いは届かなかった。 「約束を破ってしまってごめんなさい。」 身体だけでなく、心も守ると約束してくれた頼忠。返すという約束で借りた物だけど、でも、返せない。せめてこれだけは傍に居て欲しい。ここで眠る私の魂を、ずっと守って欲しい。 「風邪薬が役に立つなんて、思ってもいなかったな。」睡眠薬入りの風邪薬。私を優しく導いてくれるだろう。「お休みなさい・・・・・・・・・。」 夏でも、地面に直接寝ると凍死するという。土となり、美しい花を咲かせよう。花と共に、ここから貴方を見守ろう。ポケットに入っていた一掴み分の白い粒を飲み下すと、ごわつく上着を脱ぎ、再び巾着袋を抱き締める。そしてそのまま花に囲まれるように身体を横たえ、眼を閉じた―――。 その頃。 頼忠は数日続いた任務から解放され、着替えを取りに久し振りに四条の屋敷を訪れた。 「・・・・・・・・・。」 しかし室に入った途端、何やら違和感を覚え見回す。 「・・・・・・・・・。」 綺麗に整えられているのは何時もと同じ。なのに何かがおかしい。 「・・・・・・・・・。」 と、己の文机の上に置いてある文の山の中に、粗雑な紙の文が紛れ込んでいるのに気付いた。武士団か故郷の誰かからなら重要な文だろうと手に取る。 『 頼忠さんへ 今までありがとう御座いました。 花梨 』 「・・・・・・・・・。」 呼吸が―――止まった。あまりにも素っ気無い、別れの文。頼忠という存在は、直接言葉を掛ける価値も無いという事か。 「・・・・・・・・・。」 ずるずるとだらしなく座り込むと、文机の上で腕を素早く振って積み上げられた文の山を床に投げ落とす。そして出来た空間に突っ伏した。 お逢いしない方が良いと思っていた。だからこのような別れで良いのだ。姿を見れば、声を聞いてしまえば、己を抑えきる自信は無いのだから。傷付ける前にお別れ出来て良かったと・・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・。」 どんなにそう思い込もうとしても、虚しく、苦しい。悔恨の念しか感じられない。 「・・・・・・・・・静かだ。」 眼を閉じる。だが次の瞬間、飛び起きた。 「おかしい。静か過ぎる。」 もう一度文を読み返す。別れの文、これは神子殿がご自分の世界にお帰りになられたという意味に読める。だが。 「星の一族の二人も静か過ぎる。」 礼儀正しく、優しいあの女(ひと)が、星の一族に何も言わないで帰るとは信じられない。伝えたなら伝えたで、準備やら挨拶やらで屋敷中が大騒ぎになる筈だ。頼忠に黙っていてと口止めしたとしても、帰られた後も秘密にしている必要は無い。ならば。 「まだ、この京の・・・どこかに・・・・・・・・・居られる?」 翡翠だけでなく、八葉の全員が少女に特別な想いを抱いている。この結婚が形だけなのも知っている。心を通わせたのなら、遠慮などする必要はない。堂々と宣言し、頼忠の代わりに通い始めれば良いだけの事。八葉以外の男では、心を通わせるほど親しく会っていた者はいない。ならば男の元には居られない筈だ。 「どこだ?貴女はどこに行かれたのだ?」 永久に逢えないと思った反動から、慕う想いは全身を焼き尽くすほどに激しさを増す。それと同時に言いようの無い不安に襲われた。 「どこだ?貴女はどこに居られるのだ?」 お供をしていた時の事を思い出そうと懸命に考える。 花が美しく咲き誇る場所なら今は泉殿、見晴らしの良い場所なら神護寺、見ていて楽しくなる物があるなら大豊神社、静かに考え事をしたいなら蚕の社など、あの女(ひと)のお好きな場所は沢山ある。だが、こんな時に行きたいと思うのはそのような場所ではない筈だ。 「このような嘘をついてまで、貴女は何をなさるおつもりですか?」 ご自分の世界に戻られるのを伸ばしてまで、この京に居る理由は今も分からない。だが、わざわざ頼忠と結婚までしたのだから余程の強い想いが御ありなのだろう。 『ここからだと、京全体が見渡せる・・・。』 ふと、少女が神子だった頃に聞いた言葉を思い出した。事実を言うのではなく、何らかの思いを込めて呟かれた。貴女を京に引き止める「それ」を見守るのに一番適した場所、そこは――――――。 頼忠は走り出した。 注意・・・A編は『護り刀に想いを込めて』 |