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「暑〜〜〜い!蒸し風呂の中にいるみたいだよ・・・・・・・・・。」 さすがに男と同じ部屋に寝る事は出来ない。いくら従者として忠実でも、花梨を女として見ていなくても。夏でも塗籠の中で寝ている花梨は、冷たさを求めて床をコロコロと転がりながら愚痴を零した。団扇で扇ぐが、生温かい風しか来ない。 「あっちぃ・・・・・・。」 次第に疲れてゆっくりと扇ぐ。 「あ〜もう嫌っ!」 弱い風では気持ち悪いだけだ。苛立ち、団扇を放り投げる。だが、風が無ければ無いで汗でベタ付き、夜着が肌に貼り付く。手を伸ばして団扇を拾い上げ、再び乱暴に扇ぐ。終まいには、最後の手段とばかりに単衣の胸元も裾も乱して仰向けに寝転んだ。部屋の隅に置いた燈台の灯りで薄ぼんやりと天井が見える。 イライラしている時は、嫌な事ばかり頭に浮かんでしまう。 「良い考えだと思ったんだけどな。」ぽつりと呟いた。「私・・・・・・何をやっているんだろう・・・・・・・・・・?」 京の行く末を見守りたい。―――そんな理由で残る花梨に異を唱える者は居ない。不審に思っても、一年という期間を設けたのだから遠慮してくれる、それは簡単に予想出来た。そして頼忠に結婚しろと迫ったのは、傍に居るように仕向けたかったから。この京に残っても、逢えなかったら意味は無いのだから。 「負担を軽くしたかったのに・・・・・・。」 形だけの夫という微妙な立場ではこの屋敷にいても寛げない、それも分かっていた。だから、自由にして良い、女遊びもOKとしたのだ。役目が終わったのに一年も縛り付けられるのは迷惑だろうし、そのせいで花梨に対して嫌悪感を抱いて欲しくなかったから。少しでも気が楽になれば、と。 だが、それは逆効果だったようだ。 最近、視線を逸らされる事が多くなった。この屋敷に通って来る事も少なくなった。 「今日も来ないんだろうな。」 来られないとの文は無かったが、ここの所ずっと仕事が忙しいと言っていた。仲間の一人の奥さんが病気だとか。容態が急変した時にはその男の仕事を代わる事もあると。だが、花梨はその言葉を信じていない。気まずい屋敷に来ないで済む口実、言い訳としか聞こえない。 むっくり起きると、身だしなみを整えながら塗籠を出る。花梨の室の中には、夜中に来ても女房を起こさないで済むように頼忠の褥が用意されている。眠る主(ぬし)のいない褥。 枕元に置いてあった頼忠の袿を手に取る。 「頼忠さんの匂い・・・少しする・・・・・・・・・。」 それを風の通る御簾の側に広げると、その上にころんと転がり、うつ伏せになった。室の中に視線をやれば、頼忠の文机が眼に入った。女から贈られた文で埋もれている机が。 「恋文って、やっぱり嬉しいのかな・・・・・・・・・?」 花梨がいても顔色一つ変えず、隠そうともしない。花梨宛の求婚の文にも何も言わないから、花梨も興味が無いふりをしている。最初から言う資格も無いが。 「女遊びしても構わないなんて、言わなきゃ良かった・・・・・・・・・。」 我慢出来ると思っていた。だが、実際は恋文を見るだけで苦しい。この中には一人や二人、好みの女性も居るだろう。会いたいと思う女性が。そして会いたいと思ったら、躊躇わずに会いに行ける。もう既に花梨の許可は貰っているのだから―――今、正にこの時間に女性を抱き締めていても――――――。 寝返りを打って文が見えない方向、庭の方を向く。 「頼忠さんって、恋人に対しても誠実・・・なんだろうな。」 この結婚は『主』の命令に従っただけ。花梨は頼忠にとって『女の子』ではない。時間が経てば経つほど、『主』でもなくなる。―――鬱陶しい存在へと変わるだろう。 「そろそろ限界かな・・・・・・・・・?」 一年、もたなかったか。恋人の存在がはっきりする前に。頼忠の口から解消の言葉を聞く前に。頼忠の妻という夢が壊れる前に。 「さよなら、しなきゃ・・・・・・・・・。」 一度深呼吸をして袿の匂いを胸一杯に吸い込むと、眼を閉じた。 「・・・・・・・・・。」 頼忠は今日もまた、四条の屋敷を訪れるのに躊躇いを覚えていた。 昼間、少女の姿を見掛けた。八葉だった一人の男と共にいるのを。何事か笑い合う二人を。何時ものように室の中まで送り、そしてしばらく会話をするのだろう。男の気配が残るまで長い時間。 「関心など無いのは分かっていたが・・・・・・・・・。」 頼忠の不在の時に届いた女人からの文、恋文。頼忠が読まない事を知らないだけでなく、思慮も浅く、無神経な若い女房が頼忠の文机に置いたのだが、少女は気付いていない筈は無いのに全く態度に表さなくて。会話のきっかけにもならないのが淋しい。そこまで頼忠に無関心なのが辛い。処分を頼むのも億劫でそのまま放置してある。 それと同時に。 一日ごとに明るさが増していく京の町とは反対に、頼忠の前では『形だけの妻』の笑顔が消えていく。その表情が心配でもあり不安でもあるが、切な気に物思いに耽る横顔に魅せられて。この厳しい暑さのせいで血色の良くなった頬や、汗でへばり付いた髪を鬱陶しそうに後ろに払う仕種に、浅ましい想いを抱いてしまって。 「姫君はなぜこの京に居るのだろうね。」 翡翠の言葉が頭から離れない。 「この京がどうなるのか見届けたいとおっしゃっておられた。」 「その言葉を本気で信じているのかい?」薄ら笑いを浮かべる。「それだけの理由で、あれだけ帰りたがった自分の世界に帰るのを伸ばしたとでも?」 「・・・・・・・・・。」 「私は諦めるつもりなど無いよ。お前は彼女の夫とはいえ形だけだからね。遠慮はしないよ。」 「・・・・・・・・・。」 反論出来ずに黙り込む。あの女(ひと)がこの京に『強い想い』を持っている事は分かっている。 ―――女性と夜遊びしても咎める事などしませんから――― それは反対に、少女が頼忠以外の男と会う事に差し出口は出来ないという事だ。誰を想い続けているのかを尋ねる事も。 「いや・・・、お役目は果たさねば・・・・・・。」直接お逢いしなくても、四条の屋敷に通っているという事実は必要だろう。今頃塗籠の中で眠っておられる刻限だ。夜が明ける前に帰れば良い。「行こう。」 勇気を振り絞り、そしてやっと屋敷を訪れたが。 「か・・・りん・・・・・・。」 横向きに身体を丸めて寝ている少女の姿が御簾越しに見えた。頼忠の濃紺色の袿の上に、真っ白い単衣一枚の姿で。 ドクン。 心の臓が、ゆっくりと、だが激しく打つ。 少し伸びた髪が華奢な首に乱れ、肌を隠している。脚を折り曲げているから、細い腰も丸い尻もはっきりと形を見せていて。 「・・・・・・・・・。」 お守りしたい『主』だった少女が、何時の間にかに心乱す『女人』へと変わってしまった。その腰紐を解きたいと。一糸も纏わない姿にし、この手で素肌に触れたいと。それはもう、密やかな願いではなく、強い欲望だ ドクン。 高鳴る胸を手で押さえる。 「駄目だ。この女(ひと)は駄目だ。」 そのまま御簾に触れる事無く背を向けた。 天高く昇っている月を見上げる。 ―――お逢いしてはいけない――― 役目を終えられたとはいえ、あの方が龍神の神子に、私の『主』である事に変わりは無い。清らかな神子のお傍にいてはいけない。『夫』との役目を与えて下さったが、この想いは日増しに強くなっている。衝動を抑えきれなくなる日が必ず来る。 ―――お逢いしてはならない――― 残り四ヶ月。 従者の立場を守れぬなら。役目を果たせないなら。 『元龍神の神子の夫』という肩書きだけで満足せねば。 「やはり貴女に近付いてはならない。」 二人きりになる瞬間を作ってはならない。特に、心を制御するのが難しい夜は。 心の準備を始めた花梨は、布と白い紐、そして裁縫道具の用意を頼んだ。 「青とか紺色、出来れば紫苑色が良いんだけど。」 「分かりましたわ。柄や刺繍はどう致しましょうか?」 豪華な布を手配しようとするのを慌てて止める。 「無地の方が良いんだけど。完成するかどうかの心配をしているほどだから、バランス、柄の事まで気にする余裕はないの。」 「そうですか?丁度美しい布を手配しようと考えているところでしたのに。」 物足りなさそうな表情の女房に、さり気なく言う。 「うん。ほら、この前頼忠さんの袿を縫ったでしょう?その余り布で良いの。小さな物を入れる袋を作りたいだけだから。」 「花梨様。私がお作り致しますのに。」 何かの時に裁縫は苦手だと言った花梨を心配してそう言ってくれたが、首を振った。 「これは自分で作りたいの。作って貰った方が綺麗に仕上がるのは分かっているけど、願掛けの意味もあるから。」 「まぁ。お願い事を。」 「そう。みんなは写経とかしているけど、私、それは無理だもん。その代わり、苦手な事に挑戦というか、そういう事。」 「そうですか。では、手伝いが欲しい時はお声を掛けて下さいね。」 紫苑色の余り布を手渡しながら、念の為に一言添える。 「うん。その時はお願いします。」 まぁ、たかが細長い巾着袋だ。上手な事に越した事はないが、自分以外の眼には触れる事はない。何とかなるだろう。 「さてと。」 一人になると入れる物の長さを計りながら布を裁断しに掛かった。 |