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「ウソツキ。本当は泣き縋りたいくせに。」室から離れて初めて、思っている事を言葉にする。「貴方が好きだと言いたいのに。」 でも従者としての役目を果たしているだけの頼忠に、これ以上の負担は掛けたくない。想いを伝えてしまえば、心を返せない事で苦しめてしまうだろう。いくら主の命令でも、興味の無い女に恋愛感情を抱くのは無理なのだから。 高欄に寄り掛かかって空を見上げれば、そこに月が輝いていた。 「綺麗・・・・・・・・・。」 毎日のように外を歩く。 一日ごとに明るくなっていく人々の表情。子供の笑い声が響く町。花びらが舞い、青い空を彩る。 「京って綺麗な町だね。」 「そうだろそうだろ?これが京の本当の姿さ。オレ達の町さ!」イサトが自慢げに言う。「お前のおかげだよ。生きる事に前向きになれたのは!」 腕を広げて満面の笑み。 「・・・・・・・・・。」 花梨は片手を眼の上に上げて太陽の光を遮りながら見上げた。爽やかな風が木蓮の甘い匂いを運んでいる。 「頑張って良かったね。」イサトに微笑み返したが、花梨の瞳が見ていたのは別の男の顔。「諦めないで良かった。」 あの男(ひと)はこの町を歩いているんだ。この景色を見て、風を感じて。この京で―――生きていく。 「今も海賊に興味はおありかい?」 高い枝に咲いている綺麗な花を手折りながら、翡翠が尋ねた。 「そうですね。私の世界には海賊は居ませんから、ありますよ。」 「ならば、京で見るべきものを見終わったら伊予にお連れしようか?一年と言わず、十年でも二十年でも。あそこは退屈する暇なんてないよ。」 「いくらなんでも一年以上は無理ですよ。お母さんが恋しくて泣いてしまいます。」 「そうかい。それは残念だ。」花を花梨の手の上に乗せる。「だが、気が変わったら何時でも言っておくれ。いや、戻る時に君を攫っていこうかな?」 「・・・・・・・・・。」 軽い冗談には曖昧な笑みを返す。今の花梨には伊予なんて興味は無い。あの男(ひと)のいない場所には。 もう嘘を言う事には慣れた。頼忠の事など気にしていないという表情も、それが普段の顔となった。他人を騙す事に、良心を痛める事など無くなった。もう自分の事しか考えない。 「もう少し、もう少しの間だけ。」 京を救ったご褒美は、頼忠の傍にいる時間。月を手に入れる事は出来ない。けれど、見つめるのは許して欲しい。手に入れた気分を味わせて欲しい。消えない想い出を作ったら、頼忠を心に刻み込んだら、そしたらさよならしよう。この男(ひと)の住む京の姿を覚えたら・・・・・・。 頼忠は夫という立場上、四条の屋敷では花梨の室内にいる。そして、安らかな眠りとは無縁の夜を過ごしている。 「ん・・・・・・。」 浅い眠りにさえ落ちず、また寝返りを打った。すると否応無しに眼に飛び込む塗籠の扉。この奥に、少女はいる。 「今頃、夢でも見ておられるのだろうか?」 どんなに消し去ろうとしても、脳裏に浮かぶのは少女の乱れた寝姿。天の青龍であった頃、庭で警護をしていた。その時でさえ、想いを寄せる少女の眠る方を向くのが辛かったというのに。なのに薄い扉一つ隔てたこの場所で、少女の匂いが香るこの室内で眠る事など出来る筈も無く。 「はぁ・・・・・・。」 仰向けになり、天井を睨み付ける。だが、眼の端で扉を見つめてしまう。あの女(ひと)が出てこられはしないかと期待して。入り込む口実は無いかと考えながら。 「愚かだな。」 両手で顔を覆い、思いっきり息を吐き出す。眠るのを諦め、褥から起き上がった。そして枕元に置いてあった袿を一枚着込むと、室を出て廂に座り込む。格子の隙間から見えるのは、輝く月。 「美しいな。」 昼間の出来事を思い出す。 七条で開かれていた市に、棟梁の使いで行った。買い物は簡単に済んだが、勝真と一緒にいる少女を見掛けた。 「やっぱり市って楽しいね。」 にこにこと笑みを浮かべ、はしゃいでいた。 「そうか?」 「珍しい物、綺麗な物、可愛い物。うん、面白い。」 「気に入った物があれば言えよ。買ってやるから。」 「ありがとう!でも、必要な物は全部紫姫が用意してくれるから、見ているだけで良いの。」 「馬鹿だな。必要な物じゃなくて、欲しい物だ。手元に置いて、見て楽しむ物だ。」 「でも、勿体無いよ。」 「遠慮なんかしていないで、たまには我が儘の一つぐらい言ったらどうだ?」 「え?でも―――。」 「もういい。お前が好みそうな物を俺が選んでやる。来い。」 「ちょ、ちょっと待って!勝真さんてば、ちょっと待ってよ!」 さっさと歩いて行く勝真の後を、慌てて追い掛けて行く。 昨日も一昨日も、その前も見掛けた。八葉だった男と一緒にいる少女を。 ある日はイサトが少女の手を握り引っ張って走り。 ある日は清んだ泉に手を浸す少女の隣に彰紋様がいた。 ある日は幸鷹殿がお参りしながら少女にそこの寺や神社の説明をしていて。 ある日は翡翠が耳元で何かを囁き、少女は頬を真っ赤に染めて困ったように微笑み返した。 泉水殿が笛の稽古をしていれば、その傍に少女が座って聴いていて。 泰継殿が妙な気の流れを読み取れば、少女も共に行かれる。 ここでもあそこでも少女の面影を宿す町。頼忠以外の男と共に笑い合う・・・・・・町。 そしてこの屋敷内にも、理由を付けては男達が次々と訪ねて来る。 ある日は友人となられた千歳殿の文を兄である勝真が届け。 ある日は手先の器用なイサトが壊れた所を修理している。 ある日は彰紋様が後見人をなさっている深苑殿の様子を見に。 ある日は幸鷹殿が尼君に挨拶をしに来られて。 ある日は翡翠が検非違使に追い掛けられて逃げ込む。 ある日は泉水殿が院のお言葉を伝えに。 ある日は泰継殿がこの屋敷を清める為に。 何時の日にも誰かしら男がいる・・・・・・屋敷。 「あの女(ひと)は龍神の神子だ。役目を終えられたとはいえ、それに変わりはない。」 貴女が私の主だという事実は変わらない。私は貴女の従者として、お守りする。望みを叶える。この『夫』という新たな役目も、貴女をお守りする為のもの。信頼しているからこそ、頼忠に与えたのだろう。それに応えねばならない。従者が主のお傍にいる許しを得られた事は、喜ぶべき事だ。 だが。 どんなに偽ろうとも、この心はあの女(ひと)に対して主以上の感情を抱いている。頼忠の全てが吸い寄せられてしまう。 腕を伸ばすと、格子の隙間から入り込んだ光が掌を照らす。握り締めても、月はおろか光さえ手に入れる事は出来無い。 「貴女は・・・月だ・・・・・・・・・。」 地上に輝く月。その月はこの頼忠にも光を投げ掛けているのに。なのに、天に輝く月と同じく、頼忠の存在に気を留める事は無い。 形だけの夫―――手を伸ばせば届く所におられるが、触れる事など許されていない。 この役目を、頼忠に与えて下さった事が嬉しい。他の男がこの少女の傍にいたら、気が狂わんばかりに苦しんだだろう。だが、天国と地獄の狭間に落ちたような、中途半端な幸せが反対に辛い。 せめて。 立てた片膝に顔を埋め、束の間の眠りにつく。 「かり・・・ん・・・・・・・・・。」 花に口付ける桃色の唇に触れるという、願いを叶える夢の中へ。 |