『―――後日談〜内裏5〜―――』



花梨がいなくなった途端、室の中は神子の噂話で騒がしくなった。
「あの少女が龍神の神子というのは本当でしたね。」
「そうですな。神々しい光に包まれておいでだ。」
賞賛のため息が零れるが、心中複雑だ。
「確かにあんな戦いに明け暮れる生活ならば、深窓の姫君では務まらんな。」
「姫でなくたって無理ですよ。」
武官の一人が言うと、他の者も頷いた。男の私だって無理なんだから、とは誰一人として言わないが。
「あんな恐ろしげな怨霊相手に顔色一つ変えないで戦うなんて、とてもじゃないが正気の沙汰とは思えん。」
あまりに無神経な一言に、周りの者は顔色を変えたが。
「これが龍神の神子に選ばれた理由なのだな。」
続けられた言葉に大きく頷いた。

「お兄さん、私、帰ります!」来た時の衣に着替えた花梨が駆け込んで来た。「色々とお世話になりました!」大きくお辞儀をすると幸鷹の方を向いた。「幸鷹さん、心配掛けてごめんなさい。さようなら!」
返事を聞かずに再び駆け出した。八葉の他の二人の側を走り抜けながら手を振った。
「彰紋くん、泉水さん。じゃあ、またねっ!」
帝達が呆気にとられている間に花梨は室を飛び出す。
「頼忠さん、受け止めて!!」
「神子殿?」
慌てて高欄に近付くと、花梨はスピードを落とさぬまま高欄に手を掛け、飛び越えた。
ドサッッ!
頼忠の腕の中に着地。
「ナイスキャッチ♪」
「・・・・・・神子殿。」
ちゃんと受け止める事が出来て安堵したが、さすがの頼忠も半分呆れ顔。
「靴はないの。このまま連れて帰ってくれない?」
「は・・・い?」
困ったように頼忠は建物の中、幸鷹達を見た。
「どうぞ、お帰り下さい。」
幸鷹と帝が頷き微笑むと、頼忠は頭を下げた。
「ありがとう御座いました。さようなら!」
花梨は頼忠の肩越しに腕を振って叫ぶ。と、歩き出した頼忠に笑いながら何事か話し掛けた。

神子のいない内裏、これが普段の様子なのだがやけに静かに感じられる。
「彰紋は天女に例えていたが。」
帝の肩が揺れている。
「えぇ、まぁその。」
幸鷹も苦笑している。
「雷か竜巻の女神のようだな。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
側に来ていた彰紋と泉水も曖昧な笑みを浮かべた。

『あの娘を入内させるのは無理だな。』
口には出さぬが貴族達みんな同じ考えだ。策を講じて強引に推し進めても、自分の手に負えるような、思い通りになるような娘では無い。それどころか、どんな騒ぎを引き起こすか予測する事は不可能だ。あの切れ者幸鷹を振り回すような娘では。

「ところで、共に帰って行ったあの男が神子の元に通っているのか?」
三人を見回しながら尋ねた。
「「「うっ。」」」
一瞬言葉に詰まったが。
「はい。龍神様がお認めになられました。」
彰紋が頷き答えた。
「そうか。あの者は気苦労の耐えない人生を歩む覚悟を決めたのか。」
帝はそう呟くと、もう姿の見えない神子の面影を探すように庭を見つめる。
「お兄さん、か・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
彰紋達は帝の瞳に三人と同じ感情を見つけ、視線を庭に移した。

『龍神が認めたのか。』
そして帝も。
龍神の神子を権力争いの駒にする事は諦め、輝く月を見上げた。
『触らぬ神子に祟り無し、だな。』
しかし悪口言いたい放題だった者でさえ救おうとするような神子ならば、ご機嫌取りしておけば困った時は助けてくれるだろう。―――利用出来なくとも。
「美しい月だな。」
「今宵は闇夜だった筈だが、何時の間に?」
中で腰を抜かしていたが、やっと動けるようになった年配の公達が廂に出て来て首を傾げた。
「神子が笛を吹き始めてからだ。」
壁の側に立っていた公達が脇に避けた。
「ほう?」
軽く会釈をし、柱に寄り掛かりながら腰を擦る。
「あぁ。厚い雲が割れてその隙間から顔を出しおったわ。神子の笛の音を聴きに来たという風情だった。」
「それに、神子が怨霊を退治したらその厚い雲も一瞬にして消え失せましたよ。」
他の若い公達が室内にいる太政大臣を皮肉な眼で見、それから再び月を見上げた。
「そうか。」
「さすが龍神に選ばれた姫だ。」
「天に愛されている。」
全員が納得顔でうんうんと頷いていた。
だが、内心では、
『それにしても、騒々しい娘だ。』
『まるで猫だ。首に縄でも付けてないと心配でしょうがないな。』
『あんな常軌を逸した娘でないと龍神の神子は務まらんのだな。』
と考え、そして最終的に到達した龍神の神子に関する感想は、
『『『しかし、やはり龍神の選ぶ基準は分からん。』』』
だった。



数日後、四条の屋敷に頼忠以外の八葉が集まっていた。

「あれは太政大臣に強い恨みを持つ者が死んで怨霊となったものだ。」
泰継が怨霊を調べた結果を報告すると、何人かは納得して頷いた。
「太政大臣ともなると多くの者に恨まれるからな。」
「地位が上がれば上がったで大変なんだな。」
しかし、幸鷹が複雑な表情を浮かべた。
「いえ、それが政力争いとは無関係のようです。」問うような視線を浴びて苦笑した。「若かりし頃の恋敵、でした。想っていた姫が大臣と結婚されたのを恨んでいたそうです。」
「ちょっと待て。」勝真が信じられないとの顔で訊いた。「確か太政大臣は健康に不安があってそろそろ引退を考えているとの噂もある御方だ。妻を娶ったなんて話は聞いた事が無いし、新しい愛人の元に通うというのも考えられない。それは最近の話では無いだろう?」
「はい、かなり昔の話です。30年近く前の。」
「30年近く前って・・・・・・。」
絶句。最近の怨霊は花梨が龍神を呼んだ時に龍神が祓ってくれた。だからその後に亡くなって怨霊となった筈。生涯一度の恋に破れた者の心情は理解出来る。理解出来るが、だからと言って。
『その姫、振って正解だったな・・・・・・。』
呆れて言葉が出ない。

「太政大臣殿が公務に復帰致しました。そして成信殿は後2、3日休めば大丈夫との事です。」
「へぇ、もう元気になったのか。早かったんだな。」
彰紋の報告に、イサトから驚きの声が上がった。
「はい。花梨さんがすぐに祓って下さったので、予想以上に軽くて済んだようです。」
「良かったですわね。」
紫姫がにっこりと微笑んだ。
「良かった、ではありません。」
幸鷹がしかめっ面で言った。
「確かに無茶をするねぇ、我々のお姫様は。」
その事に関して、翡翠だけが愉快そうに笑う。
「内裏に忍び込んだなんて、無茶、なんて言葉じゃ済まないだろう!」
「えぇ、その通りです。」
勝真の言葉に、幸鷹が大きく頷いた。
「しかし龍神様のお導き、との事ですし、怨霊の被害を食い止める為に呼ばれたとも考えられませんか?」
「それにしたってだな―――。」
どんな事があっても花梨の味方をする泉水に反論しようとしたが、他の事に気を取られて言葉が止まった。

パタパタパタ。
ガタガタガタ。
ズルズルズル。
なにやら花梨の室が騒がしい。

「何があった?」
泰継が紫姫に訊いた。
「今度は左右の大臣から贈り物が届いた。」
丁度その時、深苑が妹に報告をしに来た。
「贈り物?何で貴族が花梨に贈り物をするんだ?」
「今度は、とはどういう事です?」
「怨霊の被害からお救い下さった御礼、との事です。」
イサト、幸鷹に訊かれた紫姫は笑みを浮かべてそう答えた。しかし深苑は疲れたように言い足した。
「どこで何を聞いたかは知らぬが、結婚祝いだそうだ。帝や院、太政大臣、それに他の貴族からも届いておる。」
「「「あっ!!!」」」
上級貴族の三人が思わず大声を出した。
「どうした?」
他の四人と星の一族が追求するような眼差しで見つめた。
「あ、あの。」他の二人と顔を見合わせたが、彰紋が言い難そうに言った。「帝に訊かれたのです、頼忠が花梨さんの元に通っているのかと。ですから、はい、と答えて・・・・・・。」
「神子が結婚したという噂は本当かと院に問われたので、はい、と答えて・・・・・・。」
泉水も続けて言った。
「「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」」
確かに、それ以外答えようがない。嘘はついていないが、正確でもない。いや、やはり嘘をついた事になるのだろう。―――帝に。院に。
「「「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」」」
背中を冷たい何かが流れていく。

「その肝心の花梨はどこにいるんだ?」
イサトがキョロキョロと御簾の外、庭を探すが姿は見えない。
「あぁ。あの宴の席で、貴族の誰かが梅の花がどうのこうのと詠んだらしい。」
「で、頼忠に観に行きたいと強請ったか。」
勝真が呆れたように呟いた。子供のようにはしゃいでいる花梨と、その笑顔を嬉しそうに見つめる頼忠の姿が眼に見えるようだ。
『おままごと』を続けるだろうとは分かっていたが、それを願ってはいたが、ここまで長いとは予想していなかった。しかも、二人の間に流れている空気は全く変わっていない。
「神子は花がお好きですから。」
「姫君が幸せならそれが一番さ。」
優しい口調だが、さすがの泉水や翡翠も苦笑い、だ。
だが。
『結婚すれば大人しくなると思うか?』
深苑が無言のまま瞳で八葉と妹に問うた。
すると。
「「「「「「「「はぁ〜〜〜〜〜〜。」」」」」」」」
全員の頭は横に激しく振られ、唇からは深い深〜〜〜いため息が零れ落ちたのだった――――――。






注意・・・完結。
     3〜4月。
     花梨ちゃんと頼忠、おままごとを続けています。つまり、結婚はしていません。

え?花梨ちゃん、裸足で来たの?
何だかね、見えないとはいえ「大勢の貴族がいる場所、階下で靴を脱いで建物に入り込む」という行動が不自然な気がして。だからって、靴を履いたまま室内に入るのも在り得ないし。だから。
・・・・・・・・・。
普通に考えると、「裸足で歩いて来る」方がよっぽどおかしいんですが(滝汗)。

2007/07/24 03:47:37 BY銀竜草