『―――後日談〜内裏1〜―――』



京に残ってから早3ヶ月、花梨は未だに頼忠と『おままごと』を続けていた。本人は恋人関係になったと大真面目に思っているが。



花梨は夜、四条の屋敷の警護に訪れた頼忠と言葉を交わすのが日課だ。だが、その日は他の任務があり、お伺い出来ないとの文が届いた。
「あ〜あ、今日は一日逢えなかったや。」
花梨は大きなため息を吐くと、文を丁寧に畳んで文箱に仕舞った。
「やる事無いし、さっさと寝ようっと。」
起きていれば寂しさは募る。室の隅では女房達が囲碁をしていたが、花梨は御帳台に入った。


パチン。
パチン。
勝負が付くまでは囲碁を続ける。
「明かりを遠ざけましょう。」
見物していた一人の女房が燈台をガタゴトと動かす。そして御帳台との間に几帳を置いた。
パチン。
パチン。

女が何人か集まればおしゃべりに興じるのは自然な事。花梨が寝てしまった事で噂話が始まった。
「最近、彰紋様や幸鷹殿、それに泉水殿もこちらに来て下さいませんね。」
「そうですわね。他の方々は気軽に立ち寄って下さいますのに、淋しいですわ。」
特にその中の一人に好意を抱いている女房が心の内の不満を表すように乱暴に碁石を碁盤に置いた。
「あぁ、その事ね。実はね、帝が八葉だった方をずっとお側に召しているのよ。神子様にご興味をお持ちで色々とお話を聞いていらっしゃるんですって。」
「ただ聞いているだけでしょう?京を救って下さった神子様に興味を持つのは当たり前じゃない。」
意味深な言い方をする女房に、聞いていた一人が眉を顰めた。だが、その話題を振った女房は声を潜めた。
「お役目の事だったらそう思うけど、それがおかしいのよ。容姿や人柄を問うているの。」
「まぁ。」
「ほら、まだ男皇子がお産まれにならないから、院が新しい妃を迎えたらどうかと助言なさったらしくて。候補なんじゃないかって後宮内で噂になっているのよ。龍神の加護のある神子様なら男皇子を産んで下さるんじゃないかってね。」
「そんな勝手な事を。だいたい神子様は姫君じゃないわ。」
「あら、神子様は京をお救いになられたのよ。大臣の姫君や内親王であらせられる方々と並んでも遜色ないわ。いえ、それ以上の方だわ。それに家柄が問題なら養子縁組すれば良いだけの事でしょう。相手は帝よ。女御になるのは女として名誉な事だし、夢じゃないの。喜ぶべきよ。」
「それはそうだけど。でも神子様にはもうお約束なさった方がいるわ。頼忠殿が。」
「ご結婚はまだよ。予定も無いわ。」
「いい加減にしなさいよ!」一人が声を荒げた。「あなたは神子様が帝の妃になりたがっていると、本気で思っているの?」
「・・・・・・・・・。」
「違うんだったら軽々しく言うのは止めなさい。」
「呑気ね。今はただの噂だけど、決まってからでは遅いのよ。断れないんだから。」
折角振った話題に誰一人として乗ってくれないのが悔しく、呆れとも脅しとも取れるような声音で言った。
「何て事を―――。」
「それで幸せを祈っているだなんて良く言うわ。」
その女房は捨て台詞を残してさっさと室を出て行った。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
嫌な空気が流れる。
「寝ましょうか。」
「そうね。」
もう囲碁を続けていられるような心境ではない。勝負の途中だが片付けると戸締りだけ確認して下がった。


誰もいなくなると、花梨は起き上がって御帳台から出た。眠りに落ちる前に始まったおしゃべりは、花梨の耳にもはっきりと聞こえていた。不安で眠れる状態ではない。
うろうろと落ち着き無く歩き回る。両腕を回して自分の身体を抱き締めた。静まり返った室内、だが花梨の耳には自分の胸の鼓動がはっきりと聞こえる。
花梨は姫君ではない。優雅、上品などの言葉は当て嵌まらない。重っ苦しい衣を重ね着して長い髪を垂らし、室内に籠もりきりの生活なんて無理だ。
「大丈夫、だよね・・・?」
お世辞にも美人だなんて言えない。可愛い、の意味も違う。教養も常識も無くてまともな話し相手は出来ない。楽器は笛を吹けるようになったが、それは男としての教養だし、吹ける曲目も花梨の世界の曲数曲だけだ。こんな女を妻にしたのかと笑われるのは夫の方だろう。
だから嫁に欲しいと思う筈が無い。
「だけどこの世界の恋の始まりって噂だっけ・・・・・・。」
『龍神の神子』という肩書きが一人歩きし、美化されているのは知っている。素晴らしい姫君、という事になっているのは。
それに彰紋、幸鷹、泉水の三人は花梨の悪口は絶対に言わないだろう。本当の事を言うにしても、言葉を選ぶ。我が儘は無邪気となり煩いは明るいに、一言余計は正直に。
「勝手に誤解して想いを募らせる事は有り得るんだっけ。」
そう呟いた瞬間、女房の言葉が思い出された。
―――決まってからでは遅いのよ。断れないんだから―――
不安で身体が震える。
「だったら・・・決まる前に・・・・・・・・・会いたい。」
彰紋くんのお兄さんに会って話がしたい。会わせて、龍神様。
心の中で強く祈る。と。
シャ・・・ン。シャシャン・・・・・・。
鈴の音が鳴った。今まで聞こえていた人の気配や風のざわめきなども全く無くなっている。
「龍神様、ありがとう!」
神子時代の衣に着替えると室を飛び出し、鈴の音が導くままに走り出した。



その頃、帝は室に籠もり、一人物思いに耽っていた。
現在妃が二人いるが、未だに男皇子には恵まれていない。弟の彰紋が東宮として即位しているものの、未来の帝の祖父という地位を狙う上級貴族が新たな妃を迎えろと強く勧める。興味を惹かれる姫もいない事もないのだが、政力図が大きく変化する可能性があり、そう簡単に決められる事ではない。
帝の地位を欲しがる者は多いが、なかなか面倒だ。
「彰紋のように自由に歩き回れたらな。」
ちょっとした散策の折にでも好みの姫君と運命的な出会いという機会もあるだろうに。それこそ、龍神の神子と。
ふっと自嘲気味に笑うと扇で肩を叩いた。

カタリ。

その時、物音が聞こえた。
「ん?」
顔を上げて音のした方を見ると、一人の少女が立っていた。頭を覆っているだけの短い髪、狩衣と水干の中間のような衣、そして足を晒しているその姿は今まで見た事が無い。女房の案内も無くこの室に入ってきた事に驚くが、なぜか不安は無く、穏やかな気持ちで少女を見つめた。
「えっと・・・彰紋くんのお兄さん、帝さんであらせられますか?」
頷けば、明らかにホッとした様子で、帝の正面に近付くときちんと正座して頭を下げた。
「初めまして。私、高倉花梨って言います。突然の訪問をお許し下さい。お話ししたい事があるんです。」
花梨は顔を上げて、帝の瞳を見つめた。
「高倉・・・かり・・・ん・・・・・・?」
どこかで聞いた事のある名前だ。記憶を探る。と。
「っ!!あなたが、龍神の神子?」
その驚きに満ちた声音に、花梨は身体を縮こまらせた。
『こんな子供が龍神の神子って言われたら、そりゃ驚くよね・・・。』
「あなたには、一度お目にかかりたいと思っていたのですよ。」
興味津々の眼差しで見つめられて不安が一段と増してしまうが、勇気を振り絞って聞きたかった事を言葉にする。
「あの、私を妃に迎えようと考えていらっしゃると聞いたんですが、本当でしょうか?」
単刀直入に訊いてきた。不安そうではあるが、逸らさずに見つめてくる瞳の視線の強さに、こちらが動揺してしまう。
「妃・・・?」
はい、と頷いた花梨は、膝の上に乗せた手を握り締めた。
「龍神の加護のある神子なら男皇子を産むんじゃないかと後宮で話題になっているという噂を聞いたんです。でも私、恋人がいるから・・・。」
その花梨の言葉に絶句してしまう。
『噂で不安になって、直接話をしようとここまで来られたのか・・・!?』
少女の行動力、無鉄砲さ、そして率直な物言いに驚きを通り越して感心してしまう。だが、そんな人だからこそ、龍神の神子という重い役目も果たす事が出来たのだろう。そして東宮という地位ゆえに何事にも慎重すぎた彰紋が子供っぽい悪戯や冗談で笑ったり、頑固一徹だった幸鷹が他の者の意見に耳を傾けたり、控え目過ぎて反応の無かった泉水が意見を言うようになったのは、この少女の影響があったからか。
「そんな噂があるのは事実ですよ。」
更に不安が増した瞳に、どう説明したものかと思考を巡らせる。
「あなたを自由に出来れば龍神を従えられるとでも思っているのでしょう。」
「役目はもう終わったから、神子の力もその内に消えます。」
「そうでしょうね。しかし我々にはそれは分かりませんから。」そう、肝心な事を説明しないと、と小さく呟いた。「あなたを養女に迎えて私の妃として入内させたいと考えている貴族がいるのです。だが私は、影響力のありすぎるあなたを妃に迎える事は避けたい。この京をお救いになられた神子を蔑ろに出来る者は一人もいませんから。帝である私を含めて、ね。」
「・・・・・・・・・。」しばらくその言葉の意味を考える。「つまり、噂はただの噂、と言う事でしょうか?」
「えぇ、そうです。」
にこやかに微笑んだ。
「何だ、早とちり、かぁ。良かった・・・。」
脱力し、床に手を付いて身体を支えた。

「しかし、あなたにお会いしたいと思っていた事も事実ですよ。」
安心したように和らいだ顔をじっと見つめる。髪は短いし器量も平凡。なのに、京のどの姫にもない、人を惹きつけるこの魅力は何なのだろう?
「ご、ごめんなさい。こんなつまらない子供で。」
途端、申し訳無さそうに俯いた。だが、頬を赤らめ恥じらう姿に、納得する。
『少し幼いが、可愛らしい表情をする・・・。しかも、その優しい澄んだ瞳の美しさはどうだろう!何時までも見ていたい気持ちにさせるな。』

「えっと・・・そろそろ帰りますね。」急にお邪魔してしまってごめんなさい、そう言って立ち上がったが、一回二回瞬きした後、困ったように帝を見つめた。「誰にも見付からずにここを出る事は出来ますか?」
扉の向こうから人の話し声が聞こえる。龍神のお導きは終わってしまったようだ。
「難しいですね。」
「幸鷹さんには見付かりたく無いんですけど。」
縋るように言った。
「幸鷹が怖いですか?」
幸鷹は龍神の神子に仕える八葉の筈。だがその表情は仕えるべき神子のものとは思えない。思わず笑ってしまう。
「またお説教されちゃう。」
情けない顔で呟いた。

「帝?話し声が聞こえますが、誰かいらっしゃるのですか?」






全5話の予定。
しかしこの続き、未だ完成していません。一日も早く更新出来るように頑張りますっ!