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悩む日々が続いたけれど、頼忠からの連絡は来ない。ただぼんやり寝ているだけでは気分が落ち込んでいくだけ。だったらもう前だけを向いて歩こうと決意して、花梨は久し振りに着替えて庭に出た。 庭にはみんなが作ってくれた大きな雪だるまがあった。 雪だるま一つでは寂しいと、花梨は雪ウサギを作り雪だるまの傍に置く。 そして簀子に戻りそこから眺めて楽しんでいたのだが、何時の間にかそのどっしりとした印象の雪だるまに頼忠の面影を重ねてしまう。雪だるまを見上げている雪ウサギは、いくら見つめても抱き締めて貰えない自分の姿のようで、つい先ほどした決意があっさり崩れてしまう。 「やっぱり苦しいよ、頼忠さん・・・・・・・・・。」 そう呟いて一滴の涙が零れ落ちたその時。 「神子殿、お話があります。」 聞き慣れたその声に一瞬心臓が止まる。 恐る恐る振り返ると、すぐ後ろに頼忠が立っていた。そして、花梨の傍に座る。 寂しそうな花梨の表情に気付いて心配そうに顔を曇らせたが、すぐに緊張したような表情で話し出した。 「神子殿、私も貴女の世界に行きます。河内にいる家族と一族の者達にそう伝えて来ました。そして、武士団の棟梁にもその許可を頂いて参りました。」 「私の世界に・・・行く・・・・・・・・・・・・?」花梨は頼忠の言葉の意味が理解出来ず、呆けたような顔をする。 「もうやり残した事は御座いませんので、何時でも出発出来ます。それで、神子殿は何時戻られるのでしょうか?」 「・・・・・・・・・・・・。」 「神子殿?いかがされましたか?」 急な展開に付いて行けずに眼を見開いたまま固まっている花梨の手を握る。 その瞬間、花梨は魔法が解けたように正気に戻った。 「ちょっと待って下さい!頼忠さんが私の世界に来るんですか?」 「はい。そう決めたのです。」 「言っている意味、解っていますか?こことは全く違うんですよ?全てを捨てるつもりですかっ!?」 「考え抜いた末の結論です。幸鷹殿に話をお聞きしましたし、紫姫と泰継殿にも相談致しました。」握った手に力を込める。「神子殿の世界は、京とは全く違うようですね。武士という職業が無いだけでなく、根本的に。お傍にいてお守りする事が出来ないようですが、それでも神子殿のいない世界では私は生きていく事は出来ませんから。」 「・・・・・・・・・・・・。」 「貴女の世界に行かれずに時空の狭間に取り残される危険性があろうと、このまま抜け殻のようになって死んでいくのなら、ほんの小さな可能性だろうと試す覚悟です。」 「・・・・・・・・・・・・。」 「もう決めたのです。神子殿が駄目だとおっしゃられても、私は追いかけます。」 「家族も友人も、仲間も・・・永遠に会えないんですよ?」 「それは寂しいと思いますよ。しかし、私にとって神子殿以上に大切な人などおりませんから。神子殿との永遠の別れ以上に苦しい事はありません。」 「・・・・・・・・・・・・。」 頼忠さんは嬉しい事を言ってくれる。言ってくれるが、ただ一つの言葉だけが苦しい。 「頼忠さん、お願いがあるの。」躊躇いがちに言う。 「何でしょうか?」 「私の事、名前で呼んで下さい。神子殿じゃなくて花梨って。」途端に困った表情をする頼忠に続けて言う。 「『神子殿』は、『主』に対して使っているんでしょう?普通、『恋人』は『名前』で呼ぶんだよ。向こうの世界じゃ『龍神の神子』はいないよ。私は『高倉花梨』に戻るんだから。」 「しかし、貴女が私の主である事には変わりは無く――――――。」 ピシっ! その言葉は花梨の心を切り裂いた。 「じゃあ、付いて来ないで!」頼忠の手を振り払う。「私は頼忠さんにずっと傍にいて欲しい。欲しいけど、三歩後ろを歩く従者ならいらない!隣を歩いてくれる恋人になれないのなら傍に来ないで!」ポロポロと涙が流れる。「見えない壁で私を拒絶するなら、最初から近寄らないで・・・っ!」 立ち上がって室に走り込む。 「神子殿!」 その後を頼忠が追いかけるが、花梨は手当たり次第物を掴んでは投げつける。 「頼忠さんなんか嫌い!一人で帰るっ!!」 「落ち着いて下さい、神子殿。」 「神子じゃない!もう神子の役目は終わったもんっ!」 近くに投げつける物が無くなって探すその一瞬の隙をついて、頼忠は花梨を捕まえて抱き締めた。 「離してよ!」暴れるが、花梨の力では頼忠に敵う筈が無く。「もうみんなが名前で呼んでくれるのに、何で頼忠さんだけ呼べないのよ?!」 「・・・・・・・・・・・・。」 「恋人になれないのなら一緒にいても意味が無いもん!結婚して夫婦になって、それからお父さんとお母さんになって。お爺ちゃんとお婆ちゃんになっても仲良く手を繋いで歩いているような、そんな一生を送りたいのに・・・・・・っ!」 花梨は自分が何を言っているのか良く解ってはいないのだが、頼忠の頭には刻み込まれた。 『結婚?夫婦?お父さんとお母さん?お爺ちゃんとお婆ちゃん?』 一時的な感情ではない、真剣に二人の関係を考えてくれている花梨。永遠に傍にいたいと感じているその気持ちが、一方通行でない事が嬉しい。 どんなに呼びたくても、溢れ出る感情を押さえつける為に口に出せなかった愛しい女の名前。それを言葉にしろと? 「守られているだけじゃ嫌。頼忠さんが苦しんでいる時は私が抱き締めたいの。私が支えたいの。」 泣き続ける花梨を抱き締める腕に力が入る。『貴女はずっと私の心を守って下さっていたのをお気付きではないのですね。』愛しいと想う感情だけが湧きあがってくる。 「もうお泣きにならないで下さい。」花梨の耳元に口を寄せると囁いた。「花梨殿。」 その瞬間、花梨は魔法を掛けられたように泣くのも暴れるのもピタリと止まった。 「花梨殿?」 頼忠が顔を覗き込むと、花梨は見つめ返す。そして、震える声でお願いをする。 「『殿』を抜かして呼んで?」 「花梨。」 「もう一度。」 「花梨。」 「・・・・・・・・・・・・。」花梨はへなへなと力を無くして座り込んでしまう。 「花梨殿!?」頼忠は慌てて花梨を抱きかかえる。 「・・・・・・『殿』はいらない。」 「花梨。」 再びその名前を呼ぶと。 「・・・・・・・・・・・・。」再びぽろぽろと涙が零れる。 「みっ―――。」また言い慣れた呼び方で呼びそうになり一度口を閉じてから呼び直す。「花梨、いかがなされましたか?」 頼忠は顔を覗き込む。逃げはしなくても泣き止まない花梨に、内心パニック状態ではあったが務めて冷静なフリをする。 が。 「捕まえた。」花梨は頼忠の腕の中で身体を捻ると、頼忠の首に腕を巻きつけて抱きついた。「もう二度と放してあげない。」 「花梨・・・・・・。」 大きく息を吐いて、眼を閉じた。緊張が解けて、無駄に入っていた力が全身から抜けていく。 『捕まったのは貴女の方ですよ。捕まえたからには、絶対に逃がしはしませんから。』 頼忠は泣き続ける少女を優しく抱き締めていた。頭や背中を撫でながら。 「花梨、これからもずっと貴女のお傍にいさせて下さい。」 返事の代わりに、花梨は抱きついている腕に力を込めた――――――。 |