『見えない壁』



神泉苑での最後の戦いを終えた花梨は体調を崩してしまった為、自分の世界に帰るのが延期になっていた。
そして倒れた龍神の神子の住む四条の屋敷には、帝の使者を始めとして多くの貴族が次々とお見舞いにやって来ていた。神子の体調を心配してと言うよりは、京を救った「龍神の神子」という少女を一目見たかったからだが。噂は聞くが、実際に会った人はほとんどいなかったから。
当然、星の一族の二人が応対をしていて直接会えるのは八葉の仲間と「黒龍の神子」の千歳だけだった。


そんな中、花梨の室の前の庭では、四人の男たちが雪だるまを作っていた。
子供の頃、お父さんが雪だるまを作ってくれて嬉しかったと花梨が言っていた事があったからだが、今の花梨がこんなので笑ってくれるとは思っていない。思ってはいないが、今、自分達に出来る事と言えばこれ位しかない。
「花梨さんのご容態、良くなりませんね?」
雪玉をころころと転がして大きくしながら、彰紋は心配そうに花梨の室の方を見る。
「泰継殿の診断では、特に悪いところは無いとか。心の問題との事ですが・・・・・・。」
一緒に転がしていた泉水は顔を曇らせて立ち止まった。
「それで体調不良の原因は今、どこにいるんだ?」
イサトはもう一つの雪玉を勢いよく押し転がすと怒鳴った。
「頼忠は河内だ。あいつはあそこの出身だから、重要な用事でもあるんだろ?」勝真はとんでもない方向へ転がっていく雪玉を止めて、イサトを宥めるように言う。「神子殿命の頼忠だから、すぐに戻って来るさ。」
「重要な用事だろう事は解っているさ。だけど花梨は自分の世界に帰るんだから、残り少ない時間を一緒に過ごしたいとは思わないのかよ!?」
「「「・・・・・・・・・・・。」」」
「俺達じゃなくて、想い人である頼忠が傍にいなけりゃいけないのにさ?」
「幸鷹殿が傍にいるさ。」勝真は、雪玉を微妙に転がして形を整える。
「幸鷹殿が花梨さんと同じ世界の人だったとは驚きました。」彰紋がため息をつくように言う。「この先もずっと傍にいられるなんて羨ましいです。」
「だが頼忠の代わりはならない。なれないぜ?」
「・・・・・・離れないで済む方法は本当に無いのでしょうか?」
「泉水、花梨は自分の世界に帰らなきゃならないんだぜ?どうやったら一緒になれるって言うんだよ?」
「それはそうですが・・・・・・。」空を見上げる。「龍神は全く関係の無い花梨さんを、無理矢理違う世界に連れて来られました。役目をきちんと果たした神子を、ご苦労さんの一言で見捨てるような、そんな無慈悲な神なのでしょうか?そのような神に、私達は守られているのでしょうか?」
「「「・・・・・・・・・・・・。」」」
四人は、考え込みながら無言で雪だるま作りを続けていた。



「幸鷹さん、御免なさい。」
「構いませんよ。私もまだ仕事の引継ぎに挨拶回りにと、もう少し時間が掛かりそうですから。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「それに、こちらの母にはもう二度と会えないので後悔だけはしないように、出来るだけの親孝行をしたいのです。」
「後悔・・・・・・・・・・・・。」
「気持ちの整理がつかないうちは催促しませんから、ゆっくり考えて下さい。後悔するよりは頼忠と一度話し合った方が良いと思いますよ?」
そう言うと、幸鷹は考え込んでいる花梨を残して室を出て行った。

一人残された花梨は、室の隅に飾ってあった千羽鶴を手に取り見つめる。
結論を出した後も、何度も考えた。そして、全て同じ答えが出ている。この「京」に残ると言う選択肢は自分には無い。
自分の世界の事を抜いても、「武士」という職業の頼忠の傍にいるのは辛い。
危険と隣り合わせで生きている頼忠の身を心配しない日は無いだろう。この数ヶ月の怨霊との戦いの日々でさえ苦しかったのに、それがずっと続くのは耐えられない。どんなに頼忠が強くても、人間だから。掠り傷一つで騒いでしまう私では支えるどころか、足手まといにしかならない。
そして、帰るという結論では。
あの時、龍神様は約束してくれた。―――お前の望みを叶える、と。あの世界の人である幸鷹さんはもちろん、好きな人と一緒に帰る事が出来ると。
もしも。
ずっと傍にいて欲しい、一緒に私の世界に来て欲しい。―――そう頼んだら、頼忠さんはそうしてくれるだろう。何も言わずに。笑顔で。
だけれど・・・・・・言えない。一緒に私の世界に来て、とは言えない。
私が自分の世界を捨てられないのと同じように、頼忠さんだってこの世界は大切だと思うから。
家族や仲間が大切で。何より、武士と言う職業が大切で。
この世界では私には居場所があったし、みんなに大切にされて守られていたけれど、それでも根本的に全てが違うここでの生活に戸惑ったのに。龍神様はある程度の知識や環境は与えるとは言ってくれたけど、頼忠さんが苦労する事には変わりない。それが解っていては・・・・・・軽々しく頼めない。
私には傍にいる事しか出来ないから。頼忠さんを守れるほどの力は無いから。支える事が出来ないから。

だけれど・・・・・・・・・・・・それ以上に苦しい事は――――――。

目を閉じれば、頼忠の声が聞こえる。
―――神子殿―――
命令をした後は口にはしなくなったけれど、この頼忠、命を賭して貴女をお守り致します、との言葉は忘れる事が出来ない。
想いが通じ合って恋人同士にはなれたけれど、龍神の神子と天の青龍という関係は変わらなかった。
優しい瞳で見つめてくれるのに。抱き締めてくれるのに。キスもしてくれるのに。それなのに見えない壁があるようで、どこか距離を感じてしまう。
壊そうと努力はしたけれど、柔らかい笑みで拒否されてしまって虚しさだけが残った。
一緒に私の世界に帰ったとしても。例え、全てを捨ててこの世界に残ったとしても。このもどかしさが消えないのだとしたら・・・・・・・・・・・・。
千羽鶴と共に切り捨てる事の出来ない思いを抱き締める。
永遠の別れと隣を歩いてもらえない悲しみの、どちらが苦しいのだろう――――――?