『幸鷹の決意』



イサトが外出の供に付こうと朝早くから四条の屋敷に訪れたが、花梨はもう頼忠と二人で出掛けた後だった。
「ちぇっ!顔ぐらい見たかったのに。」イサトは不機嫌そうに言う。「何でこんなに早く出掛けちまうんだよ?」
同じく来ていた幸鷹、勝真、彰紋の三人も、同感、と大きく頷く。
「頼忠ならこの屋敷を警備しているんだから、わざわざ外出の供なんかしなくたって好きな時に会えるじゃんか。」
張り切って早起きして用事を片付けて来た分、気が抜けてこのまま帰る気分にもなれず、控えの間に座り込んだ。

八葉が顔を合わせると、話題はいつも花梨の事。
そして、この日も自然と花梨の事を話し合う。

「花梨さん、ここ数日元気がありませんね。」
彰紋が言えば、皆が心配そうに頷く。
「頼忠もよく考え事をしているぜ?」
勝真が言えば、またもや皆頷いた。
「ケンカしたのかとも思ったけど、そんな風にも見えないし・・・・・・何だろうな?」
イサトは首を捻るが。
「「「・・・・・・・・・・・・。」」」
しばらく沈黙が流れる。
「あの・・・花梨さんは、お役目が終わったらご自分の世界に戻られるのでしょう?」
「そりゃそうだろ?帰りたいって願いを込めて千羽鶴作ったんだし。」
おずおずと言う彰紋に、イサトは当然、という表情で答えたが。
「ぅあっ!!」
事情を察した瞬間、声にならない声をあげた。
「・・・・・・・・・花梨がここに残るってことは出来ないのか?」
「屋敷の奥深く籠もるような生活、あいつには無理だろう?」
イサトの疑問を、勝真が一番分かりやすい理由で否定する。
だが、彰紋が顔を曇らせるのを、イサトは不審に思う。
「何だよ?言いたい事があるなら言えよ?」
「・・・・・・・・・龍神の神子の存在は千歳殿で知られていて、花梨さんの事は隠されているわけですが、院がこちらの神子の事を気にしておいでです。」
「それが何だって言うんだ?」
「ですから・・・・・・もし、花梨さんがこの世界に残られた場合、龍神の神子としての相応しい待遇をお考えになられているのです。」
「まさか・・・・・・?」イサトが息を飲む。
「はい。有力な貴族と縁組をするか、内親王としての宣旨があるか。もしくは入内も・・・・・・。どちらにせよ、頼忠とは身分的にも無理があるのです。」
「それって断れないのか?」
「龍神の神子と言えば、存在自体が影響力あるだろう?救いを求める民衆が殺到したり、貴族の権力争いに利用されたり巻き込まれたりっていう事から守る為の手段なんだよ。身分が身分なら、そう簡単に手出し出来なくなるからな。」勝真はため息をつく。「貴族の・・・帝や院の都合だから、断れやしないさ。」
「だからって・・・・・・・・・!じゃあ、せっかく両想いになれたのに引き離されてしまうのかよ!?」
イサトが彰紋に怒鳴り散らす声を聞き流しながら、幸鷹は雪が降り続ける空を見つめ、一人昨日の事を思い出していた。


幸鷹は、蚕ノ社での会話の後、寂しそうな表情を見せる事の多くなった花梨を誘って神護寺に来ていた。
花梨に笑顔を失わせた現実を、自然と気付く事だがいきなり突きつけたのは自分で。
せめて、悩み、迷いを言葉にする事によって、心に圧し掛かる苦しみを和らぎたいと思ったのだが。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
悩みが悩みだけに軽々しく話題に出来ず、沈黙が流れる。

だが。
「私・・・・・・全てが終わったら自分の世界に帰ります。」
花梨は俯きながらぽつりと言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「この世界も好きだけど・・・・・・ここで生きていく事は出来ない・・・から・・・・・・。」
「そう、ですか・・・・・・・・・。ここでの生活は難しい、ですか・・・・・・。」
「価値観とか生活習慣とか常識とか・・・違和感があって・・・・・・これがずっと続くのかと思うと・・・・・・辛いし・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「それに・・・お母さんとお父さんに二度と会えないのも・・・・・・・・・。」唇を噛み締める。
「頼忠さんの傍にいても・・・・・・泣くのを止められないのが分かっている・・・から。頼忠さんを・・・・・・苦しめてしまうもの。」涙が零れる。
「自分で決めた事でも、頼忠さんのせいにして・・・・・・・・・頼忠さんを憎んでしまうから・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「それにね・・・・・・泰継さんも帰った方が良いって言うの。」
「泰継殿が?」
「うん。私はこの世界の人間じゃないから気が完全に馴染む事が出来ないんだって。今は八葉が傍にいて守ってくれているけど、役目が終わればみんな自分達本来の役目に戻らなくちゃいけないから、将来はどうなるか解らないって。」
『あぁ、私も検非違使別当としての役目を果たさなくていけなくなるのか。』
「みんなに迷惑をかけ続ける事なんて出来ないし、それに、ずっと紫姫に世話してもらう訳にもいかないから。」
だから残れない、と涙で顔を濡らしながらもきっぱりと言い切る少女にかける言葉は見つからない。見つからないが――――――。

『決意したと言っても、やはり苦しんでおられる・・・・・・・・・。』

少女の存在が、暗い道の導となってくれて。
本当の自分を取り戻す事が出来たのはこの少女のおかげで。
真実を知り、自分の未来を選択するチャンスを与えてくれたが。
『私は神子殿に全てを与えてもらったが・・・・・・お返しした事はない・・・・・・。』

この少女を愛しいと想う感情の強さが、他の男に劣るとは思わない。
その恋が終わり、この自分を見て欲しい、との想いも事実。
だが。
少女の瞳が他の男に向いているのなら・・・・・・その恋心ゆえに苦しんでいるのなら・・・・・・。

ならば。
『神子殿の為に今、私に出来る事は無いか――――――?』


昨日と同じ事を考え続けているのだが。
『そう、この世界だと神子殿が幸せになられる確率は低い。ご自分の世界にお戻りになるしかない・・・・・・・・・。』
何度考え直しても暗い未来となってしまう。

そんな時。
イサトの言葉が耳に入った。
「俺達が救いを求めたから、龍神は花梨を連れて来たんだろう?花梨を幸せにしてくれって願っても、それは叶えてくれないのか?」

ふと頭をかすめた事。
神子殿も私も、元々ここの世界の人間ではない。
なのに、ここにいるという事は。
もしかして。
『龍神は、異なる世界の人間を自由に行き来させる事が出来る?』
・・・・・・・・・とすると。
『頼忠が向こうの世界に行く、という事も出来る?』
可能かもしれない。
不可能かもしれない。
だが。
神子殿の為に、ほんの低い確率だとしても縋ってみようか。
そして、叶うのなら。
道化にも恋のキューピッドにもなろう。
『神子殿の幸せの為に私が出来る事は――――――。』


「頼忠が花梨と幸せになるのを願っている訳じゃないけどさ。」イサトが続けて言う。
「そりゃそうさ。惚れた女が自分以外の男と両想いになるのを喜ぶ野郎はいるか。」勝真も同調する。
「だけど・・・花梨さんには幸せになって欲しいのです。」彰紋がため息と共に呟いた。「僕達は、全く関係の無い花梨さんに辛い役目を押し付けて、全ての責任を背負わせてしまったのですから。だから・・・幸せを願うのは当然です。」
その彰紋の言葉に、二人は頷いた。

「「「・・・・・・・・・・・・・・・。」」」
しばらく三人は話していたが、議論が始まればいつも中心にいる筈の幸鷹が参加していない事が不思議で、幸鷹を見つめたまま黙り込んだ。
沈黙が流れるが、それでも幸鷹は気付かない。
「幸鷹殿・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「おいっ!幸鷹っ!」
「頼忠の背中を押してみましょうか。」
「押す?」
「はい。・・・・・・いいえ、蹴っ飛ばす、の方が正しいかもしれませんね。」
「「「・・・・・・・・・・・・?」」」
幸鷹の口から「蹴っ飛ばす」との乱暴な言葉が出たことに驚くが、それ以上に、幸鷹が何を考えているのかが解らず、頭の中に疑問符が飛ぶ。
「幸鷹殿が頼忠を蹴っ飛ばす?」彰紋がその言葉の意味、そのまま受け取ってしまい驚いた。「やりたい気持ちは解りますが・・・・・・・・・。」
「チャンスは与えるが。」幸鷹の脳裏に、花梨の泣き顔が浮かぶ。「それでもまだ、泣かすのなら・・・・・・・・・諦める必要は無い。」瞳がきらりと光る。
「「「・・・・・・・・・・・・?」」」三人には、幸鷹が何を言っているのか、さっぱり解らない。
「幸鷹殿?」
「・・・・・・・・・何時の間にか雪が止んでいますね。」
「「「はぁ?」」」会話が繋がっていない。
「そろそろ神子殿が戻られるでしょう。」
「「「・・・・・・・・・・・・。」」」
三人はもう、ただ幸鷹の顔を凝視するだけ。

だが、肝心の幸鷹は、他に三人の人がいる事などすっかり忘れ去っていた。
幸鷹の心にはある決意が固まっていた。願いと望みは相反するものだが、心の奥底から祈っている事は本当で。
しかし、同時に寂しさが湧き上がるのも止めようが無くて・・・・・・。
七年間育ててくれた母、記憶の中の母。
二人の母、それぞれの思い出を胸に、残り少ない日々を大切にしようと自分に言い聞かせていた――――――。






注意・・・第4章終盤。
     『物思い』の数日後、『望み』と同じ日。

頼忠の背中を押すのは幸鷹に決定。
「神子の世界に付いて行く」との選択を、当たり前のようにみんなが考えているのが不思議だったの。「神子以外の人間が違う世界に行ける」なんて、何でそう簡単に考えられるの?なぜ信じられるの?

2004/04/18 01:59:22 BY銀竜草