『物思い』



頼忠が蚕ノ社に寄ると、いつもなら誰もいない静かな場所なのに珍しく人の話し声がしているのに気付いた。
見ると、花梨と幸鷹だった。
声は聞こえていても話の内容までは解らないのだが、二人の表情からして他愛も無い会話を楽しんでいるとは思えない。しかも、花梨が両手で幸鷹の手を握っているのが見えて、頼忠の胸に動揺が広がる。
花梨の態度から、少女が自分に対して特別な愛情を抱いてくれている事は解っているのだが、自分にそんな価値があるとはどうしても信じられないのだ。
その上、普段から花梨と幸鷹の間には見えない絆があるように感じられて。
『神子殿には、私よりも幸鷹殿の方が相応しいのでは・・・・・・?』
恐ろしい考えに身も心も凍る。
『だが・・・・・・。』
愛しい少女を抱き締める喜びを知ってしまった今、離れる事など出来はしない・・・・・・。
考え事をしていた頼忠は、二人がいつ立ち去ったのかも気付かないまま、立ち尽くしていた――――――。



夜、花梨は簀子に座って考え事をしていた。
蚕ノ社での幸鷹との会話――――――。
「貴女が役目を終えて、私達の世界に戻られたら・・・。どうか私の実の両親に、私は元気にしていた、と伝えてもらえませんか?」
「この世界の両親も、また大切なのです。」
それは終わりが見えてきた今、現実問題として突きつけられたような気がした。
『頼忠さんと両想いになれて浮かれていて忘れていたけど・・・・・・。私、自分の世界に戻るんだ・・・・・・。』
それは、頼忠との永遠の別れを意味している。
別れたくない、ずっと傍にいたい、という思いは強いのだけれど、この世界に残れるのか、と自分に問えば、
『残れない!』
としか、答えられない。

この世界に連れて来られてから約3ヶ月。
この京という町が大好きになり、ここに住む人たちが大好きで。なにより、好きな人が住む町だけれど。
この世界の事を知れば知るほど、価値観の違うここでの暮らしに違和感を覚えてしまう。教養や常識、習慣はある程度覚えられるし、慣れるだろうけれど、感覚というものはそう簡単には変わらない。
頼忠の恋人ならば、貴族の姫君のような生活にはならないだろうけれど、一人で出歩く事さえ出来ない生活は、息苦しいだろう。便利で自由な生活を満喫していた自分には、あの世界を捨てる事など出来ない。自分を愛し育ててくれた両親と永遠のさよならなんて、考えられない。
例え残ったとしても、窮屈な生活に苦しみ、寂しさから泣き暮らす事になるのは解っている。大好きな頼忠を憎んでしまう事も想像出来てしまって・・・・・・・・・。

花梨は、空に輝く月を見上げた。
『この世界に来た頃、違う悩みで月を眺めていたっけ・・・・・・。』
もし、外国ならば。せめて、同じ世界ならば。
簡単には会えなくても、みんなと電話や手紙、メールで繋がっていられるけれど。例え反対されても、未来に望みを託すことが出来るけれど。
この世界では、全てを捨てる事になる。さよならも言えないまま、気持ちの切り替えも出来ないまま・・・・・・・・・。
「帰りたい」と願う気持ちはあの頃と同じだけれど、それでも、この世界に残してしまうであろう心の一部を自分ではどうする事も出来ない。

「ながらへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」

帰った後も、悲しみ苦しむのは同じなのだが。
何度考え直しても、同じ結論に辿り着いてしまう。
自分の世界で独り、この和歌を胸に抱いて生きていくのだろうか・・・・・・?


物思いに耽りながら月を眺めている花梨を、頼忠は暗い瞳で見つめていた。
花梨の悩みの原因が幸鷹との会話にあると想像がつくのだが、あの時の二人の様子では花梨に尋ねる事など出来ない。
『貴女と幸鷹殿は・・・・・・どのような御関係なのですか?』
毎夜、一言挨拶をするのが習慣となっており、それが頼忠の喜びとなっていたのだが、今夜は足が動かない。自分を拒絶する瞳と出会ってしまったら・・・・・・・・・・・・。
それでも、長時間夜風に当たっていれば花梨が風邪をひく恐れがあり、躊躇う心を急き立て近付いた。
「神子殿、お身体が冷えてしまわれます。もうお部屋にお戻りください。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
返事もせずにただ自分を見つめてくる花梨の様子がやっぱりいつもと違っていて、不安は増すばかりだが、言葉を繰り返す。
「神子殿、お戻りください。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・頼忠さんにお願いしたい事があるんだけど・・・・・・良い?」
長い沈黙の後、躊躇いがちに言うその願い事を、聞きたくない気もするのだが。
「・・・・・・何でしょうか?」
「頼忠さんの心臓の音、聞かせてくれませんか?」
「・・・・・・はっ?今、何とおっしゃられましたか?」
言葉の意味が分からず、思わず聞き返してしまう。
「あのね・・・赤ちゃんが泣き止んでくれない時、心臓の音を聞かせると泣き止むの。お母さんのお腹の中にいた頃の記憶で、安心するんだって。私は赤ちゃんじゃないけど・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
俯きながら言う花梨が、酷く心細げな様子で。悩みがあるのがはっきりと分かるのだが、頼ってくれるという事は自分を疎んじているという事では無いだろうと、こんな状況下であるにもかかわらず、安堵してしまう。
頼忠は簀子に上がると、花梨の傍に座り胸に引き寄せる。
花梨は、頼忠の左胸に耳を寄せると眼を閉じた。

トクントクントクン・・・・・・。
本来ならば、めぐり逢う事の無かった筈の頼忠に出逢えた事は感謝している。別れる事になっても、知らないままでいるよりはずっと良い。
だけれど。
『勝手に連れて来て、こんなに素敵な人に出逢わせておいて、役目が終わったからじゃあさようなら〜!は、酷いよ・・・・・・・・・。』
龍神に文句の一つも言いたくなる。恨めしい。

トクントクントクン・・・・・・。
この優しい音の持ち主を忘れる事など出来る筈も無いが。

トクントクントクン・・・・・・。
後悔の涙を流す事も分かってはいるが。

トクントクントクン・・・・・・。
それでも、自分の出した結論以外、進む道が見つからない。

トクントクントクン・・・・・・。
規則正しい音が、乱れた心を落ち着かせていく――――――。

トクントクントクン・・・・・・。


「神子殿?」
花梨の身体からすっかり力が抜け、頼忠に完全に身をあずけていた。
見ると、花梨は眠っていた。
褥に運び、その身を横たえたのだが、寝顔が苦しそうで、少女の小さな手は、頼忠の上着をしっかりと握り締めている。
『苦しんでおられる・・・・・・・・・。』
一晩中傍にいたいと願うのだが、そんな事許される筈も無く・・・・・・『せめて己の衣だけでもお傍に。』・・・・・・上着を脱ぐと、花梨の肩を被う。
そのまま寝顔を見つめていたが、未練がましく一瞥すると立ち去った――――――。



頼忠は、陽が昇り始めると幸鷹を訪ねた。
「幸鷹殿、昨日蚕ノ社で神子殿とどのような話をされていたのでしょうか?」

幸鷹の話を聞いた頼忠は、呆然と立ち尽くした。
『神子殿・・・・・・。貴女は御一人でご自分の世界に戻られるおつもりですか?』
昨夜の花梨の様子では、それを決意している事が感じられる。
唯一人残される恐怖。
身体と心の全てが、『引き止めたい!』と叫んでいる。
だが。
天の八葉の誰一人として信じていなかった頃、一人密かに声を上げて泣いていた花梨。天の八葉が認めた後では、涙は流さなくとも、自分の世界を思い出しては物思いに耽っている事を、ずっと傍にいた自分は知っている。両親を恋しがっている事も。
知っているからこそ、あの幼さの残る少女に、この自分の傍にずっといて欲しいとは懇願出来ない。
いきなり知らない世界に連れて来て、重い役目を押し付けて、散々辛い目に合わせておいて、更にあちらの世界の全てを捨ててくれ、この世界に残って欲しいなどとは―――言えない。
それだからこそ、本当なら笑顔で見送らなくてはいけないのだろうが。
『そんな事、出来る筈が無い。離れて生きていくなど・・・・・・耐えられるわけがない!!』


終わりの無い苦しみに考え込む姿が、頻繁に目撃されるようになった――――――。






注意・・・第4章後半。

ゲームプレイ中、イベントを掛け持ちしていた時、実際に恋愛感情を抱いていたら嫉妬とか凄いんだろうな、こんなに呑気にはしていられないだろうな・・・と考えていました。
特に、『見えない絆』がある幸鷹には。
そして、一番の疑問。
「好きな人がいる、それだけの理由で貴女は全てを捨てられるの?」
もう一つの疑問。
「幼さの残る少女に、全てを捨てて自分の傍にいて欲しい、などと言えるの?」

書き上がってから何度手直しした事だろう!
それでも、二人の心理描写が納得出来ない・・・・・・・・・。

2004/04/12 02:23:52 BY銀竜草