『大切なもの』



花梨は苛立っていた。

頼忠が毎日のように館を警護している為、顔を合わせる事も多く、自然と外出の供をして貰う事が多い。
そして、最初は沈黙と鋭い眼差しが「怖い」と思っていたのだが、その優しく温かい人柄が解ってくるにつれ、もっと話しをしたい、と思うようになっていった。

だが。
毎日のように朝早く「外出の供に付きたい」と来る割には、「あなたのお傍にいてはいけないのです」と言って、一歩離れていく矛盾した行動・・・・・・。
頼忠が何に拘っているのか、何を恐れているのかは解らない。解らないが、眼を見て欲しい。「花梨」と呼んで欲しい。『主』としてではなく、『高倉花梨』と言う名前の一人の女の子として見て欲しいと願ってしまう。
この思いは、単なる私の我が儘、だろうか――――――?



「あなたの為に死ぬのが私の役目なのです。」

怨霊との戦闘の度に、攻撃を上手くかわせない花梨を庇っては大怪我をしてしまう頼忠。どんなに花梨が、嫌だ、と言っても自分の身を犠牲にする事を止めず、
「この頼忠、命を賭してあなたをお守り致します。」
と、繰り返すのみ。
そんなやり取りを続けた挙句、頼忠が口にしたのは先ほどの言葉。

ピシッ。

花梨の心の一部が壊れた瞬間―――抑え込んでいた感情が爆発した。

「そんなに死にたいのなら一人で勝手に死んで下さい!私を巻き込まないで!二度と私の前に姿を見せないでっ!!」
花梨はそう叫ぶと、青ざめ固まる頼忠の横をすり抜け、走り去った。
「神子殿!?お待ち下さい!」
慌ててその場にいた幸鷹が後を追い掛けて行く。

その場に残された頼忠は、同じく残った勝真の拳がいきなり右頬に飛んで来て倒れ込んだ。
「お前は馬鹿か?」
勝真は、倒れ込んだまま身動き一つしない頼忠を睨みつけた。
「俺達がかすり傷一つこさえるだけで大騒ぎするあいつが、お前を犠牲にして助かって平気でいられるとでも思っているのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「お前が何に拘っているのかは知らないが、あいつの気持ちを無視して泣かす事だけは許さない。」
勝真は後ろを向くと歩き出した。
「お前自身が変わるまで、屋敷には来るな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
頼忠はゆっくり立ち上がると、切れた唇を拭う。そして、掌についた血痕をじっと見つめていた・・・・・・・・・。



勝真が戻った時、花梨は屋敷にいなかった。
「紫姫、花梨たちはまだ戻っていないのか?」
「はい。でも、勝真殿もご一緒にお出掛けになられたのではありませんか?どうなされたのです?」
「まぁ、ちょっと色々あってな。」
心配そうに見つめてくる紫姫に何て言えば良いかと、言い淀む。と、そこに幸鷹が花梨を抱き上げた姿で帰宅した。
「神子様!?」
「花梨っ!おい、どうしたんだ?」
紫姫が悲鳴をあげ、勝真が幸鷹に詰め寄ると、幸鷹の後ろから泰継の冷静な声が聞こえた。
「神子の気が乱れて龍神の力を暴走させそうになったから、呪いで眠らせた。」
「取り敢えず、寝床の支度をお願いします。」
「はい、すぐに!」
女房に指示するために室を出て行く。
紫姫の姿が見えなくなると、三人は自然と花梨の顔を覗き込む。目元は腫れ涙の痕が残っている・・・・・・・・・・・・。
『『『あんな男のどこが好きなんだ?』』』
三人は顔を見合わせると、深いため息をもらした――――――。



夜、花梨はぼんやりと燈台の炎を見つめていた。
自分が言った事とはいえ、もう五日も頼忠とは会ってはいない。

この世界に初めて降り立った時に、最初に出会った人。
その時から、いつも傍にいてくれた―――気付かぬ内に、傍にいるのが当たり前、あの人の姿を見ているのが自然、とまで感じていたのを、今更ながらに思い知らされた。無意識のうちに、眼はいるはずの無い人の姿を探してしまう。
会えばまた同じことの繰り返しで悲しい思いをする事になるだろうに、それでも心は止まらない。
――――――頼忠さんに逢いたい――――――。

廂に出て格子の隙間から外の様子を窺うと、頼忠の代わりに警護をしてくれている武士が、階に座って居眠りをしているのが見えた。
『このままじゃ、全然眠れそうに無いし・・・・・・散歩でもして気分転換して来よう。』
花梨はそうっと妻戸を開け物音を立てないように出ると、忍び足で眠っている武士の横から地面に降りる。
そしてそのまま屋敷を抜け出した――――――。


花梨はいつものように神泉苑に来ていた
『会いたくないって言ったのは自分なのに、本当に会えないと寂しいなんて思ってしまうなんて可笑しいよね。』
湖面に映る月はゆらゆらと形を変え、それは頼忠を想う自分の心のようで。
『出会ってからたかが二ヶ月なのに、何でこんなにあの人の言動一つ一つに振り回されてしまうのだろう・・・・・・?』
こんなに悲しい思いをした事は無い。この地に来たばかりの頃でさえ、この息も付けないほどの苦しさは味わってはいない。
――――――こんな感情は知らない。


しばらく湖面を見つめていたが、気分は一向に落ち着かない。花梨は大きく息を吐くと、諦めて帰ることにした。

地面を見つめながらトボトボと歩いていると、前の方から牛車の音がした。『隠れなきゃ!』とっさに横道を曲がる。そして歩いていると、今度は話し声が聞こえてきて、再び横道に進む。すると今度は沓音が聞こえてきたから、走って他の横道を曲がる。
と。
『・・・・・・・・・・・・あれ?ここは・・・・・・どこ?』きょろきょろと周りを見回すが、昼間とは雰囲気が違っていて解らない。
「やば・・・・・・迷子になっちゃった・・・・・・・・・・・・。」
声を出して言うと、暗闇に響きいっそう怖さが募る。
『立ち止まっていてもどうしようもない。取り敢えず、目印になるような屋敷か神社を探そう・・・・・・。』表札でも出ていれば解るのに、などとぶつぶつ文句を言いながら歩き出す。
すると、今度は数人の走る足音が近付いて来て反射的に走り出した。
『逃げなきゃ!』
闇雲に走り適当に曲がった途端。
「きゃっ!」
「おっとっ!」
誰かに体当たりしてしまい、とっさに謝る。
「御免なさいっ!」
そして、顔を上げると其処にいたのは――――――頼忠。
「あ・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・神子殿。」


あちこちから白い鳥が一箇所に集まってきた。すると、一人の男の手元で白い紙へと変わる。
「翡翠、これで良いのか?」傍にいる男に話し掛ける。
「さすが泰継殿、見事だよ。」
「あの二人を会わせるのに、こんな手間を掛ける必要があったのか?」
不思議そうに問い掛ける泰継を、翡翠は少し苦笑しながら見る。
「まぁね・・・・・・・・・。」泰継に肩に手を乗せる。「上手い酒を手に入れたのだが、付き合うかい?」
泰継が振り向くと、翡翠は納得のいく説明をする気の無い事が見て取れて。
「付き合おう。」ため息とともに答えると歩き出した。
翡翠は、微かに見える二人を一瞥すると泰継の後を歩き出す。
『後は、二人次第だ。姫君・・・・・・幸運を祈るよ・・・・・・・・・。』


「「・・・・・・・・・・・・・・・。」」
長い沈黙が息苦しい空気を運ぶ。
「神子殿・・・・・・私には解らないのです。あなたのおっしゃる意味が。」頼忠が張り詰めた気を破るように話し出した。
「武士とは、自分の命を賭して主をお守りする者。そして、主のお言葉を遂行するのが役目。主に命を捧げる事が出来れば、武士として幸運なのです。私にとって・・・・・・あなたが主です。この頼忠の命を賭して、あなたを傷つける全てからあなたをお守りしたいのです。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」花梨は俯いたまま何も答えない。
「私は罪を背負っており、正しい判断を下せない私は、これからも罪を重ねるでしょう。――――――十年前、武士団と棟梁を裏切ったように、お守りしたいあなたを裏切るのではないかと・・・・・・恐れています。」
頼忠は右手を胸の前で握り締める。
「私のような従者には優しい言葉を掛けずに、ただご命令下さい。あなたの望む事は何でも叶えたいのです。」

『主と従者という関係にはなりたくない。でも・・・・・・主として命令すれば・・・叶えてくれる・・・・・・・・・?私にとって大切なものを・・・・・・・・・守ってくれる?』

『それしか方法が無いのなら―――。』
花梨は、頼忠の右手を取り自分の胸の前に引き寄せる。
「頼忠さんの命は私のものって思って良いの?」
「はい。」
そう、と言うと、花梨は頼忠の掌を上にして唇を押し当てた。そして、眼を見開き驚く頼忠を無視して、続けて言う。
「『龍神の神子』から『天の青龍』に命令します。」頼忠の瞳を見据える。
「この、『源頼忠の命』は私にとって、とても大切なものです。」頼忠の左手を取り、右手を乗せる。
「『天の青龍』に預けますから、私が返してくれと言うまで『龍神の神子』を守るように、この『源頼忠の命』も絶対に守り抜いて下さい。」頼忠の手を両手で挟んだまま力を込めて握り締める。
「失う事はもちろん、粗末に扱う事も許しません。」
「・・・・・・・・・・・・・・・っ!」言葉が出ない。頼忠は瞬きも出来ずにただ少女の瞳を見つめる。
「・・・・・・・・・・・・返事は?」
瞳は強い意志を湛えていたが、頼忠の手を握り締めている少女の手は微かに震えていて。
『緊張しておられる?・・・・・・いや、不安か。』
主と従者という関係を嫌がる少女が初めてした主としての『命令』は―――この自分の命を守りたいが為。
己が傍にいれば、この清らかな心の少女を傷つけてしまうという恐れが増すが、それと同時に、暖かい何かがその恐怖感を優しく包み込む。
「・・・・・・承知致しました。この頼忠、神子殿のご命令には必ず従います。」
「・・・・・・・・・・・・。」
頼忠の返事を聞いた瞬間、花梨は大きく息を吐くと眼を閉じた。
頼忠が従うと言ってくれた事は嬉しいが、神子としての命令が無ければ・・・・・・強制しなければ、自分から変わろうとはしなかっただろう。それを考えると・・・・・・・・・。
「迷子になってしまって、ここがどこだか解らないんです。送ってくれませんか?」
どんなに紛らわそうとしても溢れ落ちてくる涙を頼忠に見られないように、先に歩くよう促した――――――。



屋敷へと送ってもらった花梨は、明日から八葉の役目を果たすよう、頼忠に告げると自分の部屋へ戻った。
部屋の隅に、消えかけた炎に照らされた千羽鶴が見える。
私の願いは自分の世界へ帰る事。じゃあ、頼忠さんの願いって何?以前、願い事は持っていないと言っていたけど、それが本心とは思えない。もしかして・・・・・・願い事を持つ事すら躊躇うような傷を、心に負っている・・・・・・?

花梨の心に新たな願いが生まれた。

頼忠さんが、願う事が出来るようになりますように。
そして、その願いが叶いますように。
自分の意思で命を大切にしてくれますように。
――――――頼忠さんの心の傷が癒えますように――――――






注意・・・第3章後半。

石投げちゃ嫌っ!!
神子殿の命令にはどんな事でも従おうとする天の青龍なのに、神子がどんなに嫌がっても、命を賭してあなたを守ります、なんて言い続ける矛盾。
始めの方での花梨の叫びは、ゲームをプレイしている時の、私の心の叫びでした。
ところで。この神子ちゃん、どう見ても15〜6歳とは思えませんね・・・・・・。

2004/05/09 13:42:11 BY銀竜草