春の終わり、昼には汗ばむような暑さになった頃。
紫姫の下には八葉が集まっていた。

「その後、あの方の体調はいかがですか?」
「問題無い。ただ、自由に外出できないのがつらいらしいがな。」
泰継がそう言うと、泉水はクスリと笑う。
「大事にされていますか?」
幸鷹が心配そうに言えば、勝真とイサトは顔を見合わせて大笑いする。
「おう、大事にされているぜ。」
「大事にされすぎているよ。」
「えっ?」
「はっ?」
紫姫、幸鷹が二人の反応に不思議そうに見つめる。
「花梨はあのまま変わらないんだよ。素直で優しくて、人の気持ちを大事にするから、奥方様に気に入られてな。奥方様は大切にするんだけどさ。」
「大切にしすぎて、頼忠にも気安く会わせてやらないんだよ。この世界の常識やら知識を教える、とか言って離れないしな。」
「そうそう、泰継の方がよく会っているよな?」
「そうだな。体調を診たり、場を清めたり、結界を張ったりしたりする為によく会う。」
うっすらと笑みを浮かべて泰継が頷く。
「棟梁までが院の元に代理と称して頼忠をよく寄越すようになってしまって、顔を出さないのです。院は娘御が出来た途端のあまりの変わりように驚いています。」
泉水は困ったように言うが、その顔には笑みが浮かんでいて。
「それで、頼忠はどうなのです?」
幸鷹が尋ねれば、またもや勝真とイサトは笑い出す。
「会えないのは不満らしいが、大事にされているし、何より、花梨自身が家族が出来た事を喜んでいるからな。文句は言えないんだよ。」
「仕事も疎かに出来る奴じゃないしな。」
「・・・・・・俺達の花梨を独り占めするんだから、頼忠にはこれ位で良いんだよ。俺達は花梨に逢えないんだからさ。」
イサトが悔しそうに言うと、勝真が「任せとけ!」と悪戯っぽく言う。
「棟梁の娘御っていうのは、地方から来たばかりだから、この京には友人知人がいないんだよ。だからさ、頼忠の友の俺が妹の千歳を紹介したんだよ。今は友人として文のやり取りをしているぜ。」
そして、声を潜めると、「千歳が屋敷に招待すれば、俺の仲間のお前達も会う機会位作れると思うぜ。」
「「「「おぉ〜〜〜!!」」」」歓声が上がり、八葉の仲間は、よくやった!と口々に褒め称える。
「紫姫だって千歳の友人なんだから、その紹介ってことで友人になれるぜ。この屋敷に招待するのは、正体がバレるから無理でも、千歳の所か棟梁の屋敷なら会えるだろうさ。千歳の文は俺が持って行っているから、紫姫も書くなら持って行くぜ。」
「まぁ!今すぐ書いてきますわっ!!」
いつもは大人しく上品な紫姫が顔を輝かして走り出すのを、深苑が呆然と見送る。
「俺達の花梨だ。恋人に選んだのは頼忠でも、俺達から引き離すなんて事はさせないぜ。」
「そうですね。花梨さんは喜んでくれるでしょうから、頼忠も文句は言わないでしょう。」
言いたくともな、と相槌を打つ声に笑いあう。

「ところでさ、呪詛の種に触ったら助からないって言っていたのに、何で大丈夫だったんだ?」
イサトがみんなの疑問を代表して泰継に尋ねる。
「明王と青龍を呼び出したのは、助ける為だろう?」
勝真の問いに、泰継は頷く。
「明王は悪魔を倒す、とも言われている。四神は龍神に従い天地の八葉に力を貸す事によって、神子の願いを聞き届ける。天地の青龍と神子が揃っているのなら、呼び出す事が出来る。出来れば、神子を助けられる可能性は高くなる。」
「では、神子殿がそこに辿り着く事が出来たのはなぜでしょうか?」
「神子の足では無理だ。だが、青龍が連れて行った。青龍が神子を守った。」
良い偶然が重なって良かった、と呟く泰継の言葉に全員が無言で頷く。
そして、今度こそ本当に自由になれた女性の笑顔を思い出しながら、幸せを願うのだった・・・・・・・・・。



その頃、帝は人払いをして彰紋と二人っきりで会っていた。

「この度の事、お主上には大変な心配りをして頂き、有難う御座いました。院に口添えして頂いたおかげで、全てが予定通りに進むことが出来ました。」
彰紋が深々と頭を下げる。
「この場には、他の誰もいない。二人きりの時は『兄』と呼んでくれ。」
丁寧な、他人様のような口調に顔を顰める。
「ところで、彼の姫はどのようなご様子だ?」
「僕は直接お逢い出来ないのですが、噂では、もうお元気になられたようです。御家族中に大切にされて、幸せでいらっしゃるとお聞きしました。」
嬉しそうに彰紋が答えるのを、心底ほっ、としたように見つめる。
「そうか・・・・・・お幸せになられたか・・・・・・良かった・・・・・・・・・。」
優しい表情で物思いに耽っていたが、罪を告白するように暗い顔で彰紋を見る。
「神子と八葉に謝らねばならぬな。」
驚いて何か言おうとする彰紋を制して続ける。
「私はあの姫が欲しかったのだよ。・・・この京のどこを探しても、あの姫以上の女はいないだろう。つらい時は励まし、倒れそうな時は支え、そして、逃げ出そうとしたら怒ってくれる・・・・・・そんな彼の姫以上の姫は。」
手元の扇を見つめる。
「だが・・・あの姫の一番の魅力は、自由なところか。何者にも縛られない自由な心・・・。この内裏の中に閉じ込める事など出来ぬ。手に入れる事など出来ぬ。だから・・・・・・いろんな口実をつけて帰さなかった・・・・・・。屋敷に戻ってしまえば、二度と逢えぬ事は分かっていたからな。」
彰紋の瞳をしっかりと見据えて言う。
「結局、神子に対して一番邪な想いを抱いたのは私だったのだな。神子を苦しめたのは私だ。・・・・・・・・・この私の謝罪を伝えてくれぬか?神子と、その神子を命に代えても守ろうとした男に。」
「・・・・・・・・・・・・・・・伝えます。」
兄の男としての想い、神子に対しての心遣い・・・自分の神子に対する想いが重なり、胸が痛いほど伝わってくる。
涙を堪えている弟を見て、弟が同じ思いを抱いていた事が伝わってくる。
「今宵は月が美しいだろう。久しぶりに二人で酒を酌み交わさないか?ただ静かに月を愛でながら。」
「そうですね・・・・・・。」
静かな笑みを浮かべる二人の心の中には、手の届かない美しい天女の姿があった。
『どうか・・・お幸せに・・・・・・・・・・・・。』



辺りがすっかり暗くなり、月がその美しさを惜しげもなく晒している頃。

ある屋敷の妻戸がカタリと開き、一人の少女が庭に降り立つ。そして、顔を上げると、そこには怖い表情をした一人の男の姿があった。
「・・・・・・花梨殿。」
「あっ、頼忠さん!!」
怒ろうとしたが、満面の笑みを見せられて、思わずつられて笑みを返してしまう。
「・・・っと!そうじゃなくて。このような刻限に外に出られてはいけませんと、何度言ったらお分かり頂けるのですか?」
「シィ―――っっ!小さな声で話して下さい。誰かが来てしまいます。」
慌てて口を閉じる頼忠に向かって、「今夜は月がきれいです。神泉苑にお月見に行きましょう!」と言うと、頼忠の手を握り、驚く頼忠の様子など気にせずにずんずん歩き出す。

頼忠は神泉苑に着くと、わぁ、きれい〜〜〜!とはしゃぐ花梨にため息をつく。
「今日御文を頂いて驚きました。・・・今宵一緒に散策に出掛けましょう、だのと書かれておられましたので。」
逢いたいと言われればやっぱり嬉しくて仕方が無いのだが、それを隠して厳しい表情のまま言う。
「だって・・・お母様ったら、全く頼忠さんに逢わせてくれないんだもの。お母様の目の届かない夜中なら逢えるかなって思って。逢いたかったんだもん・・・・・・。」
瞳いっぱいに涙を浮かべて、頼忠さんは違うの?と言われてしまえば、理性など吹き飛んでしまう。
少女を腕の中に閉じ込めると、耳元で囁く。「私もお逢いしたくて仕方がありませんでした。」それだけで真っ赤になる少女に苦笑するが、「貴女から御文を頂けるとは・・・逢いたいと思っていただけて嬉しいですよ。」、と続ける。
そして、真面目な顔になる。
「花梨殿・・・鎖、有難う御座いました。」
「えっ?」何の事?と見上げてくる少女に。
「貴女の鎖が、私の身代わりとなって穢れを受けてくれたのです。ですから、私は大した影響も受けずに済みました。貴女のおかげです。」
そして、私・・・頼忠さんの役に立てたんだぁ、と嬉しそうに言う花梨の耳元に、更に口を近付けると囁いた。
「貴女に接吻してもよろしいですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
自分の足できちんと立つ事の出来なくなった花梨が、力なく寄りかかってくるのを、してやったり、との表情をして抱き支える。
「頼忠さん、ワザとでしょう?」
「はい?」
「私を困らせようと、ワザとそういう事を言っているでしょう?」
心底困っています、と全身で表現する花梨の様子に、クスリと笑ってしまう。
「そうですね・・・・・・貴女はお優しいから。いつも私を守ってくださるから、つい甘えたくなります。」
それで許可して頂けますか?と促すと、耳を澄ませていなければ聞き逃してしまうような小さな声で、
「・・・・・・ダメ・・・・・・です・・・。」
「はい?ダメ、ですか?」
「・・・・・・今はダメです。・・・心臓が壊れてしまいます。・・・もう少し・・・落ち着くまで待って下さい・・・。」
「許可するとお約束して下さるなら、いつまでもお待ちします。」
『・・・・・・・・・・・・。頼忠さん、性格変わった・・・・・・。この頼忠さんも好きだけど、心臓に悪いよ・・・・・・・・・。』
頼忠は新たに芽生えた花梨の悩みには気付かず、完全に身を預けてくる少女をただ優しく抱き締めているのだった――――――。



「おやおやおや。」
そんな二人を神泉苑の入り口から見つめる一人の男の影。翡翠は二人の姿を苦笑しつつ呟いた。
「女心に疎い朴念仁だと思っていたが、やる時はやるじゃないか。」
姫君の瞳に映るのが、自分以外の男だという事実は妬ましいが、姫君が笑顔でいられるのなら引き下がるとしよう。
だが、姫君に涙の一滴でも流させようものなら・・・・・・遠慮なく攫わせてもらうよ。
最後に一瞥すると、少女の笑顔を心に刻みその場を立ち去る。
『・・・・・・幸せにおなり・・・・・・。』




『・・・叶えよう。お前の願いは叶えられる。我らの感謝と祝福を。―――我らの神子よ・・・』






後書き

2004/03/07 17:36:27 BY銀竜草