頼忠は夜明け前に花梨の室を出た。
室の外にいたイサトが、何か言いたそうな表情をするが言葉に出来ず手を握り締める。
頼忠はただイサトに目礼すると視線をずらし、何も言わずにこの場を離れた。



頼忠が大文字山の麓に着いた時、泰継、泉水の他に勝真も一緒にいた。
「呪詛を祓うのはお前に任せるが、最後まで見届けるからな。」文句は言わせないぜ、と睨みつけるように言う勝真に、
「感謝する。」と生真面目に答える。
すると勝真は、相変わらず堅っ苦しいヤツだな、とため息混じりに呟いた。
泰継が、小さな声で呪を唱えると、「結界は解けた。出発するぞ。」と、歩き出す。
それに頼忠、勝真、泉水が続いて歩き出した。

泰継が唱える呪と泉水が奏でる笛の音が穢れを払い、場を清める。
それでも、呪詛の種に近づくにつれ、空気は澱み息苦しさが増す。
息も吸えないほどの穢れが強い場所に着いた時、泰継が
「あの木の根元にある小さな祠の中だ。・・・お前の手首にある物は神子の清浄な気が宿っている。握り締めていれば、少しは呼吸が楽になるだろう。」
と言うと、頼忠の手首から外し手の平に乗せる。

頼忠がブレスレットを握り締めると、出来なかった呼吸が楽になり、力が湧き出てくるのを感じた。
そして、祠に近づくと刀を抜き、力いっぱい振り下ろす。
壊れた祠の中には、呪詛が書かれた木の板が一つ。
穢れを払い続ける泰継と泉水、そして勝真が見守る中、頼忠は、それに手を伸ばした―――――――――。



その少し前。

花梨は胸騒ぎを感じて目を覚ました。
室の中を見回すが、いつもなら室の隅に控えている頼忠の姿が無い。
昨日の様子を思い出すと、不安は増し、息苦しくなる。
単に袿を1枚重ねて着ると廂に出る。と、そこにいたイサトが飛び上がった。
「部屋から出ちゃ駄目だって言っているだろ?戻れよ!」
「イサト君、頼忠さんはどこにいるの?」
真実を求める真摯な瞳に見つめられ、『・・・っ!』眼を見開く。
『何か変わった事があると気付いたんだな・・・・・・。』
本当の事は言いたくない、だが、嘘はつけない・・・・・・・・・。
迷いに迷って、それでも、花梨の心を知っているイサトは大きな息を吐き、決意する。
「・・・こっちに来いよ。」
花梨の手を握ると歩き出した。


彰紋と幸鷹が帝と内密に話し合っていた。
「・・・・・・・・・そうか、神子を利用しようとする邪念が呪詛を強めていたのか。それでは、この呪詛を祓えたとしても、何時また同じような事があるか分からないな。神子の身が危険な事に変わりは無いのだな・・・・・・。」
帝はため息をつく。
「それで、今回は誰が呪詛を祓うのだ?」
「天の青龍です。陰陽師である地の玄武の説明ですと、恐らく彼は助からないだろう、との事で・・・・・・。」

カタリ。

「神子殿っ!」
「イサト!!」
音がした場所を見ると、真っ青な顔をして今にも倒れそうな花梨と、そんな少女を支えている少年がいた。
「どういうこと?・・・・・・助からないって、どういうことっっ?!」

花梨の顔を見る事が出来ない彰紋はイサトの方に視線を合わせる。
「イサト、なぜ花梨さんを部屋から出したのです?泰継殿が結界を張った意味が無くなってしまいます。」
「花梨は気付いたよ。今、大変な事が起こっているって。事実を知りたいって言うこいつを止められるわけ無いだろう?」
「だからって花梨さんの身にもしもの事が起きたらどうするつもりですか?」
半分泣きそうになりながらイサトとケンカを始める彰紋を横目に。
「神子殿、お部屋にお戻りください。お部屋を出られては危険です。」
さあ!と言って肩を抱くようにして連れ戻そうとする幸鷹を振り払おうともがく。
「頼忠さんはどこにいるの?教えてっっ!」
花梨の両腕を掴み、幸鷹が花梨の眼を見て叫んだ。
「必ず貴女をお守りすると、頼忠と約束をしたのです。その頼忠の心を無にするのですかっ!?」
「・・・あの神泉苑での戦いの時に、頼忠さんは言ってくれました、最後までご一緒します、と。その頼忠さんが傍に来られないのなら、今度は私があの人の傍に行きます。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
決意を固めた揺るぎ無い瞳で見返され、静かに話す花梨に答える言葉は見つからず、黙り込む。

「大文字山だよ。そこに呪詛の種があるのだよ。」
「「「「えっ?」」」」
いきなり声が聞こえ、驚いて振り返ると何時の間にか部屋の中にいた翡翠の姿があった。
「翡翠殿っ!何を言われるのですかっ?!神子殿の身を危険に晒すおつもりですか?」
「それを決めるのは姫君自身だよ。」
花梨を見つめると、どうするつもりだい?と聞いた。
花梨は苦しげな表情をして両腕で自分の身体を抱き締めると、間に合わない・・・・・・と呟く。
そして、両腕に力を入れると目を閉じて心をこめて念じる。
『―――お願い青龍、私の呼びかけに答えてっ!!』
その瞬間。
眼も眩むような光が溢れ、その場にいた者達は思わず目を瞑る。
そして、ゆっくりと眼を開けると目の前に青い龍の姿があった――――――。

みんなが息を飲み見守る中、花梨は青龍に近づいた。
「天の青龍が呪詛を祓いに行っていて、今、危険に晒されているの。・・・助けたいの。お願い、大文字山に――――――頼忠さんの元に連れて行って。」
『―――承知した。我に掴まれ―――』
「ありがとう・・・。」
そして、幸鷹達を見つめると静かに微笑み、御免なさい、と呟く。
花梨が青龍に掴まり、お願いします、と囁いた瞬間、再び眩い光に包まれ、またもや目を閉じてしまう。
そして・・・目を開けた時・・・青龍はもちろん、花梨の姿はどこにも無かった――――――。



「翡翠殿・・・・・・。」怒りの篭もったその声に、
「頭が良い筈の別当殿が忘れてしまったのかい?」少し蔑みの混じった声で答える。
「あの幼さの残る姫君が、愛する家族や友人、この世界とは比べ物にならないほどの便利な生活を捨ててまでこの世界に残った理由を。」
「・・・っ!だからって・・・・・・・。」
翡翠は幸鷹を射る様な視線で見据えると、
「あの男のいないこの世界で暮らせ、だのとよくもまぁそんな残酷な言葉が吐けるものだね。」
「・・・・・・俺はただ・・・花梨に笑っていて欲しいだけだ。あの花梨が頼忠を犠牲にして生き永らえたとして・・・・・・笑ってくれるか?もう十分つらい思いをしてきたのに・・・これ以上悲しい思いをさせたくないんだ・・・。泣き顔は見たくないんだ・・・・・・っ!」
ぼろぼろ涙を流すイサトの頭を、翡翠はぽんぽん叩く。
「「・・・・・・・・・・・・・・・。」」
――――――どうか、ご無事で――――――。



部屋の中央には、存在を忘れられている帝が考え込んでいた。
今自分の眼で実際に見た事を。
神子の人柄を、八葉との関係を。
龍神の神子の力を・・・・・・。
そして―――神子の為に、この京の為に自分に何が出来るのか――――――。