絆〜従01〜



龍神の神子の呼びかけに応え、龍神が京に蔓延る穢れの全てを祓った。そして穏やかな日々が訪れた。



「ねぇ、頼忠さん。御簾、上げて。」
御帳台の垂れ布の隙間から顔を出し、花梨が頼む。だが、頼忠は顔を横に振った。
「駄目です。」
「ぶぅ〜〜〜。」途端、頬を膨らませて不機嫌な顔を作った。「退屈なんだもん。庭ぐらい見たいよ〜。」
「体調が完全に回復するまで冷たい風は厳禁だと、泰継殿に言われたので御座いましょう?もうしばらく我慢なさい。」
「もう二十日間もずっと大人しく寝ていたもん。元気だってば!」
「しかし数日前は面会出来ぬほど悪化したではありませんか。」
「ぐっ!」詰まった。「いや、あれは病気とは違って・・・・・・。」
ゴニョゴニョと誤魔化しながら女房に助けを求めるような視線を送る。しかしその女房はにっこりと微笑みながらも首を横に振った。
「神子様。そんな我が儘おっしゃらないで下さいな。龍神様をお呼びした事での負担は、神子様が考えている以上に大きいのですよ。まだ、少々顔色が悪う御座います。」
「でも、全然空気の入れ替えをしていないから篭ったような重苦しいような、そんな感じじゃない。それにずっと御帳台の中に押し込められているから気分だって滅入ってくる。これじゃあ、余計に悪くなるだけだよ。たまには清々しい空気を吸いたい。」
「そんな屁理屈、もう騙されません。」
女房は相手にしない。だが。
「神子殿。」呆れたような、笑いを堪えているような、そんな複雑な声音で頼忠が口を開いた。「では、袿を沢山お召しになって火鉢の側にお出で下さい。」
その言葉が言い終わらない内に。
「わぁ〜〜〜い!」歓声を上げながら布団代わりの袿を抱えて御帳台から飛び出した。「頼忠さん、大好き〜〜〜♪」
頼忠の隣に座った。もそもそと腕を袖に通すのに梃子摺っていると、頼忠が袖の中に手を入れて花梨の腕を掴んで引っ張った。
「全く、頼忠殿は神子様に甘すぎます。」
ぶつぶつ文句を言いつつ、何枚かの袿を持って花梨に近付いた。そして頼忠にこっそりと茶目っ気たっぷりの目配せをする。
頼忠はそれに気付き、うっすらと笑みを浮かべた。
「神子殿。床が冷とう御座います。こちらにお座り下さいませ。」
そう言うと花梨の腰に手を回し持ち上げ、頼忠の膝に乗せた。
「あ?え〜〜〜?ちょっと頼忠さん?」
慌てる花梨に女房は。
「では、ごゆっくりどうぞ。」
一言そう言うと、二人一緒に袿を羽織らせ、そのまま退出した。
「寒う御座いますから、遠慮なさらずにお傍にお寄り下さい。」
「え、遠慮はしていませんから・・・だから気にしないで。」
もぞもぞ。二人の間に隙間を作ろうとするが、反対に胸に引き寄せられてしまう。
「どうかなさいましたか?お顔が紅いようですが。」
熱を持った頬に手を滑らせた。
「え?」
「もしや、熱がぶり返したとか―――。」
「って、顔が紅いのは熱じゃなくて頼忠さんのせいです〜〜〜」
頼忠のわざとらしいほどの冷静な声と花梨の動揺した声の会話がしばらく続いた。



その頃。
「深苑殿。私の友人が関白殿の屋敷に勤めているのですが、こんな噂があると知らせてくれました。」
花梨付きの女房が一通の文を差し出した。
「何事だ?」
だが、その文を読み進む内に顔が険しくなっていく。
「分かった。警備を強化するよう、手配しよう。」
「お願い致します。」
「お前達も戸締りはよく確認するように。」
「はい。私が責任を持って毎夜確認致します。」
「うむ。」頷いた。「よく知らせてくれた。私の代わりにその友人に礼を言ってくれ。」
「畏まりました。」
深々と頭を下げた。



更に数日後、やっと全快したと認められた花梨はふらふらと屋敷の中を歩き回っていた。もう数ヶ月住んでいるが、未だに自分の室と八葉の控えの間、そして紫姫の室しか知らない。何処に何の部屋があるのか、分からない。つまり、探検していたのだ。
ところが。
「広いなぁ。ここはどこだろう?」
何度か渡殿を渡って角を曲がったら、今現在どこにいるのか分からなくなってしまった。迷子になる神子様、自分で自分を笑う。人の話し声が聞こえ、戻る道筋を訊こうとその室を覗き込んだ。そこは現代で言うキッチン。ただし道具類は見慣れない物ばかり。花梨は興味津々でそのまま入り込んだ。
「こんにちは!」
「あら、神子様。お腹でも空いたんですか?」
白湯を飲みながらおしゃべりに興じていた下働きの女達が一斉に立ち上がった。
「えっと、違うけど。」まさか迷子とは言い難い。それに花梨もおしゃべりに参加したい。話を逸らそうと中央の台に乗っている皿を手に取った。「これ、小豆?」
隣には餅の残りもある。塩は調味料だから当然。そしてお砂糖は泉水がくれたものがある。
パァ〜と閃いた。
「そうですけど、それがどうか致しましたか?」
「ねぇねぇねぇ、この小豆、貰って良い?お餅も。」
右手に小豆、左手に餅を持って強請った。
「構いませんが。」
「やったあ!じゃあ、お汁粉を作ろうっと。」
「神子様、お汁粉なら私がお作り致しますが。」
「自分で作りたいの。お願い、やらせて!」
と意気込んで言ったのは良いが。
キョロキョロと見回し、そして頭を抱えた。ガスコンロが無い―――。
「えっと・・・火の点け方、教えて下さい・・・・・・。」
心配そうに見つめる女達に向かっておずおずと小声で頼んだ。


と、その前に。
「鍋に小豆と水を入れる、と。」
しかし、再び道具類を見ながら考え込んだ。この世界では計量カップも無ければ重さの単位も違う。
「まぁ、元々分量なんて覚えていないし大丈夫だよね。」
お汁粉はケーキを焼くのとは違う。細かい事はあまり気にしなくても良いだろう。作った時の感覚を思い出し、適当に入れた。
そして。
カチッカチッ!
「あれ?点かないけど?」
「コツがあるのです。」
そう言って花梨の手に触れ、動かし方を教える。
カチッカチッ!!
「あれ?」
カチッカチッ!!!
「点いた!やった、火が点いたよ!」
「そうですわね。」
たかが火が点いただけなのに、花梨は大はしゃぎ。見守っている女達は苦笑した。

途中で砂糖や塩を加えたりするが、お汁粉の下準備は小豆を煮るだけだ。

「神子様は八葉のどなたとご結婚されるのですか?」
黙って鍋を眺めていてもつまらない。女が集まれば当然おしゃべりだ。若い女が単刀直入に尋ねた。
「え?結婚!?」
さっと頬に血が上り、声がひっくり返った。
「神子様がこの京に残られたのは、想いを交わした相手がいるからだと言う者がいるのですよ。」
「え、えっと結婚なんて考えた事は・・・・・・。」
瞳を輝かせている女に戸惑い、もごもごと口篭もった。
「もしかして、誰を選ぶのか悩んでおられるのですか?みんな素敵ですものね。一人に絞るのは難しいですよね。」
勝手に納得し頷いている。
「身分で選べば彰紋様が一番ですわね。臣下でもお優しい方なら泉水殿、出世を期待するなら幸鷹殿。」
一人が言いだすと、他の者まで男の批評を始める。
「親しみやすさなら勝真殿で、能力で選ぶなら泰継殿かしら。」
「貴族でなくてもお友達感覚で付き合っていきたいのならイサト殿、落ち着いた大人の男性なら頼忠殿、刺激的な日々を送りたいなら翡翠殿ね。」
花梨そっちのけで男の話で盛り上がる。
「私なら頼忠殿が良いわ。」一人の女がため息をつきながら言った。「貴族の方だと私では身分が違いすぎますもの。」
「そうね。私も頼忠殿だわ。」他の女も頷いた。「翡翠殿に遊ばれてみたい気はしますけど、生涯御心を繋ぎ止めておく自信はありませんわ。」
「えっと、頼忠さん、人気があるんだね。」
心が騒ぐ。花梨はさり気なく言った。
「えぇ。無口で瞳が鋭くいらっしゃるから怖い印象がありますけど、武士の割には口調は丁寧ですし、ガサツな所などありませんでしょう?」
うっとりと夢見る乙女な表情で頷いた。
「そうそう。暴力事件を起こした事も無いですし、それどころか困っていると助けてくれますもの。お優しい方ですわ。」
「そういえば、浮いた噂など聞いた事がありませんわね。仕事と同様に恋人に対しても誠実な方なのではありませんか?」
「ふぅ〜〜〜ん・・・・・・・・・。」
結婚したとして、この自分は頼忠を生涯繋ぎ止めていられるのか?やっぱり女を磨かなきゃ駄目だよね。
そんな事を考えていると。
「それで、神子様の好みの殿方はどなたですか?」
「あ、あのえっと―――。」
再び直球で訊かれ、慌てた。だが。
カタン。
手を動かした瞬間、持っていた箸を落とした。
「そうだ、小豆はどうなった?そろそろ良い煮加減だと思うんだけど。」
鍋の存在を思い出し、落とした箸を拾いながら言った。
「そうですわね。見てみましょうか?」
神経を逸らす事に成功。皆で鍋の中を覗き込んだ。
「こんな感じかな?」
「そうですわね。」
小さな匙で掬って甘さ具合、小豆の状態を確かめると頷いた。
「わぁ〜い、明日食べようっと。楽しみ〜〜〜。」
きゃいのきゃいのはしゃぐ神子を微笑みながら見つめていた。



翌日、頼忠が恋人に逢いに来た時、花梨は室の中にいなかった。
「神子様はすぐにお戻りになられますから、中でお待ち下さいませ。」
女房が楽しそうに言った。
そしてその言葉通り、花梨はすぐに戻って来た。神子自ら四角い盆に料理を乗せて運びながら。
「頼忠さん、こんにちは!」
「神子殿!」
慌てて立ち上がると、盆を受け取ろうと手を伸ばした。だが、さっと脇に逃げる。そして床に置きながら座った。
「お汁粉、私が作ったの。一緒に食べよう!」
「は?神子殿が作られたのですか?」
動きが止まる。
「うん。私、料理は苦手なんだけど、お汁粉は好きだし簡単だから作った事があるの。と言っても、私の世界とは調理器具から道具まで全て違うから全部教わったんだけどね。」
それだと作ったとは言えないか、と笑う。
「・・・・・・・・・。」
言葉も無く呆然と見つめていると、何を勘違いしたのか心配そうに尋ねてきた。
「お汁粉、嫌いだった?」
「いえ・・・・・・大丈夫です。」
嫌いも何も、この世界では砂糖は貴重品。それをふんだんに使った料理など武士の頼忠では眼にした事さえ無い。
「じゃあ、食べよう!」
「頂戴致します。」
そう言って椀と箸を手に取った。黒っぽい汁の中で煮えた小豆が大量に泳ぎ、焦げめのついた白い餅が顔を出している。砂糖の甘い匂いと焼いた餅の香ばしい香りが合わさり、実に美味しそうだ。
花梨は汁をすすると、笑みを浮かべた。
「あ、美味しい。うん、成功だ。やっぱりお餅は焼かないとね。」
歯で咥えると、餅を箸で引っ張り、伸ばす。
花梨の笑顔を見て頼忠にも笑みが浮かんだ。そして頼忠もゆっくりと味わいながら汁をすすった。想像以上に甘ったるい汁は全身を溶かしそうだ。
「とても甘くて美味しいですね。」その言葉に花梨は嬉しそうに微笑んだが。「貴女との口付けの味を思い出します。」
「ぐっ!」
続けて言われた言葉に噴き出しそうになり、口を開けないように耐える。そして椀をお盆に乗せると、根性で飲み込んだ。だが、むせた。
「ゲホッゲホッゴホッッ!」
「大丈夫ですか?」
慌てて椀を置き、花梨の隣に移動すると背中を擦った。
「ゲホッゴホッッ!―――な、何て事を言うんですかぁ!」
胸を叩いて落ち着かせる。そして横で花梨を抱えるように座っている頼忠を見上げると、真っ赤な顔で叫んだ。
しかし瞳が涙で潤んだその顔は―――。
「花梨・・・・・・。」
花梨の頬に手を添えるとそのまま唇を重ねた。
「なっ!?」
身体を硬くするが、頼忠との口付けは嫌いではない。すぐに素直に応じた。
「お汁粉は美味ですが、やはり貴女の唇には叶いませんね。」
そう言うと、再び唇を味わい始めた。


唇は離しても、身体は逃がさない。抱き締め、頭に頬を乗せた。
「ねぇ、頼忠さん・・・・・・。」
「何でしょうか?」
顔を少し動かし、髪の生え際に唇で触れる。
「あのね・・・何時か、何時か私を頼忠さんのお嫁さんにしてくれませんか?」
緊張し、言葉が震えている。
「っ!」
ピクリと身体が強張る。
「今は無理だけど・・・・・・。でも、でも、もう少しこの世界に馴染んで、武士の、頼忠さんの奥さんとしてやっていけるようになったら・・・・・・その時には・・・・・・・・・。」
「ありがとう・・・御座います・・・・・・・・・。」
胸がいっぱいでそれしか言葉が出ない。再び頬に手を添えると、お汁粉よりも甘く蕩けるような口付けを贈った。



こんな穏やかで幸せな日々がずっと続くと信じていた、ある日の出来事――――――。






注意・・・京RD。一月下旬。
     建物の構造や道具の間違いは眼を瞑って下さい。
     料理の仕方の間違いは、拍手にて教えて下さいませ。

この時代、砂糖は貴重品ですが、お汁粉は食べられていたのでしょうか?他の甘味料を使ったのでしょうか?

汁だけと餅入り。こしあんとつぶあん。
まぁ、地域によって呼び方は変わりますが、我が家では『ぜんざい』とは呼ばず全て『お汁粉』。