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室の御簾は下ろされているが、影が見え、声も漏れて来る。 女がもっと様子を探ろうと建物に近付き、高欄の柱に手を掛けた。 「からかうのは止めて下さい!」 「怒ったお顔も可愛らしいね。」 「何を言っているんですか。もう・・・・・・ばか・・・・・・・・・。」 からかうような口調に怒っていたりんだが、諦めたようで、少しずつ柔らかな声音へと変わっていく。 「あははは。馬鹿とは酷い事を言うね!」 「そうとしか言いようがないよ。翡翠さん、子供みたい。」 「おやおやおや、怒ってしまったのかい?どうか機嫌を直しておくれ。」 「ふん、だ。」 『これ、演技、だよな・・・・・・?』 『そう、だと・・・思うのですが・・・・・・。』 恋人同士の会話、それも痴話喧嘩にしか聞こえない。動揺し、手を口元に持って行ったり胸の辺りを押さえたりと落ち着きを無くしていく。 高欄近くの女の顔も険しさを増していく。 「これは困ったな。そうだ、姫君。―――。」 男の影が動き、女の側に寄る。と、影が重なった。 「え?翡翠さん、何、何て言ったの?」 「だからね、―――。どうだい?」 翡翠の声が小さくて聞き取れない。 「ほんと?本当に約束してくれる?」 「勿論だとも。―――。」 「じゃあ、だったらやる。」 『何を話しているんだろうな・・・・・・?』 気になり、背伸びをして室の中を覗き見る。 『離れろよ、翡翠・・・・・・っ!』 翡翠がりんの耳元に口を寄せて何かを話している。それを頷きながら聞いているが、影では頬に額に唇に口付けているようにも見えるのだ。会話の雰囲気で違うのは分かるのだが、不愉快で、唇が真一文字に引き伸ばされる。 「ほら、手を出して。」 「翡翠さん、手、大きいよね。」 俯いたりんの頭が、丁度翡翠の胸元に当たっている。 「私の手は君の御手を包み込む為に大きいのだよ。」 「はいはい、好きに言っていて下さい。」 『っ!!』 息を呑む。緊張して掌に汗が出て来る。そのまま見守っていると。 翡翠の腕がゆっくりと動いた。 「あっ。」 ピクンとりんが動く。 「ほらほら、駄目だよ。」 「ヤダ。ヤダヤダヤダ。ヤダってば!あ〜〜〜!」 身体を引く。と。 「駄目だよ。逃がさない。」 腕を引き、りんを連れ戻す。 「だってぇ・・・・・・。ひゃあ!?―――んもう!」 重なった影が絡むように蠢く。と、りんが急に膝立ちし、翡翠を突き倒した。 『みひょどのっ!』 頼忠が室に乗り込みたくて暴れるが、 『我慢しろ!我慢、我慢だっ!!』 『これは演技、演技ですから。』 『大丈夫、大丈夫です。絶対に大丈夫ですからっ!』 『翡翠殿は他の男の恋人を横取りなんかしませんよ。』 他の者達も同じ思いだが、耐えようと頼忠の腕に脚にしがみつく。袖で頼忠の口を覆った。 「こらこらこら。」 ゆっくりと身体を起こすと座り直した。 「だって・・・・・・。翡翠さん、手加減してくれないんだもん。」 不機嫌そうに、だが、甘えているようにも聞こえる口調で言う。 「手加減したら面白くないだろう?」 「でも、ボクはこんな事をするのは初めてなんだよ。百戦錬磨の翡翠さん相手じゃ勝てる訳無いじゃん。」 「私だって初めてだよ。」 「嘘だぁ。上手いもん、絶対に慣れているよ。」 「嘘では無いよ。君以外にはこんな事はしない。―――ほら、手を出して。」 「うぅぅぅ・・・・・・。」 文句言いながらも座ったままずりずりとにじり寄り、手を差し出した。 しかしどんなに自己暗示を掛けようとしても、二人の会話も影も不安を煽る。 『何かさ・・・、ヤバくないか?』 『まさか・・・、まさか・・・翡翠も頼忠と同じなのか!?』 『いえ、あの女人に見せつけているだけでしょう。わざとですよ。』 動揺が広がっていくみんなに幸鷹が安心させるように言うが、馬鹿力としか言いようのない強さで近くのモノを握り締める。 『ぐ、ぐるぢい・・・・・・っ。』 その幸鷹の下では、襟元を引き絞られた恰好の頼忠がもがいていた。 「あ、あ、あ。あ〜、っと!」 「ほら、りん。」 「いやぁ〜。もう、いや・・・っ。ダメだってば!―――ったっと、っと!」 りんの少々元気な喘ぎ声と併せるように二人の身体が大きく揺らぎ、翡翠の腕の中で踊る。 「もうっ、翡翠の馬鹿!あんな小娘の方が良いなんて、見る眼がないわね。」 イチャつく二人の姿に苛立ったのか、高欄の側に立っていた女が悪態を吐きつつ下品に雪を踏み荒らしながら立ち去った。 『行ったか?』 「行ってしまったようですね。」 完全に姿が見えなくなると、入っていた腕の力が緩む。 と。 「ふんがっ!」 「ぅわぁ!?」 「おおぅっと!」 頼忠が自分を押さえつけていた男達を吹っ飛ばし退かした。二、三度大きく咳込んだが、走り出す。 「神子殿!!」 「もう、何で勝てないのよ!?」 「頼忠っ!」 「ちょっと待て!」 慌てて追い駆けるが、 「神子殿!!」 りんの事しか頭に無い頼忠にその声は聞こえない。靴のまま階を駆け上がり、簀子、廂と走り抜ける。そして御簾を薙ぎるように飛ばして室に飛び込んだ。 「ん?」 翡翠が振り返り、怒りの形相の頼忠を見た。笑みが浮かぶ。 「神子殿、御無事で御座いますかっ!?」 しかしその瞬間、抱き抱えられるような恰好のりんが叫んだ。 「いちにーさんしーごーろくななはちくーじゅうっ!!」 「おいっ!」 「りんさんっ!」 「翡翠殿っ!!」 遅れて他の八葉も飛び込んで来た。 「あ。」 翡翠が瞳をりんに戻す。だが、りんは翡翠の手を投げ捨てるように放すと、両手を上げた。 「勝った、やっと勝ったっ!!勝ったもんね〜。」 「りん。」 「余所見した方が悪い。負けを認めなさい。」 苦笑する翡翠に人差し指を突き付け、満面の笑みで言った。 「・・・はぁ。仕方がない。潔く負けを認めよう。」 「よし。」 翡翠がため息を吐きつつ認めると、りんは頷いた。 「あ、あの・・・、神子殿?」 想像していたのとは違う二人の様子に、頼忠が戸惑いながら声を掛けた。 「ん?―――あれ?何でみんないるの?」 何時の間にか八葉全員が揃っている。その事にやっと気付いてりんは眼を見開いた。 「何でって・・・・・・。」 「そ、それは・・・・・・。」 答えられずに口篭る。 「まぁ、良いや。それより、明日の散策はお休みだから。翡翠さんがお酒とツマミを持って来てくれるって言うから、宴会だよ。」 親指と人差し指で見えない猪口を持つと、くいっと飲む真似をして見せた。 「―――は?宴会?」 「そ。ボクは指相撲の勝負に勝ったのだ。」 腰に手を添えるとエッヘンと胸を張る。 「ゆび・・・。」 「ずも・・・う・・・・・・?」 翡翠に眼を移せば、翡翠は脇息に肘を付き頭を支えながら楽しげにりんを見つめている。頼忠達の視線に気付くと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「やっぱりりんで遊んでやがったぜ・・・・・・。」 勝真ががっくりと肩を落とした。 「いえ、私達全員で、でしょう。」 幸鷹も脱力して座り込んだ。 しかし。 「それにしても・・・・・・。」 「えぇ、そうですね・・・・・・。」 近くで見れば更に、りんのこの女姿がよく似合っているのが分かる。今まで気付かなかったが、小さな口元や滑らかでほんのり紅く染まった肌は艶めかしい。高い声もこの姿ならば違和感は無い。頼忠が惑わされたのも当然だ。 「それにしても、この長袴って歩き難いなぁ。」 りんはぶつくさ文句を言いながら顔を顰めている。その気取りっ気のない仕草は素直な性格を表していて、先ほどの美女よりもずっと心惹かれるものがある。 「・・・・・・・・・。」 頼忠の眉間の皺が深くなった。二人の間には結局何も無かったようだが、翡翠の関心が先ほどの女よりもこのりんに向けられているのはその瞳を見れば明らかだ。それに、此処にいる他の男達全員がりんの女姿に見惚れている。男だと思っているから抑えているが、女だと知ったらどんな行動に出るか、想像するだけでも怒りで震える。 「神子殿、もう夜も遅う御座います。私達は退出致しますので、早くお休み下さいませ。」 「え?」 「何だよ、ちょっとぐらい夜更かししたって大丈夫だろ。」 「そうです。明日は休みなのですから、少々寝坊したって構わないですよ。」 イサトと幸鷹が反論すると、他の者達もそうだそうだと文句を言う。だが。 「いや、普段なら既に休まれている刻限だ。八葉がお守りするべき神子殿を疲れさすとは言語道断。」 珍しく強い口調で言いながらギロリと睨みつけると、勝真が嫌味っぽい笑みを浮かべ返した。 「おいおい。ヨチヨチ歩きの稚児じゃあるまいし、この程度で疲れたの何のって―――。」 「あーっと!」一触即発な二人の間に割り込むと腕を振り上げた。「この衣、すっごく重くて疲れたよ。だからもう休みたい。すぐに寝る!!だから今日は解散、遅くまでご苦労様でした!」 振り上げた腕を勢い良く下ろしながらお辞儀をした。 「あん?―――そ、そうか、それなら帰るさ。」 不満げに顔を歪めたが、りんの心配そうな表情に気付き、渋々頷いた。 「じゃあな。」 「では、明日こちらに伺いますね。」 「暖かくしてお休み下さい。」 りんがそう言うなら帰るしかない。それでも、名残惜しそうにノロノロと後退りしながら室を出て行った。 「お休みなさいませ。」 「うん・・・・・・。」 最後の一人が室から出たのを確認すると、頼忠も挨拶をしてその場から立ち去った。 |
注意・・・第4章・『温泉』と同時期。『恋敵』の後。 この話の結末が決まらなかった。 ラブラブモードにすると、『温泉』と内容・雰囲気が被るからどちらかが要らなくなる。 シリアスモードだと、この後で仲直りの話が必要になる。で、仲直り=恋愛モードで温泉(?)と内容が被り(以下同文)。 結局、向こうの方が先にネタが浮かんでいたし書き上がったので、こちらがボツ、となりました。本編が書き上がってもこちらは未完成だったので、この決断は間違っていなかったと。 折角なので、完成させました。 |