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「神子殿!」室の入口付近で頼忠が怒鳴るように叫んだ。「何故です?何故、この頼忠を拒絶するのですか?」 「別に拒絶したつもりはありません。」 身支度を整えていたりんは、振り返りもせずに髪の毛を梳かし続ける。 「それでは何故、散策の供にお連れ下さらないのですか?」 主に対して無礼な態度だと、自分でも分かっている。それでも尋ねずにはいられない。いや、尋ねる、何ていう口調では無く、これは詰問だ。 「太刀が怖いって、そう説明しました。頼忠さんが戦いに参加すると封印出来なくなるから。」 カタリ、と櫛を文机の上に置いた。頼忠と眼を合わせたくなくて、文机の上の物を意味も無く動かす。 厳密に言えば太刀が怖いのではない。頼忠が怖いのだ。りんを守る為ならば躊躇う事無く生命を投げ出す頼忠が。―――血だらけとなって身動き一つ出来ずに倒れ込んでいた若い武士。あんな姿の頼忠を見たく無い。だが、戦いに参加すれば。りんの傍にいれば。 「それは理解致しました。しかし、土地の具現化の時までお連れ下さらないのは何故です?」 「木の属性なら勝真さんがいます。それに、怨霊の噂を聞けば予定変更して戦う事になります。それには頼忠さんがいては困るんです。」 頼忠がほんの少しでも自分の身を守る事に気を遣ってくれたなら。―――ため息を吐きながら首を振った。―――出来ないのなら簡単、りんの傍に寄せ付けなければ良いのだ。ただそれだけの事。 「神子殿・・・・・・、私は誓ったではありませんか。貴女をお守りすると。そして貴女はそれを承諾して下さった。それなのに・・・何故・・・・・・・・・?」 怒りと悲しみで声が掠れている。苦しんでいるのが分かる。だが、りんには本当の理由を言うつもりは無かった。言っても無駄だから。 「さてと。そろそろ迎えが来る時間だ。」これ以上の誤魔化しは無理だ。立ち上がった。「今日も怨霊と戦います。頼忠さんは待っていて下さい。」 「神子殿。」 頼忠には眼もくれずに脇を抜けて廂に出た。 「やあ、神子殿。」 「りん、仕度は出来たのか?」 妻戸から丁度翡翠と勝真が入って来た。 「グッドタイミング。今、控えの間に行こうとしていたんだ。」 顔を上げると笑顔で答えた。 ―――他の男の元へ行こうとしている――― そんな恐怖感に駆られ、歩き出したりんの腕を咄嗟に掴んだ。 「え?」 驚きで瞳が見開く。だが、頼忠を見上げたその瞳の中に、怒りの感情が交じっているのに気付いた。 ―――他の男には渡さない――― 「よ―――?」 腕の中に引き寄せ、何かを言おうとして開きかけた唇を頼忠の口で強引に塞いだ。 「んくっ!」 体格、力、体力の全てにおいて劣っているりんには逃れる術は無い。侵入してきた舌に弄ばれ、奪われる。 「よ、頼忠!?」 呆気に取られて動けない勝真だが、翡翠が大股で二人に近付いた。 ガシっ! 頼忠の後頭部を掴むと、力任せに締め付けた。 「うっ!?」 腕が緩んだ隙にりんを奪い取る。 「・・・・・・・・・。」 自分の犯した行動が信じられない、との顔つきでりんを見つめた。 「勝真、神子殿を頼むよ。」 「お、おう。」 やっとの思いで足を動かし歩み寄ると、呆然と固まっているりんの肩を抱き寄せた。 「行くぞ。」 頼忠の視線を背にしつつ、追い立てられるようにその場から立ち去った。 ガンっ! 二人の姿が完全に見えなくなった瞬間、翡翠の拳が頼忠の顎に飛んだ。 「うぐっ!」 ダンっ!! ドサ。 柱に背中と後頭部を打ちつけ、跳ね返りながら床に倒れた。 「全くお前ほど愚かな男は見た事が無いね。」 腕組みしながら頼忠を見下ろした。苦しんでいるのは分かる。だが、それは自分で招いた事だ。同情するどころか軽蔑しか出来ない。 「・・・・・・・・・。」 苦悶の表情を浮かべて眼を逸らした。だが。 「姫君の御心を手に入れておきながら、それを大切にするどころか反対に傷付けるとは。」 「っ!?」 続けられた言葉に驚き、ぱっと顔を上げた。 「おや、りんが可愛い姫君だという事に気付いているのは自分だけだと思っていたのかい?お前はどこまで鈍感なんだ。こんな男に心を奪われるとは、不幸な姫君だよ。」 片手を額に当てると、ため息を吐きながら首を振った。頼忠は翡翠のそんな嘲笑を受けても、反論出来ずに唇を噛み締めるだけ。 「そうそう、りんを男と思っているから抑えているが、姫君だと知ったら他の者達も黙っていないだろうね。」 「っ!」 身体を強張らせ青冷めた頼忠に背を向けて歩き出した。 「このままお前が姫君の望みが分からないなら、私も大人しく指を咥えているつもりは無いしね。」 「・・・・・・・・・。」 滑ったような感覚があり、手の甲で口元を拭った。 「血、か・・・・・・・・・。」 殴られた時に歯で唇を切ったのだろう。その生々しい赤い血をじっと見つめていた。 勝真は戸惑っていた。翡翠に頼むと言われてりんを屋敷から連れ出したが、この後どうすれば良いのだろう?取り敢えず近くの寺に入り、人気の無い林の方へと向かった。 「おい、大丈夫か?」 呆けたままのりんに訊いた。 「・・・・・・・・・え?」 ぼんやりと焦点の定まらない瞳で勝真を見返した。 「ほら、頼忠に・・・・・・。」 勝真がもごもごと呟くと、りんは指で唇に触れた。 「あ・・・・・・・・・。」 途端、大粒の涙が溢れ出した。両手で顔を覆う。 『うわっ!?』 ギョッとし、思わず一歩下がった。 「うっ!・・・うっ!・・・・・・うっ!」 声を押し殺しているが、肩の震えの激しさでその悲しみの大きさが分かる。 何時もならば、幼い童が泣いていれば頭をワシワシと撫でて励ます。女童ならば泣き止むまで優しく抱き締めてやる。だが、このりんは青龍の相方であり、友人でもある頼忠の想い人。男だからと言って、その頼忠を袖にしたからと言って、無闇に触れて良い人間ではないのだ。それが色恋とは無関係な事でも。 「ぁうっ!うっく・・・・・・・・・。」 「りん・・・・・・。ほら、拭けよ。」 手拭いを取り出すと、差し出した。しかしりんは、首を振って受け取らない。そのまま指の間から手首から涙が流れ落ちていく。 『笑い方もそうだったが、こいつ、女みたいな泣き方をするんだな。』 こんな状態のりんを見ながら思うのも不謹慎だが、抱き締めたくなる。その涙を拭ってやりたいと。 『こいつが女だったら・・・・・・。いや、りんなら女じゃなくたって―――――っ!』 湧き上がった感情を、頭を思いっきり左右に振って散らした。 「りん、泣くな。あいつには後で罰を与える―――。」 「違う!」ぱっと顔を上げて叫んだ。「頼忠さんは悪くない、悪くないの!」 「・・・・・・・・・。」 そのあまりの激しさに驚き過ぎてりんの口調が女になっている事にも気付かぬまま、勝真は呆然と涙で濡れた顔を見つめる。 「悪いのは私、弱虫の私なの。頼忠さんを信じきれない私が悪いの。頼忠さんは悪くない・・・・・・・・・。」 そこまで一気に言うと、大粒の涙が零れ落ちる。顔を歪めるとしゃがみ込み、今まで以上に激しく泣き出した。 「りん・・・。お前・・・・・・・・・、お前は―――。」 あんな事をされても、それでも頼忠は悪くないというのか。―――そんなに好きか。そんな苦しい思いをしてまで、自分の想いを押し殺してまで守りたいか、あいつを。頼忠の事を・・・・・・・・・。 『羨ましいぜ、頼忠・・・・・・。』 小さな小さなトゲが心に突き刺さったような痛み、それを感じながら眼を閉じた。大きく息を吐く。 『りんが泣き止んだら・・・・・・・・・殴りに行こう。』 止む気配の無い泣き声を聞きながら、固く誓った。 夕刻。 「うわっ!?」 頼忠が武士団に戻ると、その顔を見た武士達が騒ぎだした。 「どうしたんだ、その顔は。」 衣は泥と血で汚れ、顔は傷と痣だらけで腫れ上がっている。暴行を受けたのは明白。だが。 「何でも無い。」 一言言うと、井戸に向かった。 バシャっ!バシャっ!! 何度も冷たい水を頭からぶっ掛ける。 「何でも無いという顔か。誰にやられた?」 「どこの者だ!?」 仲間が襲われたのだ。血気盛んな若い武士が、報復してやる、と勢いよく訊くが。 「良いのだ。私が悪いのだ。」 桶の中の水を見つめたまま、静かな口調で言った。 「何だって?・・・・・・・・・。」 そのあまりの落ち着きぶりに驚き、黙り込んだ。 『なぁ?』 『あぁ。』 元々頼忠の武士としての能力は、この武士団の中では断トツだ。他に所属する凄腕の武士だろうが、簡単にやられる訳が無い。という事は。 『殴られる理由があるんだな。』 『納得しているって事か。』 『そうみたいだな。』 顔を見合わせると頷き、問い質す事を諦めたのだった。 「神子殿・・・・・・・・・。」 従者が主を襲ったのだ。どんな罰であろうと、潔く受けるつもりだった。だが、りんの口から出たのは。 『ごめんなさい。』 たった一言、謝罪の言葉だった。その意味を問おうとしたが、顔を上げた時には室に駆け込んでしまっていた。 その代わりなのか、屋敷まで送って来た勝真が「りんを泣かした罰だ」と言って何度も殴りつけた。 「・・・・・・・・・。」 ぼんやり眺めていた桶の水に、白くて小さな塊が落ちた。 「雪、か・・・・・・。」 空を見上げると、沢山の小さな雪が降って来る。それが腫れ上がった頬に落ち、冷やす。 「神子殿・・・、何故で御座いますか?」 神子を守りたい。望みはただそれだけ。あの方は頼忠を信頼し、心をお許しになられたのでは無かったのか?なのに何故、他の男を頼りになさるのか。この頼忠を拒絶なさるのか。 ―――このままお前が姫君の望みが分からないなら――― 「神子殿の望み・・・・・・?」 御身と同様、御心もお守りする事が、望みを叶える事では無かったのだろうか?その誓いを立て、神子殿はそれを承諾して下さった筈なのに。 「しかし・・・今はそれをお許し下さらない・・・・・・・・・。」 それは、他の男に望んでいる。では、この頼忠に望むのは一体何なのか? 髪や衣に雪が積もって行くのにも気付かないまま、考え続けていた。 「神子殿の・・・望み・・・・・・・・・。」 雪が降る。静かに、優しく降り積もる。 「・・・・・・・・・。」 開いた妻戸に寄り掛かりながら座り込んだ花梨は、草木を白く隠していく雪を眺めていた。寒くて震えているのに、唇だけが熱い。指でそっと触れた。 頼忠は手当たり次第に女を口説くような男では無い。ならば、りんが頼忠にとって特別な存在だからしたのだろう。 これが原因か。頼忠が防御を忘れてしまったのは。 「頼忠さん・・・・・・。」 欲しかったのは安心感。この知らない世界に一人ぼっちでいる不安感、怨霊との戦いでの恐怖感、先の見えない絶望感。それを和らげ、何があっても守ってくれる味方が欲しかったのだ。家族のように優しく包み込み、心を温めてくれる人が欲しかった。 確かに頼忠はその望みを叶えてくれた。だが、家族と同等の、いや、それ以上の存在となってしまった。りんだけでなく、花梨にとっても頼忠は特別な存在に。 「傷付いて欲しくないの・・・・・・。」 花梨、りんを守ろうとして頼忠が傷付くのは、自分が怪我をするよりも痛い。想像するだけで怖い。 頼忠が武士としての実力があるのは分かっている。頼忠よりも強い者はそう多くない。もしかしたら、一人もいないかもしれない。だから、頼忠が傷付く筈が無いのだ。―――りんを守る事以外で。 他の八葉のように、自分自身も守るのであれば・・・・・・・・・。 「はぁ・・・・・・・・・。」 諦めのため息を吐くと、膝を抱えて顔を埋めた。 |
注意・・・第4章後半半ば頃。 |