18



「おい、りん。本当に出掛けるのか?」
イサトが眉を顰めた。
「うん。まだ南の明王様の課題は終わっていないし。それに、怨霊だってまだ沢山いるじゃん。封印しないと。」
明るく軽い調子で言う。
「えぇ、だけど・・・。」
それはそうなのだが、りんの顔は青冷めていて具合が悪いのは誰の目から見ても明らかだ。彰紋が口篭った。
「今日は泰継に薬湯を用意して貰うなり、呪いを掛けて貰うなりして休め。そんなんじゃ倒れるぜ。」
「その通りです、神子殿。まだ札を取りに行く日まで余裕があるのですから、焦る必要はありません。明日から頑張れば宜しいではありませんか。」
様子を見に来た他の八葉までがりんの説得に掛かった。
しかし。
「でも、どうしたら課題をこなせるか分かっていないんだし、行くだけ行こうよ。物忌みとか方忌みとかで出掛けたくても出掛けられない日だって多いんだしさ。」
そう言うとさっさと歩き出した。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
お互いに顔を見合わせたが、諦めて後を追った。



「神子。向こうに怨霊がいる。」
妙な気配を感じ取った泰継が言った。
「おいっ!」
勝真が余計な事をいう泰継の口を塞ごうとしたが。
「うん、分かった。」
りんは頷き、そちらに向かうようにみんなを促した。



しかし、と言うか、やっぱり、と言うか。奇声を発し暴れる怨霊の姿を見たりんの顔色は、青い、を通り越して白くなった。
キェエエエエエ!!
人間に気付き、怨霊がりん達に向かって来る。
「来る。」
「神子殿!」
「りん、行くぞ!」
それぞれ手に武器を取り、構えた。
しかし。
「あ・・・・・・。」
頼忠の太刀が陽の光を浴びてキラリと光った。両手を口元に持って行き、悲鳴を止める。
「りん?」
翡翠がりんの様子がおかしい事に気付き、側に近寄ろうと歩き出した。
と。
グェエ〜〜〜!!
怨霊が一際高く叫ぶと、りん目掛けて腕を大きく振った
「あ・・・。」
避けなければいけないのは分かっている。だが、身体が竦んで動けない。
ぶつかる、と思った瞬間、眼の前で影が動いた。
「神子殿!」
バシュッ!
代わりに頼忠が怨霊の攻撃を受けた。切り裂かれた衣の切れ端が、血と一緒に飛び散った。
『っ!!』
「りん!」
地面に崩れ落ちる寸前、翡翠がりんを抱き止めた。痙攣するように震えている。
「おい、りん!?」
「神子殿!」
「今はその怨霊を祓いたまえ。早く!」
怨霊では無くりんに意識を向けた八葉達に翡翠が怒鳴った。
「お、おう。」
「分かった。」
りんの頭を抱えて袖で眼と耳を塞ぐ翡翠の様子で危険な状態だと分かったのだろう。イサトと泰継が怨霊に向かって走り出した。
「りん、すぐに終わらせる。待ってろ!」
勝真が弓を構え、矢を射る。他の八葉も武器を構え直し、一斉に攻撃した。
「失せろ!」
イサトが錫杖を大きく振るうと、怨霊が煙のようになって消えた。


「神子!」
「りんさん!」
怨霊が消えた事を確認すると、八葉が一斉にりんの元に走り寄った。
「意識はある。だが、すぐに屋敷にお連れした方が良さそうだ。」
翡翠がひょいっと抱え上げた。
「私がお連れする。」
頼忠が腕を伸ばした。しかし、翡翠は背を向けた。
「お前は自分を治療する方が先だ。終わってから屋敷においで。」
「翡翠!」
「その血だらけのお前に大事な神子殿を渡す事は出来ない。」
言い放つと走るような速さで歩き出した。



「問題無い。」
容態を診た泰継はそう言ったが、側でりんの話を聞いていた翡翠は顔を曇らせた。
「確かにお身体は問題無いがね。」小さなため息を吐いた。「太刀が怖いそうだ。」
「はぁ?今まで大丈夫だったのに、何で今頃になってそんなもんを怖がるんだよ。」
イサトは納得出来なくて顔を顰めた。
しかし。
「この前の賊の影響でしょうか?」
「あぁ、そうとしか考えられない。あの夜以降だからね、様子がおかしくなられたのは。」
彰紋の問いに翡翠が頷いた。
「戦いなら怨霊とだって同じ事だろ?」
「いえ、違います。怨霊と戦うのは業から解き放ち、救う為です。それに、彼は臆病と思えるほど慎重でした。不利だと感じたら無理せずにすぐ退散しておりましたから、死と向き合ったのは初めてだった筈です。」
勝真の疑問に、幸鷹が答えた。
「そうですね。私達とは違って戦いとは無縁の平和な世界で生きていらした方。どんなに辛い事だったでしょう。」
泉水は数珠を握り締め、悲しそうに言った。
「太刀が・・・・・・怖い・・・・・・?」
そう呟き傍らの太刀を握り締めた頼忠を、翡翠が冷たい瞳で見つめた。
「そういう訳だ、頼忠。お前は戦いに参加しないでくれ。」
「私は神子殿をお守りする為に存在している。神子殿の為にこの剣を振るわないのであれば、八葉である意味が無い。」
睨み付けた。だが、翡翠も怯まず睨み返した。
「お前の存在理由など、私は知らないね。お前が太刀を振るえば神子殿は戦えない。これでは足手纏いにしかならないよ。」
「っ!」
「まぁ、落ち着け。」真っ青になった頼忠の腕を勝真が掴んだ。「戦うだけが八葉じゃない。土地の力を取り戻す具現化でも協力出来る。情報を集めるのだって大切な事だ。それに、俺達が側にいない夜の警護はお前の役目じゃないか。」
「くっ!」
勢いよく立ち上がると、何も言わずにそのまま室を出て行った。

「あのような冷たい物言いはどうかと・・・・・・。」
「仕方あるまい。」顔を曇らせた泉水に泰継が無表情のまま言った。「あの者は神子を守る事に囚われ過ぎていて己の身を守る事を失念している。このままでは取り返しのつかない事態を招きかねない。」
「そうだな・・・・・・。」
勝真が膝の上の弓を眺めながら頷いた。
武士としての義務感だけで動いていた男が、己の素直な想いでやっているのだ。りんが男だからといってその心に違いは無く、全否定するつもりは無い。
『惚れた女の為なら、俺だって同じ事をするだろうしな。いや、女じゃなくたってあいつが喜んでくれるなら・・・・・・。』
だが、このままで良い訳でも無い。りんがそれを望んでいないのだから尚更に。
「太刀以外の他の武器は大丈夫なのですか?」
頼忠の足音さえ聞こえなくなると、彰紋が視線を翡翠に戻した。
「あぁ。賊は長い太刀を持っていたそうだ。それで攻撃し、警護に当たっていた武士の何人かが重傷を負った。だから特別そう感じるみたいだね。」
「そんな呑気な事言ってんじゃねぇよ!」イサトが腹立たしそうに怒鳴った。「結局戦うのが怖いんだろ?怨霊はまだ沢山いる。彰紋の兄ちゃんだってこのまま大人しくしている筈が無い。りんが戦えなかったら、京を救うなんて無理じゃないか!?」
「しかし、神子殿はこの世界に来た瞬間からご無理を続けていました。これ以上、戦ってくれとも頑張れとも言えません。」
「そんなこたぁ、分かってる。分かっているさ!」バシンっ、と幸鷹の前の床を叩いた。「だからってこのまま滅びるのを、指を咥えて眺めていろって?じゃあ、今まで頑張って来たのは何だったんだよ!?」
興奮のあまり、身体全体で叫んだ。
「・・・・・・・・・。」
確かにイサトの言う通りだ。だが、こんな状態のりんを戦いの場に引き摺り出すのも躊躇われるのだ。
答えの無い問題を突きつけられたような心境で考え込む。
そんな中、冷静な声が響いた。
「問題無い。」
「って、どうすんだよ?」
「太刀を怖がる理由は、太刀が仲間を傷付けたからだよ。つまり、八葉が怪我をするのが怖いのだろう。だから。」
「攻撃させなければ良い。」
翡翠の言葉に泰継が続けた。
「攻撃させないって簡単に言うけどなぁ。」
「あっ!」勝真の横で彰紋が大きな声を上げた。「特殊効果を持つ技、ですね。確か勝真殿は束縛の術が使えましたよね?」
「束縛?―――あぁ、神鳴縛は怨霊の動きを束縛する術だ。」
「私の雨縛気も束縛の効果があります。」
勝真は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに理解して力強く頷いた。と、同時に泉水も明るい表情で頷いた。
「はい。泰継殿なら怨霊の術を封じ込めますし、僕は防御力を上げられます。束縛は出来ませんが、これなら攻撃を受けても大した痛手にはなりません。」
「聖獣の協力を得る事に神経を使っていて、特殊効果のある技の事は忘れていました。」幸鷹が悔しげに言った。「しかしそれを使えば安全に戦えそうですね。」
「そうか。そういう戦い方もあったんだな。」
やっと納得し、イサトの表情が明るくなった。
その後、りんに負担を掛けない、八葉が攻撃されない戦い方についての意見を交わした。




「神子殿・・・・・・・・・。」
その頃、頼忠は庭から下ろされた御簾を見つめていた。
頼忠の生命は神子殿の為にある。神子殿をお守りする為に、何時だって捨てる覚悟がある。それが頼忠の誇りであり、喜びでもあったのだ。
それが。
「・・・・・・・・・。」
苦しげに眼を瞑ると腰の太刀を強く握り締めた。



真っ暗闇の中、鞘から抜かれた一本の太刀がボウっと浮かび上がった。
カチャリ。
研ぎ澄まされた刃が、花梨に向けられる。
風が吹き、厚い雲が吹き飛ばされて月が現れた。
太刀を持つ男も姿を現した。入道雲との表現がぴったりの、大きな大きな男。顔は無い。
キラッ!
太刀が高く掲げられると、刃に月の光が当たり、反射した。
その美しくも不気味な光から眼が離せない。足は地面に縫い止められたように動かない。
『た・・・け・・・・・・。』
喉の奥に声が貼り付いている。
ビュンっ!!
真っ直ぐ花梨に振り下ろされた。

「神子殿っ!」

何処からか現れた頼忠が、花梨の身体に覆い被さった。
『あっ!』
バシュっっ!
頼忠の右肩から背中、左腰へと斬り付けた。同時に、大量の真っ赤な血が吹き出す。それは、花梨に降り注いだ。
「っっ!!」
「頼忠さん!」
「神子・・・ど・・・・・・・・・。」
力を失い、瞳から光が消え、花梨を押し潰した。
「頼忠さん!!」


「っっ!!」
飛び起きた。
そのまま御帳台を飛び出し、御簾を跳ね除け、廂に出た。下ろされた格子の隙間から庭を覗き見る。
階の側に、頼忠が建物に背を向けて立っていた。時折首を動かし、周りを見回している。
「夢・・・・・・・・・。夢だ、夢だったんだ・・・・・・・・・。」
崩れるように床に座り込んだ。夢で良かった、などとは思えない。あまりにも現実的な夢だった。太刀が振り落とされる音も、肌を斬り裂く音も聞こえたのだ。そして血は・・・・・・温かかった。
全身汗に濡れ、夜着は湿っぽい。心臓は激しく打ち、身体の震えは止まらない。
これは実際に起こりえる事だ。あの男(ひと)は武士で、そして頼忠なのだから。
「駄目だ。駄目だよ、頼忠さん・・・・・・。」
ぽたりぽたり。膝に置いた手に涙が落ちる。
「私、耐えられない・・・。ごめんなさい。ごめんなさい・・・・・・・・・。」
腕を回して自分の身体を抱く。床に頭を擦りつけるように丸まり、花梨は一晩中泣き続けていた―――。






注意・・・第4章後半が始まったばかりの頃。