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花梨は真夜中に眼が覚めた。 バタバタバタ。 ざわざわざわ。 邸内が騒がしい。 「待てっ!」 「そっちだ!」 耳を澄ますと男達が走り回っている足音が聞こえた。走り回ると言うより、誰かを追っているようだ。―――侵入者。 寝ている事が出来なくて袿を着込むと御帳台から出る。しかし花梨は怨霊を封印出来ても生身の人間には無力だ。外に出ると邪魔なだけ。室の隅に置いてある几帳の陰で息を潜めていた。 だが。 「きゃあーーーっ!」 遠くから紫姫の叫び声が聞こえた。考えるよりも先に身体が動き、室から飛び出ていた。 「紫姫!」 叫びながら簀子を走る。その紫姫の室に近付いた時、妻戸の側に一人の男が立っているのが見えた。 「ふぅー、ふぅー、ふぅー。」 ざんばら頭で汚れた衣を纏った、いかにも盗賊です、という風体の男。手にしている長い太刀からポタリと血が垂れ落ちた。足元にはこの屋敷の警備を担当している武士の一人が倒れている。 ぎろり。 邪悪な瞳で花梨を見た。 『あ・・・・・・。』 その妻戸の中の室に紫姫がいる。だが、男に向かって行って勝てる訳が無い。だから逃げなくては。誰か助けを呼ばなくては。―――そうは分かっているが、身体が竦んで動けない。声も出ない。 「ふぅー、ふぅー、ふぅー。」 荒い呼吸のまま、一歩花梨の方に向かって足を踏み出す。 カチャリ。 下がっていた太刀を握り直し、花梨の喉元に向けて突き出した。 「神子様!」 バタバタと何人かの男が走り寄って来た。 「ちっ!」 舌を鳴らして庭を見るとすぐに視線を戻す。花梨を人質にしようと走り出した。 「神子殿!」 頼忠が懐から小さな刀を取り出し、男に向かって投げ付けた。 キンッ! 後3歩と言うところで立ち止まり、太刀で弾き返す。その間に頼忠達が簀子に上がった。 咄嗟に身構えると男は武士達に向かって走り出し、太刀を大きく振り回す。そしてそのまま斬り合う。 キンッ カンッ! 太刀の刃に月の光が当たり、キラキラと反射している。 「・・・・・・・・・。」 花梨は一歩、また一歩と下がった。怖いのに、安全な場所に避難したいのに、どうしても男達から眼が離せない。もう一歩下がると壁に寄り掛かった。 ガシッ! カチャッ! 狭い簀子で男達が激しい斬り合いとなっている。 ドンっ! バンッ! 一人の武士が柱に壁にぶつかり、跳ね返る。そして仲間にぶつかり、お互いに縺れるように倒れた。 ガン! ドンッ! 「うわぁーーー!」 ドサッ! 一人の武士が高欄にぶつかると、身体がひっくり返り、そのまま庭に落ちた。 「来るかっ!?」 「クッ・・・・・・。」 男の殺気に押され、若い武士がじりじりと後退する。 「ちっ!」 斬り掛かろうとした頼忠だったが、その仲間の男が邪魔で踏み出せない。 「たぁ!」 その間に横から他の武士が向かって行ったが、 「ふんがっ!」 キンッ! あっさりと刀を跳ね返された。向かって来る太刀を避けようと下がったが、慌てた為に足が縺れてよろけた。そのまま頼忠の腕にぶつかる。頼忠の身体を支えとしたお陰で転ぶのは免れた。が。 「イテっ!?」 体勢が崩れた時に刀を落とした。それが他の武士の足を掠め、ザックリと切った。顔を歪めてしゃがみ込むと、切れた袴の布地で足を押さえた。その布が真っ赤に染まり、床に滴り落ちる。 「すまない。」 頼忠に支えられていた武士が、離れながら刀を拾う。だが、頼忠の方はまたしてもその武士が何時までも前にいる為に邪魔で思うように攻撃出来ず、苛立たしげに顔を顰めた。 「こっちだ!」 「こっちにいるぞ!」 バタバタバタ。 花梨の背後から他の場所を探し回っていた武士達もやって来た。そのまま走り抜いて行く。 「てやあ!!」 ヒュンっ! ザクっ!! 若い武士が走って来たそのままの勢いで向かって行ったが、経験不足が原因か、攻撃するのに夢中になって防御を忘れた。腕が上がり無防備になった身体に向かって賊が太刀を突き出すと、避けきれずにわき腹を突かれた。乱暴に刃が引き抜かかれ、血が飛び散った。 ピシュッ。 その一滴の血が花梨の頬を撫で付けた。 「ぐっ!」 ガン!! 痛みで動きが止まったその武士が蹴り飛ばされ、花梨の足元に転がった。ドクドクと流れ出る血が花梨の袿の裾を赤く染める。しかし男は片足を上げた事で体勢が崩れた。急いで頼忠達の方に向き直ったが、慌てている為に体勢を整えられない。 「はっ!」 頼忠が一歩踏み出し太刀をくるりと反転させると、柄の部分で鳩尾を殴った。 「うっっ!」 身体がくの字に曲がり、口から胃液を吐き出す。ビクっと腕が痙攣したかのように小刻みに動き、太刀を落とす。 ビシッ! 頼忠が首筋に手刀を入れると、そのまま崩れ落ちた。 ドタドタドタ。 刀を突き出すような格好で一斉に取り囲む。だが賊はピクリとも動かない。 カチャリ。 カチャリ。 太刀を鞘に戻す。 何人かの武士が賊を縄で縛り上げ、運んで行った。そして倒れている武士に応急処置を施し、抱えて行く。 「・・・・・・・・・。」 「神子殿。お怪我はありませんか?」 頼忠が近寄り、りんの頬の血痕を袖で拭った。 「っ!」 反射的に顔を背けた。 「神子殿?」 「あ。」我に返るが、頼忠の顔を見る事が出来ない。脇をすり抜け、妻戸の中へ飛び込んで行った。「紫姫っ!」 「神子様・・・・・・・・・?」 「紫姫、大丈夫?」 「神子様、神子様ぁ!」 室の中から泣きじゃくる二人の声が響いている。 「神子・・・ど・・・・・・。」 先ほどまで太刀を握り締めていた掌を睨むように見つめ、握り締めた。 翌朝、幸鷹が四条の屋敷を訪れた。 「申し訳ありません。昨夜の男は二条にある大納言邸に押し入った盗賊の一人です。検非違使が偶然近くを通り掛かりましてほとんどの者はその場で捕えたのですが、あの男だけ取り逃がしてしまったのです。」 「そうですか・・・・・・。」青い顔で頷いた。「あの、怪我をした武士の方は大丈夫ですか?」 「はい。彼らは武士ですから、我々とは鍛え方が違います。怪我をした者は多いですが、見た目ほど酷くは無いようです。その中で重傷者は二人で、一人は胸の骨が折れているようです。室で休んでいると言っておりました。そしてもう一人は。」顔を曇らせた。「出血が少し多いそうです。助かるとは思いますが、楽観は出来ないと。」 「そう、ですか・・・・・・。」 「神子殿。あの、大丈夫でしょうか?お怪我などは・・・・・・?」 りんのあまりの顔色の悪さに、心配そうに尋ねた。 「怪我とかはしていないけど、ただあの後、全然眠れなかったから。」 無理して笑顔を装う。 「そうですか、そうでしょうね。では、今日はゆっくり休んで下さい。」 「はい・・・。」 頷いた。 幸鷹が帰り一人になった花梨は御帳台の中に入り、横になった。眼を瞑るが、昨夜の事が繰り返し思い出される。 刀がぶつかり合う音。 刃に月の光が当たり、反射した。 荒い呼吸。 悲鳴。 呻き声。 衣が斬り裂かれる音。 そして鮮やかな赤い色・・・・・・血。 斬られた武士の顔が、他の男に変わった。 「あ・・・っ・・・・・・・・・!」 突然、心臓の鼓動が乱れ始め、飛び起きた。両腕で身体を抱くようにして丸まったが、何時までも震えは治まらなかった――――――。 |
注意・・・第4章半ばを過ぎた頃。 |