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雪が降る。毎日寒い。こういう時には熱い湯がたっぷり入った湯船に肩まで浸かって身体の芯から温まりたい。 だが、そんな望みは夢のまた夢。この京では叶わぬ願いなのだ。 ―――と、諦めていた。 そんなある日。 「今日は疲れたから早く寝るよ。」 そう言ってりんは普段よりも早く御帳台へ入った。 「ゆっくりお休み下さいませ。」 紫姫や女房達も早々と退出した。 シーーーン・・・・・・。 遠くでは人が動いている物音や話し声が聞こえる。だが、りんが寝ている室の側には眠りを妨げないようにとの配慮で誰もいない。 「そろそろ良いかな?」 もそり。 静かに起き上がると、りんは外出する時の衣に着替えた。そして一枚の袿を細長く丸めると褥の中に置き、上掛けを掛ける。 「これで人が寝ているように見えるよね。うん、完璧。」 頷くと、密かに纏めておいた荷物を抱え、こっそりと室を抜け出した。 そろりそろり。 キョロキョロキョロ。 「よし、今だ!」 荷物をポ〜ンと外に放り投げると、垣根に手を置き、乗り越えた。 「成功♪」 転がっている荷物を取ろうと身を屈める。 と。 「神子殿。」 背中で低い声が聞こえた。 「ひゃっ!」 飛び上がり、そのまま座り込んだ。 「神子殿、大丈夫で御座いますか?」 慌てて側に駆け寄る。 「うぅぅ・・・、見付かっちゃった・・・・・・・・・。」 悔しげに身体を捻って後ろの人物を見上げた。 「驚かしてしまいまして申し訳ありません。しかしこのような刻限に、どちらへいらっしゃるおつもりだったのですか?」 謝罪はしたが、言い訳は許さないとの脅しを含んだ声音で尋ねる。 「ちょっとそこまで。」 頼忠に手を借りながら立ち上がった。 「そこ、とはどこで御座いましょう?」 手を握ったまま放さない。 「・・・・・・・・・。」 振り解いて逃げようとも思ったが、頼忠の方が早いし体力もある。逃げられるものではない。 「神子殿。」 諦めるとりんは大きく息を吐き出した。 「船岡山に行くので、お供、お願いします。」 「船岡山?・・・・・・畏まりました。」 誤魔化そうとするなら抱えてでも連れ戻そうと考えていたのだが、正式に命令されては拒む事など出来ない。承諾すると、手を放して歩き出す少女の後を付いて行く。 「船岡山にどのような御用がおありなのですか?」 後ろから声を掛ける。 「うん、ちょっと。」 だが、りんはまともな返事もしないでずんずんと歩き続ける。諦め、黙ったまま山道を登る。 しばらく行くと、脇道、獣道を進む。と、やっと止まった。 「はい、到着。」 「ここですか?」 眼の前には湯気の立つ池。―――温泉。 「うん。この温泉、泰継さんに教えて貰ったの。傷とか筋肉痛に良く効くんだって。」 「傷?」眼を見開いた。「神子殿、何時お怪我なさったのですか?」 「ううん。怪我はしていない。」心配そうに尋ねてくる頼忠を安心させるように笑顔を向けた。「だけど何て言えば良いんだろう?そう、寒いから身体が強張って疲れるの。疲労回復には入浴が一番良いんだけど、屋敷ではそう簡単には入れないでしょう?」 「そうですね。」 水汲みや湯を沸かすという仕事は重労働だ。そして占いとかで入浴出来ない日も多い。少女の心を慮り、頷いた。だが次の瞬間、少女の考えている事を理解し、固まった。 「ま、さか・・・・・・?」 「うん。温泉に入るから、ヘンな人が来ないように見張りをお願いします。」 笑みを浮かべると頭を下げた。 「神子殿!?」 数十分後。 「はぁ・・・・・・。」 頼忠は少し離れた場所に立ち、ため息を吐いていた。 危険だから止めてくれと必死で頼んだのだが、折角ここまで来たりんの心を変える事は出来なかった。 『覗いちゃ駄目だからね!』 『そのようなご心配は要りません!』 頬がさっと紅く染まった。 『そう?じゃあ、興味無いんだったら一緒に入る?』 『え゛っ!?』 眼を見開き、よろけるように一歩下がる。 『すけべ。』 『神子殿!』 『きゃははは!冗談だよ、冗談。』 『全く・・・・・・。』 からかいを含んだ楽しげな笑い声を聞きながら大きなため息を吐いた。 ガサガサガサ。 シュルシュルシュル。 衣擦れの音が響く。 入浴が好きだとおっしゃっていたが、こんな寒い冬の夜中にわざわざ入りに来られるとは。何と物好きな女(ひと)なのだろう。 「ランランラ〜ン♪」 しかし本人は余程嬉しいのか、機嫌宜しく何やら奇妙な旋律を口ずさんでいる。 「これで神子殿がお元気になられるのなら、良い事だ。」 再びため息を吐くと、そう思い込もうとした。 だが。 「熱っ!」 パチャリ。 パシャン。 水音が聞こえる。 「あぁ〜、気持ち良いなぁ・・・。」 パシャパシャ。 「・・・・・・・・・。」 聞こえてくる声と水音。覗かないと誓ったが、男の性、興味が無い訳では無い。いや、大有りだ。心はどうしても惹かれ、神経は過敏に研ぎ澄まされる。 すぐ側にいるのだ。後ろを向いてちょっと首を伸ばせば見える所に、あられもない姿の少女が。 「何を考えているのだ?」 ぶんぶんと頭を振ると、木に寄り掛かって向きを変えられないようにする。だが、身体はそわそわと落ち着き無く小刻みに動く。頬は熱く、動悸も激しさを増していく。 パシャン。 「んっ、ん〜〜〜!」 背伸びしているような息遣いとため息が聞こえる。りんが寛いでいるからか、頼忠が妄想中のせいか、ここいら一帯に普段とは違う艶やかな空気が漂っている。 ぎゅっと眼を瞑った。 ピシャン。 バチャン。 「はぁ・・・・・・。」 「駄目だ。耐えろ。あの方は龍神の神子、男の穢れた想いとは無縁の清らかな方だ。」 そんな言葉をぶつぶつと呟き、己に言い聞かせていたが。 「はっ!」 我に返った。眼を開け、耳を澄ます。だが、辺りは静まり返っている。何の物音も声も聞こえない。頼忠以外の者は誰一人としていないような感じだ。 「神子殿、出られたのですか?神子殿。」 何度か声を掛けるが返事は無い。 「神子殿!?」 慌てて飛び出し、温泉の方に駆け寄る。 と。 「くぅぅぅ・・・・・・・・・。」 大きな石にうつ伏せるように寄り掛かり、りんは眠っていた。 「神子殿・・・・・・。」 ほっとして側に座り込んだ。無邪気な寝顔を眺め、顔に掛かった髪の毛を撫でながら払う。 しかし湯に浸かったままでは危険だ。肩を揺さぶる。 「神子殿、起きて下さい。湯中(あた)りしてしまわれますよ。」 だが。 「ぅんん・・・・・・。」 頼忠の手を払い、投げ出した腕の中に顔を埋める。起きる様子は無い。 「お疲れなのだな・・・・・・。」 労わりの表情で見つめると、取り敢えず湯から引き上げようと腋の下辺りに手を添えた。 その瞬間、気付いた。 「あっ!」 りんは裸だ。月の光の中、滑らかな背中が桜色に染まっているのがはっきりと見える。揺れる湯で歪んでいるが、細い腰も小さく丸い尻もほっそりした足も。 ドクン。 無理矢理視線を引き剥がす。湯から引き上げれば、前も見えてしまう。見たいが、見てはいけない場所が。 「な、な、な、何を考えているのだ。」 動揺のあまり声が震える。手で撫で回して柔らかさを直に感じたいとか、唇で甘さを確かめたいとか、そんな望みを抱いてはいけない相手だ。一旦手を引っ込め、辺りを見回した。と、りんの荷物に気付いた。身体を拭く為の大きな布と単衣がある。 「見なければ良いのだ、見なければ。」 言い聞かせるように呟くと、単衣を広げた。その上に布を広げて重ね置く。そして再びりんの側にしゃがみ込むと、手ぬぐいを取り出して眼を覆うように縛った。 「失礼致します。」 他の者には聞こえないほどの小さな声で呟くと、再び少女の腋の下に手を添え、一気に引き上げた。広げてある単衣の上に横たえる。 むにゅ。 「っ!」 柔らかな感触が掌に感じ、びくりと心の臓が跳ねた。だが、「何でもない、考えるな。」と繰り返す。 そのまま単衣で包み込むと、手探りで裾を持ち上げて足も覆い隠す。それが終わってからやっと眼を覆っていた手ぬぐいを外した。 「神子殿、神子殿。」 「くぅぅぅ。」 「神子殿、お起きになって下さいませ。このままではお風邪を召してしまわれます。」 りんの上半身を抱き上げながら揺さぶる。頬を触れる程度に叩く。 「ん・・・・・・・・・?」 しばらくするとやっと気だるそうに瞳が薄く開いた。 「神子殿。」 「よりた・・・ださん?―――わっ!」 ぼんやりと見つめる。と、今の状況に気付いたのか飛び上がった。そのまま跳ねるように離れる。 だが。 「あっ!」 「きゃっ!」 単衣が乱れ、胸元が肌蹴た。慌てて手で隠す。 「大丈夫で御座いますか?」 頼忠が俯いて視線を逸らしながら手拭いを押し付けるようにして手渡した。 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 気まずい、気恥ずかしい空気が流れる。 「・・・・・・見た?」 「え?」 「見たの?私のカラダを。」 「いいえ、見ておりませんっ!見えませんでした。」 「湯から上げた時は?」 「眼を瞑っておりましたから見てはおりません!!」 首をぶんぶんと振りながら強く否定する。 「本当?」 「はい。誓います。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 「本当に・・・見ていないんだ。」 「はい。」 「・・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 しばらく沈黙が続いたが、りんの唇から安堵と失望の入り混じったため息が零れ落ちた。 「全く・・・興味無いんだ・・・・・・。」 「は―――?」 思わず顔が上がる。だが、りんは胸元を隠しているが肩は露わなままだ。慌てて横を向く。 カサリ。 りんが頼忠から離れた。 「私、そんなに女の子としての魅力が無いんだ・・・・・・。」 見て欲しかった訳では無い。だが、そんなにも強く拒絶されると哀しい。従者としての礼儀でも、見たいと思って貰えないのは『女』を否定されたようで。 風に揺れる草花が擦れ合う微かな音に紛れるような囁き。だが頼忠、己が少女を傷付けた事が分かった。儚げな気配に我を忘れた。 「そんな事はありません。」ぱっと立ち上がると荷物の方に歩いて行く小さな背中を追い掛け、抱き締めた。「貴女は充分魅力的な方ですっ!!」 「ぅきゃっ!」 「神子殿・・・・・・。」 ぎゅぎゅっと強く抱き締める。 「よ、よりよりより・・・・・・さん!」 「何で御座いましょう?」 大きく深呼吸し、湯上りの少女の爽やかな甘い匂いを身体の隅々にまで行き渡らせる。 「あ、あの、あのあのあの・・・・・・・・・。」 動揺のあまり言葉にならない。だが、りんの心理状態は頼忠に伝わった。 「・・・・・・・・・。はっ!」ぱっと離れた。「衣をお召しになられましたらお呼び下さいませっ!」 謝罪する事も忘れ、一気にそれだけを言うと逃げ出した。 「・・・・・・・・・。」 何が起こったのか、全く理解出来ない。だが、腕には背中には、男の力強く熱い体温が残っている。 ―――貴女は充分魅力的な方です――― ちらりと頼忠を見れば、木の陰にいる為に表情は見えない。だが、そわそわと落ち着きが無く、動揺しているのは分かる。 「えっと・・・、まさ・・・か・・・・・・本当・・・に・・・・・・・・・?」 頼忠が初めてりんを『女の子』として見てくれた。その事がりんを悦びで満たす。熱を持った頬を手で覆った。 |
注意・・・第4章前半〜半ば頃。 やっと恋愛モード・・・・・・。 2007/04/08 16:43:13 BY銀竜草 |