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夕刻、報告し終えたりんが紫姫の室から出て来た。 「あの二人って警察官と泥棒。まぁ、仲が悪くて当然だよね。お友達の方がおかしいんだ。うん。」 「神子殿、今日はいかがで御座いましたか?」 自分の室に戻るべく簀子を歩いているりんに、庭から頼忠が声を掛けた。 「狼と羊の関係。いや、羊なんていう弱々しい動物は似合わないか。」 だがりんは眉間に皺を寄せ、ぶつぶつと独り言を呟いていて気付かない。 「神子殿?」 「狡賢いというと失礼だけど、賢い生き物と考えるとネズミに近いのかな?」 「・・・・・・・・・。」 「うん、そうだ。ネズミだよ。そうすると幸鷹さんは―――。あ。」 何を納得したのか、大きく頷き顔を上げた。と、そこでやっと頼忠に気付いた。 「何か考えに没頭されているようでしたが、困った事でもおありでしょうか?」 頼忠が尋ねると、りんは駆け寄り高欄に手を掛けた。 「うん。頼忠さん、猫とネズミを仲良くさせる方法、知らない?」 「―――は?」 猫とネズミ?何の冗談かと思ったが、りんは大真面目だ。答えられないでいると、ガックリと肩を落とした。 「やっぱり知らないか。」 「申し訳ありません。」 「ううん。そんなもん、最初から無いもん。仕方が無いよ。」 そういう割には酷い落ち込みようだ。 『・・・・・・そうか。』 先ほど、翡翠と幸鷹が言い合いをしながら帰って行ったのを思い出した。天地の四神が信頼し協力しなければ、明王の札は得られない。しかし、あの二人は青龍や玄武の二人よりも相容れない立場だ。 『だが、私が役目を果たすように頼んでとしても、あの翡翠では従わないだろうな。』 それどころか、余計反発するだろう。 神子の負担を軽くする為に尽くすと誓ったが、実際には出来る事は何も無い。それがもどかしく、苛立たしい。 しかし己自身に怒っているだけでは何も変わらない。代わりに役目以外で出来る事は無いのか、考える。 「神子殿。お疲れで無ければ、今宵、外にお出でになられませんか?」 「外って散歩にでも行くの?」 この雪が積もっている寒い中を?身震いする誘いに承諾する事を躊躇うが。 「はい。今日は風が強かったですから、雲が吹き飛ばされ、星が綺麗に見えます。」 「星?」 空を見上げると、確かに雲ひとつない。まだ陽が落ちきっていないせいで星は見えないが、白い月がはっきりくっきり見える。キンと冷えた空気の中でなら、混乱して沸騰寸前の頭も冷えて良い案が浮かぶかもしれない。 「うん、行く。」 そんな淡い期待を抱いて頷くと、頼忠は安堵したように微かに笑みを浮かべた。 ただ星を見るだけなのに、頼忠はわざわざ大豊神社にりんを連れて来た。 「凄〜い!一面の星畑だね。」 りんは空を見上げると歓声を上げた。空が星で埋め尽くされている、というのは大げさだが、そんな例えがぴったりなほどの沢山の星が輝いている。ほのかに甘い花の香りも漂っていて、何ともロマンチック。寒空の下、こんな遠くまで来たかいがあったというものだ。 「ほしばたけ、ですか?」 「うん。隙間が無いぐらい、星が輝いているんだもん。花畑ならぬ、星畑。凄く綺麗。」 この世界に来た頃、眠れなくて毎夜空を見上げていた。しかしその光景は眼に入らず、寒さの中ただ泣いていただけ。そして、頼忠の優しさを貰ってからは夜空を見上げる必要はなくなっていた。 花梨の世界では、眼の前には楽しい事ばかりあって空を見上げる暇なんて無かった。じっくり星を眺めるのは、これが初めてかもしれない。 この無限に広がる空。無数に輝く星。それに比べて自分はなんてちっぽけな存在なんだろう。悩みもちっちゃい。 「・・・・・・・・・。」 不思議そうにりんを見つめていたが、頼忠も空を見上げた。しかし視線を感じたのか、すぐに瞳を戻した。 「またこんな綺麗な星空の時、教えて。見たいから。」 大丈夫。私には頼忠さんがついている。頼忠さんは白虎の二人を仲良くさせる事は出来ないけど、でも、私の味方だもん。応援してくれるし、気遣ってもくれる。 それがこの問題をどう解決するのかというと全然無理なのだが、それでも「何とかなるさ」と思える。 「畏まりました。ただし、危のう御座いますから頼忠もご一緒致します。」 「やったぁ。」 心の中でガッツポーズをしながら呟き、空を見上げた。 「そろそろ戻られますか?」 りんが元気を取り戻した事で、頼忠は促した。うん、と頷き歩き出したりんだったが。 「あ、山茶花だ。」 白い世界に浮かぶ赤い花に魅入られ近付いた。 「山茶花って、イサトの好きな花なんだよ。雪の中では目立つし、イサトに似合うよね。」 この赤い花弁は明るく華やかで、元気を与えてくれる。 「そうですね・・・。」 「うん、これはイサトの花。」 だが、頼忠には似合わない。山茶花から頼忠に視線を移した。 「頼忠さんって白い梅の花が似合いそう。」 清らかに凛と咲く姿は冷たい印象を与えるが、春の訪れを知らせる優しい花だ。冬の寒さに震える人々に、夢と希望を届ける花。 「春になったら一緒に見に行きたいね。」 男を花で例えるのは、あまり聞いた事が無い。それでも、白梅の木を背景にした頼忠の姿が見たいと、そう思う。こんな穏やかな表情をした頼忠を。 「神子殿は紅い梅の花がお似合いになるでしょう。」 「紅い梅?可愛い花だよね。」 女を喜ばすという発想を持っていない頼忠からそんな言葉が聞けるとは。一瞬驚くが、嬉しくて頬が緩んでしまう。どんな意味にしろ、悪い感情ではない筈だ。やっぱり誘いに乗って此処に来て良かったな。 「おや?」 遠くから明るい声が聞こえて、翡翠は立ち止まった。その声の方を見れば、りんが頼忠と何事か言葉を交わしては笑っていた。 眼を細めてじっと見つめる。 「自然な、良い笑顔だね。」 初めて会った時のりんは、顔を強張らせ、肩を怒らせていた。男だと周りを騙すりんに興味を覚えて八葉の真似事をする事にしたのだ。何をどこまでやるのか、側で見物する為に。―――ただ楽しむだけのつもりだったのだが。 「情熱、か・・・・・・。」 京の未来を見つめ、真実を追い求める幸鷹。京を救おうと、自分を追い詰めるりん。 運命に流されていれば楽なのに、何故そんな無用な労力を使うのか。 そんな風に思っていたが。 「頼忠の情熱は・・・・・・、りん、なのかい・・・・・・?」 りんを見つめるその瞳は、優しさや労わりで満ち溢れている。本人は全く自覚していないようで、隠そうとする様子は無い。 「気付かないでも、お前はお前の全てでもってりんを守っているのだね。」 無意識でここまでするならば、自覚すればどうなる事か。―――喜んで己の生命を差し出すだろう。 誰かの為に己を犠牲にするなんてくだらないと思う。馬鹿らしいと。しかしそれが、頼忠にとっての幸せ。何と愚かな情熱! だが、それを羨ましいと思う自分も確かに存在するのだ。 己の目的の為に努力を惜しまないのが情熱なら、誰かの為に懸命になるというのも情熱だろう。 「―――君の為に、本気になろうかな。」 りんの願いを叶える為に。あの笑顔を守る為に。あの男以上の存在にはなれないと分かっていても、ただりんの為に。 ぽつり呟くと、後ろを向いて歩き出した。 「さてと、翡翠さんに頑張って貰うにはどうしたら良いかな?」 指示されたり命令されたりするのが嫌いな人だ。やる気になるまで待つのが一番良い方法なのかもしれない。 幸鷹に、翡翠に対しての頭ごなしな物言いを止めるように頼む。図書寮に行ったら、翡翠が自分から動くまで急かさない。 人差し指で額を叩きながら作戦を練る。 「だけど一番の問題は、どうやって引っ張り出すかって事なんだよなぁ。」 今日こちらに来るかどうかも分からない。どこにいるのかも不明。翡翠本人を探すのが大変なのだ。 「これはやっぱり泰継さんに式神で探して貰う―――。」 ぶつぶつ呟きながら室を出るべく御簾の端を持ち上げると。 「泰継殿に頼み事かい?」 「うわっ!な、ひ、ひ、ひ、翡翠さん!?」 隙間からその本人が顔を出し、りんは飛び上がった。そのまま柱にしがみ付く。 「折角こちらに伺ったのに、私では無く泰継殿を頼りになさるとは寂しいねぇ。」 「こんな朝早くからどうしたんですか?」 翡翠を必要としていたが、こうも簡単に来られると逆に混乱してしまう。しかし翡翠はそんなりんの心中など全てお見通しとばかりに口元に笑みを浮かべた。 「ん?明王の課題はまだ終わっていないだろう?だからこちらに来たのだが。」 「そ、そうでした!じゃあ、ゆき―――。」 「翡翠殿、何故あなたがここに?」 少し遅くやって来た幸鷹が鋭い口調で詰問した。翡翠が自らの意思で来たとは思わず、警戒心を顕わにする。 「私を必要とするだろうから伺ったというのに、そんな言われ方をするとはね。」 途端、機嫌を損ねたようで冷たい笑みに変わった。 「わぁっと!」慌てて二人の間に割って入った。「丁度今、幸鷹さんを迎えに行こうとしていたんだ。支度は出来ているから出掛けよう!」 不自然なほど大声早口で言うと、二人を促し歩き出した。 「・・・・・・・・・。」 りんの背中を意味深長な瞳で見、それから警告するように幸鷹と視線を合わせた。 「分かりました。行きましょう。」 意味が通じたらしく、瞳に反省の色を見せて頷くと足早にりんを追う。そして隣を歩く。 「・・・ふぅ・・・・・・。」 小さなため息を一つ吐くと、翡翠も二人の後ろを付いて行った。 『よし、頑張るぞ!』 りんは握り拳を作り、密かに頼忠の顔を思い浮かべながら自分に気合いを入れた。 しかしその悩みの種だった二人は、不穏な空気を醸し出してはいたがお互いに余計な口出しをする事は無かった。そのおかげか、二人共にあっさり明王の課題を終わらせてりんを拍子抜けさせたのだった。 |
注意・・・第4章前半。 |