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その日、頼忠は躊躇いがちに門を潜った。 今日は神子の物忌みの日。呼ばれてもいないのに訪問するのは無礼だとも思ったが、確認しておいた方が良い。りんは二度と抜け出さないと紫姫や八葉に約束したが、役目をこなす事に熱心だし、無茶をする人だから。 御簾の前で平伏した。 「おはよう御座います、神子殿。今日は物忌みだと伺いました。話し相手を必要とされるかと思い、参上致しました。」 「あ〜、頼忠さん。入って入って!」 「畏まりました。」室の中から声が聞こえ、安堵のため息を漏らした。「失礼致します。」 一声掛け、御簾を捲ったのだが。 「も、申し訳ありません!」 バサリと御簾を下ろし、背中を向けた。 「頼忠さん、どうしたの?」 御簾を押してほんのちょっと隙間を作ると顔を覗かせた。 「いえ、あの・・・―――。」 「早く入ってよ。さすがにこの恰好を見られるとバレるから御簾を下ろしているんだから。」 そう言うと奥に引っ込んだ。 「・・・・・・・・・。」 躊躇うが、これは命令だ。決死の覚悟を決めた気分で再び御簾を持ち上げてほんの少しの隙間を作ると、そこから身体を滑り込ませた。 「好きな所で寛いでいて。」 そう言うと、りんは両腕を上に精一杯伸ばした。左右に腰を回す。 「あの・・・お召替えの途中では無かったのですか?」 視線を逸らしながら尋ねた。 りんは上着を着ていない。しかも、単衣らしき衣の袖は、肩からばっさりと切り落とされていて無い。華奢な肩や筋肉の付いていない腕は勿論、胸の膨らみや細い腰など、少女らしい体型がはっきりと分かる。 「ん?この恰好の事?」頼忠が頷くのが見えた。「勝真さんの衣の真似なんだけど、そんなにおかしい?」 「・・・・・・・・・。」 おかしいもなにも、そんな恰好をする女人はいない。腕、それも二の腕を露出する女人は。 「歩くだけじゃ体力はつかないでしょう?だから時々運動しているの。それにはあんな鬱陶しい袖があると邪魔だもん。」 そう言うと、肩や首を回したり、身体を曲げて床に手を付けたり腰に手を当てて反らしたりし始めた。 「・・・・・・・・・。」 お役目をこなす為、みんなに迷惑を掛けないようになる為、誰にも分からないように陰で努力していらしたのか。何事にも一生懸命の彼女らしい。 感心感動していたのだが。 りんは床に座ると、足を広げた。腕を伸ばしながら身体を床に付くほど倒した。 ―――袴が小さな尻に張り付き、形を見せる。 一旦身体を起こすと、今度は右の足首に右手を伸ばして触る。その時、左腕を持ち上げて頭の横で伸ばした。反対側も同じように伸ばす。 ―――普段見る事の出来ない腋の下や、袖口からその周囲の白い肌が覗く。 「・・・・・・・・・。」 見てはいけないと頭では分かっているのだが、やはり眼の端で追ってしまう。 りんが立ち上がった。足首や手首をぶらぶらと振ったり回したりする。背筋を伸ばし、両腕を横に伸ばした。身体を横に曲げたかと思うと左手が床に付く。と、右足が上がり、右手が付いた。 「っ!?」 頼忠が驚く間も無く、りんの左足も上がる。そのままくるりと綺麗に回転し、両足が床に付く代わりに両手が床から離れて立ち上がった。 「・・・・・・・・・。」 あまりに美しい動きに、視線を逸らす事も忘れ、遠慮無い瞳で見惚れる。 りんは気にする事もなく、同じ動きを何度か繰り返すとゆっくりと止まり、腕を下ろした。 「そうだ。」頼忠の存在を思い出し、頷いた。「暇だったら手伝ってよ。」 「はい?何をすれば宜しいのでしょう?」 りんが指し示した場所に移動した。 「そこでこんな風に立ってて。」頼忠の右腕を肩の高さで横に伸ばす。「絶対に動かないでね。危ないから。」 「―――は?」 危ない事をするのですか?それならば止めて頂いた方が良いかと思ったが、その時既に遅く、りんがその腕に向かってほんの少しの助走を付けて走り寄って来た。 「よっと!」 頼忠の腕の下辺りの床に手を付くと、足を振り上げた。 「っ!」 思わず息を呑んだが、りんの足は頼忠の腕にぶつかる寸前で止まった。腕二本で立ち、静止している。上から見下ろす光景はとても不思議で、そしてあまりにも魅惑的だ。 「はい、退いて〜!」 「はっ。」 頼忠が慌てて退くと、りんは腕をゆっくりと曲げ始めた。頭が床に付くか付かないかというほどになった時、背中が丸まり、膝を曲げながらころんと前転した。 「さすがにマットが無いと痛いわ。」 立ち上がりながら背中をさすり、顔を顰めた。 「・・・・・・・・・。」 「はい、もう一回お願いします。」 茫然としている頼忠の腕を掴み、先ほどの高さに伸ばすように促した。再び床に手を付き、逆立ちをした。 「はい、ど―――。」 ドタドタドタ〜〜〜! りんの声を邪魔するように騒々しい足音が近付いて来るのが聞こえた。 「っ!」 頼忠が視線を御簾の方に向けた。と、気が散ったせいで身体が揺れた。その動きはほんの少しだったのだが、すぐ側にいたりんの足に腕が触れるには十分だった。 「やっ!?」 バランスを崩し、肘が曲がった。足は背中方向へと倒れる。 「っ!」 さすが反射神経の良い頼忠、りんの頭が床に落下する寸前、足を捕まえ、ゆっくり支えながら床に座った。 「申し訳、ありませ・・・ん。神子殿、大丈夫で御座いますか・・・?」 「あ?えっと・・・・・・、うん、大丈夫・・・みたい。―――あっと、ごめん。」 りんの手が頼忠の脚に着いて身体を支えている。慌てて退こうとしたのだが。 「おぉ〜い、りん!」 御簾に影が映った。 「このままではっ!」 りんのこの姿を見れば一目で女だと分かる。何としてでも隠さねば、と思った頼忠、素早く周りを見回した。 『これで。』 几帳に掛けてある袿を見つけ、腕を伸ばして掴むと強く引っ張った。そのままりんの身体を覆い隠す。 「大人しくしているかぁ?」 イサトがそう言いながら御簾を捲った。 『よし。』 間一髪間に合った、と頼忠は安堵したが。 「っ!?」 イサトは二人の姿を見た瞬間固まった。 「イサト、そんなに騒いではいけませんよ。物忌みの影響を避ける為に静かにして下さいと紫姫に言われたで―――っ!?」 彰紋がそう言いながら室に入って来た。だがイサト同様、二人の姿を見た瞬間固まった。 「おい、入り口を塞ぐな。さっさと奥に―――。」 勝真がそう言ってイサトと彰紋を押して退かしたのだが、やはり固まった。 「ちょ、ちょっと、頼忠さん?」 声が聞こえるからこの室の中にりんがいるのは分かる。頼忠の側にいるのは。 「神子殿、申し訳ありませんが、そのままもう少し。」 その頼忠は床に座っている。りんの袿で身体の前を覆い隠して。 「でも・・・この姿勢は・・・・・・辛・・・い。」 ゴソッ。 モゾモゾモゾ。 その袿がこんもりと盛り上がり、それが蠢いている。しかも、頼忠の肩口からは小さな素足が覗いていて・・・・・・・・・。 ゴテっ! 「つっ!?」 顔が歪んだが、頬がほんのり染まった。 「あ、痛かった?ごめんなさい!」 「あ、いえ。痛かった訳では無くて・・・・・・。」 じゃあ、何だってんだ!? 「わ、悪かった!」勝真がいち早く我に返った。「お邪魔だったようだな。俺達は帰る、帰るから後は好きにしてくれ!」 未だ思考が止まっている二人の腕を掴んで強引に御簾の外に連れ出した。 バタバタバタ。 トタトタトタ。 ドタドタドタ。 帰って行く足音を聞きながら、頼忠は袿を取り除けた。 「びっくりしたぁ!」 「大丈夫で御座いましたか?」 手を添えながらりんが頼忠の身体から降りるのを助ける。 「バレなかったのは良かったけど、どうやって帰したの?」 乱れた髪の毛を手で梳きながら尋ねた。 頼忠は一瞬言葉に詰まったが。 「あの、袿を被っていらしたのでお休みになられていると思ったのでしょう。」 「ふぅ〜ん?でもまぁ、頼忠さんの気転のお陰で助かったよ。ありがとう。」 「はぁ、お役に立てたようで良う御座いました・・・・・・・・・。」 一瞬怪訝な眼をしたがすぐににこにこと笑みを浮かべたりんに、頼忠はぼそぼそと小さな声で返事を返した。確かにりんが女だとバレはしなかった。だが。 『完全に誤解されたな・・・・・・・・・。』 密かに大きなため息を吐いた。 そして翌日は案の定というか、それ以上だった。 「以前から怪しいと思っていましたが、実際にそうだったのですね。」 顔を合わせるなり、幸鷹が怒ったような口調で言った。 「あの、これはおめでとう御座いますと申し上げた方が宜しいのでしょうか?」 泉水が涙目で言った。 「いえ、どのような誤解をされたかは存じませんが、私と神子殿との間には何もありません。」 きっぱりと否定したが。 「いや、俺達に遠慮する事は無い。龍神の神子と言ったってりんは人だからな。恋愛は自由だ。」 勝真がぽんと頼忠の肩を叩きながら言った。 「れんあっ!?」さっと頬に血が上った。「いや、あの方は私の主。主に対してそのような浅ましい想いを抱くなど―――。」 「抱いちゃったんだろ?オレ達に嘘を言わなくたって良いからさ。」 「だから―――。」 「頼忠の室に泊まってから、りんさんの表情が明るくなりました。笑うようにもなりましたし。変えたのは頼忠なのでしょう?」 「ふむ。神子の気が安定したのは頼忠、お前が原因か。」 イサトが言えば彰紋、泰継までが納得顔で頷いた。だが、それぞれちょっぴり残念そうにも見える。 「お変わりになられたのは事実だが、それは違う理由で・・・・・・。」 「分かってる。分かっているよ、頼忠。りんの名誉を守りたいお前の気持ちは。」 「だから、全てが誤解だ。お前達の勘違いだっ!」 「何を騒いでいるんだ?」 何時の間にかにやって来たりんが室の入り口で尋ねた。 「あぁ、お前と頼忠の―――。」 勝真が訳知り顔で口を開いたが。 「何でもありません。」 頼忠が大きな声で遮った。 「ボクと頼忠さんがどうかした?」 「だからな、恋び―――。」 今度はイサトが楽しげに話し始めたが。 「だから何でもありません!お気になさらずに。」 イサトとりんの間に入った頼忠がイサトを睨みつけて黙らせた。 そんな頼忠を笑いながら眺めていた翡翠が、りんと視線が合うと残念そうな顔をして見せた。 「私達は君に、今日の散策の供はつけないと挨拶に来たのだよ。だから頼忠と二人で出掛けて来なさい。」 「え?七人全員駄目なんですか?じゃあ、今日は怨霊と戦うのは止めた方が良いな。」 「その事なんだけどさ。お前はこの世界に来てから役目以外で出掛けた事が無いだろ?だからたまには怨霊の事は忘れて京見物でもして来いと言いに来たんだ。」 イサトが翡翠の話に合わせて言った。 「え?でも遊んでいられないし・・・・・・。」 躊躇うが。 「問題無い。明王の課題は終わっている。それに神子には休養が必要だ。」 「そうですね。それに、神子殿が守ろうとしているのが何なのか、京という世界を、京の人々を知るのは大切な事です。いえ、知って欲しいですね。」 泰継と幸鷹にきちんとした理由をつけて説得されたら頷くしかない。 「分かった。見て来るよ。」頼忠を見上げた。「頼忠さん、案内宜しくお願いします。」 「畏まりました。」 七人の意味深げな瞳に見送られて屋敷を出た。 「どこに連れて行ってくれるんですか?」 「今日はあちらの寺で祭りが催されております。そこにお連れ致します。」 「は〜い。」 この京に来てからお役目とは関係無い散策は初めてだ。そんな余裕は無いと思っていても、気分は高揚していく。鳥を追い駆け、咲いている花に近寄っては匂いを嗅ぎ、猫や犬に歓声を上げる。 そんな楽しそうにはしゃぐ声を聞きながら、頼忠は考え事をしていた。 『女人として男と噂になるのと、男と思われていて男とそういう関係だと思われるのと、どちらがこの御方にとって不名誉な事だろうか?』 |
注意・・・第3章後半・物忌みの日〜翌日。 |