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「寒っ!早朝ってこんなに寒いんだ。」 あまりの寒さに身震いした。りんも陽が昇ると起きるこの世界の習慣に合せているが、頼忠の起床時間帯は初めてだ。頼忠が朝稽古をしている間に身支度を整えたが、温もりの残っている褥にぺったりと座り込んだまま、動けない。 「季節が廻らず未だ秋とはいえ、本来ならば今は冬ですから。」 戻って来た頼忠はそう言うと、りんが布団として使っていた袿を頭から被せた。 「ありがと。」 大人しくお礼を言い、前合わせの部分を抱き込んだ。 「では、お送り致します。」 「うん。」 そう頷き、立ち上がろうと腰を浮かせた。 その時。 「おい、頼忠の室はどこだ!?」 武士団のどこかで叫ぶ声が聞こえた。 「あれ?この声って、もしかして。」 「はい、勝真の声のようですね。」 お互いに顔を見合せ、戸惑い首を傾げた。 と。 「りん!」 「神子殿!」 「頼忠ぁ!」 何人もの見知った顔、八葉が飛び込んで来た。 「おはよ。」 にこやかに朝の挨拶をしたが、八葉はりんの状態―――乱れた褥に男物、頼忠の袿に包まれた姿で座り、そのすぐ側に頼忠が座っている―――を見て顔色を変えた。 「頼忠が怪しい眼つきで神子殿を見ていた、と翡翠殿が仰っていましたが・・・・・・。」 「まさか本当に!?」 「何事だ・・・?」 わざわざこんな所にまで八葉総出で神子を迎えに来た理由が分からず、頼忠は眉を顰めたが。 ドカっ! 「わっ!?」 「おい、大丈夫か!?」 イサトがいきなり頼忠を蹴り倒しどかすと、りんの側にしゃがみ込んだ。 「うん。元気だよ。」 「そうじゃなくてだな!」 グニュ。 「ぐえっ!」 じれったそうに勝真が叫ぶと頼忠の背中を踏みつけてりんに近寄り、膝を付く。そして頼忠を指差し怒鳴った。 「こいつに何かされなかったかと訊いているんだ!」 「え?何かされたって何?―――って、頼忠さんは倒れたボクを介抱してくれただけだけど?」 「介抱すると見せかけて、りんさん、ここにあなたを連れ込んだのですよ。分かっていますか?」 彰紋まで頼忠を睨んだ。 「―――え?」 「―――は?」 連れ込んだって言い方は何だ?―――意味が分からず二人して間抜けな顔になった。 だが、側に来た泉水までが心配そうにりんの顔を覗き込んだ。 「お可哀想に、御顔が腫れています。一晩中お泣きになられていたのですね。」 「え?あ・・・・・・。」 確かに泣いていた。浮腫んだ醜い顔を見られたくなくて、りんは袿の中に顔を隠した。 しかしそんなりんの態度を何と思ったのか。 「無理矢理、はいけないよ、頼忠。同意を得てからでないとね。」 「お前は泣かせるような真似をしたのですか!?」 翡翠がみんなの不安を煽るように断定口調で言うと、その後ろから幸鷹が怒りで顔を赤くし飛び出し頼忠に詰め寄った。 「同意があったとしても、騙したのなら許されるものではありません。」 「こいつはまだ何も分からないガキだぜ!そんなりんを弄んで楽しいか?」 泉水が数珠を胸の前で握り締めると、勝真が怒鳴った。 「な、何を言っている!?私は何もしていない、何もしていない!この御方は龍神の神子、私の主だ。その御方に対して無礼な真似をする筈が無い!!」 「え?」 普段とは違う声音に驚き、りんは埋めていた袿から顔を出し、頼忠の顔を見る。すると、何時もどっしり構え過ぎていて何事にも反応しない仏像のような頼忠が、うろたえ、落ち着きなく手を動かしていた。 「それなら何で泣くんだ!?」 勝真が頼忠に近寄り、胸倉を掴んだ。 「誤解だ!私は何もしていない。ただ―――。」 顔をぶんぶんと横に振りながら大きな声を出した。だが、ここに連れて来た理由、りんの秘密を話す訳にはいかないと気付き、途中で言葉が止まった。 「ただ?ただ、何だ!?」 「何をした!?」 「いや、その・・・・・・。」 オロオロと眼が泳ぎ、助けを求めるようにりんの方を見た。 「何があった?」 泰継がりんに訊くと、全員の視線がりんに集まった。何度か瞬きを繰り返す。 「え?ボク・・・意識が無かったから・・・・・・・・・。」ボソボソと呟き、俯きながらも潤んだ瞳だけで頼忠を見上げた。「頼忠さん、ボクが寝込んでいる間に何か悪戯したの?」 「よ、よ、頼忠ぁあああ!!!」 「本当の事を仰いなさいっっ!!」 「してない、してない、何もしてない。本当に何もしていないんだっ!!」 いきり立ち囲む男達の中で必死の形相で叫んだ。 その瞬間。 「ぶーーーっ!」 りんはとうとう噴き出した。 「りん?」 「神子殿?」 びっくりして頼忠からりんに視線を移すと、りんは褥に突っ伏し、腹を抱えて笑っていた。 「ぶはぁ〜〜〜!おっかしい、あっははははは。ひぃひっひっ!!」 息を詰まらせながらも笑い続ける。 「こらこら、そんなに笑うものでは無いよ。」 茫然としている頼忠や責めていた男達の横を通って翡翠がりんの側に近寄った。 「だってぇ・・・・・・。」顔を上げたが、声にならない。頼忠と視線が合うと、再び笑い始めた。「やっだぁ!きゃはははは。頼忠さんがうろたえてる、困ってるよっ!!」 翡翠の腕をバシンバシン叩きながら涙を流し笑い続ける。 「・・・・・・・・・。」 「おい・・・・・・。」 「はい・・・・・・。」 お互いに顔を見合せ、再びりんを見つめた。 「痛いよ、りん。」 「ご、ごめん、なさい・・・。」 とか言いつつ、ぎゅっと強く掴んで笑う事によって揺れる身体を支えた。 「ふっふっふっ。あはははは・・・・・・。」 「ふむ、誤解だったようだな。」 泰継が見つめたまま呟いた。 「早とちり、か!良かった・・・・・・。」 ほっとした途端、やけに疲れを感じて勝真が座り込んだ。 「あっははははは。ふふふふ!」 「神子の笑顔、初めて見ました・・・・・・。」 呆けた顔で泉水が呟いた。 「りんさんも、こんな表情をするのですね。」 「女みたいな笑い方をするんだな。」 「そうですね、可愛い―――っ。」 幸鷹は自分が何を言っているのか気付いて慌てて口を閉じたが既に遅く、みんなの注目を集めてしまっていた。頬が紅潮した。一歩後退(あとずさ)る。 「あ、いえ、あの・・・その・・・・・・。」 「ん?幸鷹殿、どうかしたのかい?」 見事なまでの狼狽ぶりを、翡翠がからかい口調で尋ねた。 「な、何でもありません!」大声で言うと、後ろを向いて歩き出した。「さぁ、神子殿、早く戻りましょう。紫姫が大変心配しておりますよ。」 「あはははは!」 「・・・・・・・・・。」 大笑いする翡翠に眉を顰めた頼忠。そしてりんは跳ね上がるように顔を上げた。笑いが止まったが、同時に笑顔も消えている。 「紫姫?そうだ、抜け出して来たんだ。早く帰ろう!」 パサリと袿を後ろへ落としたが、まだ陽は昇ってはおらず気温は低い。小さな悲鳴を上げると慌てて袿を拾い羽織った。 「頼忠さん、この袿借りるよ!」 叫ぶとそのまま立ち上がり、室を飛び出して行った。 「神子殿、お待ち下さい!屋敷までお送り致します!」 「りん、危ない!一人で外に出るな!!」 「神子、お供致します。」 頼忠を先頭に、八葉みな慌てて追い駆けた。 夕方、りんが疲れきった顔つきで簀子に出て来た。 「やっと泣き止んでくれた・・・・・・・・・。」 「神子殿。」 庭に立っている頼忠の側に近付くと座り込み、高欄に寄り掛かった。 「物忌みの危険性について、散々聞かされたよ。だけど説教されなくたって実際に体験したからもう室から出ないって。気持ち悪いわ寒気はするわで、そりゃあもう、すんごく辛かったんだから。」 「・・・・・・・・・。」 ぼやき続けるりんを、黙ったまま見つめる。 「そうだ、頼忠さん。あの袿、何であんなに暖かいの?」 顔を上げて頼忠と視線を合わせた。 「あれは真冬用ですから。」 「真冬用?」 「はい。神子殿が物忌みの影響を受けて震えておりましたので、綿が多く入っている袿をご用意させて頂きました。」 「真冬用だから暖かい。という事は、今使っているのは秋用・・・・・・。」庭を眺めながら一頻(ひとしき)りの間思案する。と、瞳を頼忠に戻した。「あれ、しばらく借りて良い?」 「はい、構いませんが。」 「本当?良かったぁ。」ぱぁと笑みが浮かんだ。「寒くて眠れない日もあったんだ。これでぐっすり眠れるよ。」 「紫姫にそう仰ればご用意したでしょうに。」 「うん、分かっているんだけど、大騒ぎになっちゃうから言い出し難くて。それに紫姫って頑張り過ぎて無理しているし、深苑くんの事で心労も酷いし。これ以上の苦労は掛けたくないから。」 それを仰るならば貴女はそれ以上に懸命になって重いお役目をこなしておられるでしょうに、とも思ったが、差し出がましい言葉は呑み込んだ。代わりに。 「ならば、この頼忠に仰って下さい。私は神子殿の従者。自分の全てでもって主である神子殿をお守りする者です。そして、主のお言葉を遂行するのが役目ですから。」 りんは眉を顰めた。主とか従者、そして役目。頼忠の言っている事は分かる。それを望んでもいた。だが、何だかすっきりしないというか、それは嫌だという感情が湧き起こった。 「・・・・・・。あのね―――。」 「貴女がお望みになられた事を叶える事は、頼忠の歓びとなりましょう。」 「っ!」 続けられた頼忠の言葉に、りんの口が止まった。同時に思考も止まった。 「神子殿?どうかなさいましたか?」 「っ!あ、いや、その・・・・・・、えっと―――。」しどろもどろとなったが、何の会話をしていたのかを思い出した。「うん、分かった。次に何かあった時は頼忠さんに相談するよ。その時は宜しくね。じゃあ、お休みなさい!」 大きく頷きながらそれだけ言うとその場から逃げ出し、室に駆け込んだ。 「神子殿・・・・・・?」 何でいきなり慌て出したのか分からない。無礼な事を言ったのかと悩みつつ、夜の警護に入った。 「うわぁあ・・・・・・・・・。頼忠さんって、頼忠さんって!」 花梨は室のど真ん中で崩れ落ちるように座り込むと、両手で胸を押さえた。今まで頼忠が女にお世辞を言ったり愛想笑いしたりしている姿を一度も見た事が無かった。そういう事をする男とも思わなかった。そのせいか、花梨には心の準備というものが無く、必要以上に反応し心臓がバクバクと音を立てて跳ねている。頬も熱い。 「あぁ、でも女の子じゃなくて神子殿に言ったんだよね、あれは。」 気真面目な顔は、自分の言った言葉がどんな意味を持つのか、言われた相手にどんな影響をもたらすかを知らない事を物語っている。女の子の気を引こうとして言った言葉では無いのだ。 「んもう、自覚の無い口説き文句ほど性質の悪いものは無いよ。」 頭を振ると、褥の横の几帳に掛けられた頼忠の袿が眼に入った。 「寝られるか、ばかぁ!!」 床に突っ伏した。 |
注意・・・第3章前半・物忌みの翌日。 |