09



りんは帝を呪う怨霊を調べる為に毎日地の八葉と共に散策に出掛けている。それも、早朝から陽が落ちるまで。戻って来てからも、星の一族や他の八葉と報告し合っている為、一人きりでいる事は全くと言って良いほど無い。頼忠は話し合いたいと願うが、その機会を得られないまま時は過ぎていく。



「これで終わりだ!」
勝真が狙いを定めて矢を射る。と、それは見事怨霊のど真ん中を打ち抜いた。
ギィエェェェ〜〜〜!!
のた打ち回りながら断末魔の叫び声を上げる。そして声が小さくなるにつれて姿が煙のようになり、霧散した。
「・・・・・・・・・。」
「おめでとう御座います。」
彰紋がにっこり微笑みかけたが、りんは戦いの最中と同じく厳しい表情のままだ。
「どうした?怨霊を祓ったのに嬉しくないのか?」
勝真が弓を抱え直しながら訊いた。
「この蝶の怨霊、祓うのは二度目だね。そしてまたしばらくすれば復活する。」
「ん?あぁ、そうだな。」
「昨日祓ったねずみと小鬼は3度目。このままだと院を呪っていた怨霊も復活するんだろうね。」
「だろうな。」
勝真が頷くと、りんは俯いて自分の両方の掌をじっと見つめた。
「ボク達がやっている事って何の意味があるのかな?しばらくは平穏な日々が戻るけど、これって一時しのぎであって解決した訳じゃない。龍神の神子が京を救うっていうけど、こんなんじゃ無理だよ。」
折角祓ってその土地土地の力を取り戻しても、怨霊が復活すれば元に戻ってしまう。このままでは京を救えない。花梨の世界に戻れない。
遣る瀬無くて唇を噛み締めた。
「お前は怨霊の復活を止める手立てが欲しいのか?」
それまで無言無表情のままりんを見ていた泰継が口を開いた。
「そりゃあ、欲しいに決まっている。怨霊が復活するから何時までも経っても同じ事を繰り返さなきゃいけないんだから。」
「問題無い。」
「え?どうしてそんな事が言えるんですか?」
驚き尋ねる。しかし泰継は既に後ろを向いて歩き出していた。慌てて走って腕を掴んで歩みを止める。
「どういう事です?このままで良いって事ですか?」
「龍神の神子には復活を防ぐ力がある。だがそれは、初めから身に付いているのでは無い。お前が真の神子なら、時期が来れば自然と備わる。」
「復活を防ぐ力?それってどういうものですか?どうしたら持てるんですか?何時なんですか?」
矢継ぎ早に質問するが。
「分からん。」
たった一言で終わらせた。
「ちょっとそれって―――。」
それでもまだ追求しようとするりんの頭に上に、翡翠がポンっと手を乗せた。
「泰継殿が問題無いと言ったんだ。のんびり待てば良いさ。」
「そんな余裕なんて無いっ!」
翡翠の手を投げ飛ばすようにどかすと、怒鳴った。しかし翡翠はにこやかな笑みを浮かべたままだ。
「その力は龍神が与えてくれるんだろう?何を考えているのかは分からないが、君にはまだ早いと思っているんだろう。」
「まだ早いって・・・・・・。ボクは力が弱いから扱えないと?」
「さぁ?」シュンと落ち込んでしまったりんの背中を軽く押した。「しかし希望が見えて来たじゃないか。何も分からなかった時よりも一歩前進だろう?」
「そんな事言ったって結局は何も分かっていないじゃないですか。」
「焦ってどうなるものでも無い。」
何時までも駄々を捏ねるりんに、泰継は呆れたように冷たい口調で言う。
「怨霊に苦しんでいる人がいるのに、何でそんなにのんびりしているんだ!?」

「・・・・・・なぁ?」
「えぇ・・・・・・。」
怒りを顕わにするするりんの後ろで勝真と彰紋が顔を見合わせた。
特別な力を少しばかり持っているせいで院側の連中に龍神の神子と祀り上げられた童。そんな風に思っていたが、りんは苦しむ京の人々に心を沿わせ、共に悩み苦しんでいる。院の元にいる勝真の妹、千歳とは全く違う。帝を呪う怨霊を祓うだけでなく、こいつならば、りんならば。
「もしかしたら、本当に京を救うかもしれないな。」
「そうですね・・・・・・。」
りんが真の龍神の神子ならば。その言葉は胸の奥に仕舞ったまま頷いた。

「りんさん。」彰紋が声を掛けた。「今は帝を呪う怨霊を退治する事に専念しませんか?」
「え?何だって?」
突然横から出された提案に驚き、勢い良く振り向いた。
「帝はずっと苦しんでおられました。その原因が判明したのは、りんさんが院を呪う怨霊を退治したからです。だから帝を呪う怨霊を退治すれば、新たに何か分かるかもしれません。」
「・・・・・・・・・。うん、そうだね・・・。」
まだ半信半疑の顔だが、今はそれしか望みは無い。渋々頷いた。
「じゃあ、やる気になった所で火之御子社に行くぞ。あそこにも怨霊が出るって噂があったからな。」
「うん、分かった。」
顔を引き締めると勝真達の後を追って足早に歩き出した。
「・・・・・・・・・ふぅ。」そんなりんの背中を見ながら翡翠が小さなため息を吐いた。「君がそんなに無理をする事も無いと思うのだがねぇ・・・・・・。」



「さすが神子ですね。」
玄武に続いて白虎もりんを龍神の神子と認めた事を伝え聞き、泉水が微笑んだ。
「当然さ。りんは本物なんだからな。」
イサトが自慢げに言った。
「帝を呪う怨霊は強大だそうですが、これも問題無いでしょう。」
幸鷹も信頼の瞳で頷いた。
「・・・・・・・・・。」
だが、頼忠一人、眉間に皺が寄った。
確かに天の四神はりんを龍神の神子と信じ、信頼している。しかしその態度は、まだりんを疑っている地の四神への当て付けとも取れるほど大げさだ。頑張る姿に喜び、結果を出す事を望んでいる。だが、りんがどのような気持ちでいるのか、慮る事は無い。
「頼忠、どうなさいましたか?何か心配事でもあるのでしょうか?」
泉水が尋ねた。
「いえ、最近休まずにお役目をこなしておりますから、お疲れでは無いのかと思いまして。」
それほど遠くでは無いが、京中を走り回っているのだ。そして怨霊と戦っている。八葉と違って神子の役目を代われる者はいない。誰よりも忙しく、過酷な日々を過ごしている。男でさえ疲れて当然な日々を。
「そうですが、神子殿は最初の頃に比べて体力も付きましたし、それほど心配する必要も無いのではありませんか?」
「あぁ。りんはそんなヤワなヤツじゃないさ!」
「そうですね・・・・・・。」
りんは本当は女人だと言う事は出来ない。これ以上言う言葉も思い付かず、黙り込んだ。



そして数日後の月の美しい夜、何時ものように花梨は妻戸に寄り掛かり座っていた。
「封印、か・・・・・・・・・。」
何度祓っても復活する怨霊。しかし、龍神の神子には怨霊を札に封じ込めて復活を阻止する力があるらしい。

―――時が来れば、神子が封印を行える―――

分かっているのはこれだけ。だが、これだけでも分かる事がある。帝を呪っていた怨霊を退治したが、未だに封印の力は得られてない。つまり、龍神の神子、りんがやらなければならない役目は全然終わっていないという事だ。院を呪っていた怨霊も、帝を呪っていた怨霊も、しばらくすれば復活する。
「今度は、何をすれば良いんだろう・・・・・・?」
失われた二つの強い術、その一つ目の術をりんと歩き回ったおかげで多くの八葉は取り戻した。完全に祓う事は出来ないとはいえ、戦いはラクになってきている。しかし、同じ事を繰り返すだけの空しい日々。
院の怨霊を退治した時の疑問が、今、再び花梨の胸に迫ってくる。役目に追われながら永遠にこの地で生きなければならないのではないか、との不安が。
「・・・・・・・・・。」
震える身体を自分の腕で抱き締めた。



翌日、帝を呪う怨霊を祓ったご褒美としてりんは一日休みとなった。その間、紫姫や泰継が龍神の神子について、封印の力について調べている。何をしたら良いのかも分からないまま、束の間の休息、りんは脇息に寄り掛かりながらぼんやり庭を眺めていた。
「これでりんは真の龍神の神子となりました、ってね・・・・・・・・・。」
帝を呪う怨霊を退治した時、地の八葉の4人がりんを龍神の神子と認めた。今まで疑っていたお詫びも込めてこれから神子の為に頑張ると約束して。
しかし折角八葉の全員に認められても、りんが出来る事は同じ。町に出て怨霊と戦うだけ。
「今でも私は半人前の神子・・・・・・。」
脇息に肘を付き、寝不足の頭を支えると眼を閉じた。

と。

「りん!」
ドタドタと大きな足音を立てながらイサトと頼忠が室に飛び込んで来た。緊張した雰囲気を感じ取り、りんは姿勢を正した。
「神子殿、お寛ぎのところ申し訳ありません。」
「院を呪っていた怨霊が復活しやがった。来てくれ!他の二人は既に向かっている。」
とうとう恐れていた事が起こった。りんは一瞬瞑目したが、すぐに開けて立ち上がった。
「分かった。行こう。」
「お疲れのご様子ですが、大丈夫ですか?」
りんの眼の下に出来た隈に気付いた頼忠が急かすイサトを止め、尋ねた。だが、りんは頼忠の顔を見ずに室を出た。
「疲れているのはみんな同じ。大丈夫。」
「おう、急ぐぞ!」
イサトと走り出した。
「神子殿・・・・・・。」
眉を顰めたが、すぐに後を追って走り出した。


「ごめん。遅くなった。」
幸鷹と泉水と合流し、りんは真っ先に謝った。しかし同時に幸鷹も謝罪の言葉を口にした。
「神子殿、すみません。私達だけで解決出来れば良かったのですが。」
「ううん、これが神子の役目だよ。怨霊と戦うのが。みんな、行こう!」
「畏まりました。」
「おう!」
「はい。」
「そうですね。」
全員がりんの言葉に気を引き締め、頷いた。
全員の心が一致したのを確認すると走り出そうとしたが、八葉の四人が何かに驚いて立ち止まった。空(くう)を見つめ、何かを聴こうと耳を欹(そばだ)てているように見える。りんはどうしたのか訊こうと口を開き掛けたが、頼忠が話し出し、声を出す事無く閉じた。
「青龍の命を受けましょう。」胸に手を当て、りんの顔を真っすぐに見つめた。「あなたの願い、『己の信念を貫く』為に私の力をお使い下さい。」
「任せとけ、朱雀!」イサトが胸をドンと叩いた。「りん、お前の願い、『相手の立場に立って考える事』の為にオレの力をお前にやるぜ!」
「白虎から受けしこの力、必ずお役に立てて御覧にいれましょう。」力強く頷いた。「あなたの願い、『自分を信じる事』の為に、全ての力を集めましょう。」
「畏れ多い事ながら、私が玄武の力を頂きましょう。」泉水が控え目な笑みを浮かべた。「あなたの祈り、『雑念に惑わされぬ』為、力の限り尽くしましょう。」
何事かとりんが呆然としていると、頼忠が一歩近付き注意を引いた。りんと眼を見合わせ微笑んだ。
「あなたの祈りは、四神に、我ら八葉に力を与えます。だから四神もあなたの願いに応え、力を捧げます。」
「そう、なの?じゃあ、行こう。」
良く分からないまま頷き、そのまま怨霊と戦う為に向かった。


この怨霊猪霊と戦うのは二度目だ。弱点は良く分かっている。
ギィエーーー!
「神子殿!」
バシュ!!
りんに向かって攻撃を仕掛けたが、頼忠が前に出て代わりに受けた。りんは頼忠の怪我が大した事は無いとその顔つきから判断し、泉水に向き直った。
「泉水さん、お願いします!」
「はい。―――邪気を洗い清めたまえ、水撃波!」
数珠を胸の前で握り締め、祈りを込めて叫んだ。
ギャアァアアア!
火属性の怨霊がのた打ち回る。その間に。
「はっ!」
体勢を整えた頼忠が攻撃する。
「はぁ!」
「うりゃあ!」
暴れる怨霊に向かって幸鷹、イサトも攻撃する。
『あれ・・・?何だか胸が温かい・・・・・・?』
りんは胸に手を当て、その熱源に神経を集中させた。
もう少し、後一撃で倒せる。そう思ったが、神子の指示が無い。
「神子殿?」
頼忠がりんに視線を向けた。と、りんは頼忠の後ろから前へ進み出た。
「おい!?」
イサトが慌てて後ろに引き戻そうと手を伸ばしたが、その手を避けるようにもう一歩前と歩み出る。
「ちょっとお待ち下さい。」
普段とは全く違う雰囲気に気付いた泉水が、追い掛けようとしたイサトの腕に触れて止めた。4人の視線がりんに集まる。
怨霊に向かって手を伸ばして気を集中させると、りんの全身が眩い光に包まれた。自然と言葉が出て来る。
「めぐれ、天の声。響け、地の声。かのものを封ぜよ!」
その瞬間、清らかな光が手の先から放たれた。
グギャアァアアアーーー!
その光に包まれた怨霊が断末魔の叫び声を上げる。だが、その声もだんだん小さくなり、一層強い光に包まれ姿が見えなくなった。
ハラリハラリ。
光が消えると、怨霊の姿は無く、代わりに小さな紙が舞っていた。それをりんは受け止める。
「神子殿!」
「おい、りん!何だ今のは?」
「何事です?」
「神子、大丈夫ですか?」
慌てて周りに集まる。
「大丈夫・・・・・・。」
「怨霊はどこに消えたのです?」
「それが大丈夫って顔か?」
「それは危険では無いのですか?」
心配そうに覗き込んだが、りんの持っている紙を見た途端、満面の笑顔に変わった。
「それは封印苻ですね?」
「うん。封印、出来たよ。これでこの怨霊は復活しない。二度と暴れない。」
興奮状態の幸鷹の口調に比べ、りんは静かな声で答えた。
「お見事で御座いました。」
「やっと頑張った成果が出ましたね。」
「おめでとう御座います。」
口々に褒め称えると、りんは俯いた。
「うん、ありがと。ありがとう・・・・・・。」
涙が溢れて頬を伝う。声が震え、掠れる。
「おい、泣くなよ。良い歳した男が泣くな。」
泣き出したりんに、イサトが慌てた。懐から手拭いを取り出し押し付ける。
「うん・・・、ごめん。うん。うん・・・・・・。」
それでも感情の高ぶりから涙は止まらない。封印苻を大事そうに抱き締めつつ、その手拭いで眼を押さえる。
「全くガキだな、お前は。こんなんでこれから大丈夫か?」
ぶつくさ言いながらりんの髪をグシャっと乱れさす。
「封印の力を得ても中身は変わっていないようですね。」
苦笑しつつも嬉しそうに幸鷹が泉水に言った。こちらも暖かな笑みが浮かんでいる。
「いえ、清らかさが増しました。御心も更に傷付き易くなったのではないでしょうか?」
「そうなのですか?ならば、今まで以上にお守りしなければいけませんね。」
「えぇ、そうですね。」
頷き合うと、りんの側に歩み寄った。
「京の為に共に頑張りましょう。」
「これからも宜しくお願いしますね。」
「うん、うん、頑張る・・・・・・。」
頷き応えるりんを、頼忠だけが一歩離れたところから心配そうに見つめていた。



「神子殿、おめでとう御座います。」
夜の警護に訪れた頼忠は、誰もいない簀子を見つめていた。
毎夜妻戸に寄り掛かって庭を眺めているりんが、今宵は珍しく出て来ない。新たな力を得て安心し、久しぶりに穏やかな眠りが訪れたのだろう。
それは嬉しいのだが。
「御無理なさらないで下さい。」
明日から怨霊を封印する。それは当然の事だが、一日も早く終わらせたい、との願いのままに今まで以上に懸命になるのは想像に難くない。
「これ以上、御無理はなさらないで下さい・・・・・・。」
届かないと分かっていても、心からの想いを神子の室に向かって繰り返した。






注意・・・第2章後半〜間章。

無理をしている人に「頑張ろう」は禁句です。