08



「神子さ・・・・・・危険・・・・・・・・・。」
「分かって・・・でも・・・・・・。」

「何事だ・・・?」
頼忠が挨拶にやって来た時、神子の室が何やら騒がしかった。紫姫とりんが言い合い、のような会話を交わしている。

「・・・・・・誰か・・・・・・。」
「大丈夫。・・・・・・何時も・・・だから・・・・・・。」

「神子殿、失礼致します。何かあったの―――。」
挨拶をし、言い合いの原因を尋ねようとしたのだが。
「頼忠さん、丁度良かった!」
りんがぱっと走り寄り、頼忠の腕を掴んだ。
「神子殿?」
「大内裏内で怨霊が出たんだ。一緒に来て下さい!」
「大内裏の中、ですか?」
承諾するのを躊躇う。あそこは帝の勢力が強い場所だ。しかも貴族が多い場所でもある。武士の頼忠では目立ち、騒ぎの原因となってしまう可能性が高い。
「神子様。地の八葉の方がご一緒でなければ危険で御座います。今お呼び致しますので少々お待ち下さい。」
同様の心配をした紫姫が文の準備を女房に頼もうとしたが。
「そんな呑気な事を言っている場合じゃない。それに、あそこなら彰紋くんか誰かいるだろうし、大丈夫だよ。」
「ですが、神子様!」
しかしりんは頼忠を早く早くと急き立て、引っ張り出て行ってしまった。



「誰もいませんねぇ。」
りんは呟いた。石を投げれば八葉にぶつかる、とまでは言わないが、京の町を歩いていると誰かしらに出会う。それなのに、今日に限って誰一人として姿が見えない。
「出直した方が宜しいのではありませんか?」
「そうだけど、大内裏だからなぁ。怨霊がいたら危険なのは当然としても、噂だけでも大問題。放って置く訳にはいかないよ。」
何度も忠告する頼忠に、りんは同じ意見を返す。
「それはそうですが、神子殿を危険に晒す訳にもいきません。」
「怨霊よりも人間の方が怖いって?」
「神子殿。」
悪い冗談に眉を顰めた。
「それは兎も角。」一瞬、冷たい視線で頼忠を見たが、すぐに前を見据えた。「龍神の神子は怨霊を祓う為にいるんです。戦わないんだったら、ボクが此処にいる理由がありません。」
「お役目に御熱心なのは有難い事ですが・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
もう何も言う気にならなくて黙ったまま怨霊を探す。


きょろきょろと辺りを見回しながら歩くその姿は目立つ。警護をしている武士の注意を引いた。

「建物の中は入らない方が良いよね?」
「そうですね・・・。」
扉や柱の影に神経を集中させているりんとは違い、さすがに頼忠はこちらを見ている武士達の視線に気付き、危険度を測っていた。
「ここは大丈夫そうだから他の場所に行こうか。」
ここら辺を歩いている者達はみな、平穏な顔をしている。怨霊はいないと判断したりんは別な場所を探そうと頼忠の方に顔を向けた。
だが。

「おい、お前は院直属の武士だったな。」
「此処で何をしている?」
数人の武士が刀に手を掛け、歩み寄って来た。

「神子殿!」
「え?」
鋭い声にりんは後ろを振り返った。そして尋問しようとしている武士の存在に気付いた。
話を聞いてくれるような雰囲気では無い。そもそもこちらにはりん達が此処にいる理由を説明出来ない。
「―――逃げよう!」
りんは咄嗟に頼忠の手首を掴むと走り出した。

「おいっ!?」
「待て!」

待てと言われて立ち止まる者はいない。りんは走りながら考える。闇雲に走っても、女の足では追い付かれるのは時間の問題だ。此処には一度だが来た事がある。隠れられる場所は無かったか?
「神子殿、こちらへ。」
頼忠がある建物の横を曲がった。そして建物と建物の隙間に入り込んだ。
「はぁはぁはぁ・・・・・・。」
建物の外壁に柱が突き出ていて、その陰ならば通りからは見えない。隠れようとすれば隠れられる。だが。
「二人は無理だよ。」
太い柱だが、頼忠のような体格の良い男と二人はさすがに無理。りんは通りに戻ろうと歩き出そうとしたが。

バタバタバタ。
「こっちに行ったぞ!」
バタバタバタ。
「どこだ?どこに行ったか!?」
近付いて来る足音と声。

「神子殿、失礼致します。」
他の場所を探している時間は無い。頼忠はりんの尻の下に腕を回し抱き上げた。
「っ!?」
りんが驚く間もなく壁に押し付け、そして胸辺りに顔を押し付けた。
「なっ!?」
しかし次の瞬間には顔を離し、驚きの瞳でりんを見上げた。

バタバタバタ
「ちっ!どこかに隠れたな?」
ジャリ。ジャリ。ジャリ。
「まだ遠くには行っていない筈だ。」
「ここら辺にいる。探せ!」
ゆっくり歩きながら探す気配がする。

『黙って!』
口が開き、何かを言おうとしている。だが、ここで何かしゃべれば絶対に聞こえる。男達に見付かってしまう。りんは咄嗟に頼忠の頭を抱き、自分の胸に押し付けた。
『っ!?』

ドタドタドタ。
「ちっ!」
「いないな。」
ジャリ。ジャジャリ。ジャリ。
「こっちにもいない。」
ジャリ。ジャリ。ジャリ。
「もしかして、あっちに行ったのか?」
「行ってみよう!」
バタバタバタ・・・・・・。



「神子殿・・・。あなたは・・・あなたは・・・・・・っ!」
武士達は他を探しに行ってしまったようだ。二人きりになった頼忠はそれだけ言うと後は絶句、言葉にならない。
「あぁ〜あ、バレちゃった。」
地面に降りると壁に寄り掛かった。衣の胸元辺りを撫でつけ皺を伸ばす。
「・・・・・・・・・。」
「分かっているでしょうけど、みんなには言わないでね。」
今更無理して男言葉を使う必要は無い。普段の口調に戻した。
「何故・・・・・・・?」
「何故って何が?」
「何故嘘をついていたのです?あなたが女人であると、どうして仰って下さらなかったのです?」
信頼されていなかった事がショックだったようだ。驚きというよりも傷付いたような顔で言った。
そんな頼忠の表情を見ていると、動揺するよりも笑ってしまう。自分達は散々疑いの眼差しで見ていたくせに、自分は信頼されていると信じていたなんて。
「嘘なんかついていない。あなた達が勝手に勘違いしたんでしょ?訂正はしなかったけど、私は自分が男だと一度も言った事は無いよ。」
「それは詭弁です!」
大声が出る。それに釣られてりんも声が大きくなっていく。
「あの時、言えるような状況じゃなかったでしょ?あなた達は私の事を力が無いだの足手纏いだの偽者だと言いたい放題だったじゃない。何か口にする度に、とんでもない事を言うヤツだと呆れ怒っていた。そんな態度のあなた方に、実は私は女だって言ったら何を言われたか。試してみようとは思わなかったよ・・・・・・!」
「っ!」
あの頃の状況をはっきり言うと顔色が変わった。
「それに散々聞かされていたもの。龍神の神子は京を救う事の出来る唯一の人だと。とても重要な、大切な人だと。そしてその龍神の神子は既に院の側にいるって。深苑くんだって頼忠さんだってそう信じていたんでしょ?私を偽者だと疑っていたんでしょ?それで本当にそんな重要な龍神の神子を騙っていると、偽者だと判断したら、私をどうするつもりだった?」
「そ、それは・・・・・・。」
口篭ったまま答えられない頼忠の顔色は、花梨の予測が正しかった事を証明した。決断は間違っていなかったと。
「みんなが疑っていたように、私も自分が龍神の神子だとは信じていなかった。だから偽者だと判断される前に、殺される前に逃げようと思ってた。女の子に戻って、ね。」
「し、しかし今はもう、私は、私達はあなたが真の龍神の神子であると信じております。どのようなご命令であろうと、それに従うと。女人だからといって、その思いが変わる事はありません。」
「そうでしょうね。でも、だからじゃない。だから尚更言えなくなった。」
意味が理解出来ない頼忠に、花梨の苛立ちが増した。ずっと一人で抱えていた痛みを、苦しみを、この男にも味わせてやりたいと、心の底から思った。
「じゃあ、私が女だと分かったらどうなるの?女の子にこんな重責を背負わせるのは可哀想、と私の世界に帰らせてくれるの?怨霊と戦うのは危ないからと屋敷の奥にいさせてくれるの?違うでしょう?何も変わらないんでしょ?神子の役目は、やらなきゃいけない事は変わらないんでしょ?」
「それは!いや、いえ、あ・・・・・・・・・。」
「だったら、ヘンに気を遣われて中途半端に大事にされて明日明日と先延ばしするより、今日やるべき事は今日終わらせたい。役目を終わらせて、一日も早く帰りたい。平和で安全な場所に帰りたい。帰りたいの、自分の世界に!!」
「・・・・・・・・・。」
初めて知る神子、りんの願い、本心。そして苦しみ。衝撃を受けたが、だが考えてみれば当然の望みである。りんはこの世界の人では無いのだから。
言うべき言葉など思い浮かず、黙って唇を噛み締めた。
「頼忠さんが八葉なら、神子の命令に従うと言うなら、願いを叶えると言うなら、協力して。一緒に京を救って。そして私を、こんな怨霊との戦いから、緊張した生活から救い出してよ。」
「・・・・・・・・・。」

「りんさん?」

沈黙し睨み合っていると、柔らかな声で呼び掛けられた。
「彰紋くん。」
「どうして此処に?」
帝側の者が供にいない不用心さを、半分心配半分咎めるような口調で訊いた。
「うん、大内裏の中で怨霊が出たって聞いたんだ。彰紋くん、知ってる?」
「あぁ、そうでしたか。」先ほどの口調を反省するように、一瞬眼を伏せた。「ありがとう御座います。実は宴の松原に怨霊が出たとの報告があったのでりんさんを呼びに行こうと思っていたんです。」
「丁度良かった。じゃあ、案内して。」
「はい。」
「・・・・・・・・・。」
「頼忠?」
二人は歩き出したが、頼忠だけは何を躊躇っているのか立ち止まったまま。彰紋が訝しげな視線を向けた。
「っ!」
顔を上げると、りんと眼があった。
「・・・・・・・・・。」決断を迫る強い視線に対し、従者である頼忠には背く選択肢は無い。「―――只今参ります。」






注意・・・第2章半ば頃。

頼忠、りんの秘密を知る。